!」

友達の声を耳が捉えた次の瞬間にはゴンッと頭の芯まで音が響いた。





「本当にすまない...」
「や、私がぼーっとしてたのが悪いから」

普段なら頭の先を見ることが叶わない長身の彼は、いま目の前で腰を折っているので平均身長である自分が椅子に 座っているにも関わらず旋毛までばっちり見ることが出来た。間近で見れた緑色の髪は柔らかそうだった。
全てが彼――緑間くんの責任というわけではなく、先ほど口にした通り私に非があったのだ。だからこれ以上 彼が罪悪感を感じることはないと言うのに、緑間くんはずっとこの調子だ。
たまたま緑間くんの肘が私の後頭部に当たり、私は体育館の壁に頭をぶつけた。 だけど私は緑間くんが悪いなんて少しも思っていない。むしろ先ほどから責任を感じてしまっている緑間くんを気の毒に思っている。 緑間くんはバレーの試合をしていて、そこに入っていったのが私だったのだ。
存外に強く壁に頭をぶつけ、痛みにしばらく声も出せずにしゃがみこんでいると周りの友達の声を割って男の人の声が聞こえた。

「大丈夫か?!」
「う、うん、大丈夫」
「そんなわけはないのだよ!!」

自分から聞いてきたくせに大丈夫と答えたらそんなわけがないと否定され、私は思わず痛む頭を抑えながら「えぇー」と 胸中で呟いた。

「掴まれ!」
「え? え?」

足の裏と腰に手が添えられるのを感じて顔を上げれば目の前に同じクラスの緑間くんの顔があった。近すぎる距離に パニックを起こしそうになりながらも、頭の妙に冷静な部分が先ほどの特徴的な語尾は彼だったのかと合点していた。 そして痛む頭がこの状況を整理しだす。
緑間くん、近い距離、膝裏の手の感覚、背中の手の感覚。

「...おああ大丈夫だから緑間くん...!」
「大丈夫なわけがないのだよ!」
「真ちゃーん」
「何だ高尾うるさいのだよ!」
さん嫌がってる」
「何?!」

緑間くんを止めてくれたことには感謝するけど、高尾くんの正直すぎる言葉に顔に貼り付けた苦笑いが固まる。
キッとこちらを振り返った緑間くんの表情が真剣なのでますます焦った。痛みを耐え、無理やり笑いながら「いやそうは言ってないんだけども自分で歩けるから...」 ごにょごにょと高尾くんの発言を訂正する。緑間くんが気を悪くしてしまったんじゃないかと内心焦っていると緑間くんの手が離れていった。 正直抱えられて皆の目に曝される可能性が無くなってホッと息をつきそうになった。

「歩けるか?」

テーピングの巻かれている手が差し出された。その意図に気付き、恐る恐る手を伸ばせば掴まれてぐっと引っ張られた。

「ありがとう」

眼鏡のブリッジを上げる仕草が「どういたしまして」の言葉の代わりみたいに緑間くんは眼鏡を上げると、いつの間にか 隣に居た高尾くんに体を向けた。

「保健室に行って来る」
「オッケー」

大げさだよ、と言いたいところだったけど緑間くんの有無を言わせない雰囲気と高尾くんとのやり取りですでにそれが決定事項で あるらしいことを察し、当人であるはずの私は結局何も言えずに緑間くんの後を追って体育館を出た。



そして今、たっぷり氷が詰められた氷嚢をぶつけたところに当ててもらっている。緑間くんに。
体育館に戻って、と言っても頑なに拒んだ緑間くんは私に椅子に座っているよう指示し、冷蔵庫をあけたかと思えば どこからか持ってきた氷嚢に氷を詰め、多分たんこぶが出来るだろう場所に当ててくれた。タイミングの悪いことに保健室の戸には“外出中”のプレートが掛かっていたが、緑間くんは足を止めること無く、 ずんずんと無人の保健室に入り、薬品なんかが置いてある棚の前に設置されてある椅子に座るように勧めてくれた。
今の状況は、私は椅子に座り、緑間くんが正面に立って私の頭に氷嚢を当ててくれている。

「...」
「...」
「あの、私自分で持つから緑間くんは体育館に...」
「俺が持っているのだよ」

私の提案はすぐさま却下されてしまった。少し肩を落とすと氷嚢の中の氷がぶつかりあう音がした。
ただでさえ緑間くんは何も悪くないというのにここまでしてもらうのはとても気が咎める。そもそも私がコートの傍で ぼんやりしていたのが悪かったのに...。

今日の体育の授業内容は男子はバレー、女子は卓球だった。
体育館を半分にネットで仕切り、片面をそれぞれ男子と女子で使っていたのだ。二、三回のラリーの末にピン球を受け取り損ね、 ポン、ポンと軽い音をたてながらネットの隙間を擦り抜け、隣のコートに侵入してしまったピン球を取るために私はネットを 潜って隣の女子禁制コートに侵入した。試合中なのは見ればわかるのでタイミングを見計らって転がっていってしまったピン球を拾いにこそこそと走った。 ピン球を手に取ってすぐに去ればよかったと今にしては思うのだけど、私は拾い上げたオレンジ色の球体に黒い何かが ついているのを見つけてしまった。何だこれ、と思いながら指で擦っているところに運悪く緑間くんの肘が後頭部に 当たってしまったのだ。
緑間くんはそのことにとても責任を感じてしまっているみたいだけど、本当に彼の所為ではないのは先ほどの説明でわかっていただけただろう。 人が居ないはずのところに私が居たのだから。
緑間くんのことはあまり知らないけれどクラスメイトの彼を見ていると笑っているところを見たことが無いし、 その風貌から真面目な性格をしていそうなところや、高尾くんと多分仲が良いんだろうことは知っている。 私はあまり彼の事を知らないのに、正直少しだけ苦手な印象を持っていた。
冗談が通じなさそうなところも距離を取らせる原因かもしれない。多分私みたいなぼやーっとしているような 人種は好かれないだろうと思っていたのだ。だからさっきは本当に驚いた。
自分の所為だと思っているようなので緑間くんにしてみれば当然なのかもしれないけれど、あんなに心配してくれるとは 思わなかった。あんなところで何故ぼんやりしていたのだと、ちくりと刺されてもしょうがない状況なのに緑間くんにそんな様子は無い。 ただ伝わってくるのは私のことを心配してくれているというものだけだ。

「まだ痛むか」
「ううん、もう痛くないです、ありがとう」

氷嚢が頭から離れていくのを感じながら答えた。まだ少し痛みはあったけど大した痛みじゃない。
だいぶん薄れた。 だからそう答えたのだけど、緑間くんは私の返答が不服だったように眉根を寄せ、厳しい表情をしたと思えば、たんこぶが出来ているかも しれない箇所を手でぎゅっと押された。思わず顔を歪める反応を返してしまえば怒った様子の緑間くんと目が合ってしまった。

「やはり嘘だったのだよ」
「え、や、けど触られなかったら痛くないから...」
「...」
「...ちょびっとだけ痛いだけだから四捨五入してゼロ、みたいな...」
「意味がわからん」

呆れた、と言いたげな表情を浮かべる緑間くんに何も返す言葉が浮かばず、私は口を閉じる以外の選択肢を見つけられなかった。 保健室と言う空間は元々静かなイメージがあるけれど、私と緑間くん以外に人は居ない上に、その二人ともが黙っている のでとても静かだ。気詰まりとまではいかないけどそれでも居心地がいいとは言えない。
考えてみればこうやって緑間くんと二人きりという状況も初めてなら、ちゃんとした会話をするのも初めてだ。

「人事を尽くすのが俺のやり方なのだよ」
「え?」

そう言うと緑間くんは中腰の体勢になった。何をするのかわからないなりに黙って事の成り行きを見守っていると、緑間くん の手が伸びてきて私の頭に触れた。

「いたいのいたいのとんでいけー」

目の前の緑間くんの表情は相変わらず真剣そのものなので一瞬今のは空耳か何かだったのだろうか? と考えてしまった。 だけど頭に触れた手が痛む箇所を優しく撫でた感覚はまぎれもなく現実のものだったし、反応を伺うような緑間くんの 目には現在進行形で間抜けな顔をした私が映っている。
何か、何か言わなくちゃ。あ、そうだ、お礼を...

「あ、う、うん、ありがプフッ!」

一回吹き出してしまうと堰を切ったように笑いが止まらなくなってしまった。
緑間くんが痛いの痛いの飛んでいけなんて言うなんて、ギャップがあるどころの話じゃない。緑間くん像ががらがらと音を たてて崩れていくのを感じる。変わりに出来た緑間くん像は以前のものに比べればとても親近感を覚えるものだった。 お腹を抱えてひとしきり笑って、目尻に滲んだ涙を指先で拭いながら顔を上げれば、目の前に居る緑間くんの顔が薄っすら赤くなっていた。 羞恥を耐えるように目は伏せられている。緑間くんって睫毛長いなぁ、...じゃなくて!

「ごっ、ごめん!」
「...痛みはどうなのだよ」

慌てて謝るも緑間くんはこれ以上この話に触れられたくないのか話を逸らしに来た。
そちらが望んでいないのなら私もそれに従うまでだ。まだ笑いの余韻の残っている口元はどうしようもないのでそのままに答えた。

「うん、緑間くんのおかげで殆ど痛くないや。ありがとう」
「...フンッ、ならいいのだよ」

眼鏡のブリッジを上げた意味は照れくささを隠すためじゃないだろうか。一度覆った印象は緑間くんの全てを好意的に 捉えるようになっていた。気難しげな眉間に寄せられた皺さえも理知的なものへと変わるのだから都合がいい。
綻ぶ口元を手で隠しながら、私は彼のことをもっと知りたいと考えていた。




*:.。.:*゜魔法の呪文゜*:.。.:*




(20130309)