オルタンシア の恋




「あ、あれ? 今日は虎徹さんは一緒じゃないんですか...?」

きょろきょろ視線を動かしていつも彼の隣に居る姿を探すもどこにもその姿は見当たらない。

「おじさんなら後から来るそうです。それと、別に僕はいつもおじさんと一緒なわけではないので」
「は、はい...」

見るからに不機嫌そうな顔をするバーナビーさんに、そんなこと言ったって大体いつも一緒に居るじゃないですか。 って返したいところだけど言い返す勇気は私には無い。ここでいつもなら虎徹さんが間に入ってきてその場の 空気を変えてくれるのだが今日はその虎徹さんが居ないのだ。私が話さなければ彼も話さない。よって、微妙な空気 のまま放置される事になった。

「...乗らないんですか?」
「え...あ! 乗ります!」

俯いてぼんやりしていたからエレベーターが来ていたなんて気付かなかった。さっさと乗り込まずに迷惑をかけて しまった。きっとバーナビーさんの不機嫌指数は上昇した事だろう。
慌てて乗り込んだエレベーター内に漂う空気はお世辞にもいいものとは言えない。何だか息が詰まる感じとでも言ったものか。 まさか今まで虎徹さんが空気清浄機の役割を果たしていたなんて...! ただ二酸化炭素と加齢臭を排出しているだけ かと思っていた。(私は全然匂わないと思うのだけれど、虎徹さんは口ではまだそんな年じゃない!と言ってたけどこっそり気にしてるらしくこの間『加齢臭は どうやったら消えるか』って雑誌の特集ページを熱心に読んでいるのを見てしまった。) 今度お礼を言わなくては、いつも空気をキレイにしてくれてありがとうございます。って。

「どうぞ、先に降りて下さい」

チンっと鳴ったエレベーターが目的の階に着いた事を告げる。ヒーロー専用のトレーニングルームが設置されてある フロアはヒーローのプライバシーを守るために人影は無いに等しい。

「あ、すいません」

そそくさとエレベーターから降りて、いつもどおり人が居ないフロアに降り立つ。バーナビーさんも降りてエレベーターは また下に降りていった。誰かが呼びつけたらしい。新鮮(ではないかもしれないけどエレベーターの中よりはマシ)な空気を吸い込んで 私はトレーニングルームの方を見遣った。
トレーニングルームの電気は消えていた。
え、まさか私たちが一番乗りなのだろうか...。

「まだ誰も来てないようですね」

別段なんとも思っていなさそうにバーナビーさんが言った。私が今まさに考えていたことをバーナビーさんが言葉に したので少し驚いた。その驚きのまま隣に居るバーナビーさんは見ると一瞬驚いたような顔をしてサッと視線を 反らされた。私に30のダメージ!

「...そうみたいですね」

自分で思っていたよりも低い声が出た。バーナビーさんの無意識な攻撃は結構私に効いているらしい。
暗いトレーニングルームを見ながら私は気分が沈んでいくのを感じた。バーナビーさんと二人きりでトレーニング するなんて私のHPポイントがいくらあっても足りない。少しでもその空間(バーナビーさんと二人きり)に入るのを 先延ばしするために私を頭を働かせた。逃げるなんてヒーローらしくないやり方だが今私はヒーローではなくただの一般人なのでよしとする。

「あ、バーナビーさん先に行っててください。私飲み物買いに行ってきます」

さも今思いついたとばかりに、ぽんっと手を叩きながら出来るだけ笑顔でバーナビーさんに話しかける。 これで自販機の前で何を買うかすっごく迷ってからトレーニングルームに行ったら虎徹さんじゃなくても誰かは来てるだろう。

「そうですか」

予想通りバーナビーさんは何の感情も感じさせない平坦な声で答えた。
この後はそのままトレーニングルームに入って行くだろう。

「僕も行きます」
「はい、それじゃあ......って、えぇっ?!」

眼鏡をくいっと上げながらのバーナビーさんの予定外の一言に、私は思わずフロアに響くような大声を上げてしまった。 すかさずバーナビーさんの眉間に皺がよった。しまった! またバーナビーさんの不機嫌指数を上げてしまった!
大きく開いた口を両手で押さえるが後の祭りだ。

「...僕が飲み物を買うことがそんなに驚く事ですか?」
「え? い、いやぁ、そんなことないですよ...むしろバーナビーさんはばんばん飲み物を買ってそうなイメージです...!」

ははは、と私の誤魔化すような空笑いがフロアに響く。
何なんだ、飲み物をばんばん買ってそうなイメージって...自分で言っといてよく分からない。バーナビーさんも私と 一緒でよく分からなかったのか一瞬考えるように視線を上空に彷徨わせたが、眉間に皺を寄せて難しそうな顔をして 考えるのを諦めたようだった。私も一緒になって今自分の口から飛び出た言葉について考えると咄嗟に出た言葉だった とは言え結構的を得ているかもしれないと思った。
バーナビーさんって水筒とかタンブラーとか使わなそうだし、めんどくさいからって市販の物を買いそうだ。
そう考えると、私の言葉はあながち間違ってなかったと言う事だ。私のHPが10回復した。

「行かないんですか」
「..行きます!」

いつの間にか自販機に向かって歩いていたバーナビーさんに急かされて私は急いで彼の元に走った。

.
.
.

「...うぅーん」
「まだ決まらないんですか」
「す、すいません...」

目の前に並んでいる何種類もの飲料水を前に私が中々ボタンを押せずに居ると隣から急かすバーナビーさんの声が聞こえた。 慌てて謝ると「別に、怒っているわけではありません」と言ってぷいっとそっぽを向かれた。
......絶対怒ってる...。
内心いつ普段虎徹さんが言われてるようなきつい言葉がバーナビーさんの口から飛び出てくるかヒヤヒヤしてる中で、 ジュース何にしよっかな♪ なんて考えられない。「カロリーゼロだって! けどやっぱりカロリーゼロのより普通のほうがおいしいよね。」 なんてカリーナと自販機の前で話すような雑談も無理だ。バーナビーさんにそんなこと言ったら張ったおされそうだ。 ...いや、バーナビーさんは女性に手を上げたりしないだろうから張ったおされそうな視線を送られそうという事にしておこう。 こんなことなら先にバーナビーさんに自販機を譲ればよかった。
レディーファーストだかなんだか知らないけれどバーナビーさんが先に譲ってくれたけど遠慮すればよかった。
もう無難にミネラルウォーターにしよう...。
ピカピカ光ってるボタンを押すとガタンと音をたてて取り出し口にペットボトルが落ちた音がした。しゃがんで取り出し 口に手をつっこむと中から何の面白みもないペットボトルが姿を現した。何の変哲も無い水だ。
バーナビーさんに次どうぞと声を掛けようとして隣を見るとそっぽを向いていたバーナビーさんがいつの間にかこっちを見ていた。

「...珍しいですね」
「え、」
「いつも炭酸とか、ジュース系を飲んでるじゃないですか」

そう言いながらバーナビーさんの手は自販機にお金を入れて一瞬の隙も無くスポーツドリンクのボタンを押した。
取り出し口に手をつっこむためにしゃがんだバーナビーさんを見下ろしていると旋毛を発見して私は少し感動した。 それと同時に私の飲み物の好みを知っていたバーナビーさんに驚いていた。

「バーナビーさんはいつもソレですね」

バーナビーさんが持っているスポーツドリンクを指差すとバーナビーさんが驚いたように目を丸くした。
無防備な表情はいつもよりもバーナビーさんを幼くみせて、ぐっと親しみやすい印象に変えた。思わずまじまじと珍しい 表情のバーナビーさんを眺めると、ハッとしように顔を伏せられた。

「...あなたが僕の好みを知っているとは思いませんでした」

私はやっと会話らしい会話をバーナビーさんとしていることに気付いて、何と答えればこの会話が続くのか 何通りか思いついた言葉を吟味して選んだ。

「それ、おいしいですか?」
「え...えぇ。これが一番おいしいと僕は思います」
「今度買ってみますね!」

バーナビーさんと普通の会話をしている事が嬉しくて私の声は思わず大きくなってしまった。しまった、またバーナビーさんを 不機嫌にさせてしまうかもしれないと焦ったが、予想に反してバーナビーさんはおかしそうに小さく笑みを浮かべた。 嫌味っぽい笑みを浮かべているところは何度か見たことがあるけれどこんなに柔らかい笑みを浮かべているのは初めて見た。 自然と私の顔も笑顔になる。

「ちなみに私のおすすめはこれです!」

指を差した先にはレモン味の炭酸飲料があった。もちろんカロリーゼロではない。
私の視線の先を辿ってバーナビーさんは渋い顔をした。どうやら私の好みと合わないようだ。
私の自惚れかもしれないけどバーナビーさんも私との会話を続けようと思ってくれているのか慎重に言葉を吟味しているようだった。

「...甘そうですね」

少し間を置いて呟かれた言葉に私は張り切って答えた。

「そこがおいしいんです!」
「...少しなら飲めますが一本は多いです」
「それじゃあ今度私が買ったときに一口あげますね!」
「......それは...いいです...」

バーナビーさんにしては珍しく歯切れの悪い返答だ。
ここにきて私はバーナビーさんのことを勘違いしていたことに気付いた。今まではきつい物言いと虎徹さんへの普段の態度なんかを見て 勝手なバーナビーさんを作り上げていた。自分はたいしてバーナビーさんと関わろうともしないで。
そして勘違いしたままバーナビーさんの一挙一動に勝手に傷付いたりしていたがそうではないんだと思った。 思えば口調は素っ気無かったけどその内容は親切だったりと思い当たる今までのあれやこれやを思い出した。 ぷいっと顔を背けたのも...そう! きっと恥ずかしがりやなんだろう。それを勘違いして私は勝手にダメージ30とか HPを減らして...。
バーナビーさんは不器用で恥ずかしがりやでほんとのところは良い人なんだ。私の好みを知っててくれてるのは周りを よく見ているのだろう。そう考えると今までバーナビーさんとの間の距離がすごく遠く感じていたのが近くなった気がする。 そして距離を縮めたいと思った。そのためにはコミュニケーションが大事だ。



「遠慮しないでくださいバーナビーさん」
「...遠慮なんてしてませんよ」
「あ、けど次はバーナビーさんのおすすめを買うので次の次の機会ですね」
「(もう決定事項なんだろうか...)」
「それか今日買って帰ろうかな...」
「(僕に一口貰うという考えは浮かばないのか)」
「(スーパーの方が安いかな?)」
「(...)」
「(よし、帰りにスーパーに寄ろう! そういやまだ虎徹さん来ないのかな?)」
「あの...」
「虎徹さん遅いですね」
「.........そうですね」
「え、今何か言おうとしてませんでしたか? 何で急に早歩きになるんですか置いていかないでくださいよ〜」
「(おじさんめ...!)」








(20110626)  オルタンシア=紫陽花