※a short restの続きです。
この間のお礼を言わなくてはいけない。だが、何と声を掛けよう。 “この間はありがとうございました。” いや、それだけだと素っ気無い。全てをひっくるめるんじゃなく、ゼリーのお礼は別にして言うべきだろうか。 “この間はありがとうございました。あのゼリーおいしかったです。” いや、これだけなのも... 「お疲れ様でーす」 周りの雑音として処理していた声の中に唐突に耳を打った声は雑音として処理するものではなく、僕にとっては拾い上げるべき ものだった。(と言うよりも拾い上げてしまうという言い方のほうが正解だ)ハッとして顔を上げると彼女はもうトレーニングルームを出た後だった。 追いかけようかと足を一歩踏み出したがその続きを躊躇して二歩目は踏み出せなかった。 ...言えなかった。 こうしている間にも段々と言葉を言い出しにくくなることは十分理解しているというのに......理解しているだけでは意味が無い。 あの日のことが頭には何度も繰り返されている。 .。oO(あの日) 「はい。寝てください」 心臓に悪すぎるドライブを終えて安堵の息をついたのも束の間、さんはそのまま寝室へと僕を放り込んだ。 「着替えてくださいね。あ、冷蔵庫の中のもの使わせてもらっていいですか?」 「...あ、はい」 僕が頷いたのを確認すると彼女は寝室の扉を閉めた。そこでようやく一人きりになり、僕はこの状況に改めて呆然とした。 一体どういう経緯でこうなってしまったのか、考えてみるがよく分からない。当事者である僕が分からないなんて 本当にこれはどういう状況なんだ。とりあえずジャケットを脱ぎながら順序を追って思い出してみる。 僕は彼女がロッカー室から出てくるのを待っていた。 それは何故かというと僕は彼女に思いを... 「水とチーズしか入ってないじゃないですか!」 「なっ...ノ、ノックしてくださいよ!」 突然叫びながら扉を開けられ、考えていたことが考えていたことだったので思わず上擦った声が出た。別に後ろめたい ことでもないのだけれど、バツの悪さは感じる。そしてそんな自分が叫んだ言葉が男のものとは思えないような 内容だったことにさんに冷めた目で見られてから気付いた。だけどそこをつつくようなことはされなかった。 安堵すると同時にきっちりした線引きのようなものを感じて頭の中に先ほどのさんの言葉が響いた。 “人違いしてないですか?” 誤魔化されたわけではない。それが彼女の本心であることは様子を見れば察する事が出来た。 感情を隠すのが上手い人ではない。それくらい僕だって知っている。 だからこそ衝撃を受けた。 「もう寝たほうがいいです。何か作ろうかと思ったんですけど材料がなくてどうにもならないですから」 そう言いながら彼女は流れるような動作で僕が持っていたジャケットを取り、ハンガーにかけた。 「薬とかは無いんですか?」 「...え、あ、無いです」 あまりにも自然な動作でそれらをするものだから呆けてしまい、返答は不恰好なものになってしまった。 けれど彼女は僕がいつもと様子が違うのは熱がある所為だと信じ込んでいるようなのでこれといって不審には思わなかったようだ。 お腹が空いているかを尋ねられ、首を振りながら短く「いえ」とだけ答えた。ちょっとしたお菓子なら持ってるんですけど。 と言いながら彼女が鞄の中から取り出したお菓子を僕のベットの枕元に並べた。 「空腹を感じたらこれを食べて乗り越えてください...! 明日の朝、お店が開くまでの辛抱です...!」 やけに深刻ぶって彼女がスティック状になったお菓子を枕元に置いた。全てあわせると4つのお菓子の袋が僕の枕元に並べられた。 それでもまだ食べる物が無いか探しているさんは鞄の中をかき回し続けている。 「あ、胃薬ならありましたけど飲みますか?」 「...遠慮しておきます」 「じゃあもう寝ましょうか」 何気ない感じのさんの一言に僕は固まった。そんな僕の様子をお構い無しに彼女は「私出ときますんで着替えてくださいね」 と言うとさっさと部屋を出て行った。そこで僕は自分の思考回路に呆れながらも悪態をついて適当な服を取りに行った。 自分でも顔が赤くなっているだろう事が分かるほどに熱かった。 あの人と居ると調子が狂う...。けれどそれを悟られるのは不本意だ。きっかけはどうであれ今この状況が嫌でない事も含めて悟られるのは嫌だ。 適当にラフな服を見繕って着替えるために着ていたシャツを脱いでベットに放り投げる。 がちゃ 「そういえば一人で着替えれますか?」 「...」 「あ、大丈夫そうですね。失礼」 「...」 ばたん ...何だって僕はこんな人を好きになってしまったのだろう。自分で自分が分からない。 そして熱どころか風邪なんて引いていないのにそれを告げずにいる自分も分からない。 ...いや、本当は分かっている。 「開けてもいいですか?」 「どうぞ」 「...ややや、さっきは失礼しまして...」 どこかのおじさんみたいに片手で拝みながら入ってきたさんはやけに腰が低くて顔が赤かった。 そんな顔を始めて見た僕は少しの間呆けてしまった。いつもの彼女は親しさを感じさせる口調をしながらも一定の距離を 置いていて、あまり表情を変化させない。困った顔か、愛想笑いか、そんな表情ばかり見ていた。 なので少し感情を処理するのに時間が掛かってしまった。ぼんやりしている間に顔は赤いままなのに態度は普通を装っている さんにベットに寝るのを促される。 お菓子と並んで寝転び、布団を肩まで掛けられ、眼鏡を外されてからおかしくて笑ってしまった。 視界が歪んでいるというのにはっきりと赤いままの顔が見えたからだ。 喉の奥で笑っていると「やっぱり今日のバーナビーさんは変だ...」という深刻な様子のさんの声が聞こえた。 「じゃあ、そろそろ私行きま...」 中途半端にさんの言葉が途切れたのは自分の所為であると気付いたのは少し経ってからだった。気付くとさんの 腕を掴んでいた。慌ててその手を離し「すいません」と謝る。自分でも動揺していた。 そんな子供染みた態度を取るなんて、本当に熱があるわけでもないのに...。 気まずさに伸ばした手を布団の中に隠した。 歪んだ視界の先でさんが動いたのが見えた。きっと帰るのだろう。 目を瞑り、その映像を遮断すると僅かに物音が聞こえた。不審に思い目を開けると部屋の中に備え付けていた椅子を彼女が持ってきて ベットの隣に設置した。 よいしょ、と年寄りくさい掛け声をかけながらそこに彼女が座った。 「バーナビーさん、この見るからに難しそうな本借りてもいいですか?」 「え、えぇ...どうぞ」 僕が読みかけて置いていた本を手にとったさんは何事も無かったかのようにぺらりと頁を捲った。 その光景に暫し頭が混乱してさんを見つめるも、本に視線を落としたままのさんは何も言わなかった。 紙の擦れる音だけ響くのが逆に混乱気味だった頭に冷静さを取り戻させた。 ...そんなに優しくされると誤解してしまいそうだ。諦めるつもりは無い。こうしてこの展開に口出ししないのが何よりも証拠だ。 寝返りを打ってさんに情けない表情が見えないようにした。 僕が本当は健康そのものであると知ったらさんは怒るだろうか。案外けろっと「なーんだ」とか言いそうだ。そんなことを考えながら僕はいつのまにか眠りについた。 . . . 目が覚めると部屋には誰も居なかった。椅子は元の位置にきちんと戻されていた。昨日の出来事は夢だったのかもしれない、 と考えながら眼鏡をかけて起き上がるといつもとは違う位置に掛けられたジャケットを見つけた。やっぱり夢じゃなかった。 その瞬間思いついた“もしかして”に寝室を急いで飛び出た。 だが、その先には誰もいなかった。思わず苦いものを噛み潰しながら平常心を装って冷蔵庫に向かった。 その途中、テーブルの上に目が留まった。 一枚の紙と市販の風邪薬。僕が眠っていた間に買いに行ってくれたのだろう。そこで自分が熟睡していたことに気付いた。物音に気付かなかったなんて。 本当は必要でない風邪薬を見ると罪悪感を感じたがそれを振り払って紙の方を手に取った。 “冷蔵庫にゼリーがあるので食べてください。 多分ゼリーならおいしいと感じると思います! その後に風邪薬飲んでください。 P.S.あの本難しすぎますよ。” ぼんやりと意識が遠くなっていく時に聞こえた唸り声はさんが考え込んでいた時のものだったらしい。口元が無意識に緩んだのを 隠しながら僕は紙をそっとテーブルの上に置いた。 やっぱり諦められない。それどころか... |