ホーリーナイト、君は何を思うの




 街中がクリスマス一色に飾り付けられている、どこか浮かれた雰囲気の中を私はマフラー摘まんで鼻まで上げながら、バイト先まで急いだ。 予報では雪が降る可能性があると言っていた。ちらりと視線を上空へとやると、晴れているというのに灰色の雲が空を覆っていた。

 コンビニに辿り着くと赤いサンタさん帽子を被った食満さんが居た。

「......超すげえ似合ってますね」
「...お前それわざとだろ」

 私の半笑いでの褒め言葉が気にいらなかったらしい食満さんは不機嫌そうに目元をほんのり赤く染めた。
店長も見てみれば頭に食満さんとお揃いの赤い帽子を被って接客している。嫌な予感に私が思わず顔を歪めると、食満さんが にやりと意地悪そうに笑った。

は来るのが遅かったからこれだ」

 後ろ手に隠していた物を目の前につきつけられて私は表情が固まった。食満さんはそんな私の様子が楽しくて仕方が無い みたいににやにやしながらそれを私の頭に装着した。

「おぉ、よく似合うな」

 相変わらずのにやにや笑いを浮かべての食満さんの言葉を聞きながら、鏡を覗き込んでみると頭にトナカイの角が生えていた。 もちろん本当に生えているわけではなくて、正体はトナカイの角を模したカチューシャだ。サンタ帽子の方がまだマシだ。 じとりとした目の自分の顔が鏡に映っている。ついさっきまでの不機嫌さがすっかり消え去ったらしい食満さんは声を弾ませた。

「よし、トナカイ行くぞ」
「...へぇーい、サンタ...留三郎」

 やる気など一ミリも込めずに返した言葉に食満さんがピシッと身体を固めた。原因が何であるかすぐに思い至った私は 慌てて“サンタ食満”より、“サンタ留三郎”の方が語呂がよかったからだと言葉を繰り出そうとしたが一足先に食満さんが口を開いた。

「...トナカイ、今日はいつもより客が多いぞ」

 今度は私がピシッと身体を固めた。それを見て食満さんは満足そうに口角を吊り上げた。
不意打ちで名前を呼ばれた衝撃(例え、名前の前にトナカイとついていても...)に悔しくも言葉を返せずにいる私に、 食満さんはしてやったりな表情だ。私は前髪を直すふりをして顔を隠した。こんな些細なことで動揺していると思われたくは無い。





 いつもはぼんやりとレジの前に立っているのが嘘のように今日は人の出入りが途絶えなかった。
それでも他の店に比べれば少ないだろうことは分かっている。けれど、普段ののんびりしているのに慣れている体はこの状態を異常と捉えていた。 時計を確認しても数分しか経っていなかったといういつもと違い、今日はすでに30分も経っていた。 そのことに驚きつつも、平常の仕事をこなしながら客の相手をしているとあっという間に時間は経った。
 気付けばシフト交代の時間だった。
「お先失礼します」「お疲れ〜」交代時の常套句を交わし、外は寒いと言う先輩の言葉を思い出し、しっかりとマフラーを首に巻いた。 すっかり暗くなった空を眺めながら、寒さにぶるっと身体が震えた。
――さっさと帰ろう。

!」
「...食満さん」

 突然名前を呼ばれ、振り向けば食満さんがこちら向いて走っていて...あっという間に目の前に立っていた。
吐き出した息は白い。暗いのでなおさら、白い息が目立っている。一体なんだっていうんだ? 突然のことに私の頭に いくつかの“食満さんが自分を追いかけてきた理由”が浮かんでは消えた。こんなことは今まで無かったので、驚いてしまう。

「...歩くの早ぇよ」
「はぁ...すいません...?」

 肩を弾ませているのを見ながら、私は相変わらず食満さんが私を追いかけてきた理由で何であるか考え続けていた。
もしかしてさっきのバイトで何か大きな間違いをしてしまったとか?
そのもしもの話で思わず顔が強張ったのを見て食満さんは苦笑を浮かべた。

「一緒に帰ろうと思っただけだ」
「......えっ?!」

 いくつも浮かんだもしかしてがどれも外れたどころか、それこそ想像していなかった言葉にぎょっとして固まる私を 放って食満さんは歩き出した。その後を追いかける形で私も慌てて足を動かした。隣に並んで歩くも食満さんはただ足を動かす だけで何も話さなかった。ここで私の頭に一つの疑問が浮かんだ。
――急いで帰らなくてもいいのだろうか?
口にすべきかどうか悩んでいる間に、私たちはいつの間にかイルミネーションに飾り立てられた町の中に足を踏み入れていた。 来た時はまだ光を灯していなかった電飾が今は色とりどりの光りを放っていた。単純にその光景をきれいだと眺めていると 食満さんが唐突に言葉を発した。

「きれいだな」
「そうですね」

 マフラーの下で笑うと、食満さんも笑ったのが見えた。鋭い目が柔らかく細められたのを見て、私は咄嗟に視線を外した。 調子が狂うとはまさにこのことだ。最初のように動揺することは無くなったはずなのに、クリスマスの雰囲気に当てられてか 私の心臓はやけに早く動いている。来る時はまるで追い立てられたような気がしたクリスマスの飾り付けだが、食満さんと一緒だとその光景を楽しめる。 心臓を落ち着かせるつもりで周りのイルミネーションを見回していると、仲良さげに歩いている男女のペアが多いことに気付いた。
当然といえば当然、今日はクリスマスなのだから...なのに私は不意を突かれたみたいに息を止めた。
しゅるしゅると胸のうちの幸福が萎んでいくのを感じた。
周りから見れば私と食満さんもそういう風に見えるかもしれないが、実際はそうで無いことは私がよく知っている。 ただ一緒に歩いているというだけで勘違いされるかもしれないことに申し訳なさを感じて、私は歩くスピードを少し早めた。 早くこの場から離れたかった。だが、私の心情を当然知るはずも無い食満さんは怪訝な表情を浮かべた。

「そんな急がなくていいだろ」
「え、けど、寒い、んで...」

 わざとらしいと思いながらもポーズとして両手を擦る仕草(都合が良いのか悪いのか手袋を忘れた)をしてみると、食満さんは暫し考えるように眉間に皺を寄せてから何か思いついたように 手に持っていたビニール袋を私に差し出してきた。

「じゃあこれ、やるよ」
「...なんですか? これ」

 反射的に袋を受け取る。

「チキンだってよ。店長がクリスマスだから一人一個ずつってくれた」
「...え、ありがとうございます」

 よく見てれば、確かにうちの店の袋だ。中を覗いてみるとチキンを包んでいる袋が二つ見えた。

「俺は運んだだけだから」
「はい、店長にも今度会ったらお礼言っておきます」

 思いがけないプレゼントに驚きながら今度会った時に店長にお礼を言わなくてはいかないと考えながらも、食満さんが 今これを渡してきた意味が分からず首を傾げると言いたいことが分かったようで食満さんが袋を指差しながら話し始めた。

「それを持ってたらカイロ代わりになるだろ」
「...えぇー」
「なんだよ。絶対あったかくなるだろ」
「そうかもですけど...えぇー、カイロ代わりに服の中に入れたりでするんですか?」
「なるほど。それだと体も温まるしチキンも冷えずに一石二鳥だな!」

 何がなるほどなのか。いい考えだとでも言いたげな食満さんに、私はそれはどうかと思うと視線で訴えた。
まぁ暖かいことは暖かいので両手で持って暖をとることにする。それを見て食満さんは満足げだ。その表情にひっかかり を覚えるも、私は懸命に口を噤んだ。
 気付けば私は先ほどまでの焦燥感――早くこの場から離れなければ――を忘れ、食満さんとのいつもの他愛ない言葉の応酬を楽しんでいた。

「手、あったまったか?」

 ふと会話が途切れたところに食満さんが私の手元を見ながら声を掛けてきた。
私はじんわりと温まった右手を持ち上げた。

「だいぶあったまりました」
「へぇ」

 湯気が出ているわけでもないので、見たからといって温まったかどうかなんて分からないけれど、一緒になって私の右手を見ていた食満さんが唐突に左手を持ち上げ、 その手で私の手に触れてきた。触れた手の冷たさと、その予測していなかった行動に吃驚して私の心臓は跳ね上がった。

「おぉ、すげぇあったかいじゃん」

 固まって握られている右手を凝視する私は何も答えられずにいた。すると食満さんがそのまま、私の手を握ったまま 歩き出した。引っ張られる形に自然と私は足を踏み出して食満さんの後を追った。頭の中はたくさんの、なんで?で いっぱいだ。温まったはずの右手は食満さんの冷たい左手にその熱を奪われつつある。

「あのー、」
「...なんだ」

 声を掛けたと同時に食満さんの足の動きも速まった。引きづられている私も足を動かす速度を上げた。
ぐいぐい先を歩く食満さんは人が多いのにも関わらず、上手く避けていく。

「手が、」
「手がなんだ」

 別に異常はないと言い張るような断固とした響きで返されてしまった。相変わらずの速度で歩く(...というかこれはすでに 競歩の域に達しているんじゃないだろうか?)食満さんについていくために私は必死に足を動かした。がさがと左手に 握っているビニールが音を立てる。

「冷たい、です...」

 欲が出て、私は口にすべき言葉を変更した。
思いのほか息が上がって私の言葉は途切れ途切れの聞き取りづらいものになってしまった。もしかして聞こえなかった かもしれないと思ったところで唐突に食満さんが立ち止まり、振り返った。周りを歩く人が少し迷惑そうに私たちを 避けていく。私の肩が軽く上下に運くのを見て、食満さんはハッとした様に目を見開いてスイッとそらした。

「...悪い、歩くの早かったな」
「はい。息が切れて...すっっっげぇ、しんどいです」
「わりぃ」

 二度目の謝罪は先ほどのものよりも軽く、笑顔と一緒に言われた。今度は気をつける。と続けられた言葉に私は眉間に皺がよるのを感じた。
――今度って?
心の底からそんな疑問が浮かんでしまった。それから今現在の状況を確かめるように自然と視線は繋がれている 右手に向かった。周りの人に倣うようにゆっくりと歩き始めた私たちはすぐに周りの風景に溶け込んだ。

「いやか?」
「え?」

 顔を上げると食満さんが口を真一文字に結んで私の答えを待っていた。主語が抜けた言葉に私はすぐには察することが出来なかった。 すると、握られた手に少し力を入れられた。そこでようやく私は、どうやら先ほどの私の視線を食満さんが見咎めていたらしいことに気付いた。 慌てて口を開く。

「嫌じゃないです!」

 ――嬉しいです。とは言葉に出来なかった私は卑怯者である。本当の気持ちは言わず、目を向けなくてはいけない問題からも 目を背けて、それなのに自分の都合の良いように話が進むのを期待している。
どう考えても良い子とは言えないので サンタさんはきっと私のところにはやって来ない。

「そうか」

 短い食満さんの返答を聞いて私は今すぐこの手を振り払いたい衝動と、もう少し繋いでいたい気持ち、二つの矛盾した感情に襲われた。 もう手が冷たいとかそんなことはどうでもいい。そんなことは些細なことだ。
お世辞にも居心地が良いとは言えない雰囲気に私は大急ぎで頭の中にある話のネタを探した。が、こういう時に限って 何も思い浮かばない。ポンコツな頭だとは思っていたがここまで役に立たないとは...!

「俺は嬉しい」

 頭が混乱している私をもっと混乱させるみたいな食満さんの言葉に喉の奥からは「ひぇ」みたいな変な声が出た。 食満さんはその私の間抜けな声を聞いておかしそうに笑った。けれど瞳は笑っていない。私はただただ呆気に取られて 食満さんを見ていた。イルミネーションが反射してきらめいているように見える瞳の奥にあるものに気付いた私は息を詰めた。
――うそだ。だって食満さんは学校でも目立つ人だし。そんなわけ...。
みるみるうちに自分の顔に熱が上がってくるのを感じて私は咄嗟に俯いた。そこで私はいつのまにか自分が歩みを止めて いたことに気付いた。邪魔になると思い、とりあえず歩き始めた私と不思議な事にほぼ同じタイミングで食満さんも歩き始めた。 少し先を歩く食満さんに手を引っ張られている形で私は歩いた。
じんじんと指先が痺れているのは寒さの所為じゃない。
――なにを言えばいいんだろ。
――なんて言えばいいんだろ。
ぐるぐる頭の中に取り留めない言葉が回っている。それを言葉にするのはひどく難しく感じた。俯いていた顔を上げると イルミネーションがさっきよりもきらきらと輝いて見えた。それらに背中を押される気分で私は痺れる指先に力を込めた。 一瞬、吃驚したように握った手がぴくりと動いた。それに失敗したかも、と考えるもそれは杞憂に終わった。


強く握り返された指先は甘く痺れた。




今なら何を思っているのかわかる気がするよ




(20120104)年越しちゃった。ワーオー