とっくに日は沈み、辺りは真っ暗闇だ。
心許無い街灯の光りがぽつ、ぽつと所々に浮かんでいる道は正直、少し怖い。高校生にもなって、とか思われるかもしれ ないが人はおろか車さえもあまり通らないのだ。怖いに決まっている。そして、こんな時に限って、ホラー映画とか本当に あった怖い話とかを思い出してしまうのだ。まさか、誰か後ろに居ないだろうな...と思ったが、怖くて確認する勇気はない。 おばけなんてこの世にはいない! と自分に催眠を掛け、恐怖心を頭の奥に押しやって自転車を漕ぐ足に力を入れた。







おばけなんていない......きっと、多分...








後もう少しで家というところで信号にひっかかった。別に車も通っていないので止まる必要も無いが、時間を確認したい と思ったので、私は自転車を止めた。おばけなんてこの世には居ないので信号待ちだって余裕だ。全然、一ミクロンだって 怖くない。
携帯の小さなディスプレイに光る数字は11時15分と出ている。...これは、怒られるかもしれない。というよりも着信 履歴が家から何件も入っていた。怒られる事は確実だ。
思わず、小さく溜息をつく。

「不良」
「っひ!!」

突然、左の方から聞こえた声に私は縮み上がった。一瞬にして催眠が解け、おばけかもしれない! という恐怖心に襲われる。 だが、左に居たのはおばけでもなんでもないただの兵助だった。兵助だと分かると同時に安心して、どっと疲れる。
けれどまだ心臓は早鐘を打つようにバクバク言っている。じろりとした目で隣に居る兵助を見ると、兵助はきょとんとし た様子でこちらを見ただけだった。あっ、腹立つ。

「何?」
「何?じゃねぇ! このバカっ!!」
「はぁ? 何怒ってんの」
「暗闇の中いきなり声をかけてはいけません! って習わなかったのか、このバカっ!」

おばけかと思っただろう! バカ! とは言わないでおく、馬鹿にされるに決まっているので...。
だが、私を死ぬほど驚かせておいて兵助が涼しい顔をしているのが許せない。それなのに兵助は反省した様子も見せず に、じっと私の顔を見返してきた。

「前から思ってたけどのボキャブラリーって少ないよな」
「はぁ?!」

反省するどころか、まさかの私の語彙の少なさを指摘してくるとは...逆に驚いてしまう。驚きでポカンと口を開けるも、 兵助は気にせずに喋り始めた。

「だって今だってバカしか言わないし」
「...このやろー、バカ以外にも知ってるに決まってるだろが!」
「ふーん...」

兵助は、どうだか。みたいな顔をして歩き出した。見てみると信号は青に変わり、通ってもいいよ。と言っている。 自転車に跨ったまま両足で交互に地面を蹴って進んでいると、無言で呆れたような目をして兵助がこちらを見ているのが 暗闇の中でも分かった。「降りれば?」兵助の声は静かな住宅街に響いた。私はさっきの事(語彙が少ないと指摘された事)もあり、 反抗的に口を尖らせて返答した。
「...なんで」
「どうせそうやってるんだから降りても一緒だろ」
「...(このやろー)」
感情的になっている私に対して兵助は淡々とした調子で当たり前な事を言う。
くそぅ、年下のくせに生意気なんだよ。と何度思ったか分からない兵助に対しての文句を胸中で叫び、私は自転車を降り る事にした。すると、当然みたいな顔をした兵助が当然のように自転車のカゴに白いナイロンのコンビニ袋のようなものを 入れた。こいつ...後で運び賃として何か請求してやろう。さっきの事(語彙が少ないと指摘された事)もあり私は心に固く 誓った。

「それにしても、ものすごく驚いてたけど幽霊だとでも思った?」
「...思わない! この世に幽霊もおばけも居ないから」
「え、居るよ」
「え、」

思わず足を止めると、兵助も足を止めた。暗闇の中に浮かぶ兵助の表情は真面目で冗談を言っているようになんて見えない。
え、けど、そんなまさか...!

「俺見たことあるし」
「えぇ?!」
が見たら多分...失神する」
「...嘘だ...。」
「何で嘘言わなきゃなんだよ」
「だって、居てないもん...」
「確か...ここらへんだったかな? 見たの」
「ぜっっったいうそっっ!」
「あ、」
「え?! なに?!」

急に「あ、」とだけ言って私の背後の一点を見つめる兵助に、ぞぞぞと背筋を何かが駆け上っていく。恐怖でいっぱいの 私なんて見えていないように兵助は私の背後しか見ていない。それがますます恐怖心を煽る。だが、怖くて振り返る事が 出来ない。どきどきと心臓がうるさい。

「...なんだ、虫か」

恐怖に震える私を他所に兵助は私の背後のモノに急に興味をなくしたみたいにそれだけ言って、さっさと歩き出した。
慌てて背後を振り返るも何も無く、人気の無い道路がただただ続いているだけだった。兵助に視線を戻すと、手ぶらで何も 持っておらず身軽な兵助はすでに五メートルは先に居た。
慌てて自転車を押しながら走り、兵助に追い着くと、暗闇でも分かるほどに肩が震えているのが見えた。
それで分かった、からかわれたのだ。

「はぁ?! ちょっ、お前...ふざけんな!!」
「...ぷっ、くくく」

押し殺す笑い声を聞いて、こいつ...自転車で轢いてやろうか...。と一瞬本気で考えてしまった。代わりに背中をバシッと 叩いてやるも、ダメージゼロなのか「や、くく、やめろよ...」と笑いながら言われただけだった。本当にこいつどうして くれよう...。恨みの篭った目で兵助を睨むと、さすがに笑いすぎたと思ったのか深呼吸して笑いを納めようとしていている 。ふぅー、と溜息をついた兵助に、何笑い疲れてるんだよ! と睨むと兵助は分かった分かった。と言う様に私に手をかざして 見せた。暫く、兵助と私の分の足音と自転車のカラカラという車輪の音だけしか聞こえない静かな空間が出来上がった。 そして珍しく、兵助の方からその沈黙を破った。

「けどさ、」

ちらり、と横の兵助を見遣るも兵助は私の方を向いてはおらず、真っ直ぐに前だけを見ていた。暗闇の中で、兵助の白い 横顔だけが浮かび上がっている。

「そんなに怖いんだったらさっさと帰って来いよ」

その時に漸く私に視線を向けた。兵助の大きな目の白目の所は暗闇の中でもよく見える。

「私だって色々あるんだよ」
「色々ってなに」
「色々はぁー色々だぁー」
「はぁ? まさか男が...」
「...」
「居るわけないか」
「何、勝手に決め付けてんの!」
「そんな事言っても居ないんだろ?」

どこか勝ち誇っているように見える兵助に言い返してやりたいところだが、その通り男が居ないのでどう言っても負け犬の 遠吠えみたいに聞こえてしまいそうだ。ふんっ! と鼻を鳴らすと「やっぱりな」と笑いが含まれている兵助の声が聞こえた。 このやろー...! 数々の生意気な態度にいつもの事ではあるけれど、腹の立った私はどうにか因縁付けてやる! と頭を 回転させた。

「私にさっさと帰って来いって言ってるわりに自分だって出歩いてるじゃんかよ! 中学生のくせに!」

暗にお前は年下で私は年上なんだ! と言うも、兵助は私の挑発に乗らなかった。いつも通りな態度を崩さない。

「俺は出かけてたっていうか、明日使うルーズリーフ無かったから買いに言っただけだし」
「これ食べ物じゃないの?」
「違う。もしそうだとしてもにはやらない」
「ちぇっ! 後でたかろうと思ったのに!」
「たかんな」

カゴの中でかさかさと風に靡いて音をさせる白い袋は言われて見れば確かにノートぐらいの大きさをしていて、薄っぺらい。 別に明日の朝少し早く家を出て買いにいけばいいのに、と思ったが多分落ち着かなかったのだろう。兵助はそういう奴だ。

「というかだね、君にとやかく言われる筋合いは無いよ」
「とやかく?」
「そう。生まれてからずっと男が居ないとか、さっさと帰って来いとか...!」
「俺、そこまで言ってないけどな」

だらだらと家までの道を歩いて来たが、ようやっと我が家が見えてきた。そして、私の家の向こう隣には久々知家が見えてきた。 いつもは点いていないポーチの明かりが点いている所を見ると、嫌でも家の中で両親が私を怒るために待機しているんじゃない かと考えてしまい、気分が沈んだ。カラカラと鳴る車輪の音を聞きながら、小さく溜息を吐く。
あっという間に家に着き、私は「それじゃ」とだけ挨拶をし兵助がカゴの中の袋を取っていったのを確認して兵助の「それじゃ」 と言う声を聞きながら自転車を駐車場の中に入れ鍵をかけた。鍵を右手に持ちながら駐車場から出ると、まだ兵助が居たので驚いた。

「あれ、帰らなかったの?」
「うん。がちゃんと家に入るまで見送ろうと思って、一応」
「え、あ、...それはどうもご苦労様です...」
「うん。」

急に女の子扱いしてきた兵助にしどろもどろの返答を返しながら、仁王立ちした兵助の横を通るといつのまにか兵助に背を 越されていたことに気付いた。驚いて兵助の顔を見ると、兵助は不思議そうに首を傾げただけだった。
妙に心地の悪い気分を抱いて私は兵助から視線を逸らし、うちの門を見ながら言った。

「もう大丈夫だから、あれ...帰ってくれていいよ」
が入るまで見とく」
「え、あ、...それはまたお手数お掛けしまして...」
「うん。」

一体なんだって急に女の子扱い? と考えながら兵助から送られてくる視線を背中に受けつつ、私は家の門を開け、小さな 段差を上ってから家のドアに触れた。だが、開けようと力を入れたその時、後ろから「なぁ」と兵助に言葉を投げかけられたので、 ドアに触れた手はそのままに振り返った。兵助はまださっきの場所に立ってジッと私の事を見ていた。

「さっきの話だけど」
「さっき?」
「俺にとやかく言う筋合いは無い、って話」
「あぁ...」

わざわざ掘り返すほどの話でもないのに、と思ったがこうして呼び止められたのだ。兵助には何か思うところがあったのだろう。 真っ直ぐに私を見つめる視線に気後れしながらも、兵助の話を聞くために耳を澄ませた。

「けど俺、が帰ってくるの遅かったら心配するし、もしかしたら男と一緒じゃないか、とかありえない事考えて焦るし」

さり気無く毒を吐く兵助に、ありえなくねぇよ! と怒鳴ってやりたい所が我慢して兵助の話に耳を傾ける。

は年下好きじゃないのかとか気になるし、もしかして高校で好きな奴居たりしないだろうな? とか考えるし」
「う、うん?」
「だから、俺をとやかく言える立場にしてよ」

矢継ぎ早に喋り続ける兵助の言葉を頭が理解できずに固まったまま、兵助を見つめると真髄に私を見つめる視線とぶつかった。 だが、脳が兵助の言葉を処理しきれずにフリーズしてしまったままなのでただただ兵助の顔を見つめるだけの反応しか返せない。 そして、そんな私の脳の効率の悪さをよく理解している兵助は緊張したように強張らせていた表情を緩めて小さく息を 吐いた。

「それじゃ、意味分かったら返事ちょうだい」
「はい...?」
「よし、それじゃあ回れ右して家に帰れ」
「うん...」

腑に落ちないままに家の中に入ると、母と父の小言が待っていたが正直小言は右耳から左耳へと流れていくだけで、 なんの意味も持たなかった。フリーズ状態だった脳みそが徐々に動き、先程兵助に言われた言葉がじわじわと頭に浸透して、 今更言葉の意味に気付いた私はこれまた今更に顔に熱が上るのを感じた。










(20100529)