「師匠ってどういうこと?」
「あーと...」

雷蔵の直球の質問に三郎は少しうろたえた。頭の中では昨日の出来事をそのまま話せばどうなるのか瞬時に計算していた。 まず間違いなく、怒られるだろうことがわかる。自分が悪い事をしたと言う自覚があるがゆえに、唇は昨日のことについて正直に話すことを拒んでいた。
よって、結果的に三郎の唇は誤魔化すような言葉を紡ぎだした。

「...まぁ、色々あり山田の師匠になった」
「いや、説明になってねぇよ」
「八左ヱ門は黙れ!!」
「ひでぇ!」

三郎の返答にすぐさまツッコミを入れてきた八左ヱ門に、三郎は容赦なくぴしゃりと言葉を返した。 それに対して八左ヱ門は口では声を上げたもののたいして衝撃を受けた様子がないのは、このような扱いに慣れているからだろう。 三郎は平常心を保つようにしながら、アジの開きの身を箸でほぐした。
少し長いように感じる沈黙の後に、雷蔵が味噌汁を一口、口にしてから呟いた。

「ふぅん、いろいろかぁ」

どことなく雷蔵から威圧感のようなものを感じるのは、三郎にやましいことがあるからであり、雷蔵はその言葉の通りのことを 思いながら呟いただけだった。傍観している三人にはわかったことだったが、三郎はやましい気持ちがあるからこそ、 雷蔵の言葉に裏があるように感じてしまった。
内心冷や汗をかいている三郎は、機械的にアジの身をほぐし続ける。頭の中では雷蔵に真実を話すかどうか迷っていた。 雷蔵が何かに感づいているのなら、話した方がいいだろうか。 そんなことを考える三郎の思考は、まるで何か悪さをした子供のようだ。

「昨日山田に気を抜きすぎだろう。そんなんじゃ忍者失格だなと言ったら、私の弟子になりたいというから...まあ、そういうことだ」

表情を作るのが得意だと自分でも自負している三郎は、何でもないような表情を浮かべながら隣の雷蔵を見た。 雷蔵は驚いたような表情を浮かべて「そうなんだ」と答えながらも、手の動きは止めずにご飯を口に運んでいる。 雷蔵の反応をどきどきしながら見つめる三郎に目をくれることもなく、雷蔵はよっぽどお腹が空いているのか視線はご飯に向けたままだ。 雷蔵よりもむしろ食いついたのは前に座る二人だった。

「三郎の弟子とか、山田さん絶対間違ってるよ」
「三郎から何を学ぶんだろうな」
「そこ、うるさい」

やかましい八左ヱ門と勘右衛門を尻目に、兵助はというと何を言うでもなく食事を続けている。と、思えば、一足先に アジの開きの定食を食べ終え、最後にお茶をすすった。そして、まだ食事中の友人達を眺めながらぽつりと呟いた。

「けど山田って成績よくなかったっけ?」

兵助の指摘どおり、彩は成績が良い。それについては三郎も知っていた。
何度か演習などで成績が上位になっているところを見たことがある。そして、頭が良いということについても、同学年のよしみで何となく耳に入ってくるのだ。 だがあれでは成績がよくてもな...と、意識を飛ばした三郎が考えついたのは、またしても「あいつ大丈夫か?」という言葉だった。

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.
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昨日は適当な修行と言う名の体育委員会の活動のようなものを行っただけなのだが、彩本人はそれが絶対に正解であると思い込んでいる。
つまり、三郎の口からでまかせの、気配を読むための修行であると信じ込んでいるのだ。
なので三郎は、昨日「明日はいつごろに稽古してもらえますか」と、やる気満々な彩に授業終了後と答えてしまったのだ。 やる気に溢れる彩に今更本当のことを言うことも出来ず、半ば気圧されるようにして次の修行日時を口にしていた。


正直めんどうだという気持ちでいっぱいなのだが、騙している上に約束まで破るというのはいかがなものかと思った三郎は、 それが微妙な優しさであることには気づかずに、昨日彩にひざかっくんを食らわせたあの場所にやってきた。
すでにそこには彩の姿があり、いつも通りのまっすぐに伸びた背中が見えた。が、そこにいるのは彩だけではなかった。 濃い緑色の装束は六年であると、遠目からもわかった三郎は、足の速度を緩めることにした。

「あ! 師匠!」

犬みたいだな。と三郎が思ったとおり、彩の三郎を見つけたときの反応はご主人様を見つけたときの犬そっくりだった。 その場で小さく弾み、そのまま笑顔で三郎の元に駆け寄ってくるのだ。どうやら彩の中で、三郎の評価はぐんと上がったらしい。 今朝言っていたように、三郎の特訓を受けたおかげで怪しい気配にも気づくことができたといっているので、それが原因だろう。 三郎の元に駆け寄ってきた彩のどことなく輝いているように見える瞳から、すいっと視線をそらした三郎は、こちらを見て何やら固まっている文次郎に気づいた。 咄嗟に会釈をすれば頷いて返される。

「潮江先輩も一緒にどうですか?」
「いや、いい」

彩の誘いをすぐさま断った文次郎は、そのままこの場から去っていった。
彩と文次郎、接点がなさそうに見える二人に、三郎は内心首を傾げる。

「潮江先輩と昨日のあの怪しい気配は何だったのか話していたところなんです」

ああ、だからか。三郎は浮かんだ些細な疑問が解決できたことに納得したが、彩には「ふうん」とだけ答えた。

「けど潮江先輩は何も感じなかったとか言うんで、師匠の修行を一緒に受けたほうがいいですよ、って誘ったんです」
「へえ」

一拍置いて、三郎は今の彩の言葉を頭の中で反芻した。

「...は?」
「師匠の修行は一日受けるだけでも効果が出るのでおすすめですって宣伝しました」
「おっ、お前は馬鹿か!」

あんなでたらめな修行と言う名のただの体育委員会に潮江先輩を誘うなど、こいつは正気か?!
三郎の予想をはるかに超える彩の行動に、三郎は慌てて唾を飛ばす勢いで答えた。そんな三郎の剣幕に驚いた様子で目を瞬かせる彩は、意外だとても言いたげに言葉を返す。

「え、だめでしたか?」
「当たり前だ! あんなてき、」

あんな適当な修行でもなんでもないもんを!
つい口から滑る出そうになった言葉を、三郎は途中で口内に閉じ込めることに成功した。
危うく飛び出そうになった言葉を飲み込むと、きょとんという表現がぴったりな表情を浮かべる彩と目が合う。 己の言葉を微塵も疑っていない彩と目が合い、三郎は思わず視線をそらした。

「...あの修行は門外不出だ。そう易々と誰にでも教えるわけにはいかない」
「そうだったんですか!」

口からすらすらと出てきたのは、先ほどの自分の言葉を誤魔化すためのものだった。
適当な誤魔化すためだけの言葉を、だが彩は真に受けて驚いている。そして、「そんな貴重な修行法を...師匠!」 何やら感極まった様子の彩に薄笑いを返しながら、三郎は一つの嘘を隠すために嘘を重ねているこの現状に、 多少心が痛んだのだが、ここまでくればもう徹底的に楽しんでやろうと開き直った。
すべては、こいつが馬鹿すぎるのが悪い。







(20130526)