きょろきょろと挙動不審な動きをする姿はとても見覚えのあるものだった。 進路変更をし、そちらにゆっくりと歩み寄る。本当は今すぐに駆け出して傍に行きたかったけれどここでは誰の 目があるか分からない。心持ち足の速度を速めるだけにとどめる。ひらひらと美しい装束が体にへばりつき、今は恨めしい。 「絳攸」 辺りに人が居ないのを確認して声を出した。女官たちのおしゃべりの種を提供するつもりは無い。 きっとそれには彼が目指している場所までの経路が描かれているのだろう。必死に手の中の紙に視線を落とし、 何事かをぶつぶつと呟いていたのが、私が名を呼んだことによって絳攸の意識が私へと向いた。 すると今まで眉間に寄せていた皺が無くなり、代わりにぽかんと口が開く。 徐々に目が見開いていく様は見てい愉快だった。驚かすつもりなんて毛頭無かったのに、悪戯が成功したみたいに 自然と口角が緩く上がるのを感じながら私は歩いた。 「どこに行こうとしてるの?」 尋ねながらもそこに答えが載っているであろうと見当がついていた私は絳攸の手にある紙を覗き込もうとした。が、 それは中身を確認する前に背後へと隠されてしまった。まさかの反応に一瞬思考が止まる。 その行動の意図が分からず眉根を寄せて絳攸を見上げ目で問いかけるものの、答えは返ってくるどころか絳攸は口を真一文字にして上体をそらした。 怪訝に眉を寄せながら問いかける。 「...なに?」 「...そ、そっちこそなんだっ!」 「うるさいよ」 何故か顔が赤くて興奮気味の絳攸が辺りに響く大声を上げたものだから、私は誰も居ないかもう一度視線を辺りにやってから 絳攸を見上げた。そして気付く、いつのまにかこんなにも身長に差が出来ていたことに。 思えばこうやって絳攸とちゃんと向き合ったのは何年かぶりだ。 噂は聞こえてくる、忙しそうなその姿も遠目から見ていた。けれどこうやってちゃんと話をするのはすごく久しぶりなのだと 今更になって、それも絳攸の顔を見上げて気付くだなんて。 「それでどこに行こうとしてるの」 「...」 声は返ってこない。絳攸はそっぽを向いて私と視線を合わそうとしない。けれど体が私の言葉に反応するように動いたのを私はちゃんと目で捉えていた。 そういえば昔から絳攸は自分が迷子になったことを認めようとしなかった。 「吏部?」 うんともすんとも言わない絳攸はまだ自分が迷子になったことを認めたくないのかもしれない。 だんまりって、一番腹が立つ。それなのに放っておけないのは小さい頃からの刷り込みの所為なのか。 私は迷子の絳攸を放っては行けなかった。何に怒っているのか知らないけど...私は頭で考えるよりも先に手を伸ばしていた。 握った手は記憶にあるよりも大きく、筋張っている。そのことに驚いた私と同時に大きな手がぴく、と動く。 変に強張っている手を握ると、何故か私の手にしっくりくる気がした。 「...お、おい!」 ここまできたら一種の才能じゃないかと思うほどに絳攸は目的地とは反対方向に歩を進める。その習性から考えて今絳攸が 向いている方と反対のところに目的地はあるのだろう。だとしたらやっぱり吏部だ。 絳攸が聞けば怒るであろう失礼な考察を終え、私はその筋ばった大きな手を引っ張って歩き出した。 握っている手は確かにあの頃とは全然違うものになっているのに、私はすんなりとそれを受け止めて、あの頃の ように手を引いた。小さい頃の私は絳攸の唯一の弱点を大歓迎していた。 年は私のほうが下のくせにお姉さん風を吹かせられる絶好の機会だ。それになんに対しても私の先をいく絳攸の前に 立つことが出来るのだ。気分がいいに決まってる。滅多に味わう事が出来ない優越感を感じることができる...それに 何より絳攸のその弱点が私の目には可愛く映るのだ。 さっきだって焦った表情で地図を覗き込み何か独り言を呟く姿は見ていて思わず笑ってしまうほど和やかな光景だった。 本人からすれば忌々しいであろうその弱点まとめて私は絳攸が好きなのだ。 今握っている手は確かにあの頃の小さい手とは似ても似つかないものへと成長したというのに、私の心はあの頃―― 今よりもまだまだ空が高かった頃に戻ったように懐かしさを感じていた。 「て、手を離せ...!」 いつもよりも小さい声、だけどその声は私の耳には大きく響いた。瞬間、懐かしさなんて吹き飛んだ。 今にも噴きでそうな感情を無理やり押し込めたような声に、私は軽い衝撃を受けて手の力を抜いた。 するりといとも簡単に手は逃げていった。振り返れば絳攸が唇を噛んで苦々しげに私を見ている。衝撃から立ち直ろうと私は緩く瞬きを繰り返した。 自分勝手にも私は絳攸も同じようにあの頃のことを考えているのだと思っていた。 文字通り独りよがりな考えにそんな自分を恥じた。頬が熱を持ったのを誤魔化すためにひらひらの袖口を頬にあてがい俯く。 「......ごめん」 一人で舞い上がって馬鹿みたいだ。謝罪は思った以上に簡単に口にすることが出来た。 飼い犬に手を噛まれた、とはちょっと違う。なんだろう、私は絳攸は私を拒否しないものだと勝手に思い込んでいたのだ。根拠の無い確信を持って。 「...じゃあ私の後についてきて」 いつまでも黙ったままでいるのもおかしいと普段どおりを心がけて口を開いた。 このおかしな空気を払拭しようと口角を無理やり吊り上げる。けれど顔を上げれそうにはない。 視界に映っていた絳攸の靴から視線を逸らすようにその場で反転し、作法など無視して大きく歩を進める。 自分から声を掛けたというのに、私は久しぶりの思いがけない対面を出来るだけ早く終わらせたかった。 「ち、ちがうぞ!」 焦ったように早口な声が追いかけてきて私はその場で足を止めた。 「勘違いしてるだろう! !」 声はすぐ後ろで聞こえた。けれど振り向かずにそのままでいると、左腕を掴まれた。不自然なほどに絳攸の手は 力が入っていなかったのでそのまま振り払う事も簡単に出来たはずだが私はそれをしなかった。 節ばった大きな手に横目をやりつつ、さっきは私の手から逃げたくせになんて胸の中で毒づく。 「」 「...なに」 「...」 「吏部に行くんでしょ?」 「違う! あ、いや、違わない...」 どっちつかずの返答の後に口の中で何かを呟いた絳攸の声は聞こえなかった。 そんなことはないはずなのに絳攸に掴まれているところがとても熱く感じる。それでも私は顔を上げず、意味も無く足を覆うひらひらを凝視していた。 「俺を見ろ!」 真剣さを帯びている声に私はあんなにも頑なだったくせに、気付けば顔を上げていた。 そこには成長して大人になった絳攸が必死な形相で私を見下ろしていた。 「...もう、俺たちは子供ではないんだ!」 鋭い眼光が焦ったように「続きは言わなくてもわかるだろう!」と訴えているようだったが、私はその続きが分からなかった。 何の反応も返せずにいると、焦れたように絳攸が大きく口を開く。が、すぐに口は閉じられたかと思うとみるみるうちに その顔が赤く色づく。恨みがましいとでも言いたげな一瞥を送られ、サッとそらされる。 「...て、手を繋ぐなど気軽にしていいことじゃない」 ぼそぼそと独り言のように呟き、絳攸は私を掴んでいない方の腕で赤くなった顔を隠した。 まるで照れているように見える絳攸の動きに私は頭が混乱する。 「え、」 口をついて出てきたのはそんな私の心情をそのまま表していて、困惑で声が変に上擦っていた。 だがそれを違う意味に受け取ったのか絳攸が俊敏な動きでパッとこちらを見て、ぐっと顔の距離が近づけてきた。 私は反射的に息を止めて、絳攸とは反対に距離を取るために後ろに仰け反る。 「まっ、まさか! 俺以外の男にこんなことをしているんじゃないだろうなっ?!」 眉を吊り上げ、どこか責めるような口ぶりで叫んだ絳攸の豹変ぶりに目を白黒させている私を放って尚も絳攸は捲くし立てる。 「常春頭相手にこんなことをすれば......お、お前っ、どうなるか分かってるのか?!」 そう言って今度は顔色を青くした絳攸は一人で何かを想像して唸りながらぶつぶつと呟いている。 「許さん...そんなことは俺が許さん...俺が目を離したちょっとの隙につけいるなど...」 「こ、こうゆう」 私の舌はこの事態にうまく対応できないらしく、恐る恐る呼びかけた名前は小さい子供が言ったみたいに舌足らずだった。 「何だ?!」 呼びかければ想像以上の勢いで絳攸が反応し、鼻先が触れそうな距離まで顔を近づけてきた。あまりにも近い距離に私は心持ち顎を引く。 「ちかい、よ」 「...」 「...」 「すっ、すまん!!」 後ろに飛びずさって勢いよく距離をあけた絳攸は耳まで真っ赤になっていた。 青くなったり赤くなったり、見事なまでに変色する絳攸の顔色を見ていると鉄壁の理性という言葉が頭の中を駆けていった。 絳攸は弁明するように、そういうつもりはなかっただのなんだの見ているこちらがかわいそうになるほど焦っている。 どこが鉄壁の理性。 そもそも私は小さい頃からの絳攸を知っているから半信半疑だったのだ。絳攸はやっぱり絳攸だ。 安堵すると同時に喉からふつふつと笑いが込み上げてきた。 そんな私を見て絳攸は目を真ん丸にしている。その顔がまた私の笑いを誘う。 「絳攸、すももみたい」 私の言葉にパッと腕で顔を隠した絳攸は消え入るような声で「うるさい」とだけ呟いた。
あまくてすっぱいすももみたい
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