「お疲れ様です」 「わっ! ...あ、バーナビーさん...お疲れ様です」 「驚かせてすみません...今から帰りですか?」 「あ、はい。バーナビーさんもですか?」 「はい」 「...」 「...」 「...そ、それじゃあ私帰りますね」 「...気をつけて帰ってください」 「はい。ありがとうございます」 「...ちょっと待ってください。あなた家は反対方向じゃなかったですか?」 「え...? 違いますよ?」 「けれどこの間は、」 「...あ! あの時はあっちにある店に用事があったからです」 「...そうですか」 「はい。卵が安かったんです」 「卵ですか...」 「はい...ついでに牛乳も買いました...」 「牛乳もですか...」 バーナビーさんが私の言葉を聞いて、「さては明日の朝ごはんはパンケーキだな」とかそういう推理をしているのかどうなのか わからないけど、考えるように視線を宙にさまよわせていたので、私は「それじゃあ...」とだけ言って、その場を離れた。 そして、私がすっかりそんな会話をしたことも忘れ去ったある日。いつもどおり家に帰ろうと心許ない街灯がぽつぽつと続く 道を辿っていると前方に見慣れた後姿を発見した。最初は気のせいかと思った。彼が徒歩ではなく、バイクが移動手段なのを 知っていたからだ。だから人違いだと思ったが、いくら街頭の灯りが十分ではなくてもあの特徴的な髪型とジャケット とそれプラス、オーラ?というやつだろうか、どこと無く只者ではない雰囲気が後姿だけでも感じられた。 なんでバイクじゃないんだろう? そんなことを考えながら前を歩く後姿を見つめる。その疑問を本人に投げかければいいのかもしれないが私の選択肢 にそれは存在しなかった。声を掛けるなんてとんでもない。最初から一つしか選択肢は存在しなかった。 黙ってこのままの距離を保ちつつ家に帰る。 一歩間違えればバーナビーさんの後をつけていると思われそうだがそんなつもりこれっぽちもない。ただ、通る道が 同じだっただけだ。幸いバーナビーさんは足が長いのでその分歩くのも早い。私がゆっくり歩いていれば、すぐに姿は見えなくなってしまうだろう。 それにしても.....何で今日はバイクじゃないんだろう。バーナビーさんといえばバイクと言うように、いつも帰りに見かけるときはバイクだった。 それにヒーローとして駆けつけるときにもバイクだし。今日は徒歩なんて...もしかしてバイク壊れちゃったのかな? そんなことを考えながら歩いていたからか、バーナビーさんは何かを感じたらしく、急に立ち止まった。 私も反射的に歩を止めれば、当然辺りはシンと静まり返った。 そして、気のせいだったか、とでも言うようにバーナビーさんがまた歩き始めたので、私も後をつけるように歩き始めた。 バーナビーさんのブーツと、私のブーツがコンクリートを蹴るコツコツという音が響いていると、またしてもバーナビーさんが足を止めた。 なので、反射的に私も歩を止め、何か嫌な予感を感じたので道沿いの建物の陰に隠れた。そして、その陰から恐る恐る 様子を覗いてみれば、私の嫌な予感は当たっていた。バーナビーさんが後ろを振り返っているところだった。 危うく見つかるところだったということだ。私の勘も捨てたものじゃない。 「フー...危なかった...」 陰に頭を引っ込めて、特に額に汗は浮かんでいないが気分的にそうしたかったので拭うフリをする。 「何が危なかったんですか?」 「え? バーナビーさんに見つかる......えっ?!」 聞こえるはずが無い声に、思わず言葉を返しながら異変に気づけば、いつの間にか隣にバーナビーさんが居た。 驚きすぎて声が出ずに口をパクパクさせて居ると、バーナビーさんはほんの少しだけ口角を上げた。 「僕に見つかったら何かまずかったんですか」 「お、え、あ...いえ」 喉がひくつくの感じながら言葉にならない言葉を返す。心臓がどきどきと脈打っているのを感じながら、今度は本当に背中に汗が出てくるのを感じた。 俯きながらどぎまぎしていると、バーナビーさんが「そんなところにいつまで居るつもりですか」というので、私は陰から足を踏み出した。 そうすれば当然の流れというか...自然とバーナビーさんと並んで歩くことになってしまった。 何を話せばいいのかもわからなかったので、会話と言う会話は無い。ただ黙々と二人で歩いているだけだ。 こんなことにならないためにバーナビーさんの後を歩いていたのに...! なんとも言えない沈黙にすでに疲労を感じながら、私は足を進める。バーナビーさんは本来なら長い足をフルに使ったコンパスでさくさく歩いているのに、私に気を使ってくれているのか今日は 控えめすぎるくらいな歩幅で歩いている。そんな気遣いいいのに...! どんどん歩いて私のことを置いて行ってくれても全然大丈夫なのに...! だけど「私のことは気にせずに置いて行ってくださいね」とは、言いたくても言えないので、私は出来るだけ歩幅を大きくすることでこの状況を乗り越えようとした。 「てっきりあれかと思いましたよ」 突然声を上げたバーナビーさんに、びくっと肩が震えてしまう。こちらから話しかけることがない以上、バーナビーさんから話しかけてくれることは無いと思っていたからだ。 だってバーナビーさんって、よく虎徹さんに「おじさんは本当に無駄口ばっかり叩いてますよね」とか言ってるし...無駄口が大嫌いな人だと認識していた。 なので、バーナビーさんから話しかけてくれたことは本当に意外だ。意外だけど、せっかくバーナビーさんが投げてくれたパスをスルーすることはない。 それどころかこの気詰まりな沈黙を破ってくれるパスだったのだから、ありがたくアタックしよう!! そう心に決めて顔を上げれば、バーナビーさんが何かを指差しているのが見えた。視線でバーナビーさんが指差した先を目で追えば、”痴漢注意!!”と書かれたポスターがあった。 「てっきりあれかと思いましたよ」ということは、「てっきり痴漢かと思いましたよ」と、バーナビーさんは言いたいらしい。 確かに言われてみれば...よくドラマの場面で見る、女性が襲われるシーンを私は再現したようだ。 夜道を背後からこそこそ近づいていくというやつだ。 それも襲われる側じゃなくて、襲う側。 「バーナビーさんを痴漢するつもりはありませんよ...!」 「当たり前です」 一応誤解されないように言えば、バーナビーさんにすぱっと切られるような返答をもらってしまった。 アタックするどころか、へろへろの返球だ。そしてバーナビーさんこそアタックを返してきた。 「僕が痴漢されるわけがないでしょう。あれはそもそも女性に向けての警告ですよ」 ”あれ”と指で示された場所には”痴漢注意!!”のポスターがある。 そこに視線をやってから、隣を歩くバーナビーさんの顔を見上げる。 月明かりの下でも整っているのがわかる。こんなきれいな顔をしているのだから、痴漢されても別に不思議ではないと思った私は、 思わずバーナビーさんの言葉に首を傾げてしまった。 痴漢されるわけがない、なんてそれは早計だ。十分に痴漢される可能性はある。 「...何か変なこと考えてますね」 「...え! 別に!」 私の頭の中をバーナビーさんが覗き込めるわけが無いとはわかっていても、バーナビーさんの鋭い指摘にぎくっと肩が震えた。 バーナビーさんは十分痴漢される可能性がありますよ! なんてことを考えていたことがばれれば、バーナビーさんの口からは 虎徹さんに対するような言葉が返ってくるかもしれない...そう考えると内心ドキドキだった。 疑わしい目つきのバーナビーさんから不自然でないように視線をそらすと、ようやく「とにかく」仕切りなおすようにバーナビーさんが口火を切った。 「女性がこんな遅い時間にこんな場所を一人で歩くのは危険です」 「え、けどいつもここ通ってるんで、大丈夫ですよ?」 今更なことを言い出したバーナビーさんに、大げさな、と思いつつ返答すればバーナビーさんが真剣な表情でこちらを覗き込んできた。 思わず背中を逸らして、バーナビーさんから距離をとる。 「...今まではたまたま大丈夫だっただけかもしれませんよ」 まるで脅すかのようなバーナビーさんの真剣な声音に、私は「いやいや...」とは答えつつも、内心では心当たりを探していた。 そういえば冬の寒い日、家に帰るためにこの道を歩いていたときに、後ろから足音が聞こえた。 そういえば春の少し寒い日、同じくここを夜中に近い時刻に通っていたときに、後ろから大きな影が伸びていた。 心当たりを思い浮かべた私は、ぞぞぞっと背筋が寒くなるのを感じた。言われてみればあれは痴漢の前兆だったのかもしれない...! あの時はちょっと恐いとは思いながらも、いざとなれば力を発動させればいいや、とか考えていた。 「女性が一人で歩くにはこの道は街頭も人通りも少ないですし...しょうがないですから僕が...」 「ですよね...今度からは自転車とかバイクに乗ったほうがいいですよね」 「...え?」 虚を疲れたような顔をするバーナビーさんに、私は先ほどの発言について説明した。 「え、徒歩だと逃げられないじゃないですか。だから何かに乗ってたら大丈夫かと思って...」 「いえ、それでも危ないですね」 私の案はばっさりバーナビーさんに切り捨てられてしまった。 だけど最良の策を否定され、納得できない私は抗議した。 「痴漢が追いかけてきても逃げ切れますよ」 「いえ、それはどうでしょう。痴漢も相当な脚力を持っているんじゃないですか?」 「ええ? 私も相当な脚力ですよ!」 「どうでしょう。そこはやはり男女の差がありますから......あ、そういえば」 「え、けど私50m走クラスの上位だったんですよ!」 「あ、あぁ、そうですか...けど女性一人は危険じゃないですか? いくら50m走が早くても。そういえば、僕の家」 「ええ?! クラスの上位でもですか?!」 「...え、ああ、そうです。短距離が早くても持久力が無くては」 「持久力...!」 確かに短距離が得意でも、私には持久力が無かった。それを証拠にマラソン大会では優秀な成績を収めたことなんかない。 下の中くらいの成績ばかりだった。この結果からも私は持久力がないことが伺える...。 「あの!」 「...はい!」 私がヒーローとして持久力が無いというのもどうなんだろう? と割と真剣に考えていると、突然バーナビーさんが大きな声を上げた。 珍しいことに驚きながら返事をする。すると、バーナビーさんは真剣な表情でこちらを見ていた。コツコツと響くのは、 相変わらず私とバーナビーさん二人ぶんの足音だけだ。 「いい考えがあります」 「え? なんですか?」 じっとバーナビーさんを見上げながら、いい考えがいったい何なのか発表されるのを待っていると、バーナビーさんがふいっと視線を逸らした。 前を向いてしまったバーナビーさんの横顔を眺めていると、少しの時間が経ってからようやくバーナビーさんが口を開いた。 あまりにもいい考えだから焦らしたいのだろうか。 「...僕の家もこっちなので、一緒に帰ればいいんですよ」 「え」 「二人で歩いていれば痴漢も手を出すことが出来ません。しょうがないので一緒に帰りましょう」 早口で話すバーナビーさんは、一切こちらを見ようとはせずに話し終えた。 バーナビーさんと帰るのは、会話が続かないことを考えると少し躊躇してしまう。と、少し前の私なら考えていた。 だけど今一緒に帰っていると、バーナビーさんと一緒に居るのは、思っていたよりも居心地がいいことを感じた。 そして、私のために提案してくれていることもわかっている。言ってみればバーナビーさんは私と帰っても何の得にもならない。 だけどいいんだろうか? その疑問を口にすべく、私はこちらを横目で伺うように見ているバーナビーさんに問いかけた。 「けどいいんですか? バーナビーさんいつもバイクで通勤してるじゃないですか」 私が口を開くと、それまで口を真一文字にしていたのから、ホッと息を吐く仕草をするバーナビーさんに疑問符が浮かぶ。 「あぁ、大丈夫です。もっと基礎体力をつけようと思っていたところなので、歩いて帰ることは前から考えてたんです」 「そうなんですか?じゃあ一緒に帰ってもらってもいいですか?」 「ええ」 口元を緩めたバーナビーさんが、何故か嬉しそうにしているのを眺めながら、私はバーナビーさんについての評価がぐんと上がったのを感じた。 バーナビーさんって心の底からヒーローなんだな。 困っている人を助けずにはいられないというやつなんだろう。 現に私を痴漢から守るために一緒に帰るのだと申し出てくれた。バーナビーさんにとっては何も得になることなんか無いのに...。 「私もヒーローとしてバーナビーさんを見習いますね!」 「え? はぁ...」
ヒーローのはかりごと
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