去って行く背中に声をかけることも...



あまりにも呆気ない散り方だった。
今更往生際悪く、やっぱりやめておけばよかったと思っても後の祭りというやつで...。
じわじわと視界がぼやけ、決壊寸前になった時、視界の中にゆらゆらと人影のようなものが現れて思考は止まった。

「え? ...ぅわっ!!」

驚いて体が跳ねた瞬間に視界が急にクリアになり、目の前にゆらゆら揺れていた人影の正体が見えた。

「え、黒子くん? え?! いつから...?」
「さっきからです」

目の前の席に何でもないような顔をしていつの間にか座っていた黒子くんに吃驚しながら話しかけるものの、黒子くん は意に介した様子はない。“さっき”という返答に顔が引き攣る。

「さっきって? も、もしかして、見てた...?」
「はぁ、見てたというのがさんがこくは、」
「やああああ!! 言わなくていいから!!」

淡々とした調子でとんでもないことを口にしようとする黒子くんを慌てて止める。黒子くんは私の剣幕に驚いたように ぱちぱちと何度か瞬きをしてから突然こちらに手を伸ばしてきた。咄嗟のことに反応できずに居ると、頬の上を少し 硬い親指が滑っていったのを感じる。今度は私が目を何度か瞬かせる番だった。

「濡れてました」
「......ど、どうも」

さっき黒子くんが急に現れたことに吃驚した拍子に、目に溜まっていた涙が零れてしまったようだ。
相変わらず淡々とした表情の黒子くんに、ここは照れるところではない、と思うのだけど、男の子にこんなことを された経験が無い私はちょっと恥ずかしくて目を逸らした。それから自分が今さっきまで何故泣いていたかを思い出してバツが悪くなる。
さっきまで違う人を想って泣いていたくせに私って奴は...!!
机の上に突っ伏すと頬が机に当たり、心地よい冷たさが気持ちいい。

「言っておきますがボクは悪くありませんよ。読書をしていたらさん達が来たんです」

さん“達”
。そんな気が黒子くんには無いだろうことはわかっているけど、私は勝手に傷付いた。
黒子くんが現れたことによって忘れていた痛みと後悔がまたしても押し寄せてくるのを感じる。どうして言ってしまったんだろう。 黙っていればこんな気持ちを味わうことも無く、明日も友達で居られただろうに。
鼻の奥がじわじわと湿りだしたので、それを誤魔化すために口元に手を添えながら答えた。少し声がくぐもってしまうが、これでばれないだろう。

「そっか、ごめん。...読書の邪魔して」
「いえ、別にそれはいいんです」

黒子くんの声からは感情が読み取れない。だけどわざわざ嘘を言うとも思えないので、本当にいいと思ってくれているのだろう。 そこはよかった。ふられた上に人様に迷惑をかけるなんてことはならなくて...。顔にかかる髪の隙間から見えたのは、 すっかりオレンジ色に染まった空だった。その光景は今の私を感傷的な気分にさせるには十分で...。
またじわりと瞳の奥が湿りそうになったところで頭にポンと何かが触れる感覚がした。

「ボクがいてよかったですね」

黒子くんはそう言ったかと思うと、私の頭に触れたままだったものが動き出したのを感じた。
撫でられてる? そんな簡単な答えが分からないほどに私の頭は黒子くんに頭を撫でられているという状況に動揺していた。 思わずびくっと体が震えたのに、黒子くんの手は動きを止めずに私の頭を優しく撫で続ける。慰めてくれているのだろうか? すん、と鼻を啜ると答えるように、ポンポンと優しく頭をたたかれた。
そのことにまた私の目と鼻は湿りだして、同時に心臓は正直に心音を早く刻み始めた。どうすればいいのかわからなくて、机に頬をくっつけたまま私は息を殺した。

「...いえ、これはボクの驕りですね」

その声音から苦笑を浮かべる黒子くんの顔が頭に浮かぶ。私の頭を撫でる手は優しくて、何だかとても大切にされている ような気分になる。“驕り”なんて、黒子くんは難しい言葉を知っている。それがどういう意味なのか曖昧にしかわからない私は 返すべき言葉が浮かばなかったし、黒子くんも私の言葉を待っている様子は無かった。

「...失恋の痛みは新しい恋で直すといいんですよ」

しばらくの沈黙の後に落とされた言葉に私は思わず顔を上げた。顔を上げた先には初めて見る、切なげな表情に無理やり 口角を上げたような顔をした黒子くんがいた。

「すみません。ボク、卑怯ですよね...」





例え卑怯だといわれても






(20130323)