#革命当日 田村の奴は悠長に現国の教科書を読んでいる。 先生に当てられたから当たり前なんだけど...私が朝から心労のあまり手の平をじっとり濡らしているというのに、 悠長にそんなもの読んでいる場合か! って気になってくる。 朝は催促してくる様子が無かったから、昼休憩に言ってくるつもりなんだろう。けど、それまで心臓が持ちそうに無い。 なんか田村に渡すのだと思うと、そんな必要ないのに緊張で息が出来ないのだ。 . . . だけど田村は昼休憩にも何も言ってこなかった。 何だあいつ、忘れてんの? それか私から渡しに行くとでも?! 残念でしたー! 私からは絶対に言いませーん! ざまあみろ! 「...はぁ」 無理やり頭の中でテンションを上げたものの、実際には一ミリもテンションが上がらない。疲れによるため息が出る始末だ。 そして、まばたきをした一瞬に瞼に映ったのは、昼休憩に女の子に呼び出されていた田村の姿だ。 何で田村はわざわざ私にチョコを持って来いだなんて言ったのだろう。別に私に命令しなくてもチョコをもらえるのはわかってただろうに。 田村は喋ったら小うるさかったり、自画自賛してきて鬱陶しいところがあるけど顔はいい。だから実はモテる。あんなのでも。 例のお経のように教科書を読んで、私たちに催眠術をかけようとする先生の授業なのに今日は少しも眠くない。 ちらりと移動させた視線の先には、田村が馬鹿真面目に教科書に記されている文字を目で追っていた。 寝てる人が大半の中で、そんなことをしてるのは田村だけだ。 それから思うのは、机の横に掛かってる鞄の中身のことだ。それについて考えると、何だかぐったりしてしまう。 田村が忘れてるならそれでいい。絶対においしいのに、もったいないなーとは思うけど。 だって、別に田村にはチョコをくれる人が居るのだから。 もう早くこんな日なんて終わってしまえばいいのに、そしたらこの胸のもやもやしたものも消える。 「日本国憲法三大要素とは......」 それこの間の授業でも習ったし!! . . . ホームルームが終わったことだし、帰ろうと準備をするために机の横に掛かっている鞄を持ち上げた。 いつもより少し重いように感じる鞄から無理やり意識を外し、なんでもない風を装って肩に掛けて立ち上がると、自然とため息が零れた。 「どこに行くんだ」 足を踏み出したところで突然グッと後ろに鞄が引っ張られて、足を一歩後退させながら振り返れば不機嫌そうな表情を浮かべた田村がいた。 心臓が大きく跳ねる。だけどそれは無視して、いつもの感じで答える。 「帰るんだけど...」 「はあ?!」 一際大きな声を上げた田村に、出口に向かってきていたクラスメイト達がみんな注目する。 「忘れたのか? 約束は今日だろ」 周りの視線を気にしたらしく声を潜めるように話しかけてきた田村に、私はムッとしながら答えた。 私が忘れるわけない。今まで忘れていたのは田村の方じゃないか! 「ちゃんと用意してきてるし!」 「じゃあ」 何が“じゃあ”なのか不明だけど、田村は私の手を掴んで無理やり教室の中に引っ張り込んできた。周りからの視線は 別に好奇の含まれたものではなく、またか、とでも言いたげなものだった。私と田村が口論するのはしょっちゅうなので、 気にもならないらしい。いつもの口論とは違うんだけど、周りから見ればその差が分からないようだ。 連れて来られたのは私の席だった。そしてやっぱり当然のように田村は鈴木くんの席に腰を下ろした。 友達の「何してるの」という視線には気づかないふりをして「また明日」なんてことを言いながら、教室に誰も居なくなったのを見計らって、私は朝入れてきたものを 取り出すために鞄に手を突っ込んだ。結構な大きさのそれは、すぐに見つけられる。 ちらっと田村の様子を見てみると、こちらをじっと見ていた。 すると急に心臓が鼓動を打つのが早くなり、その音が大きさを増した。田村の視線を感じると、顔が熱を上げていく ような気がした。いつも田村と二人で話していてもこんな状態にはならなかったのに...これじゃまるで...... 「はい!」 思考が可笑しな方向に行き始めたのを止めるために、私は手に持っていたものを一気に鞄から取り出し、田村に突き出した。 「...なんだこれ」 田村の方を見れなくて、私の視線はあらぬ方向である廊下を向いていた。だが、田村の言葉が聞き捨てならなくて、 首を捻って田村を見た。 「なんだこれって、田村が用意しろって言ったもんですよ!」 元々の言いだしたのは田村のくせに、わからないってのか!! 頭に一瞬で血が上ったのは、今日一日どころか何日も費やしてこれを用意したというのにその原因を作った田村がわからないのか! と思ったからだ。 だが、田村はいつものように私の言葉に喧嘩腰で挑んでくるわけでもなく、冷静に言葉を返してきた。 「違う。僕が言ってるのは入れ物のことだ」 「え」 「なんでタッパーなんだ。.....こういう時は普通、...そういう入れ物にいれるものだろ」 ぶつぶつ呟きながら田村は私が突き出したタッパーに入っているガトーショコラを受け取った。 田村の言葉に頭の中には昨日の夜の葛藤が浮かんだ。 <<<昨日の夜の葛藤(ダイジェスト版) (あらすじ:包装を買いに行くことを一度は考えた私だったが、別にそういう意味で渡すわけじゃないことに気付いた。) 別に田村が好きだから作ってるわけじゃないし。別に田村のために作ったわけじゃないし...えーと.......... そう! 私が実はお菓子作りがうまいことをしらしめてやろうと思ったのだ! 別に田村のことなんか好きじゃないし、ちゃらちゃらしたハートだのLOVEだのと粉砂糖では書かないし、 包装紙にもこだわったりしない。別に田村のことが好きじゃないからそんなものにこだわる必要だって無いのだ! なんで田村のためにかわいい包装紙とか用意しないといけないんだ! 私は田村のことが好きでもないのに!! こんなもん......こんなもん別にタッパーでいい! 田村のこと好きじゃないから!!!! そんなこんなで私は、別に恋だの愛だのを目的として渡すわけじゃなく、約束を守るためにチョコを用意したので、 桃色な感じを匂わせる包装はしないことにした。 「男らしくタッパーに詰めていってやる!」 決意を声に出しながら、私はその通りタッパーに豪快にガトーショコラを詰めてきた。 終了>>> 私はこれが最善だと思ったのだけど、田村はタッパーに詰められたことが不満のようだ。 ここは用意してもらっただけありがたいと思うべきだろ! 田村と言う奴は前々から礼儀がなってないと思ってたけど... 腕を組んで田村の非常識な発言について考えながら、渡すべき物はちゃんと渡したのだし、帰ろうかと思ったところで 田村がタッパーを開けているのが目に入った。 「...え、」 「なんだ?」 「いや...今開けるの?」 悪いか? とでも言いたげな視線に私は何にも答えられずに口ごもった。そうしていると立ち去るタイミングを見失ってしまい、 私は田村がタッパーを空ける瞬間に立ち会うことになってしまった。若干居心地の悪さを感じてお尻がむずむずする。 「...これ」 タッパーを開けた田村は、視線を中に釘付けにしたままだ。 「が作ったのか?」 顔を上げた田村の驚きの表情に、予定では私はここで威張るつもりだったというのに、何だか照れくさくなって視線が泳いでしまった。 それを田村には知られたくなくて、誤魔化すための言葉が口から零れた。 「最初はうんち型のチョコをあげようと思ったんだけど私が実はこういうのを作れるんだぞ! って田村にしらしめてやろうと 思って、...まあ、あれです...作ってみました」 田村はやはりうんち型のチョコに引っかかりを覚えたらしく「うん...?!」と、驚愕の声を上げた。どのような表情をしているのかまでは あらぬ方向を見ていたためにわからなかったけど、驚いたことはその声の調子からも伝わった。 「...」 「...」 「...へえ」 なんだ今の間は...?! 聞きたいのに何故か声を発することが出来ない妙な空気に、私は言葉を返す変わりに机の下で拳を握った。 その間にも田村は行動を続けていて、空けたタッパーの中からだとーショコラを一切れつかんでいた。せめて一切れずつ切っておこうと 思ったわけではなく、ただ単にタッパーに入らなかったので、ガトーショコラは一切れずつ切った。そしてタッパーに入った二切れを残して、 後は家においてきた。失敗作の二つもあるので、我が家の冷蔵庫はガトーショコラ祭りになっている。 何でこんなに作ったの?! とお母さんに言われたが、私は無言を貫き通した。帰ったら絶対事情聴取される。 お尻をもぞもぞさせながらちらっと盗み見た先で、田村はちょうど一口ガトーショコラを頬張ったところだった。 ガトーショコラを乗せた銀紙がペキペキ音を立てる以外には何の音も聞こえない。いや、ドッドッドッ、と心臓が激しく暴れている音がする。 やがて長いような短かったような間が空いてから田村が一言。 「ふうん」 ふうん...? ...ふうんってなに?! どういう意味?! 「ふうん、うまいじゃん」の「ふうん」なの? 「ふうん...あんまり...」の「ふうん」なの?! 正反対の感想がパッと頭に浮かんだが、いつもはぺらぺらとよく動くはずの口が今日はうまく動かせなくて、私はそれは どういう意味なのか尋ねることができなかった。ただ黙々と食べる田村を横目に、窓の外の風景を眺めたりしてた。 田村の感想なんて全然これっぽっちも気にならないふりをしながらも、内心では知りたくて知りたくてたまらなかった。 私に今日チョコを持って来いって言った意味も、知りたくて知りたくてたまらなかった。 だけど、いつもはくだらないことばかり喋る口からは今日は何の言葉も出なかった。 「来年はタッパーはやめろ」 やっと口を開いたと思ったら、そんな小憎たらしいことを言う。 「それと、うんっ...のチョコなんか持っての他だからな!」 「...ここでダメだし...」 田村は怒っているらしく、怒鳴るように言ったが、私としてはガトーショコラの感想が聞けるものだとばかり思っていたので、 不満が口を付いて出た。その間にも田村は着々と帰る準備をしている。 私は何だか今日、田村のためにいろいろしたことが馬鹿らしくなってしまっていた。 せっかくいろいろ考えて今日の準備をしたというのに、渡した奴は何も感想を言わないのだから、そりゃ馬鹿らしくなってくる。 こんなことなら本当にうんちチョコでも送ってやるんだった。 さっきまでの高揚気分は消えうせ、いじけモードに徐々にシフトチェンジした私の思考は、ガトーショコラを作ってきたことさえ 後悔をし始めていた。 ぼんやり外を見るふりをしながら、田村が立ち去るのを待つ。今の顔は見られたくないから、田村が先に教室を出て行くのを待つことにした。 が、田村はなかなか出て行こうとしない。何をもたもたしてるんだ。 キュッ、とリノリウムの床が靴底と擦れる音がしたので、ようやく田村が出て行くのだと思い、細く息を吐く。 「...それと、」 静かな空間に田村の声が突如響き、不意打ちを食らった私の体はびくっと震えてしまった。 体勢は相変わらす窓の外を向いたまま、耳には全神経が集中していた。 「...お前は僕がこれを今日持って来いって言った意味を考えるべきだ!」 「......へ?」 まるで感情をぶちまけるような田村の言葉と、その内容に私の喉からは間の抜けた声が出た。 特に名残惜しいことも無く、窓の外の風景から視線を外して振り返ってみれば、すでに田村は教室から出て行こうとしている ところだった。背中に向かって口をパクパクさせていると、教室から出る直前に田村の動きが止まった。 「...味は良かった」 さっきまでの威勢のよさはどこへやら、ぼそっと呟かれた田村の言葉をうまく飲み込めずにいる間に、田村は出て行ってしまった。 私は少しの間唖然と黒板を眺めてから、ようやく鞄を肩にかけた。 半ば意識を飛ばしながら義務的に足を動かす。頭は素直に“考えるべきだ!”と、田村に言われた内容について考えていた。 田村が今日私にチョコを持って来いって言った意味...意味...... 「そんなの、それしか考えられないし...」 自分で言ってから、改めて体温が急上昇するのを感じた。 |