「明日、いつもの時間」 もくもくとご飯を咀嚼していると耳元で声が聞こえ、驚いて振り返ると肩のところに笹山くんの顔があってまた驚いた。 ぐっ、と喉が変な動きをした所為で危うく米粒が本来通るべき所とは違う所に流れそうになってしまった。 慌ててそれを阻止しようと咄嗟に喉の動きを止めている間にこちらを一切見ないまま笹山くんが言葉を続けた。 「外出届はもう出してあるから」 一方的に約束を取り付けて、私が危うく鼻からご飯を噴出す事態に陥ろうとしていたのにお構い無しに笹山くんは食堂 から出て行った。 . . 「この様子じゃ日が落ちるまで待たされるかと思ったよ」 嫌味っぽい、というよりもこれはもう完全に嫌味だ。約束の時間に少し遅れた私も悪いのだけど、これでも授業の後に大急ぎ で用意をしてここに駆けつけたのだ。その証拠にみっともなく私は息を乱している。それに比べて笹山くんは涼しい顔だ。 「...ごめん」 呟いた声は思ったよりも擦れて聞き苦しいものだった。息を整えようと胸に手を当てながら、私は走って 来た所為で髪がおかしなことになっていないか、顔が赤くなっていないか、そればかりが気になってしまう。 それと同時に笹山くんが待たされたことによって不機嫌になっていないかも気になる。 髪を手で弄ってからおずおずと俯いていた顔を上げると、笹山くんの鋭い目が私の顔に注がれていることがわかった。 気付かれただろうか...。 緊張で唇に力が入った。間違いなく笹山くんの視線は私の目よりも下に向けられているのを確信して、抑えられない期待が込み上げてきた時、 不意に笹山くんは興味を失ったみたいに私に背を向けた。 「...そろそろ行かないと誰かの所為で夜になるんだけど」 そう言って何事も無かったようにさっさと歩いて行ってしまう。 私は自惚れたことが恥ずかしくて、さっきとは違う意味で顔が赤くなるのを感じた。 この間の休みに気に入って買ったはずの、いつも使っているのより少しだけ背伸びをして色の濃い紅を塗った唇を手の甲で今すぐ擦りたかった。だけどきれいに拭える自信 は無かったのでそれは思いとどまる。町でそんなひどい顔をさらすわけにもいかないし、何よりそんな顔を笹山くんに見られたくは無かった。 それにこういうことは初めてじゃない、だからしょうがない。そう自分に言い聞かせつつも“だけど”“でも”と思ってしまうのはいつもよりも思い切ったからだろう。 こちらを気にした様子も無い、前を行く背中を見てからほんの少し前に浮かれて紅を差した自分が惨めでしょうがなかった。 出発早々へし折られた心を抱え、道中会話らしい会話をかわすことも無く町へと到着した。 笹山くんは迷う事無く慣れた様子でするすると人の間を縫って目的地を目指している。私はその後を追いかけながら、 この光景を見るのは何度目だろう。と、過去に思いを馳せた。 初めて笹山くんに声を掛けられた時のことはよく覚えている。 初めて化粧道具を買いに、友達と連れたって町に行った時のことだ。 授業で使用するという名目を得て、今までは気恥ずかしくて自分にはまだ早いと思っていた店に足を踏み入れた。 友人は早々と色とりどりの中から気に入った自分の色を探し出したが、私は中々自分の色を選べなかった。 どの色が自分には合うのか、淡い色か、濃い色か、それさえも見当が付かない。 何人かの友人に尋ねてみたりもし たが、みんなばらばらな答えを言うのでますますどれを選べばいいのか分からなくなった。 そんな私に友人達は痺れを切らし、他の店へ行っていると言って一足先に店を出た。私は途方に暮れそうになりながら 目に付いた淡い桜色の紅と、濃い赤色の紅を手に取った。両極端のそれを両手にそれぞれ握って、じっと目を凝らしていた。 どちらがいいのか、どちらが私には合うのか、答えの見えない問題を前に私は半ばやけくそで二つとも購入しようと 思いつき、代金を払おうと踵を返そうとした。だがその時、視界に突如何かが現れて、私はその場で肩を跳ねさせながら動きを止めた。 目を丸くしながらそれが何であるのか見てみれば手だと分かった。顔のすぐ横、背後から誰かの腕が伸ばされているのだ。 「こっちの方がいいんじゃない」 何事か分からずにただただつっ立っていると、頭の後ろで声が聞こえた。その言葉の意味を理解するよりも先に 目の前に何かを握った手がやって来て、私は反射的に両手を掲げた。するとその上にぽとんと、三つ目の紅が落とされた。 反射的にその手の主を確かめようと首を捻れば、背後に居たのは笹山くんだった。 知り合いであったことに驚き、その知り合いがたいした面識も無い相手であったことにまた驚いた。 手の中に転がる三つの紅を眺めながら今起こった出来事を整理した。そして私が今言うべきことを導き出す。 「あ、ありがとう...」 ようやく衝撃から立ち直ってそれだけを言うと笹山くんは「べつに」とだけ呟いて暖簾をくぐって店の外へと出て行った。 私はしばらく笹山くんの背中が消えた暖簾を見つめてから、手に持っていた二つの紅を元の場所に戻してから会計を済ませた。 笹山くんが選んでくれた紅は私に合っていたことは友人達の反応を見ればわかった。 そっけない態度なのにわざわざ私に合う紅を見繕ってくれた。表面だけを見ていれば笹山くんを苦手に思ったかもしれない。 けれど表面じゃない、内側の笹山くんを私はあの日見てしまった。 それからは気が付けば私は自分が笹山くんを目で追ってしまっていることに気付いた。 そう気付いてからは何となく笹山くんとの共通の話題に出来ると思われる化粧道具を集めるようになった。 あの日、笹山くんが何故あの店に居たのか気になった私は後に友人達にそれとなく尋ねてみた。すると「作法委員 だからじゃない?」という回答を得られた。作法委員会は首化粧の練習などで必要な物を揃える為に度々あの店で目撃されるらしい。 最初の動機は少し不純なものだったけれど、私は化粧道具を集めるのが趣味になっていた。この色は誰に似合いそうだとか、 この色とあの着物を会わせたら素敵だとかそんなことを考えるのが楽しくなっていた。 決して高くは無い買い物なのでたくさん購入することはできないけど、何を買うかじっくりと吟味して気に入ったもの ばかりを集めた。じっくり吟味して、お気に入りを決めるために私は何度も店へと足を運んだ。そんな時、作法委員会と会うことは時々あった。 笹山くんと偶然店で会ったのは一度や二度じゃない。だから自然と化粧道具を中心にした会話をするようになっていた。 化粧道具を初めて買いに来た時、笹山くんは私の何倍も化粧について詳しかったのに、いつのまにか私は時々笹山くんに意見を求められるほどに詳しくなっていた。 「来週も来るの?」 会話が途切れると、後は各々好きなように時間を過ごすのが常だった。だからその日もそうなのだと思って 私は今週新しく入荷したという髪紐を見ていた。それなのに背後から話しかけられ、私は驚いて手に持っていた金色の髪紐を 商品の上に落としてしまった。 「あ...うん、多分」 本当は前々から欲しいと思っていた筆を買うためのお金が溜まったところで、今日はそれを購入しに来ていた。 そしたら当分は財布の中も寂しいことになるので、またこつこつお金を貯めるしかなく、来週はここに来る予定は無い。 だけど、落としてしまった金色の髪紐に手を伸ばしながら私は咄嗟にそう返事をしていた。 「じゃあ来週、門のところに集合だから」 「...え?」 思考と一緒に手の動きも止まった私の指の先にあった金色の髪紐が背後から伸びた手が攫っていた。 その手の動きを目で追えば笹山くんが両手で弄りながらそれを眺めていた。私も一緒になって眺める。 「え、じゃないし。返事は?」 「...え、けど」 どうしてそうなるのか分からずに戸惑っていると、笹山くんはあからさまに苛立った様子で舌打ちをした。 それから急にこちらを見る。笹山くんの目が一直線に私に向けられて一瞬胸がざわついた。 苛立ってる様子なのに、目に浮かぶ感情はそれを感じさせない。それが何て感情なのか名前は分からないけれど、 笹山くんは時々こういう目をする。 「三、二、一、はい、時間切れー」 「...えぇ?!」 ぼんやりしていると、笹山くんは髪紐を持ってないほうの手で指を三本立て、あっというまに折って拳を握ってしまった。 私の声なんておかまいなしに笹山くんは金色の髪紐を私に投げて来た。緩い放物線を描いたそれを受け取った時には笹山くんはこちらに背を向けていた。 「遅刻したらあんみつ奢ってもらうから」 . 初めて待ち合わせをしてからもう何度か私は笹山くんと作法委員会の買出しに付き合っている。 最初は何で二人で町に行くのか分からずにいた私は笹山くんに尋ねてみた。「あの、今日は何をしに行くの?」 と、すると笹山くんは「はぁ? 作法委員の買出しに決まってるでしょ」と、まるで何て愚かな質問をするのだろう と言いたげな様子で答えられたが、私はそれに対して何も言うことが出来なった。少なからず何かを期待していた身としては 縮こまって、精々少しでも気配を消すくらいしか出来なかった。 「...何、まさか何か勘違いしてたわけ?」 追い討ちを掛けてくる声と共に笹山くんがこちらを向いた足が視界に映った。 「ちっ、ちが!」 慌てて否定しながらもカッと顔が火を噴きそうなほど熱を持ったのを感じた。そんな顔を見られたくなくて俯けば、笹山くんの足が見える。 しばらく息が出来ないほど気詰まりな沈黙が流れた。 「...僕今日は作りかけのカラクリ完成させないといけないから忙しいんだよね。誰かと違って」 「あ、そ、そうなんだ...」 突然の話題変更に戸惑いながらも相槌を返すと砂を踏みしめる音が聞こえたので、ようやく私も歩き出した。 本当は聞きたいことはまだあった。だけど私は未だにそれらを口にすることが出来ずにいる。 . . 笹山くんはいつも一方的に約束を取り付けるくせに、遅刻することを許さない。“遅れたらあんみつを奢る”という 一方的な罰則はまだ生きているらしい。 今日は奢らされるかもしれない。そう思いながら財布の中にある分から買おうと予定している筆の分の金額を引いてみると 足りないことに気付いた。今日は買おうと思ってたけど無理か...。肩を落としてため息をついてから、しょうがないと 慰めにもならない、諦めの言葉を呟いて顔を上げる。だがそこにさっきまで見えていった姿は無くなっていた。 たくさん人が溢れているが、笹山くんの姿が無い。 「はぐれた...」 出発早々下降していた気分がますます落ちていく。笹山くんのことだ、私がはぐれたと知ったら呆れるか怒るか...その両方か。 後ろを振り返らない笹山くんにも少し問題があると思うのだけど、そんな口答えをすれば冷ややかな視線と共にねちねちと 罵倒が飛んでくるのが分かっているので出来るわけがない。 まぁ、けれど笹山くんと一緒に行く店と言えば心当たりがあるので慌てることも無い。 はぐれたついでと言うのも変だけれど...どこかで唇に引いている紅を拭おうかと考える。 せっかくはりきって塗ってきたけれど、見て欲しい人に見てみぬ振りをされたんじゃ意味が無い。 笹山くんと待ち合わせて初めて町に行ったあの日から、私は空回りしっぱなしな気がする。 「あれ、」 耳に飛び込んできた自分の苗字に、その声の方を見てみれば見慣れた姿を見つけた。 「あ、黒門くん」 笹山くんと同じ作法委員会と言うことで何度か話したことがある黒門くんだった。ときどき委員会の買出しを手伝っている ことについて「いつも悪いな」と言われる。その度に私は律儀な人だなぁ、と思うのだ。最初は強制的だったけど、 私だって化粧道具を選ぶのは好きだし、もう一つ大きな動機があって手伝ってるので謝ってくれる必要は無い。そして それを伝えたというのに(もちろん、もう一つの大きな動機については伏せて)黒門くんは変わらずに「悪いな」と口にする。 「一人か?」 「あ、うん。はぐれちゃって...」 こちらに走り寄ってきた黒門くんがきょろきょろしているから何かと思えば...。私は苦笑いを浮かべながら答えた。 「兵太夫の奴、なにやってるんだ」 そう言って呆れたという様子で腕を組んだ黒門くんに「私もぼーっとしてたから」と、へらっと笑いながら言えば黒門くんは 眉根を寄せた。何か気に入らなかったらしいことはその表情からも察することができるので、私は早々に話題を変えることにした。 「黒門くんは?」 「あぁ、僕は佐吉と一緒に来たんだが、お互いに目的が違うから自由行動なんだ」 「そうなんだ」 あれ? じゃあ今日は町にくる予定があったなら何で黒門くんと一緒に笹山くんは来なかったのだろう? 何気なく聞き流してしまいそうになった会話にふとひっかかりを覚え、それを尋ねようと黒門くんを見れば、こちらを 見ていた彼と目が合ってしまった。こちらを見ているとは思わなかったので少し驚くも、黒門くんはそれを気にした様子 もなく、こちらに一歩足を進めてきた。何でこんなに凝視されているのか分からずに逃げ腰になる。 「今日はいつもと違うんだな」 「え?」 咄嗟に何を言われているか理解できずに訪ね返すと黒門くんは自分の唇を指差した。そこで今日は違う色の紅を付けていたことを思い出した。 黒門くんと会った衝撃ですっかり忘れてしまっていた。少しバツが悪く感じるのは今日町に出てくる前のことを思い出したからだ。 「あ、うん。ちょっと濃い色にしてみたんだ」 「へぇ、似合ってるよ」 「そ、そうかな...」 多分私にはこの色は大人っぽくて似合わなかったのだろう。私は笹山くんの反応の理由がそれだと思っていたので、 黒門くんの言葉は意外だった。だけど例え黒門くんが律儀な性格をしているから少しの変化に気づいて褒めてくれたのだとしても 嬉しくないわけが無かった。気に入って買った紅をつけて、似合わないと言われるよりは似合うと言って欲しいに決まっている。 だが、気を使ってくれたのが分かっているのにまっすぐな褒め言葉に照れくささを感じてしまう。それを笑って誤魔化した。 「ちょっと雰囲気が変わっていいと思う」 「そ、そっか、ありがと...」 今日それを言って欲しかった相手は違えど、現金にも私は嬉しかった。出発早々へし折られたものが少しだけ回復する。 お世辞だと、社交辞令だと分かってはいるけどやっぱり嬉しいものは嬉しい。 ははは、と照れ隠しの笑いを浮かべながら後頭部に手をやろうとし、その手を突然何かに掴まれたかと思うと後ろに引っ張られた。 反射的に身をすくめ、何か起きているのか背後を見ようとする途中、目に映った黒門くんが驚いているのが見えて嫌な予感を覚えた。 何か悪いことが起きているのだと頭が結論を導き出すと視界に笹山くんの顔が映った。 何だ、笹山くんか...。もっと悪いことが起きているのだと思っていたのに見知った顔だったことにホッとしそうになったが、 笹山くんの鋭い視線がこちらに向けられて、全然ホッと出来るような状態でないことに気づいた。 底冷えするような冷たい目に見下ろされると心臓が萎縮した。 そのまま掴まれた腕を引っ張られれば足を動かすしかなく、私は唖然としている黒門くんに助けての意味を込めて視線を 送った。それが伝わったのか、律儀な黒門くんは「兵太夫!」と声を掛けてくれたが笹山くんはその声には 答えずにますます私の腕を強く掴んでどこかに歩いて行った。そうなれば引きずられるわけにもいかず、私も足を動かす 以外に選択肢は無い。 ずるずる笹山くんに引きずられながら連れて行かれた先は人気の無い町外れだった。今立っているあぜ道の周りは 草が生い茂っている。ここに連れてきた張本人である笹山くんはこの場所にやってくると唐突に私の手を離し、少し距離を取って 立っている。その視線の先に私はおらず、私からは横顔しか見えない。どうみてもおかしな様子に私の対応も少し慎重なものになる。 「さ、笹山くん...?」 恐る恐る呼びかけてみるも、フンッと鼻を鳴らされて顔を背けられた。相当怒ってる...これは...。 はぐれたというのに暢気に黒門くんと話をしていたのがいけなかったのだろう。自分ははぐれた相手を探していたのなら 尚更私の行動は気分のいいものじゃないだろう。 「ごめんね、はぐれちゃって...その、気付いた時には笹山くんは居なくて...」 「...」 無言。 ますます焦るのを感じながら、私はどうすれば笹山くんが普段の様子に戻ってくれるのか考えた。 「探したんだけど見つけられなくて...」 「...」 「...えーと、」 「...」 「...そういえば黒門くんも町に来てたんだね」 「は?」 本当は笹山くんを探すことなんてしなかったけれど、少しでもこの場を早く納めたくて言ったことには反応を得られなかった のに、黒門くんの話題になるとようやく笹山くんが反応してくれた。パッとこちらを見た笹山くんの眉間には少し皺 が寄っていたけれど、この話題にしか反応してくれないのならこれにかけるしかないと考えた私は少ない黒門くん 情報を話すことにした。 「黒門くんは任暁くんと来てたらしいよ。何を買いに来たのかまでは知らないんだけど二人とも町に用事があるんだって」 「...は? 何でここで伝七の話とかしだすの、意味わかんない」 何で黒門くんの話をしだしたのかと言えば、唯一笹山くんが反応してくれたからなんだけども...剣呑な雰囲気を 纏う笹山くんにそれを言うのは本能がダメだと判断した。先ほどよりも不機嫌なのが表情から窺い知れる。 もしかしたら私は選択を間違えたのかもしれない...。そう考えた私に肯定を返すように笹山くんが口を開いた。 「伝七に似合ってるって言われてそんなに嬉しかったんだ?」 笹山くんの目が、表情が、歪み、嘲笑を浮かべる。私はさっきのやり取りを笹山くんに見られていたのだと知って血が顔に上ってくる のを感じた。きっと私の顔はみっともなく赤くなってる。笹山くんはそんな私をせせら笑うように「ハッ」と声を上げた。 顔がますます熱くなる。 「顔とか真っ赤にしてホント見てて滑稽だったんだけど。伝七は本気で言ってるわけじゃなくてお世辞で言ってる のにさあ...ほんと笑える」 明確な悪意を感じる物言いに、だけど私は何も反論できなかった。その光景を見られていたことにまず動揺したし、 笹山くんに馬鹿にされているのだと感じて心が痛かった。冷たさを感じさせる笹山くんの声と言葉は棘に覆われていて 容赦なく私を攻撃してくる。笹山くんに見てもらいたくてこの紅を塗ってきたことさえも見透かされ、それなのに黒門くんに 褒められて喜んだ事を責められているような気分になってくる。これは私の被害妄想と願望の入り混じった考えでしかないのだろうけど...。 黙り込んで何も言えずにいると笹山くんも黙り気まずい沈黙が流れる。俯き、居心地の悪さに耐えながら、じっと自分の足元に転がっている石を眺める。 羞恥とまるで不実を犯したかのようなバツの悪さに私の頭は動きを止めたようだった。 「...なんだよ、ムカつく」 やがて、ぽつんと沈黙に落とされた言葉が予想に反して弱弱しく響いたので私は思わず顔を上げた。 ジャリジャリ...砂を踏みしめる音と共に笹山くんがこちらに向かって歩いてくる。さっきまで纏っていたはずの剣呑な 雰囲気は消え、顔は傷ついているかのように歪んでいた。口元は真一文字に結ばれ、眉根は寄り、一見すれば 怒っているかのように見える。なのに目に浮かぶ感情が悲しげで、何だか苦しそうだった。 どうして笹山くんがそんな顔をしているのか。私はうろたえながらも初めて見る笹山くんの表情に小さな衝撃を受けた。 目の前にやって来た笹山くんが足を止めれば砂利の音も止んだ。少し上の位置にある笹山くんの顔を見上げながら私は息を呑んだ。 「ムカつく」 言葉とは裏腹に声と表情は弱弱しい。初めて見るそんな笹山くんの表情に私はこの流れを全て理解できているわけでもないのに 咄嗟に謝罪を口にしようとした。だがそれは強い視線で制された。 表情と声とは違い、目は強い光りを灯していて、熱を孕んだようで、なのに不安げにゆらゆらと揺れている。 一直線に注がれる視線に応えるように胸の鼓動が強く、早くなるのを感じる。 「...お前は僕のことが好きなんじゃないの」 苦しそうにどこか責める様な口調で紡がれた言葉はすぐには理解できず、一拍置いて心臓が大きく跳ねた。 じわじわと顔に熱が上るのがわかる。 何で、いつからばれてたの?! 何でこんな話になったの?! 頭の中はたくさんの疑問で埋まった。笹山くんをまともに見返すことが出来ずに私は熱い顔を隠そうと俯いた。 こんな反応をすれば口で答えなくても答えは知られてしまう。だからどうしても隠したいのに、笹山くんはそれを許してくれなかった。 骨ばった手が私の顎に添えられて強引に顔を上げさせられる。 「なに余所見なんかしてるんだよ」 意地悪に唇がつり上がり、目を細めた笹山くんはさっきとは別人のように笑みを浮かべていた。 だけど変わらずに目だけはいつもの色を浮かべている。その正体がなんなのか、私はこのときになってようやく少しだけ掴めた気がした。 (僕だけをその双眸に)
(20121208) |