世間では今日はバレンタインといい、女の子が好きな人にチョコなんかをプレゼントしたりするらしい。 一応女の子に分類されるのだけれど何の予定もない私は外にも出かけずに家の中でぼーっとテレビを 見ている。友達は手作りケーキを作って自分の想い人に気持ちを伝えると張り切っていた。他の友達は高そうなチョコを 買っていた。手作りにするか購入するかそれもまた楽しみなのだと言う、どちらにしても自分の口に入らないのだから何で もいいじゃないか、と口にすれば彼女達は揃って呆れたようなため息をこぼすのだ。
そして最後にはこう締めくくられる、も早く好きな人作りなよ。
”好きな人”と言われてちらりと脳裏をかすめる人がいないわけではないのだが、 その感情が恋であるのかいまいち自分でも分からずこの曖昧な気持ちの扱いに困っている。 けれど、幸せそうに今日の予定を語る彼女達を羨ましいと感じたのも事実だ。



窓の外へと視線を向ければ気持ちのいい青空とは対照的に桜の木が丸裸で寒そうだった、風がそんな桜を撫でると枝がかさ かさと揺れ暖房の効いた暖かい部屋にいるのに思わずぶるりと体が震える。
「さむー」
呟いた声はテレビの笑い声によって掻き消された。ぺらりと手元の本を捲る、目当てのページにはまだたどり着かない。 何回か手を動かすと やっとたどり着いた動かしていた手を休め、―材料―と書かれている所を目で追う。一つ一つうちに在ったか思い浮かべる 。
「よし」
気合を入れてから立ち上がる、そのときに手元にあったリモコンでテレビの電源も消す。ぷつん、と言う音と同時に真っ黒 な画面に戻り人の笑い声も消えた。静かになった家の中は私が一人であることを浮き上がらせた。けれどこのゆったりと流 れている今の時間を心地よいと感じている私は心細いも何も感じなかった。ただ手元の本に書いてあるレシピを頭に思い浮 かべる。



全ての作業を終え最後の焼く過程に入り、後はオーブン任せになった。一息ついてから壁にかけてある時計へと視線を移す 、

「2時45分」

ぽつりと呟いたつもりだったのに思いのほか声が響き驚いた。焼き上がるのは丁度3時頃になりそうだ。オーブンから漂い 始めた香りに心が躍る。水を触って冷えた手を擦りながら思う、暖かいものが飲みたい…、 紅茶も作っておこう、たっぷりのミルクの中に茶葉を入れてほんの少しの砂糖を入れるそれから 弱火でじっくりと煮出すのだ。15分もあれば出来るだろう。
そうと決まればと小さめの鍋を取り出して適当な量のミルクを入れる、その時だ、カチャリと小さくドアの取っ手に触れた 音が聞こえ次にこの家の中のゆったりと流れる時間から切り離されているように感じる外の気配が風と共に運ばれてきた。 僅かに床を踏む音をたてながら冬を連れ込んできた張本人を軽く睨んでから口を開く。

「不法侵入」
「お邪魔しますって言ったけど?」

私の視線などなんてことないらしく飄々とそう抜かす。その返事が気に入らなくてまた口を開こうとするが、

「すごい匂い」

先を越されてしまった。
それから匂いにつられるようにして私がいるキッチンまで来て、私の手元を覗き込んでくる

「何これ」
「紅茶」
「僕のも」

ちょっと洗面所借りる。さっさとそれだけ言ってコートとマフラーを私がさっきまで座っていたソファーの上に投げた。 (いくら小さい時から何度も来てる幼馴染の家だからってまるで自分の家のような振る舞いだ。) その時に起こった風が頬をかすめて眉を寄せる。いつもなら何にも感じないような事なのにやけに今日は癇に障る。だけど それを表には出さないようにと自分に言い聞かせる。とりあえず鍋の中にミルクを継ぎ足す。




「今日が何の日か知ってる?」
「バレンタイン」

そっけない返事にもかかわらず利吉は気分を害した風もなくティーカップを傾けてミルクティーを飲んだ今はセーターによって見 えないけれど喉仏が動く様子が感じられた。冷えた指先がじわじわと陶器越しのミルクティーによって温められていく。 私もティーカップを傾けるが、唇に当たった液体は意外にも熱かったので少ししか口に含めない。

「知ってたんだ、で?」
「…で?」
「家の中で暢気に紅茶なんて飲んでていいの」

つまりこいつはチョコを持って愛の告白とやらに行かなくてもいいのか、と言っているのか。てっきりチョコを催促してい るのかと思ったのだが…まぁ私に催促しなくても十分なチョコを貰っているのだろうけど。毎年両手では抱え切れない程 持って帰ってきているのを知っている。それを思い出してなんだか目の前からの真っ直ぐとこちらに向けられた視線がとて も煩わしく感じた。不自然じゃないように視線を手元のティーカップの中へと移動させる。

「利吉こそ暢気に紅茶飲んでる場合?」
「今は僕のことじゃなくての話だろ」

カチャリと陶器のぶつかった音がして視線を上げれば先ほどと変わらず真っ直ぐな目がこちらを見ていた。

「別に、私の話なんていいじゃない」
それより利吉の方こそこんなとこに居てていいの。
この話は終わりとばかりに無理やり話を終わらせる、それが不満なのか目の前の男は片方の眉を吊り上げた。だがそれさえ も絵になると言うか。性格はさておき羨ましい。

「別に、僕の話はいいじゃないか」

するとさっきのやり返しのように私の言った言葉が返ってくる、やっぱり性格が悪い!睨みつけると意地悪くにやりと口を 吊り上げた。それにまた腹が立つ。苛立ちをぶつけるように気が付くと口が勝手に動いていた。

「けどホントにこんなとこで紅茶飲んでていいの?」
「…?」

しまった。と思ったがもう遅い滑り出た言葉は戻らない。
意味深な私の言葉に心当たりがないのか、いやないわけないか。読み取れないのか何も言わないで眉を僅かに寄せる利吉が 目に入ったけれど、それを無視してやっぱり何でもない。と小さく溢す。

「何でもないわけないだろ」
「何でもないってば」
「気になる」

続きを促す視線に耐えかねて消そうとした筈の話題を口にする。こんな事なら言わなければ良かった、後悔だけがぐるぐる と胸の中を回っている。

「この前学校の帰りに見たんだけど」
「うん」
「た、たまたま見たんだけど」
「うん」
「見るつもりなかったんだけど」
「分かったよ、で?」

少し苛立たしげに先を促される、ちょっと話を伸ばそうとしただけなのにこいつは短気すぎる。

「駅の近くで利吉が居て一緒に女の子も居てて、髪の長い可愛い感じの、」

目の前の視線から逃れるように私の視線は壁にかけてある時計に移る。

「…あの子彼女じゃないの?」

疑問符で聞いたわりには私はそれに確信を持っていた。つまり利吉は髪の長い可愛い感じの女の子と付き合ってる。
という確信。

「は?」
「いや、見るつもりなかったんだけどね」
「…」
「声掛けようかなーって思ったんだけどお邪魔かなと思って…」

無言が気まずくて声なんて掛けるつもりなかったくせして言い訳がましく呟いてから机の上のティーカップを見つめる。 何で私が気まずく感じないといけないのとか、この胸のざわざわした不安のような物は何、とか考えているとはぁー、と でっかいため息が前から聞こえた。顔を上げればどこか怒り気味な鋭い視線とかち合った。

「違う」
「え?」
「だから、彼女じゃない」
「え、けど何か端から見たらそういう感じって言うか…」

自信がなくなってきて語尾はもごもごと口の中で消えていく。

「周りから見たらどうかなんて知らないけど、僕は彼女の事友達だと思ってる」

きっぱりと言い切った利吉に返す言葉もなくただ「そうなんだ」とだけ返す。なんだか利吉が来てから感じていた意味が 分からない苛立ちだとか不安が一気にしぼんでいった。まだカップには三分の二程ミルクティーが残っている。 口に流し込むと少し冷めてきてしまっていた。さっきは熱すぎたけど今は冷めすぎている、私がおいしいと感じる一番の 瞬間に飲めなかった事が悔しい。空になったカップを下ろすとそれを待っていたように利吉が口を開いた。

「ふぅん」

何がふぅん。なのか、意地悪そうな(実際に意地悪か)顔で満足そうに薄っすらと笑みを浮かべ机に頬杖をついている。



「で、オーブンの中身の物、一体いつになったらくれるの」

瞬間、体の温度が一気に上がった。真っ赤になった私にさらに追い討ちをかける言葉が聞こえる。

「今年は無いのかと思ったけど、そういうことか」
「そういうことって何!」

反撃とばかりに食って掛かる私に薄く笑いながら利吉は応える。

「嫉妬、してたんじゃないの」

あぁ憎たらしい顔!けれど私の曖昧な感情が何なのか分かってしまった。









チョコの香りの部屋





(20090314)あれっ?ホワイトデーだねっ☆