「土井先生」


夜に鳴いている鈴虫たちの声に混じり、凛とした声が鼓膜を振るわせた。それを聞き出てきた感想は驚きでもなんでもな く、またか、である。ため息を小さく吐き出しながら声のした背後へと振り返る。そしてお決まりとなった言葉を吐き出 す。
「何度も言ったと思うが夜にはあまり出歩くな。
するとまたこちらもお決まりとなった言葉を反省した様子など微塵も見せずに紡ぐ。
「いつもは夜に出歩いたりしません。」
それにまたため息が出る。
「ため息を吐いたら幸せが逃げるんですよ」
誰の所為だ、と口に出しそうになったが飲み込む。これでは本当にいつもと同じである。ちらりと視線だけをやる。 それに気づきおや、という顔をしてこちらを見る少女に少し、してやったりな感情が沸いた。が、それは顔には出さない。
そのまま何も無かったかのように歩き出し夜の見回りを続ける 、いつもならば自分の後ろを歩いて来るのだが、少し冷たく接した今日はどうであろう。もしかすると部屋へと帰ったかも しれない。そうは思うが振り返ろうとは思わなかった、もし振り返りそこにいつものように が居れば気まずい。

まるでちゃんと付いてきているのか確認しているようじゃないか。





という少女が今では当然のように一緒に夜の見回りに付いてきているが、いつから当然になったのだろうか。 一年前のこの頃は一人でこの鈴虫たちの鳴き声を聞いていたような気がする。ならばいつからだ? そう考えてもはっきりとは思い出せない、いつの間にか後ろに居たのだ。
最初の頃は何故ついてくるのか不思議に思い、そして他の同僚たちにも同じように一緒に付いてくるのかと思い、 それとなく聞いてみたことがある。

「昨日の見回りのとき誰かに会いませんでしたか?」
「いや、誰にも会わなかったが…何だ?」
「いえ、それならいいです」

話を無理に終わらせようとする自分にもう一人の一年は組の担任は不可思議な目を向けてきたが、それに気づかないふりを してまた仕事へと取り掛かると諦めたようであった。
どうやら自分の見回りのときにだけ現れるという事は分かった、、生徒が知るはずの無い見回り当番の情報を何処で調べて いるのか、そして何故自分の時にだけ現れるのか、分からないままであった。が、なぜか本人に聞く気にはなれずそのまま ずるずると今まで来たのだ。





ほとんどの生徒が寝静まった学園内は昼間の騒がしさが嘘のように静かである。鈴虫の鳴き声に風の音その風が揺らす木々 の音…心地いいと感じる音しか耳は拾い上げない。
立ち止まりすぅっと深呼吸して、目をつぶった。なんだか体の中が浄化されたようなそんな気持ちになる。 ゆっくりと目を開けると月の光によって出来た薄い自分の影に重なってもう一つ影が出来ていた。 少しも気配を感じさせない隙の無い背後の人物に影の本体など無くて影だけの存在のような錯覚を感じさせられるが、そんな わけは無い。完璧に気配を絶っているくせにわざと影だけを表す所で誰だか想像は出来る。が影の本体を確認するため に体ごと後ろを振り向く。



「ついて来てないと思いましたか」
それは疑問で聞いているようで確信した言い方であった。それに心の中を読まれた気がして途端居心地が悪くなる。 ついうろうろと視線を動かしてしまう。
「甘いですよ、ちょっと冷たくされたぐらいで帰りませんよ」
そのきっぱりとした言い方に、うろうろと彷徨っていた視線をへと焦点を定める。
「私、土井先生が見回りのときにしか夜出歩かないんですよ。知ってました?」
月を背後に背負ったの表情は読めない、ただ月の光に照らされたは綺麗だと思った。
何も応えずに居ると、矢継ぎ早には続ける。

「ほんとは先生気づいてるでしょ」

雲によって月が一瞬隠れた、その間に見えたの顔は困ったように歪められて頬は上気していたように見えた。



わずかな隙間





(20080918)
ほんとは自分に好意があるって事に土井先生は気づいてるんだけど、気づかないふりをしてる。って話。 何も分からないふりをする先生にヒロインの子がたまらなくなって言ってしまったってね。言いたいわけですわ。