今日も今日とてヒーロー業務の一つ“体を鍛える”を実行するためにみんなトレーニングルームに集まって、 それぞれに体を鍛えていたのだけど外が真っ暗であることに気付いた一人が(今回の場合はパオリン)それを口にすれば みんな自然と帰ることになった。一人が帰ると言い出すと、じゃあわたしもぼくもおれもという事になるのが常だ。 私はみんながロッカールームへと消えていくのに手を振りながらきりのいいところまでランニングマシンの上で走っていた。 ランニングを終えてロッカールームに入るとすでにカリーナとパオリンは仕度を済ませているところだった。 待ってくれると言った二人に悪いからと言って先に帰ってもらい、少し長めのシャワーを浴びた。それから身支度を終えて きっと私が最後だろうと思いながらロッカールームから出ると意外なことにバーナビーさんがドアの付近の壁に 背中を預け、腕を組んで立っていた。 ドアの音を聞いて俯いていた顔をはっとしたように上げる。 「あれ、何か忘れ物ですか?」 どうみても忘れ物を取りに来たというよりは何かを待ち伏せしていたように見えるけれど敢えてそこには触れなかった。 ちゃんとトレーニング機器の電源が落とされているか確認するために部屋の中をぐるっと周る。 「あなたを待っていました」 「え? 私ですか?」 想像の範疇の答えだ。けれどその理由までは分からない。何だろう...ご飯のお誘いとか? まさか。 使ったタオルとかトレーニングウェアなんかを入れてあるトートーバックを肩に掛け直しながら私はちらっとバーナビーさん の方を見た。バーナビーさんは腕を組んだまま私の動きをずっと目で追っているようだった。 「あなた以外に誰がいるって言うんです?」 「まぁ...そうですね...」 僅かに苛立っているように言われて私は渋々頷いた。バーナビーさんの視線が全身に絡み付いてるような気がして 足が重く感じる。覗き込んだ機器の液晶にスリープモードの表示が出ていたのでオフの電源を押した。 というかそうやってただ突っ立っていただけなのなら点検しておいてくれればいいのに...口には出来ない文句を胸の中で呟く。 「それで、何で私を待っていたんですか?」 全ての機器の電源が落とされているのを確認した私はバックが肩からずり落ちないように手で持ち手の部分を握って支えながら バーナビーさんが突っ立っている出口であって入り口でもあるドアに近づいていった。バーナビーさんは私が近づくと 組んでいた腕を解いて手を下ろした。気をつけのポーズとも見てとれる。心なしかバーナビーさんの表情が緊張しているように見える。 何だか鬼教官かなんかにでもなった気分だ。悪い気はしない。 だってバーナビーさんが緊張してる姿なんてそうそう見れたものじゃないし。 「夜のドライブへのお誘いですか?」 調子に乗った私は何故か固くなっているバーナビーさんの緊張を解そうと冗談を言ってみた。 けれど私の冗談はバーナビーさんには通じなかった。 「さんが行きたいと言うのでしたら...行ってもかまいませんよ」 その上に何故か少し恥ずかしそうにはにかんでいる。思わず見間違いかと目をこれ以上ないほどにかっぴらいてバーナビーさんをまじまじと見た。 「え、あーっと、また今度で...」 「...そうですか」 どうすればいいのか分からずに助けを求めるようにして視線を天井に向けながら言うと(もちろん助けになるようなものは何も無くて、あるのはシミと、何故か焦げ後だけだった)私の耳が腐っているのかもしれないけれどバーナビーさんの声が少し残念そうに響くのが聞こえた気がした。 ...何だか調子が狂う。私が期待していた答えは「何であなたなんかと僕が!」という怒ったようなものだったのに、返ってきたのは 正反対のものだ。それも、はにかみ笑顔のおまけつきだ。 少し...ほんの少しだけ背筋を悪寒に似たものが走った。 言うなれば階段を軽快に下りていたときに足を踏み外した時のひやっとした感じに似ている。ここ最近、バーナビーさんと 会話しているとこの恐ろしい現象が時々起こる。その度に私はあのひやっとした嫌な感覚を味わうのだ。 冗談は不発に終わったけれどバーナビーさんの原因不明の緊張は少しは解せたらしい。気をつけの姿勢から手をジーンズのポケット に入れる姿勢に変わっている。親指以外の指はポケットに収まった。 「それで何でしたっけ?」 私はトレーニングルームの照明のスイッチの隣に手を置いてバーナビーさんを見上げた。これでいつでも帰る準備オッケー というわけだ。このスイッチを押してドアの鍵を閉めて、そうしてやっと終わりだ。今から急いで帰れば見たかったドラマに 間に合うと思う。そのためにはバーナビーさんが用事を早く終わらせてくれないといけないけれど...。 見上げた先のバーナビーさんはらしくなく、少しそわそわしたように目を泳がせてから一度息を吸い込んでから言った。 「あなたが好きです」 きゅっと口元に力を入れたのが見えた。 「...えーと」 「はい」 「...人違いしてないですか?」 薄く青みがかったように見えるバーナビーさんのイエローグリーンの瞳から視線を反らしてきれいな金色の髪を見つめる。 口元には中途半端に笑みのようなものを浮かべる。引き攣らないだけ褒めて欲しい。だっていくらなんでもこの嘘を 見抜けないほど私は馬鹿じゃない。バーナビーさんが私――を好きって...人を間違えてるとしか考えられない。 眼鏡の度が合ってないんじゃないだろうか。それとも酔ってるとか。自慢じゃないけれどバーナビーさんから好かれてると 感じたことは一度も無い。むしろ嫌われてるんじゃないかと思うほうが多い。 「あの、私ですけど」と自己紹介したほうがいいだろうか。馬鹿らしいけれど。 「何であなたはそう...」 続くべき言葉が見つからないのかバーナビーさんは口を動かしているけれど声は出てこない。罵声を浴びせられる覚悟をして 私はおそるおそるバーナビーさんの瞳を見上げた。 「......デリカシーが...無いんですか...」 勢いが無い、消え入りそうな声に私は背伸びをしてバーナビーさんの口と自分の耳との距離を詰めた。 その結果ますますバーナビーさんの 声は小さくなって最後の方なんて蚊が飛んでいる音よりも小さかったんじゃないだろうか。 調子でも悪いのだろうかと思うと同時に両肩を掴まれて押された。押されて私が後退すると当然バーナビーさんとの間の距離が 彼の手の長さ分空いた。突然のことに何だ、とバーナビーさんを見ると顔を背けているのが見えた。これ以上ないほどに 首を捻って顔を逸らしているのを見てハッとした。 「あ、すいません...汗臭かったですか?」 シャワーを浴びたけれど頭は濡らしたくなかったので汗は流れていない...ので汗臭い可能性大だ。髪の毛を引っ張って鼻の所に持ってきて、ふんふんしてみたが よく分からない。汗臭いか確かめるなら地肌を嗅ぐしかないけれど自分では無理だ。一応の確認として右腕を上げてわきの匂いも嗅いでみる。 ......OK。ワキは大丈夫だ。 「...何してるんです」 「わきの匂いをチェックしてるんです」 見て分からないなんてやっぱりバーナビーさんの眼鏡の度が合っていない可能性が高い。だけどそう言った瞬間にわきの 匂いを嗅ぐために上げていた腕を強制的に下ろされた。何するんだと抗議しようとすると鋭い視線で「やめてください...!」 ときつく言われたのでその迫力に負けて抗議の言葉を飲み込んで大人しく頷いておいた。わきの匂いを嗅いだだけなのに...こえー......。 「...全く分からない。何で僕はこんな人を好きになってしまったんだ...本当に分からない」何か小さい声でぶつぶつ呟く バーナビーさんに「え?何ですか?」と聞き返すも嫌そうな顔で首を振られた。 ...何か分からないが失礼な! 「とりあえずあなたは汗臭くないです、むしろ...」 「むしろ?」 気になるところで言葉を止められて私は先を促した。汗臭くないというところまでは良かったけれどその続きとして、バーナビーさんの口から... かぐわしいフローラルの香りがします。とか、シャンプーのいい香りがします。とかいう言葉が出てくるところは想像できない。 だとしたら汗臭いより最悪な......むしろ...むしろ、脂臭いとか?! 人がたくさんいるところに行くと時々そういう鼻につく匂いを嗅ぐ事がある。もしかするとあの匂いが私からも...? 私が不安に喉をならすも、バーナビーさんは黙り込んだまま眼鏡のブリッジの部分に手をやって眼鏡をくいっと上げた。 眼鏡なんか上げてる場合かー!! 私は不安で胸を押し潰されそうだってのに!! 「...今日はもう帰りましょうか」 「えぇっ!! むしろ...むしろの後をまだ聞いてないです!」 「うるさいです」 不条理! バーナビーさんは急にキレたかと思うとトレーニングルームの電気をオフにした。真っ黒になった部屋の中で 言い争うわけにもいかず渋々部屋を出るとバーナビーさんがカードキーで部屋をロックした。私はまだ納得がいってなかったのでそんな バーナビーさんをジッと見ていたけれどバーナビーさんは断固としてこちらを見ようとせずに不自然に首を曲げている。 そして不自然に首を曲げて手元を見ていなかったからだろう、バーナビーさんがカードキーを落とした。ちょうど私の足元に滑ってきたカードキーを拾い上げて渡そうと顔を上げて驚いた。 「...あの、顔真っ赤ですよ」 あまりにも真っ赤になっているので驚いた。 肌が白いから余計目立つのかもしれないけれどそれにしても耳まで赤い。 私の指摘にバーナビーさんはパッと腕を掲げて顔を隠した。「見ないでくださいそれ以上僕に近づかないでくださいあっち向いてください」だのなんだのごちゃごちゃ言っているが 私はそれを適当に聞き流しながら今日のバーナビーさんのおかしな言動の理由が分かったと納得した。 「...変だと思ったんです。眼鏡の度が合ってない所為かと思ったんですけど...熱があったんですね!」 「...は?」 「帰りましょう! うちまで送っていきます。あ、今日は車ですか? バイクですか?」 「...車ですけど」 「よし、私が運転します。キーをください」 「え? いえ、大丈夫です...というか熱なんて、」 「渡さないつもりですか?! 私の運転技術を舐めないでいただきたい! これでもS字クランクがうまいってよく褒められたんですよ?!」 「S字......まさかペーパー、」 「たくっ、病人のくせに強情ですね...。いいです、ポケットの中ですよね」 「ちょっ! なっ、何してるんですか?!」 「見て分からないんですか? バーナビーさんのポケットに手をつっこんでる所ですよ!!」 「やめっ...!」 「チッ! 後ろポケットだったか...」 「ぅわっ! やめっ...!」 「病人は大人しくしとけばいいんですよ!! 手こずらせおって...」 前ポケットを探しても無い筈だ。ようやく見つけた車のキーにはシンプルに車の企業のストラップが付いているだけだった。 それを右手に握って、気のせいかさっき異常に顔が赤いバーナビーさんの手を左手に掴んで歩きエレベーターのボタンを連打した。 こうしたら早く来るわけでは無いのは知っているけれど焦っていると押さずにはいられない。ちらっとバーナビーさんの 様子を伺うと耳を赤くさせながら大人しく俯いていた。強がっているけれどあんなに赤くなってるし、おかしな言動をしていたのも 頭が熱で沸騰しているからだろう。バーナビーさんに好かれてるどころか嫌われていることは知っているけれど、 私だってヒーローの端くれだ。困っている人を見捨てるなんてヒーローの名が廃るというものだ。 |