惑星が落ちてきた
暑さで目が覚めた。 コタツにもぐりこんで漫画を読んでいたらいつの間にか眠ってしまったらしい。読み途中だった 漫画は手から滑り落ちていて、俺は手を横にめいっぱい伸ばして眠っていた。コタツに入りきらなかった胸から上は寒く感じるというのにそこから下...コタツの中に納まった部分は少し汗を掻いている様な気がして不快だ。 とりあえずコタツの電源をオフにしようとそのままの体勢で右手を伸ばすが、目的のスイッチ部分が探せない。手当たり次第に 手を伸ばすと何かに手が触れた。糸のような...けどそれよりも柔らかく細い手触りだ。 手はその感触の正体を覚えているのに頭で思い出すことが出来ない。...なんだっけこれ。 寝起きのまだあまり働かない頭で考えても埒が明かない。俺はしょうがなく体を起き上がらせることにした。寝てから 結構時間が経っているのか体が痛い。窮屈なコタツから脱出するために腕に力を入れて体を引きずり出した。 肩が凝っているような気がして手で揉みながら上体を起こしてさっきの感触の正体を確かめようと右の方に視線をやった。 「...へ?」 予期していなかったものが目に飛び込んできて思わず声が喉から飛び出た。(飛び出たというより空気と一緒に音が出たみたいな感じだったが...) 見たこと無い女の子がさっきまでの俺みたいにコタツに入って眠っていた。一つ違うのはその体制だ、俺みたいに場所を とる寝方じゃなくて女の子は猫とか犬みたいに体を丸めて小さくなって眠っていた。 一瞬、ここが自分の家じゃなかったかもしれないと不安になった俺は首をぐるんと回して自分の家かどうか確認した。 ...どうやらちゃんと竹谷家のようだ。見慣れた風景を確認して思わず安堵の息を吐いた。そんなわけないのに一瞬 知らない間に誰かの家にお邪魔してしまったのかと思ったが、その心配は杞憂に終わった。 「誰?」 疑問をそのまま口にしてみるも、答えは返ってこずに小さな寝息だけが聞こえた。鈍い動きの頭がこの人物が誰であるのか、 過去のデータと照らし合わせてみるものの、さっぱり答えは導き出されなかった。相手が寝ているのをいいことに遠慮なくじろじろ観察していると、 先ほどの手に触れたものの正体が分かった。髪の毛だ。 長い髪が肌色のカーペットの上に波打っている。それに俺は触れたのだろう。だから触れたことがあると思ったんだ。 けれど毎日触れている自分の髪とは随分と手触りが違った。柔らかくてさらさらしていて、とにかく気持ちのいい手触りだった。 髪がこんなに柔らかいものだとは思わなかった。 犬の毛とも、猫の毛とも違う。しっかりと芯があるのに柔らかい。 そこまで考えていると、もう一度触りたいという欲求が出てきてしまった。何故かうちで寝ている、(それも一緒のこたつで) 見ず知らずの女の子が目の前にいるというのに俺が考えたのは「お前は誰だ!」と叩き起こすでもなく髪を触りたい、だ。自分で自分にヒく。 けれど相手はまだ寝ているのだ。起きたらきっと触ることは叶わないと思うと、これが最後のチャンスだと考えた俺はそっと手を伸ばした。 カーペットの上に広がる髪に手が触れる、と思ったその時... 「ん、」 小さい唸り声が聞こえ、俺は素早く手を引っ込めてコタツの中に両手を隠した。女の子は唸ったかと思うとぱちっと目を開け、 のそのそと上体を起き上がらせた。髪がぐちゃぐちゃになっているが気にした様子も無く、そしてここが他人の家で あることも気にしている様子も無く、眉根を寄せて眠そうに目を瞬いている。俺はその一連を横目で見ながら激しく 運動する心臓を感じていた。それが今の行動を後ろめたい事だと証明しているみたいでバツが悪い。 「あ、八左ヱ門くん?」 「ぉあ、はいっ!」 突然今まで焦点が合っていなかった目がこちらに向けられて名前まで呼ばれ、俺はびくっと震えながら変な返事をしてしまった。 声が大きかったのが煩かったらしく、迷惑そうな顔をされてしまう。 「おはよう」 「あ、はい、おはよう...?」 「ごめん、人んちで寝ちゃったよ」 「あ、あぁ、いや...」 人んちであるという自覚はあったらしい。大して反省もしてなさそうだが、一応の形で謝られてしどろもどろな返事をする。...俺、かっこわる。 我が家に居るというのに緊張している俺と比べて、人んちなのに少しも緊張していないどころかリラックスしている様子の目の前の人はコタツの上にいくつか置いてあった蜜柑を一つ手に取った。 女の子に気を取られていて気付かなかったが、コタツの上には蜜柑やお菓子やお茶の入ったペットボトルまで用意されている。俺が寝る前までは無かったはずなのに、とコタツの上を観察していると、 白い手が伸びてきて蜜柑をまた一つ鷲掴みした。二つも食べるのか? と考えたが、それは予想外に俺の目の前に置かれた。 「この蜜柑おいしいよ」 「...へぇ」 「あっテレビつけてもいい?」 「どうぞ」 マイペースすぎるだろ! とは思ってもつっこめない俺は手元にあったチャンネルを手渡した。すると「ありがとう」と言う言葉と一緒に屈託ない笑顔が返ってくる。 それに「あっ、いやっ」と、またしてもしどろもどろでかっこ悪い返事をして俺は反射的に俯いた。 視線の先にあった蜜柑を手にとって、意味もなく手の中で転がす。蜜柑はいやに冷たかった。 「ぽちっ」 思わず体の力が抜けるような掛け声と共にボタンが押されたらしく、すぐにテレビが起動する電子音みたいな音がしたと思うと 何人分もの声がわっと広がり、さっきまで静かだった部屋が急に騒がしくなる。テレビでは何人かの芸能人が食べ物を 食べて、それについてコメントしてるところだった。どうやらグルメ番組のようだ。 俺は手に取ってしまった蜜柑をいつまでも食べないのは不自然な気がしたので、食べる事にした。 オレンジ色の皮を剥きながら横目で右隣を盗み見ると視線はテレビに向けながら口を動かしているのが見えた。口を動かしながら また一房蜜柑を口の中に放り込んでいる。すっかり蜜柑とテレビに夢中らしい横顔をこれ幸いと観察してみる。 同い年ぐらいだろうか? 化粧っ気が無い顔は少し幼い気がした。さっきまで眠そうだった目は今は完全に開いていてテレビを映している。 長く手触りのいい髪は少しくしゃくしゃで乱れているが、きちんと櫛を通すときっと光りを反射するだろう。 蜜柑の皮を剥き、実を一房口に放り込むと言っていたとおり甘酸っぱくてうまかった。 蜜柑を食べる作業を繰り返しながらも視線は身元不明の女の子へと向ける。完全に意識は蜜柑ではなく、女の子の横顔にあった。 俺と違ってテレビしか映していない瞳は時折細められ、口元が僅かに綻ぶ。 その些細な変化を見逃すまいと俺はいつの間にか夢中で眺めていた。 だがそれは突如女の子がこちらを振り向いた事によってやめざるをえなくなった。視線がばっちりと合ってしまってから 慌てて女の子と入れ替わるようにテレビに視線を向けた。心臓がばくばくと激しく運動しているのを感じながらテレビをじっと見つめる。 正直、頭には全然テレビの内容なんか入ってこない。見ている格好だけだ。 「えびとカニだとどっちが好き?」 てっきり眺めていたことを指摘されるのかと構えていたというのに、予想外の問いに一瞬思考が固まった。 テレビから視線を外して隣を見てみれば口をもぐもぐ動かしている女の子がこちらをじっと見ていた。それを見返すことが出来ずに視線は不自然に宙を漂った。 「...えっと、」 「...」 「カニ、かな...」 「ほーう、八左ヱ門くんはカニ派かー。私はえび派だよ」 どうでもいいと言っても過言ではないだろう俺の答えに対しての声は何故か真剣なトーンだ。 中身がすっかり無くなった皮だけの物をゴミ箱に捨てているのを眺めながら、きちんとゴミ箱の位置まで把握している事実に今更ちょっと驚いた。 「日本人はえびが大好きらしいよ」 「あ...えびも好きなんだけどあんま食べられる機会ないから、どっちかってとカニだなって」 「あー、確かにそういうのはあるね」 予想外に力強い頷きで同意を得られた。「なかなか鋭いね、八左ヱ門くんは」何故カニ派か、えび派かの話でここまで 盛り上がっているのか知らないけど感心したような言葉を掛けられ、つい褒められたかのような気分で俺は口がむずむずした。 ついでに一直線に向けられる視線から逃げるようにたいして興味の無いグルメ番組に視線を向ける。 すると自然と隣の視線も俺から離れて行った。 * 「せっかく獲れたてのアワビなのに刺身で食べればいいのに」 ちょうどテレビの画面には獲れたてのアワビが網の上に乗せられたところだった。アワビは熱いと言うようにぐにゃぐにゃとおかしな動きをしている。 今のはそれを見てのコメントらしい。 リラックスしまくって、まるで自分の家でテレビ観賞しているかの様子である女の子に対して俺はそわそわと落ち着かない心地だ。 狭いコタツの中で胡座をかいた膝の部分が当たっているのも原因がある。それにゴミ箱に蜜柑の皮を 放った拍子に髪からシャンプーの匂いがしたのも、その髪が触ったことがないほど柔らかいのも、見慣れた居間に 女の子だけが違和感を放っている。それと共に強烈な存在感も。 そういう様々な原因があって俺は落ち着かないのだが、その原因を作り出している本人の関心はさっきからずっとテレビの 中のえびだのカニだのアワビだの魚介類についてだ。 ...これって不公平じゃないか? 俺ばっかりが気になってるって。 「伊勢海老って食べれる所少ないよね」 不満顔で呟く身元不明の人物を横目に俺は一先ず意識を現実に戻して頷いた。テレビには今度は伊勢海老の刺身が映っていた。 それを前にしてよくグルメ番組に出てる芸能人が嬉しそうな声を上げている。 「何であんなに身が少ないんだろ...?」 そうそう伊勢海老ってうまいかもしれないけど食べれる所が少ねぇんだよな。いや、だからこそおいしく感じるし、 値段も高くなるのかもだけど。 ...っていうか、そんなことより!! 思わず真剣な様子に流されて伊勢海老の身が少ないことについて考えてしまったが、俺は今知りたいのは“何で伊勢海老の身は少ないのか?” なんてことじゃなく、“隣の女の子はどこの誰なんだ?”ってことだ。 だけどその事を直接質問するのは躊躇してしまう。(誰?って今更な気がするし、何故かこの家に溶け込んでる感じなのが余計に質問しづらい空気を作ってる。) 横目に隣の様子を盗み見ると相変わらずテレビに夢中な様子だ。 当たってる膝がやけに熱く感じるが、動けばそれはすぐに隣の人物に伝わることが予想できて動けない。 どうにも先ほどから不自然な動きをする心臓を抱えて、落ち着かない心地で俺は口に蜜柑を捻じ込んだ。
(planet fell down)
(20120602) |