ゆっくりと戸を横に滑らせる。
しとしと、と降り続ける雨は微かな物音を覆い隠してくれる。俺にとって、それは好都合だ。 後ろ手に戸をもう一度滑らせると、雨の音が遠のいた。今夜は月も分厚い雲によって隠されていて、世界は暗闇に包まれて いる。細心の注意を払い、用心深く足を運ぶ。部屋の真ん中に敷かれた布団の中の人影は動く気配がない。
そっと布団の横に膝をつき、顔を覗き込むと小さな寝息が聞こえる。どうやら俺の気配に気づき目を覚ます事はなかったらしい。 見下ろした先のは穏やかな表情で眠っている。どこも変わった様子がなく、ホッと息を吐いた。たかが三日会わなかった だけで、変わるはずもないのに俺には長く感じられた三日だったので思わず安堵の息を吐いてしまった。
遠く地面を、屋根を、水面を叩く雨の音が聞こえ、ここが外の世界から隔離された絶対的に安全な場所であるかのよ うな錯覚を覚える。
(本当にそんな場所があったらいいのに。)
パッと頭に浮かんだ思いに、どうしようもない考えだと小さく笑む。
こんなに近くで寝顔を見られているというのには目を覚ます様子がなく、安心しきったように眠り続けている。 その寝顔をじっと見ていると抗いがたい欲求が起きた。暫くは押さえ込んでいたが、じっと見下ろしている限界があった。 あっさりと理性を手放し俺はその頬に手を伸ばした。撫でたそこからは手の先を伝い温もりを送ってくる。

「暖かい...」

当たり前のことなのに驚いた。

「へいすけ」

舌が回らないような発音でが声を上げた。ゆっくりと開いた目はとろりとしていて眠そうだ。 起こしてしまったことに今更に罪悪感を感じ手を引っ込める。

「ごめん、起こした」
「おかえり」

いまいちかみ合っていない会話だ。そう思いながらも口元が綻ぶ。
夢の余韻を引きずっているのか、俺が帰って来たからなのか、の表情は溶けてしまいそうなほどに幸せそうだ。(出来る なら後者の方がいい。)その表情は俺の殺気立っていた心を解してくれる。
布団の中から伸びてきた手が、俺の手に触れたかと思うと緩く力を入れて握られる。十分に暖められていたの手は俺の 冷えていた手にじわじわと暖かさを与えてくれた。
(あぁ、帰ってこれて良かった。)
幸せを噛み締めながら、の手を握り返す。ふふ、とくすぐったそうな笑い声が聞こえたかと思うとますます強く 手を握り返された。

「兵助、雨の匂いがする」








雨の籠









(20100329)