迷子がいい





「立つ瀬がない...」
「なにが」

うだうだと何を言うわけでもないけど陰気な空気を放って背後で寝転がる私を完全に気にしていないと思っていたものの 意外にも佳主馬くんは気にしてくれていたらしい。 気にしてくれていたというよりも、気になってしまったとか、もっと言えば邪魔、というのが正解かもしれないけど...。 黙っていても嫌な空気を背中に感じていたことだろう。
ごろんと寝返りを打つと佳主馬くんの丸まった背中が視界に映った。
居間の方からは話し声が聞こえて、時々どっと弾けるような笑い声が聞こえる。それがますますここを切り離された 空間だと言われているように感じる。ここはひたすら佳主馬くんがキーボードを打つ音と正体不明の虫の声だけが響いている。

「で?」
「...で?」

タン! と軽やかにキーを押したと思うと突然話しかけられ、私は床に寝そべったまま目をぱちぱちさせた。
何が「で?」なのか見当もつかずにいると、麦茶を飲んでいた佳主馬くんが眉をひそめてこちらを振り返った。 青白い光りに照らされているはずなのに健康的な褐色の肌をしているために、この光景に少し違和感を覚える。
佳主馬くんとパソコンってパッと見、イコールで結び付けにくい。

「さっきの話」

少し苛立った様子なのが伝わってきたが、私は特に焦りもせずに「あぁ」とだけ返しながら驚いていた。まさか、 あんな呟きを佳主馬くんが拾い上げてくれるとは思っていなかった。いつもみたいに流されるのだと思っていたのに、 意外な優しさに私が目を見張ると、佳主馬くんはむっつりとふてくされたような表情で組んだ足の上に腕を立て、 その上に顎を置いた。とてもふてぶてしい態度だ。まぁ、私も人のことを言えないけど。寝そべって肘を床につけ、 腕を立てた上に頭を乗せている。休日のテレビの前のお父さんスタイルだ。
どちらがふてぶてしいかと言えば、きっと私になるだろう。話を聞いてもらう側なのだし。だけど姿勢を正す 気にはなれなかった。体に力が入らない倦怠感が体を周っている。それが身体的な原因ではなく、気持ちの方でのものだとは理解している。 そのままの体勢で白すぎる光りを放つパソコン画面に視線をやってそこに映った“WIN!”の文字を確認してからゆっくり息を吐いた。 この部屋の中には私が発する鬱陶しい暗い空気が充満しているだろう。ここの主と言っても過言では佳主馬くんに 迷惑をかけてしまっている。あぁ、なんて私は最悪なやつなんだ。落ち込んだ気分は浮上することもなく、もっともっとと 底を目指して落ち始める。

「...申し訳ねぇ、佳主馬くん」
「なにが」
「鬱陶しい空気を撒き散らして」

本当に申し訳ないと思って謝ったというのに、佳主馬くんは半信半疑な表情を浮かべるだけだった。
休日のお父さんスタイルのままだったのが仇となったらしい。私の誠意が一ミリも伝わなかったようだ。

「そう思うなら、理由を話して」

いいよ。とは言わないけどだからと言って放っておくわけでもない。私の話を聞いてくれると言う佳主馬くんの優しさに 触れて私はささくれだった心を撫でられた気分になった。うっかり気を抜くとこの年下の従兄弟にみっともなく甘えてしまいそうだ。 今でも情けない状態なのにこれ以上情けない姿を見せるのは遠慮したい。

「佳主馬くんはやさしいなぁ...」
「そういうのいいから」

素っ気無い返答だが、それが本当は照れているのだと見抜くことが出来る私はこっそり笑ってしまった。
随分気持ちが楽になったのを感じていると無言で話すよう急かされる。




私と従姉妹の関係にある夏希ちゃんは同じ年齢に同じ性別だ。
小さい頃は何の駆け引きも無くそれを純粋に喜んだものだが、成長するにつれて純粋な感情の上に新たな感情が上書きされた。 夏希ちゃんはかわいくて、性格だって社交的。何でも通っていた高校ではマドンナ的位置にいたらしい。 今現在通っている大学でも他とは一線を画した新入生として知られているのだろうと簡単に想像がつく。
同い年に同じ性別。嫌でも比べられる位置にいるのに、比べられる相手がそんなハイスペックでは平平凡凡の代表 みたいな私は太刀打ちなど出来るわけが無いのだ。まず土俵にすら上がることが出来ない。
劣等感。
それが今現在私が夏希ちゃんについて感じる感情だった。
これでも少し前までは夏希ちゃんと自分は違うのだと諦めていたというのに汚い感情が吹き出る原因になったのは 去年夏希ちゃんが健司くんを連れて来てからだ。

そんな夏希ちゃんは今、偽婚約者の位置からこのままいけば本当の婚約者の位置に上りそうな健二くんと他の皆と食後のおしゃべりに花を咲かせている。 当たり前だけど、こんな自分が好きなわけが無い。出来ることなら純粋に夏希ちゃんと会えることを楽しみにしていた 過去の自分に戻りたい。夏希ちゃんと一緒に花札をしたり、くだらない話をして笑いあったり、炎天下の中を走り回ったり、 花火をしたり。そういうことをしたいと思っているのに、私は今現在、佳主馬くんの城である納戸に転がり込んで文字通り床に転がっている。 その上に年下の佳主馬くんに気を使われる始末だ。私ってほんと最悪だな。またしても頭のベクトルが負の連鎖を 紡ぎだしそうになったところで佳主馬くんの声で現実に戻った。

「ねぇ」

私は返事になってない、うん。を繰り返した。
夏希ちゃんに彼氏が出来るなんて思ってもみなかった。もてるだろうにあまり興味が無さそうな夏希ちゃんに私は 安心していた。出来ることなら夏希ちゃんが侘介おじさんをいつまでも想っていてくれればいいと私は思っていたのだ。 だけどその私の浅ましい願いは去年打ち砕かれた。夏希ちゃんが婚約者を連れて来たのだ。鳩尾を突かれたような衝撃だった。 だが、彼氏と言うにはぎこちない態度の健二くんに私はすぐに疑問を浮かべた。
その疑問を夏希ちゃんにぶつけてみればあっさりと“偽彼氏”であることを認めたので暗い気持ちが一瞬で吹き飛んだ。 「秘密にして!」と頼み込まれ、何故こんなことをしたのかの理由も聞けば頷かないわけにはいかない。
私は晴れやかな気分でこの計画の共犯者になったのだ。
それなのに、事態は急展開を見せ、夏希ちゃんは健二くんを本当に好きになってしまったらしい。
皆が囃したて、初々しい二人をからかっているのを私は遠い所から眺めていた。
とうとう夏希ちゃんは私の知らないところに行ってしまった。そんな気がした。
少しずつ歯車が噛み合わないように私は夏希ちゃんに置いていかれてしまったのだ。それが羨ましくて寂しい。
何が違うのだろう、とは思わない。
何がいけないのだろう、と思う。

三月ほど前、私はある男の子に好きだと、付き合って欲しいと告白された。同じ大学の同級生、ニ、三度話したことがある人だった。 まさか私に好意をもっていたなんて思いもしなかったので驚いた。それと同時に嬉しかった。
少し悩んだが、すぐに頷いて答えた。嬉しそうな表情を浮かべる男の子を見つめながら私は男の子と付き合う自分が うまく想像できずに居たが、そのうち分かっていくものだと思った。
付き合って二月が過ぎ、夏休みを前にした時に私はこの家に彼氏を連れて行き、皆に紹介できるだろうか? と考えた。 試験勉強の片手間に浮かんだ疑問に私はすぐに結論を出した。
結果、私はこうやってここに寝転んでいる。
夏希ちゃんが彼氏を連れてやって来たのに対して私はいつも通りで、別段おもしろい話も持っていなかった。 おしゃべりに提供出来る話題が無い私は肩身が狭くて、この納戸に飛び込んだ。佳主馬くんがあからさまな拒否を 示さないことを知っていたからだ。少し迷惑そうな視線を投げられることを予想していたのに、佳主馬くんはちらり と一度こちらを見ただけで何も言わなかった。その反応に私は調子付いてここに横になったのだ。
ふっと意識が現実に戻ると、佳主馬くんが辛抱強く私の方をじっと見ていた。突き刺さる真剣な視線に私はそっと目を逸らしながら口を開いた。

「...や、夏希ちゃんは健二くんを連れて来てるのに私は未だに誰も連れてきてないでしょ」

それだけが問題ではないが、佳主馬くんにはそう言った。本当はたくさんを夏希ちゃんと比べて落ち込んでいるのだけど。 紹介できる彼氏が居ないというのはその中の些細な一つだ。
渋った割にはあっさりと口を開いた私に佳主馬くんはちょっとだけ意外そうな顔をした。それとも、思ってもいなかった 話だったからかもしれない。

「なんか落ち込む、じゃないな、なんていうんだろ...まぁそんな感じ」

全ての胸のうちを吐露するには私の語彙は貧困だったし、自分のことなのに全てが分かっているわけじゃなかった。 劣等感を感じているだけじゃない。自分よりも先を歩く夏樹ちゃんが羨ましい、だけど寂しい。少しずつ日常が変わっていく ことへのどうしようもない不安や悲しみ、置いていかれるという焦燥感。色々な感情が複雑に胸のうちで絡み合っている。
それになによりも佳主馬くんに話すような話ではない。自分でもこんな自分に辟易してるのに、それが他人とも なれば辟易どころの話ではないだろう。
佳主馬くんから見た今の私はきっと彼氏を持つ従姉妹を羨み、拗ねているどうしようもない奴だろう。 お腹の中に溜まっている色々な感情の全てを知られるよりもそう思ってもらった方がいい。
佳主馬くんがなにも言わないので、聞こえるのは虫の鳴き声と居間から聞こえる話し声、時折パソコンがカタカタと たてる音だけだった。そろそろ退散するときだろう、と体を起こす。

「焦って変なのに引っかからないでよ」

不意打ちの返答に私は吃驚して佳主馬くんを見た。片膝を立てた格好で、表情は長い前髪のせいで見えない。
きっとすごく考えて選ばれた言葉だろうことが予想出来て自然に口元が緩んだ。

「うん」

勢いをつけて立ち上がりながら答えたものだから声が変に力んだ。

「そろそろ帰るよ。ありがと」

こっちを佳主馬くんが見ているのを感じながら凝った肩を解そうと肩を回す。
落ち込んでいた気分が佳主馬くんと一緒にいたことで少し軽くなった気がする。気がするじゃなく実際軽くなった。 思わぬ佳主馬くんの優しさや気遣いに触れたからだと思う。ここに来た時より軽い足取りで私は廊下へと足を踏み出した。

「待ってて」







(20120826)