「ちょっと表に出て」 佳主馬くんはそう言うと、くいっと顎を動かして“表”もとい“庭”を指した。 まるでこれでは“ちょっと面貸せよ。なぁ。”と言って絡んでくる不良と変わりない。路地裏に連れ込み、有り金を 持って行こうとする奴らみたいだ。お金なんて持ってないと言えば、ジャンプしてみろ。とか言って小銭の音を 聞こうとするカツアゲ現場が一瞬にして私の頭の中でぶわーっと再生される。ひょろっとした男の子が、三人ほどの 不良たちに囲まれて壁際に追い詰められて...「ちょっと聞いてる?」 そこで思考が中断される、目の前には呆れた顔をした佳主馬くんが私の顔を覗きこんでいた。 ぱちぱちと瞬きをすると、佳主馬くんが半目になった。それからこれみよがしに大きくため息を吐き出す。 「ちゃんと聞いてたよ」 「...そう」 慌てて弁解の言葉を紡げば、どうだか。とでも言いたげな視線が返ってくる。全く失礼な。 「遺憾の意!」 「あっそ」 さらっと私の発言は流され、涼しい顔した佳主馬くんはそのまま玄関の方へと歩いていった。その様子をちゃぶ台に 肘をついてぼんやりと眺めて見送る。すると、後ろ向きのままに佳主馬くんが返ってきた。転びそう、と思ったが 佳主馬くんがそんなミスを犯すわけもなかった。どうせ後ろ向きで歩いてくるのならムーンウォークとかして欲しかったなぁ。 佳主馬くんがムーンウォークしてる姿とか想像できないけど。とか、くだらないことを考えながらしっかり とした足取りで後退してくるこんがり焼けた佳主馬くんの足を見ていると、声を掛けられた。 「何してんの、早く行くよ」 . . . 半ば無理やり外に連れ出され、私は暑さに顔を歪めた。溶けてしまいそうなほどに暑い。けれど、そんな私とは正反対 で佳主馬くんは涼しい顔ですたすた歩いていく。 伊達に日に焼けて真っ黒なわけじゃないってか? 下まで降りて買いだしにいく、それが私と佳主馬くんに課せられた使命だ。けれど、買ってくるものといえば一人で も買ってこれるであろうわさびだ。......わさびって。 あんなもん片手どころかポケットに入れて、いやいや、頭にのせてだって持って帰ってこられるほどに軽くて小さい ものだ。それを買いにわざわざ私と佳主馬くん二人で行く必要などあるのだろうか? いや、ない! ここは佳主馬くんには悪いが、私は帰らせてもらう事にしよう。そうしよう。 木の陰に入り、じっと動かずにどんどん離れていく佳主馬くんの背中を見送る。 佳主馬くんは私が後ろをついて来ていると思い込んでいるらしく、振り返ろうともしない。ほんとに私いらないじゃん。 一人でのおつかいも楽々とこなせるようになったんだね。佳主馬くん...! いやぁ、実にめでたい。 本当に帰ろうかな。と思った瞬間、唐突に佳主馬くんがちらりと振り返った。そして、後ろに私が居ないのを見て 驚いたように口を開いたかと思うときょろきょろと首を動かし始めた。 「ちゃ....!!」 あ、ばっちり目が合ってしまった。 「...ちょっと!」 怒った表情をした佳主馬くんがどすどすと音が聞こえてきそうな荒い足取りでこちらにやってくる。実際にはセッタ をつっかけっているので、どすどすなんて聞こえず少し間抜けな感じのぺたぺたってのが正しいけれど。 「なにしてんの」 不機嫌に眉を吊り上げた佳主馬くんが目の前にやってきた。額に髪が張り付いている。 「いや、別に私いらなくね? と思って」 「...いるよ」 「佳主馬くん、さきさき歩いてくしさ」 「...」 別に佳主馬くんを責めようと思って言ったわけじゃない。ただ事実を述べ、私の不必要性を訴えようと思ったのだが、 佳主馬くんはバツが悪そうに視線を逸らした。そういうつもりじゃなかったのでなんだか私が悪い事をしたような気分になってしまう。 慌てて私は言葉を補った。 「別に責めてるわけじゃないよ! けど私としては置いて行ってくれた方がよかったというか...」 「...」 「正直暑いから帰りたい、みたいな」 「...だめ」 「え、」 だめ。と言う声が聞こえたかと思うと手を掴まれた。見てみれば私の右手が佳主馬くんの左手にしっかりと捕まって いた。佳主馬くんの手は少し汗ばんでいる。 そういう私の手も汗をかいている思うけれど。 「行くよ」 そう言うと佳主馬くんは無理やり私を木陰から連れ出した。当然、私はまた真夏の太陽の下に放り出されることになった。 強引だなぁ、と思いながらも私は前を歩く自分よりも小さな男の子を見つめた。 微妙に耳が赤いように見えるのは気のせいだろうか。日に焼けて浅黒い肌がちょっぴり赤みがかっているように見える。 「そういえば、」 「なに」 「さっき私のことちゃんって言った?」 「...! 言ってない!」 「言ったよ。あぁ、懐かしい...。まだ佳主馬くんがこんなに生意気じゃなかった頃は私のことちゃんって 言ってたもんね。最近は私のこと呼び捨てだしね」 「...だから言ってないって!」 「もう一回言ってよ」 「...言わない」 繋がれた手から、その断固とした意思表示を伝えるように佳主馬くんがぎゅっと私の手を握っている手に力を込めた。 「かーずーまーくーんー」 繋がれたそこをぶんぶん大きく振り回すと、文句ありげに赤い顔をした佳主馬くんが振り返った。恨めしい目つきを して長い前髪の向こう側から睨んでくる。その視線に私はきょとんとした顔を作ってとぼけてみせた。 すると、それが余計に気に触ったらしく佳主馬くんはキッと眉を吊り上げて怒った表情をした。 さすがにからかい過ぎただろうか...。ちょっとだけ反省をしたその時だ。 繋いでない方の手を腰に当てて佳主馬くんが小さく息を吸い込んで振り返った。 あっ、怒られる。 「...、そろそろ黙らないとアイス買ってあげないよ!」 佳主馬くんの思いもよらない言葉に衝撃を受け黙り込んだ私に、佳主馬くんは満足げに息を吐いて私の手を引っ張り また歩き出した。 汗ばむ手と夏の匂い
(20110604) |