その日、三郎は時間を持て余していた。
友人達は皆、委員会だ、実習だ、と出払っているのに三郎一人だけその日の予定がぽっかり空いてしまっていたからだ。 午前は寝て過ごし、十分な睡眠をとってからはどうしようかと考え、思いついたのは図書室に行くことだった。
あそこに行けば雷蔵が委員会の仕事をしながらもちょくちょく構ってくれる。そう考えて足を運んだが... 課題を片付けようと資料を探しに来ている忍たまで図書室は溢れていた。ちょうど課題を提出する時期が被ったのか、 大盛況な様子に中に入るのを躊躇し、戸口からそろっと中の様子を伺えば雷蔵を初めとする図書委員達は仕事に追われ忙しそうだった。 手伝おうかとも考えるが勝手があまりわからない自分が居ては逆に邪魔をしてしまうかもしれないと思い、三郎は結局声を掛けることもせずに図書室を後にした。 午後の予定が潰れることになり、再度考える。
八左ヱ門のところに行けば委員会を手伝わされる羽目になる。いくら暇でも毒虫なんかを追いかけたくはない。
兵助と勘衛右門は実習に出かけており、そもそも学園には居ないのだ。

「ひまだ」

呟いてみたところで突然おもしろいことが舞い込んでくるわけがない。
部屋に戻って本でも読もうかと思ったが、そういう気分でもない。
出ていた課題を片付けようかとも思いついたが、そういう気分でもない。
せっかく天気がいいのだから外にいたい気分だ。部屋の中で過ごすには今日は天気がよすぎる。 だからと言って外で何をするわけでもないが、三郎は行くあても無く、ぶらぶらと学園内を散策していた。

  これで何かおもしろいことがあれば儲けもんだ。

特に期待することも無く歩いていると、見覚えのある後姿を目が捉えた。 桃色の装束はくのたまのものだった。他にもその後姿は特徴的なものだ。背中に木の棒でも入っているのかようにピンと 伸ばされた背筋、頭の天辺で結い上げられた黒い髪も背筋と同じく真っ直ぐだ。彼女の性格を現しているかのような後姿だと 思うほどには彼女   のことを三郎は知っていた。
親しい間柄と言うわけではないが、同学年という繋がりでそこそこ知っている、という程度だ。 についての基本的な情報を頭に浮かべながらついつい三郎は足を止めていた。
その視線の先にいるは、腰に手を当てて堂々としている。

   一体なにをしているんだ?

その後姿を見咎めた三郎が抱いた疑問は当然のものだった。仁王立ちして先ほどから動かない後姿に自然と三郎は興味が引かれた。 高いところで縛った髪だけが風に揺れるが、本人は動かずに背筋を伸ばしたまま動かない。 暇なこともあり、暫くその後姿を観察していた三郎だが、やがてその木の棒が入ったかのように立つ後姿にあることを思いついた。

  ひざかっくんがやりやすそうな格好だな。

三郎から見てという少女は真面目であまり融通が利かない印象だ。
そういう人物にひざかっくんをするとどういう反応が返ってくるのだろうか。真面目な人間というのはからかう側から見て 、からかいがいのある人物が多い。そのことに三郎は暇であるがゆえに気づいてしまった。
は怒るのだろうか。それともまた違う反応をするのか。
思いついてしまうと好奇心と悪戯心が刺激され、三郎はどうしても実行したくなってしまった。 こうしてにとっては不幸なことに、暇を持て余した三郎の暇つぶしが始まった。

文字通り足音を消し、息を殺して気配を経ち、三郎はの背後を取ることに成功した。ここからは素早く行動しなければならない。 同業者相手では気配を経っていても感づかれる可能性がある。 素早く膝を曲げ、の膝裏を狙った。十分な手ごたえを感じたところで、目の前で身動きしなかった姿がよろけて、 カクンと崩れた。両膝に両手を地面についた状態で、は目を白黒させながら振り返った。 今起こったことについて混乱している表情をしているは目を見開き、三郎を見つけると声を上げた。

「なっ...! 鉢屋...?」

何が起きたのかまでは理解できていなくとも、背後に居る三郎が何かをしたのだとは察しがついているは、 だが何故自分がこんな目に合っているのかわからずに混乱しながら声を上げた。だが、三郎は両腕を組みながら、混乱しているを尻目に冷静に言葉を返す。

「気を抜きすぎじゃないか」
「...え?」

シン、とその場が静まり返った。は今の三郎の言葉を理解するよりも先に、今自分に何が起きて自分がこのような格好になっているのかについて考えた。 だが、考えたからと言って答えを導き出すことができない。

「...今なにを?」
「ひざかっくんだ」
「ひざかっくん...?」
「油断してたからな、見てられなかった」

呆けたように話を聞くの姿に笑いを耐え切れなくなった三郎は、まるでその言葉が心からのものであるかのように”見ていられなかった”と右手で顔を覆った。 その様子を見たは、呆けたような表情を驚いたものへと変化させた。落ち着きを取り戻した三郎が、自分の顔を覆っていた手を下ろせば、真剣な表情で話を続ける。

「油断は忍には命取りだ」

ただの好奇心と暇つぶしが原因での行動だったが、それっぽいことを言うと何やらは衝撃を受けたように目を見開いた。

「そ、そうか、確かに忍なら何時如何なる時も気を抜いてはならない...鉢屋の言うとおりだ...!」

あっさりと三郎のでまかせに説得されてしまったは感銘を受けたように頷いている。
三郎はそんな自分の適当なでまかせにを真に受けている様子を眺めながら、何てだましやすい奴なのだろう...! と、ある意味での感銘を受けていた。 このような事態になるのは三郎の予想外ではあったが、これはこれで面白いと、三郎は内心では口角を吊り上げながら、 だが表面上は厳しい顔を作って言葉を発した。

「背中が隙だらけだ。そんなんじゃこの先思いやられる」
「そ、そこまで私は隙だらけの背中をしていたのか、鉢屋!」

またしても衝撃を受け、動揺を浮かべた様子のに三郎はキッと眉を吊り上げて見せた。

「鉢屋じゃない。師匠と呼べ」
「え...?」
「俺が指導してやる」

ぽかんと口を開け、言葉が出ない様子のに、三郎はさすがにやりすぎたかと考えた。
面白いから今日一日で暇つぶしをしようと思ったのだが、いくら騙し易いと言っても同学年の忍たまに指導して欲しいなど と思うわけが無いだろうな、と自己完結したときにがまたも驚いた様子で目を見開いた。

「鉢屋、じゃない...師匠! 何故そこまで...!」

思いがけずが自分のことを師匠と呼ぶと、自分が呼べといったにも関わらず三郎は言葉を返すのに少々間が空いてしまった。 内心では動揺しつつもそれを表情には出さない。

「あ、あぁ...忍たまとくのたまの違いはあれど俺たちは同級生だろう。当然のことだ」
「師匠!!」

感極まった様子で声を上げたに、三郎はこのような流れを作った本人でありながら身を引いた。同時にの様子についていけずに、気持ちも引いた。

「不出来な弟子ではありますが、これからよろしくおねがいいたします!」
「あ、あぁ」

やる気で瞳を輝かせるに少々気後れしながらも頷いた三郎はに対しての認識を改めた。
、真面目であまり融通が利かず、馬鹿みたいに騙し易い。いや、馬鹿だ。
この日三郎に初めての弟子が出来た。







(20130424)