ついばむ心




二人はつまり、たっちゃんと南ということだろう。
甲子園...は野球だから、バスケの場合はどこが甲子園のようなものに当てはまるのかわからないけど、そこに連れて行ってあげるなんて約束を交わしているんじゃないだろうか。 きっと私のこの推理は当たらずとも遠からずだと思う。だっていくら幼馴染だからって、こんなにも頻繁に一緒にいる姿を見かけるのだからそうだろう。 私はそっとそこから視線を外して、出来るだけ真っ直ぐ前を向くようにして歩を進めた。


あ、また。
そう思ったときには足が歩みを止めていた。
窓の外に見えるのは、中庭で二人寄り添うようにして立っている姿だった。寄り添う、というのはちょっと大げさかもしれないけど、 それでもただの同級生の男女にしては二人の間の距離は近い。
何かを二人で話しているらしい。青峰くんは明らかに面倒そうに大口をあけてあくびをしている。それを見て桃井さんが怒ったように右手を上げて抗議しているみたいだ。 二人が見知らぬ上級生の男女であれば、私は特に何も思うことも無くここを通り過ぎただろう。もしも何かを思って足を止めても、 痴話喧嘩か、とか証拠も無いのに想像したことだろう。それほど二人は親密な空気を漂わせていた。
窓枠に肘を突きながらその光景を眺めていると、自然とため息が零れてしまった。
そこで頭に浮かんだのは”ため息をつくと幸せが逃げる”ということだった。
特に不幸せでもないけど幸せでもないのだから出来るだけ幸せが逃げてしまうのは避けたい。
だから慌てて小さく口を開けて、今吐き出したため息をすぅっと吸い込んだ。吸い込んだ空気は、ちゃんとごくんと嚥下した。 これで多分幸せが逃げるのはチャラに出来たはずだ。

「なにしとんの?」

馴染みのないイントネーションが聞こえたので、自分に話しかけられたとは思わずに、反射的に声が聞こえたほうに首を動かした。 私から見て右のから、こちらに向かって歩いてきているのは、見覚えがある人だった。

「今吉先輩」
「久しぶりやなぁ、最近委員会ないから会わへんもんな」

薄く笑みを浮かべているけど、それが本心であるかはこの人には通用しない。浅い付き合いながらも、今吉先輩という人がどういう人なのか、 私は徐々にわかっていた。
「お久しぶりです」そう返してこの会話は終わりなのだと思った。特に親しいわけでもない今吉先輩と話すことなんて特に無い。 それは向こうも同じだろうと思ったのだが、予想に反して今吉先輩は私の隣で歩みを止めた。
それからさっきまで私が見ていた先を見て、わずかに眉をあげる。

「青峰と桃井か」
「...ですね」

まるで今知ったかのような返答に、自分でも白々しいとは思いつつも相槌を打つ。「桃井も頑張るなぁ」一応部活の後輩だろうに、 そんなまるっきり他人みたいな言い方で今吉先輩は二人が一緒に居ることを片付けてしまった。 ”頑張る”というのはこの場合、部活に顔を出せと青峰くんを説得していることを言っているのだろう。
先輩なのに、本来なら桃井さんがしていることをこの人もしないといけないんじゃ...。そう思うのに、今吉先輩はあまり関心がなさそうだ。
ついでに二人の距離についても感心がなさそうだ。二人の間の距離が不自然に思えるのは、私の被害妄想みたいなものだったのかもしれない。

「自分、青峰と同じクラスやったっけ?」
「あ、はい」
「へえ」

自分から質問しておいて、今吉先輩は結構どうでもよさそうに生返事をしただけだった。
なんなんだろう...特に話があるわけでもなさそうだし。ぶっちゃけると私と今吉先輩は特に仲が良いわけじゃない。というか、 その前の段階なのだ。仲が良い悪いの前に、知り合いと言う程度だ。委員会でたまたま隣の席に座って少し喋ったくらいの浅い付き合いで、 特に話すことができる話題は思い浮かばない。それなのに今吉先輩は隣に居るので、この場から去りたいと思いつつもそれを行動に起こすことができない。 手持ち無沙汰な私の視線はしょうがなく見たくも無い中庭の光景をぼんやりと映している。
沈黙にいい加減居心地の悪さを感じているところで、私と同様に中庭を眺めていた今吉先輩が動いた。

「青峰のこと好きなん?」
「......え?」

こちらを見下ろしている今吉先輩を反射的に私も見つめ返しながら、たった今落とされた言葉の衝撃に口が間抜けに半開きになった。 そんな私の間抜けな顔を見て今吉先輩は笑うでもなく、ただただ私を見下ろしてくるばかりだった。
細い目はこちらを見ているのかもわからないのに、心の中を読み取られてしまいそうな気がして、私は取り繕うような言葉を探した。

「...ただ、幼馴染っていいなって思って見てただけです」

嘘ではない言葉に今吉先輩は何を言うわけでもなかった。だけど私の口からはぺらぺらと自分の言葉を真実味があるものへと変えようとする言葉が付け足された。

「たっちゃんと南みたいに甲子園に連れて行く約束してるのかなって思ったら、私も幼馴染が欲しかったなって思ったんです」
「古い例え出してくるなぁ」

ちょっとだけ今吉先輩が笑ったのがわかった。ここでたっちゃんと南が出てくるとは思っていなかったのだろう。
”古い例え”と言いながらも、しっかりなんのことかわかっている。
ふっと空気が軽くなったのを感じて、焦って急かされていた心がほっと息をつく。

「けど、そんなん別に幼馴染にこだわる必要あらへんやん」

今吉先輩のほうを見ていた間に、いつの間にか中庭の二人の人影は消えていた。
私は視線を動かして二人の姿を反射的に探そうとしたけれど、思いがけない今吉先輩の言葉に、またしても意識が今吉先輩に向いてしまう。 すると、今吉先輩も私を見ていた。何だかさっきとは違う雰囲気にのまれるように、私は何も言うことができずに、黙って先輩の言葉を聞いていた。

「甲子園に連れてってくれる彼氏を作ったらええねん」

長身な先輩が私を見下ろしている。だけど圧迫感を感じることは無い、なのにいつもとは違う雰囲気...感じたことの無い空気に 私は気圧されるようにその場から動くことができずにいた。
平均的な身長の私と平均的をずばぬけてしまっている今吉先輩とでは、傍から見れば大人と子供のように見えるかもしれない。 ある意味この状況から現実逃避するようなことを考えていると、今吉先輩の口端が上がった。 楽しくて笑っているというのではない、表現するなら誘惑するような笑い方というのが一番近い表現だと思う。
背中をなぜられたような感覚を感じて、思わず息を止めた。

「ワシが連れてったるわ」

いつもは開いてるのか開いていないのかわからないほど細い目がすっと開いて、切れ長の目に捕らえられた。 先輩がこちらに身を寄せて来ている所為で、窓から入ってきていた日差しは先輩に遮られることになった 今吉先輩の大きな影に飲み込まれているような感覚に私はどうすることも出来ずに、ただ動けずに居た。






(20130720)