・質問 何故会計委員会なのに鍛錬しなくちゃいけないんですか?

・返答 バカタレィ!我々はただの会計員会ではない、闘う会計委員会だからだ!!



唾を飛ばしながら力説する、潮江先輩に意見できる者などこの会計委員会には居ない。よって私達は徹夜明けの疲れきった 体に鞭打って走る事になった。
校外に出た時点でそうそう帰ってこれるものではないと思っていたが、ここまでとは…。 一年生はもちろんだが、三年の左門も今にも倒れそうにふらふらと覚束無い足取りだ。三木ヱ門はまだそれよりもしっかり と地面を踏みしめて走っているが、顔にはっきりと疲労の色が浮かんでいる。 私だってもちろん疲れ切っていて額から流れる汗を拭うのでさえめんどくさくてもう、ほったらかしだ。ただ一人潮江先輩 だけはまだまだ、体力有り余っているようで足取り軽やかだ。
そもそも体育委員会じゃないんだから走る意味が分からない。(それを言ったら体育委員会が走っている意味も謎だけど) 徹夜明けなのに寝かせてくれてもいいのに。
朦朧としてきた頭で潮江先輩に対しての不満しか出てこない私を誰が責められるだろうか。けれど決して口には出せない。 それにこれを走りきってからも委員会は続くのだ、積み上げられた帳簿が頭を掠める。
そのことを考えるとますます足が重く感じられた。
はぁ、と走っていて出る荒い呼吸とは別の意味の息を吐き出す、と突然足元がぐらりと揺れた。




「…いったー」

「大丈夫ですか!?」

いち早く気づいてくれたらしい三木ヱ門が目を見開いて屈んで私の顔を覗き込んでいた。その三木ヱ門の声を聞きつけぞろ ぞろと他の皆も集まってくる。心配そうな視線が私に降り注がれ顔から火が出そうなほど恥ずかしい。 だってこけるか?普通?へろへろになりながらも走ってる後輩達の前でこけた事が何よりも恥ずかしい。
そして情けない。
けどそれを悟らせないように私は頭を掻いて笑った。

「ごめん!大丈夫、ありがとう」

差し伸べられた三木ヱ門の手をありがたく握ると思ったよりも強い力で引っ張られ驚いた。私より年下だけどやっぱり男の 子なんだな。
そうやって後輩達に囲まれている間、潮江先輩は一、二歩離れた所から見ているだけだった。けれど一応はこちらに来てく れたらしい。立ち上がった拍子にぱちりと目が合う、気まずさからへにゃりと笑うと先輩は何もなかったかのように

「よし、行くぞ」

とだけ言った。それが無視されたような気がして石か何かが落とされたかの様にずしりと胸が重くなった。







もう何度目になるか(確実に両手をあわせても足りないほどの数)心配そうにちらりと振り向く三木ヱ門の視線に笑って 応えるが(情けない顔をしていると思うけど)三木ヱ門は困った顔をしただけだった。
浮かんでくる汗が先ほどの物と違い痛みからくる脂汗に変わったのを感じながらも私は足を動かし続けた。どうやらこけた 時に右足を捻ってしまったらしい、一歩ごとに激痛が走るのを感じながらも私は先頭を走る潮江先輩に言えずにいた。
こけただけでも情けないし恥ずかしいのにその上に足を捻ったなんて言えるわけが無い。もし言ったら、と考えて思い出す のはついこの前の会計室での出来事だった

 皆自分に割り振られた仕事を終えているのに私が付けた帳簿から間違いが発見され終わることが出来なくて、皆嫌な顔を しなかった、潮江先輩も。けれどその後小さくため息を吐いたのが聞こえてしまった。小さなため息だったので聞こえたの は私一人だったかもしれないけれどたしかにその音は私の耳まで届いた。
そしてそれに胸がぎゅっと掴まれたみたいに痛くて苦しくなった。
あの時の事を考えると、まだこの痛みを耐えて走った方がマシなんだ。
三木ヱ門の気遣う視線を感じるが、鼻がツンとして目頭が熱くて顔を上げれない。俯いて地面を見て気づかないふりをした。 まずい、ここで泣くわけにはいかない。
目を見開いて水分が落ちてしまわないように踏ん張る。





茶色い地面がもっと濃い茶色になったので、止まるとその濃い茶色は人の形をしていて深緑の装束へと繋がっていた。 深緑の装束が誰を意味するか考えてさーっと全身の血が引いていくのを感じる、けれど顔を上げられない。
はぁ、とため息が聞こえて馬鹿みたいに体がびくりと跳ねる。

「お前ら先行っといてくれ」
「え、ですけど…」
「すぐ追いかける」
「…」

三木ヱ門と潮江先輩の話を聞きながらも顔は上げれない、待って!三木ヱ門置いてかないで!なんて心の中の叫びが届くはずも なく「…分かりました」と言う三木ヱ門の声が聞こえたかと思うと四人分の足音が離れていった。
四人分つまり潮江先輩と私以外の足音だ、よってここには私と潮江先輩の二人しかいないことになる。

「お…」
「潮江先輩も先に行ってください!」

何か言われる前に遮ってしまった、けど怖くて何をいわれるのかなんて聞きたくなかった、一度発してしまえば後は簡単に 出てくる。

「すいません、私も後で追いかけますから」
「それにあの子達だけだと心配ですし」
「ちょっと疲れただけなんで大丈夫です」

ぺらぺらと良く動く口だ。先輩が口を挟む隙を与えずに一変に喋ったけれど、先輩の足は動こうとしない。それにどんどん 焦ってきて手のひらを思い切り握る。他になんて言おう、なんて言って先輩を帰そう。けれど、焦れば焦るほどに何も浮か ばない。むしろ真っ白になっていく。じわじわと目に水分の膜が張られていく。

「あっちには三木ヱ門がいるから心配いらん」

そんな事言っても三木ヱ門はまだ四年生なんですよ、私よりも一つも年が違うんです。先輩からは二つも年が違うんですよ ?それに一年生が二人もいててその上に方向音痴な左門まで、そう言いたいのに声には出せなかった喉がひりひりと痛んで しょうがない。

「俺はお前の方が心配だ」

ぽん、と頭を軽く叩かれて顔を上げるとゆらゆらとぼやけた視界の向こうに潮江先輩が眉を寄せてこっちを見ていた、けれ どいつもと違って怒っているように見えないのは気のせいだろうか。それとも私の目がぼやけているから都合がいいように 見えているだけだろうか。見定めようとしていると先輩はふいっと顔を逸らしてしまった。あれ、と思っているとこっちに 背を向けてしゃがみ込んでしまった。訳が分からずにただ見ていると眉間に皺を寄せた先輩が勢いよく振り返った。 反射的にぎくりと体が跳ねる。

「なにボケッとしてんだ!さっさと乗れ」
「え、」
「足捻ってんだろうが」

それだけを言うとまた先輩はこちらに背を向けてしまった。隠しきれてなかったか、と苦々しい気持ちで痛みを感じる右足 に目をやる。それから先輩の背中を見る。先輩は乗れって言ったけど、さっきこけた時についた泥だとか、自分の重さとか 、何よりも先輩の背中に乗ること自体が私の足を動かせないようにしている。いつまで経っても動かない私に痺れを切らし たらしい先輩がぎろりと振り返った。

「早く乗れ!」
「はいぃ!」

あんなに動かなかった足が先輩の怒鳴り声一つでテキパキと先輩のもとへと向かう。この声に私達会計委員会は逆らえない と改めて思い知らされた。「…し、失礼します」声が変に裏返ったが恥ずかしいも何も感じる余裕がなく「あぁ」と先輩が 応えるのを聞いてからおそるおそる目の前の大きな背中に覆いかぶさる。

「…ありがとうございます、」

小さい呟きだったけれど先輩は拾ってくれたらしく小さく頷いたのが分かった。
気のせいでなければ先輩の少し早く脈打つ心臓の音を心地よく感じながら、私は目を瞑った。さっきまでの胸の痛みはいっ たい何処に消えてしまったのか。




暖かさじわり




(20090606)