ー!」
「あっ! パオリンちょうどいいところに!」
「なに?」
「ケータイ切れちゃったから充電して。てへ!」
「...」
「...パオリン?」
「ボクは歩くコンセントじゃないよ!!」

これが今朝の出来事。
どうやら私はパオリンの逆鱗に触れてしまったらしく、怒った彼女は目にもとまらぬ速さで廊下を駆け抜けていって しまった。
それこそ稲妻の如く。残されたのは充電が切れて使い物にならなくなった携帯とぽかんと間抜けに口を開ける私だけ。











一体何がいけなかったのかと考えてみた。いつもなら充電してと言ってもパオリンは快く...とは言えないかもしれないけれど 、何か言いたそうな顔をしたりするし。けど怒ったりしたことは無い。それが今日は何故か怒った。
いつもと今日で違うところは一体何なのか...? 謎は深まるばかりと考えているとついつい仕事をするために動かさない といけない手が止まっていた。それに気付いた同僚がさっさと仕事を終わらせろと思ったのか、その違いを教えてくれた。 どうやら朝のやり取りを見ていたらしい。

「我が社のヒーローが今日は大活躍だった」

ドラゴンキッドが今日は犯人を捕まえ、その上に人命救助までしたらしい。らしいと言うのも私はヒーローテレビの 中継を見ていなかったので全然知らなかった。が、この同僚は仕事もせずに暢気にテレビを見ていたらしい。
そして文字通り大活躍したドラゴンキッドの姿を見たらしい。

「...へぇ......他のヒーローは一体何してたんだ?! このままじゃパオリンが働きすぎて過労で倒れるかもしれないじゃないか!! 犯人は捕まえるし人命救助までするなんて...! どんだけ活躍してんの?! ヒーローの鑑か? パオリンは!!」

勢いに任せて怒鳴るようにして捲くし立てると頭をごついファイルで殴られた。

「ぅっ...!」
「うるさいし、言いたいのはそこじゃない」

目の前を星が飛んだような衝撃を頭に受けた私は声も出ずに頭を抱えてデスクにうずくまった。なのに私をこんな風に した同僚は気にした素振りもなくぺらぺらと話し続けた。前から思っていたけれどホントに容赦ない。
文句を言いたいけれどそれをすれば口を噤んでしまうかもしれないので黙っておいた。
つまり、その同僚がぺらぺら喋っていた内容を纏めるとパオリンは私と会ったときに今日の活躍について褒められると思っていたのに、 私はあろうことかパオリンに携帯をつきつけて....

「電源切れちゃったカラ充電してよン!」
「そんな気色悪い声は出してないし変な喋り方してない」

「してた」

無駄にクネクネしながら私の物まねらしき事をする同僚を冷めた目で眺めていると、後ろから第三者の声が聞こえた。
パッと振り返るとパオリンが腕を組んで立っていた。 ムッとしているように眉間には僅かに皺がよっている。突然現れたパオリンに驚きながらも手を伸ばして捕まえようとしたが、カンフーマスターの名は 伊達ではなかった。サッと私の手を避けるとそのまま目にもとまらぬ速さで部屋を出て行った。まさに稲妻。 諦め悪くパオリンを追いかけて手を伸ばしたものだから私は椅子ごと引っくり返ることになった。

「いてっ!」

部屋に残されたのは爆笑する同僚と、したたかに頭をぶつけた私と充電中の携帯。

.
.
.

それからパオリンに謝ろうと社内をうろうろしたり食堂をうろうろしたり(よく食堂にいるし)会社の前にある ワゴンをうろうろしたりしに行ったが、カンフーマスターは実に素早くて私が見つけると同時に姿を消した。
あれ? さっきまで確かにここで何か食べてたのに...と思いながら近づいた椅子にはパンくずがおちているだけだった。 どうやらカンフーマスターはここでバゲットサンドを食べていたらしい。あのワゴンのハムのバゲットサンドはマスタードがよく効いてて絶品だ。 ...ついでにお昼に買っていこう。


結局私はパオリンの残像ばかりを目撃するだけで一言も話すことは出来なかった。話しかけようとした次の瞬間には居なくなっているのだからしょうがない。 っていうか素早すぎて残像しか見えないって...パオリンどんだけ早いの?
そんなことばかりしていたものだから当然仕事は全然はかどらずにあっという間に退社時刻となった。 みんなが家へと帰っていくのを恨めしく横目で眺めながら私は残業するためにモニターに張り付いた。
キーボードを打ちながら今日は良いことが何もなかったと考える。
まず、パオリンを怒らせてしまった。
それから、頭をぶつけてタンコブが出来た。ついでにファイルで殴られた。
それから、パオリンの真似して買ったバゲットサンドを食べようとして顎が外れそうになった。
それからそれから...パオリンが私の姿を見たら逃げる。
あ、なんか本格的に落ち込んできた。
キーボードを打つのをやめて、デスクの上に頭を乗せる。いつもは居眠りしているとごついファイルで起こしてくれる 同僚も今はいない。このまま本格的に寝てしまうとまずいのは分かっている、けれども落ち込んだ気分ではキーボードを打つ手もリズムには のらない。あぁ、めんどくさい。もう明日頑張る事にして今日は帰ろうかな、と思ってため息をつきながら顔をデスクから離すと前の席に パオリンが座ってこっちを見ていた。

「...え?」

また残像かもしれないと思って目を擦って見てもパオリンは前の席に座ってもくもくと桃まんを食べていた。 どうやら残像ではないようだ。それを理解した瞬間、朝のことを謝ろうと思い立ち上がるとパオリンが黙って桃まんを半分私の方に差し出した。

「え、パオリン...」
「半分あげる...」
「...くれるの、え! 食べていいの?!」
「いいからあげるって言ってるんだよ」

少し唇を尖らせて恥ずかしそうにしているパオリンを見て、この桃まんにどういう意味が隠されているのか気付いた。 つまり仲直りしようという事らしい。それが分かっていながら断るわけなんてない。
桃まんをありがたく受け取って一口食べる。白あんの甘さが口いっぱいに広がる。まだ仄かに暖かい所から察するにまだ買ってきて時間は経っていないのだろう。 もしかして私と仲直りするために買ってきてくれたのだろうか。そう考えるとますますおいしく感じた。

「うまい! この桃まんすっごくおいしい!」
「...ボクが贔屓にしてるお店のだからおいしいに決まってる」
「ごめん!」

勢いに任せて謝ると嬉しそうな顔をしていたパオリンの表情が少しバツの悪そうなものに変わった。

「...もういいよ。ボクも悪かったし...」
「何で?! 謝らせてよ。私パオリンが大活躍だったって知らなくて...いや、言い訳にならないけど、」

今度から充電は家でちゃんと済ましてから出勤する事にするよ! と私にとっては非常に重大な宣言をしようとしたところでパオリンが少し怒った ような表情を浮かべて私の方を見た。その何か言いたそうな目に口を噤むと少し眉を吊り上げて私をちらっと見て腕を組んだ。 何だか知らないけれど、また怒らせてしまったらしい。思春期って難しい。

「もういいって言ってるのに...ってモテないでしょ?」

あまりにも脈絡が無さ過ぎて「は?」とか言ってしまった。だって今の会話からどこがどうしたら私がモテないなんて結論に辿り着くのか分からない。 まぁ、モテるかモテないかで言ったら確実にモテない方になるのは分かっているけれど、馬鹿正直に答える義務だって無い。というか見栄くらい張りたい...。

「そそそんなことないし! っていうか子供にはまだこういう会話は早いよ!」

この会話を終わらせるべく私は早々に大人の切り札を使った。子供相手であればこの技は結構何にでも使える。 大人になったら分かるよ、という応用だって可能だ。 自分が子供の時にこれを言われたら腹が立ったものだけれど、今の私ならあの時の大人の気持ちが分かる。 私も大人になったということだろうか...。しみじみと感慨に浸っていてるとパオリンはあの時の私と同じようなムッとしたような顔をしてこちらを見ていた。

「...ふぅーん」

だが、何だか様子だ変だ。ただ腹が立っているだけではない。何か切り札を隠し持っているような...挑発的とも取れる返答だ。 まさか、大人に歯向かってくるつもりかこやつ...!! まだまだ子供だと思っていたのに下克上を企てるつもりなのか...?! 一体どんな切り札を出すつもりなのか内心戦々恐々としているのを隠して私は何でもないように言った。

「...なに?」
「ん? だろうなぁって思って。のこと可愛いって言ってる人知ってるからさぁ」

意味深にチラッとこちらを見てパオリンは大きく口を開けて残りの桃まんを全て頬張った。今ぐらい開けてたら私なら確実に 顎が外れてる。既にお昼に外れかけたし。とか、そんなことはどうでもいい! 私は今までの大人の態度だとかそういうもん全て吹っ飛ばしてパオリンの言葉に飛びついた。

「...え? だれだれ?! 私の知ってる人? ...え! まさか...その人ってヒーローの誰か?!」
「んー、ボク子供だから恋愛の話とかってまだ早いんだよね」
「!!」
「ね、確かそうだったよね?」

無邪気な笑顔を浮かべているのに何故か小憎たらしく感じさせるという高等な術を見せつけるパオリンに、 私は動揺を隠せなかった。一体どこでそんな術覚えてきたんだ? 

「...いやいや、ねぇ? もうパオリンちゃんったら意地悪なんだから...それで誰が私のことかわいいって?」
「あー、なんかボク急にアイス食べたくなってきちゃった。ほら、ボクって子供だから」
「もうパオリンちゃんったら......いつもの自販機のアイス?」
「ダッツ」
「...もぉー、パオリンちゃんったら舌が肥えてるのね」
「ダッツ買ってからの家に行ってこの間の続きのアニメ見る」
「...まぁ、パオリンちゃんったら調子に乗っちゃって!」

こんな駆け引きホントにどこで覚えてきたんだ...?!
駆け引きしてダッツを手に入れようとするなんて...自販機の安いセブンティーンアイスで大喜びしていた頃の パオリンが懐かしい。大体の問題はセブンティーンアイスで解決できたというのに今ではダッツ! ...ハーゲンダッツだって?! 私でもあまり口にしないってのに...。んっとに誰の入れ知恵だ!! 余計な事してくれやがってッ!
心の中ではパオリンの嬉しくない成長を手助けした相手に文句を言いつつも私はパオリンの言うとおりダッツを買うために 財布の中を覗き込んだ。その様子を見て満面の笑みを浮かべたパオリンが椅子の上で跳ねた。







(20110726)