目の前に広がっている光景は春を感じさせるものだった。雪に覆われていた地面は今や新しく芽を出した草花で覆われている。 裸にされていた木も今は青々とした葉をつけ、鳥たちは美しい声で鳴き、眠っていた昆虫も動物も、春の陽気に誘わ れて目を覚ます。世界中が春の訪れを喜んでいるのが分かる。
その中で私だけがその喜びの感情を持てずにいた。重く水分をたっぷりと含んだような冬の雲は白くふわふわとしたもの へと変化し、空も気持ちいいほどに晴れ渡っている。それなのに私の心は冬の薄墨色をした空のようにどんよりとしている。 この私の心の空を冬から春へと変えてくれるのは、もちろん冬へと変えた人しかありえないのだ。
いっその事このまま君の心を春に変えるつもりはない。と告げてくれたなら....。
 地面へと寝転ぶと、青い草の匂いと土の匂いがした。隣を見ると、たんぽぽが黄色の花を咲かせ、空に向かい大きく背を伸ばし ている。その健気な姿も私には苦いものとしてしか映らない。...なんて私は醜いのだろう。
祝福する事も出来ずにこんな小さな命にまであの子を重ね嫉妬している。
こんな自分が嫌になって重い溜息を吐くのと同時に、私の上に影が現れた。

「何してるの?」

 柔らかく微笑む顔に慌てて起き上がる。一気に嬉しさに恥ずかしさに驚きに、とたくさんの感情が湧いてきた。 だが、そこで異変に気付いた。途端、色々な感情はしぼんでしまった。花が咲き、枯れる様にそれは良く似ていた。
花が咲いたのは一瞬の事だったけれど...。

「何、三郎」

 軽く睨みを利かせながら言えば、雷蔵のふりをしていた三郎は右の口角だけをあげて笑ってみせた。雷蔵のふりをしてい た時とはまるで別人の雰囲気と顔になった三郎は私が不機嫌になったのを知っているくせに(というよりも私を不機嫌にし た)くせに平気な様子で隣に腰を下ろした。
胡坐をかいて、ちらりと私に視線を送ってくる。

「さすがだな。すぐに見破った」

 それはただ純粋に褒めているのか、それともどうしても雷蔵を探してしまう私に対しての嫌味なのか。どちらとも取れる 言葉に私は黙りこんだ。すると私が何を考えているのか分かったらしい三郎は「褒めてるんだよ」と説明した。それでも まだ反応を返さない私に「純粋に」とまたしても言葉を付け足した。

「...そりゃどうも」

 私が口を開くのを待っている様子の三郎に口先だけのお礼を述べれば、それを気に入らなかったらしい三郎は鼻で笑った だけだった。



 そもそも冷静に考えてみれば雷蔵がここに来るわけがないのだ。今頃はあの子と二人で町にいるのだろう。あの子を放って 私のところに来るなんて選択肢は最初から存在していない。そんなこと分かり切っているはずなのに...期待してしまった。 三郎であるはずの確率のほうが高いのに、雷蔵なんだと思った。いや、雷蔵でいてほしいと思ったんだ。
 ちらりと横目で隣に座った三郎を見てみる。何を考えているのか分からない、いつもの飄々とした雰囲気を纏い遠くを 見つめていた。そこには私を期待させてしまった、だとかの反省した雰囲気は一つもなかった。
だが、今更三郎にそのことについて文句を言うつもりはなかった。何回、あるいは何十回と繰り返された悪戯なのだ。 それに未だ引っかかる私が悪いのだ。諦めきれない私が悪いのだ。
 抱えた膝の間に顔を埋めて細く息を吐き出す。すると、優しく頭を撫でられた。
それは隣に座った三郎の手だと分かっていたのに、諦めの悪い私はそれが雷蔵の手ならいいのにと思ってしまった。




君はたんぽぽ




三郎が見計らったかのように私の心が薄墨色の時に表れるのは知っていた。それでも知らないふりを続ける私はやっぱり、すごく汚い。








(20100426)たんぽぽの花言葉は「思わせぶり」