適当な修行(大体体育委員会とやっていることは同じ)を終えた後に、またしても勢いよく頭を下げるの髪の毛の攻撃を 食らいそうになったものの、三郎は本来の持ち前の運動神経を駆使して一歩後退したので、以前のように攻撃を食らうことはなかった。
そんな日々を幾日か過ごし、三郎は予定が無い日にはと修行をするのが恒例となっていた。(修行と言っても、に指示を出して後は放っておく) は依然、三郎の口からでまかせの修行を受けているとは知らず、効果が出ていると毎日喜んでいる。 このときばかりは、三郎も多少心が痛む。だが、今更嘘だったとは言えなくなってきているのも事実だった。 徹底的に遊んでやろうと思ったわりには、適当なことを言ってこのまま修行を終わらせよう、と早くも三郎は考えていた。 だがその考えを実行に移せずにいる。
それと言うのも理由があり、鳥の雛が初めて見たものを親だと慕うように「師匠! 師匠!」と言いながら がついてくるのを見てしまうと、途端に三郎は言う気をなくしてしまい、まあいいかという気分になってしまうのだ。
   喜んでるみたいだしな。
そう一人で結論を出してしまうのだ。そして意外なことに、三郎の修行をは喜んでいるようだった。
いつも待ち合わせ場所には三郎よりも早くやってくるし、三郎の適当な修行をきちんと言われたとおり実行するのだ。
そして、当初の印象とは違い、はとてもよく笑う。
今まで五年間同級生であったはずなのに、が笑っている姿など見たことがなかった三郎は驚きを隠せない。 それは、雷蔵たちもそうらしく......

さんって三郎と一緒だとよく笑ってるよね」

と、驚いた様子で呟いていたのはまだ記憶に新しい。
そのとき三郎は「そうか?」と何気なく返したものの、内心では気分がよかった。
その気分の正体が優越感のようなものであることには気づくことはない三郎は、犬が自分にだけ懐いているというようなこの状況を楽しんでいた。

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三郎は今日もいつの間にかとの待ち合わせ場所になっているあの場所に向かった。
ピンと棒が入ったように伸びた背中で仁王立ちする姿はあの日を思い出させた。だがあのときのように膝かっくんをしようとは思わない。 何やってるんだ? ぴくりとも動かない後姿に、三郎が当然の疑問を浮かべながら声をかける。

「おい」

びくっと大げさなほど肩が揺れたかと思えば、は三郎を振り返り重い重いため息を吐いた。
いつもであれば、三郎が来るだけで大喜びの反応見せるのだが、初めての反応に三郎は衝撃を受けるよりも動揺してしまった。 思わず、何かしただろうか、と三郎が考え始めたところで、が口火を切った。

「師匠がどちらから来るのか気配を辿っていました。けどまだまだですね」

師匠にはまだまだ適わないようです...。と、己の未熟さを憂うように首を振るを見ながら、三郎は数分前の自分を張り倒してやりたくなった。 いつにないの反応に動揺し、自分が何かしてしまったのかとまで考えたというのに...。怒るのも馬鹿らしいと思いながら、 何もに手本を見せていないはずだ。と、冷静に考える。
何だかの中では三郎はとんでもなく出来る忍者、という認識がされているらしい。
それも日に日にその考えは大げさになっている気がする。
後一週間もすれば、の中で三郎は伝説の忍者にでもなっていそうだ。
   まあ、出来る忍たまであることは間違いないがな。
そう考える三郎も、何だかんだといっているが、こうしてに慕われるのは満更ではないようだった。これだけ崇拝され、慕われれば当然だろう。 だからこそ、最初は面倒だと思っていた修行にも自主的にやってくるようになったのだ。

「今日も走りこみですか!」

ピシッと手を上げて質問をする良い子であるに頷いて返せば、早速走り出した後姿を見送る。いつもの通りに走るのであれば、 学園を囲った塀を辿るようにして走るのだ。の後姿を見送りながら、三郎はやれやれとあくびをした。

「三郎ー」

声が聞こえたほうに視線をやれば、勘右衛門だった。
手を振りながら近づいてくるのに視線を返せば、勘右衛門は自然な流れで三郎の隣に腰を下ろした。

「暇だから来たよ。秘密の特訓を見に」
「秘密の特訓も何も走ってるだけだがな」
さんは?」

三郎が面倒そうに指を指した先は、先ほど消えた方とは反対側から手を振りながらやってくるが見えた。 自分が指をされたことに気づいたらしく、手をぶんぶん振りながら近づいてくる。

「師匠ー! 二週目です!」

適当に頷いて返せば、はにこにこしながらまた走っていった。消えていく後姿を二人で眺めながら、勘右衛門がぽつりと呟いた。

「...さん元気だね」
「そうだな。いつでも元気で楽しそうだ」
「三郎は一緒に走らないの」
「面倒だ。こうしてここに来てるだけでも面倒なのにその上なんで走らないといけないんだ。意味がわからん」
「その意味がわからんことをさんはさせられてるわけだ」
「......持久力はつく」

じとっとした目つきをする勘右衛門は、あきらかに三郎を責めていた。三郎もその視線の意味に気づき、さすがに分が悪いと感じた様子で視線をそらす。

「けど、面倒って言ってる割に三郎ちゃんと来てるじゃん」
「まあな」
「面倒なら師匠にはなれないって断ればいいのに」

そう言った勘右衛門に何も答えることができずに、三郎は口を閉じた。
勘右衛門たちには、の方から師匠になってくださいと頼んできたと言ってあるのだ。実際にはそんな事実は無く、 からかってやる気で言った言葉をが真剣にとって、今の状態なのだ。こちらから師匠になってやるといった手前、 やっぱりやめたなどと言えずに居るのが現状なのだ。
黙り込んだ三郎に、勘がよい勘右衛門はピンとくるものがあった。

「もしかして、あれって嘘?」
「...なにが」

一瞬言葉に詰まった三郎の様子に、勘右衛門は確信しながら言葉を続けようとした。

さんが師匠になって、ふがっ!」

勘右衛門が真実にたどり着こうとしたその瞬間、三郎は視界の端に噂の張本人がやってきたことを見つけ、慌てて勘右衛門 の口を手で塞いだ。

「師匠ー!」

満面の笑みを浮かべながら先ほどのように手を振るに、三郎は勘右衛門の口を塞ぎながらなんでもないように頷いて見せた。 だが、男二人で密着している様子は、の目にはなんでもないように映らなかった。首を傾げながら、走るべき道から反れて二人の元にやってくる。 三郎の「こっちに来るな!」という心の叫びには当然気づくことがない。

「何してるんですか?」

不思議そうな表情で近づいてきたは、だがそこでハッとしたように声を上げた。

「ずるい! 修行してるんですか?!」

息切れする様子も無く、興奮したように「私と言う弟子がいながら...! 何故私には稽古してくださらないんですか!」 声を上げながら近づいてきたに三郎は慌てた。何も慌てる必要はないのだが、今まで後ろめたい会話をしていたので、 ついて慌ててしまった。「むっ?! その独特の髪は...?!」感づいた様子のに、三郎は厳しい声を返した。

「他のことに気をとられてる場合か! 今お前がやるべきことは走ることだ!」
「...!! はい!」

己の今の使命を指摘されれば、慌てた様子でまたも走り去っていった。それを三郎と勘右衛門は並んで見送る。 ようやく三郎の手に塞がれていた口が開放され、「ぷはっ」と新鮮な空気を求めるように勘右衛門が呼吸を繰り返す。 やがての姿が完全に消えると、勘右衛門が見計らった様子で隣の三郎に声をかけた。

「三郎...ずいぶんと師匠であることが板についてきたね」

勘右衛門の言葉に返答する気にもなれず、三郎は黙って遠いところに視線をやった。

.
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「で? 本当の話は?」
「...」
「誰にも言わないし。ちゃんと雷蔵にも黙ってるから!」

五年も一緒に居れば、三郎が何を恐れているのかはすぐにわかったらしい。勘右衛門の言葉に、三郎は断固として口を開かない様子だった態度を崩した。

「つい、ノリで適当なことを言ってしまうときがあるだろう...」
「あぁ、あるある」

ここに居たのが、雷蔵であれば、兵助であれば、八左エ門であれば、「あるあるー」なんて軽く返すようなことも無かっただろう。 だが、ここにいたのは勘右衛門だった。そして、勘右衛門だったからこそ、三郎は話す気になったのだ。 きっと勘右衛門であれば同意してくれるだろう。そんな予想をしていたからこそ口を開く気になったのだ。
そしてどこかで、この状況を一人で抱えているのが嫌だったという気持ちもあった。



「そうか、そんなやむにやまれぬ事情が...」

全てを話し終わった三郎に、勘右衛門は真剣な面持ちで返した。そんな勘右衛門に、三郎も真剣な面持ちで「あぁ」と、答える。 別にやむにやまれぬ事情などは存在しないのだが、二人の間に流れる空気は重かった。 何故この空気になったのか? それは二人にもわからない。そのとき、呑気な「師匠ー!四週目です!」というの声が響いた。 二人揃って三角座りをしながら、そんなに三郎は軽く手を振り、勘右衛門は微笑を返した。
ぴょんぴょん跳ねるようにして消えていくの後姿を何となく二人して眺めながら勘右衛門が口を開いた。

「...けど、それなら早くさんに言ったほうがいいんじゃない?」

ぎくっと内心肩が跳ねるような心地がしたのは、正論を真っ向から叩きつけられるのを恐れていたからだ。

「後で知ったら俺なら怒るね」

三郎はその勘右衛門の言葉に、ますますに真実を言う気がなくなってしまった。







(20130610)