「ん」 たった一音で、佳主馬くんは自分が来たことをアピールした。顔を上げれば、こちらに向かって佳主馬くんがお盆を突き出しているのが見えた。 お盆の上には赤い三角が乗っている。それがスイカであることは一目瞭然で、私はそれを受け取りながらお礼を言う。 「ありがとう。わざわざ持って来てくれたの?」 「べつに...ついでだから」 うだるような熱さに、「スイカ切ったよー」というおばさんの声を聞きながらも、私は立ち上がる気になれずに生返事をしただけだった。 縁側に座ってぼんやりしていれば涼しいということもないのだけど、動くとますます暑くなりそうで動きたくなかったのだ。 そんな自分勝手な理由で動かなかった私に、わざわざスイカを持ってきてくれた佳主馬くんは、本当に優しい。 そしてお礼を言えば、そっけない物言いでぷいっと顔を背けるところとかはかわいい。 愛想があまり良いとは言えないこの年下の従兄弟が私は好きだった。佳主馬くんはどうかは知らないけど、こうして気を使ってもらえるのだから、 嫌われてはいないと思う。 さりげなく、相手を気遣うことができるのはすごいことだ。 二切れスイカが乗ったお盆は、佳主馬くんも一緒に食べるということだろうと思い、私は少ない日陰を二人で分け合うべく、 少し右にお尻をずらした。そして、隣にお盆を置く。一切れのスイカを持ち上げると、指先が触れただけでよく冷えていることがわかった。 口元が思わず緩みながら、あと一切れを佳主馬くんが手に持つのを待つ。 少しの間、佳主馬くんはここに座るか躊躇していたようだけど、私の無言の訴えに渋々と言った感じで隣に座った。 スイカを佳主馬くんも持ったのを確認したところで、私は嬉々として声を上げた。 「いただきまーす」 しゃく、という音を聞きながらスイカにかぶりつくと隣から「...いただきます」と、小さな声が聞こえた。 少し恥ずかしそうなのに、きちんと挨拶をして食べるというところもかわいい。 なんだか佳主馬くんは、女の子のツボを心得てそうだ。 「佳主馬くんは将来有望だね」 だからしみじみとそんな言葉が出来た。 「...何が」 佳主馬くんの返答はぶすっとしたものだった。 私としては、佳主馬くんのことを褒めたつもりなのだけど。うまく通じてないかもしれないけど、まあいいや。 暑さが私の思考力を奪っていて、考えたり説明するのが面倒だ。 自分から話を振ったくせに、とは思うものの、佳主馬くんがそのことについて文句を言うとも思えない。 本当佳主馬くんってよく出来た子だな。どういう育て方したらこんな子になるんだろ...。 スイカをまた一口齧ってから私は言葉を続けた。 「今から隣を予約しておきたいや」 こんな出来た子は見たことがないぞ。と思っての呟きだった。実際に、佳主馬くんよりも年上の私の周りでもこんな子はいない。 気遣いが出来て優しくてかわいくて、その上キングだし。我が従兄弟ながら佳主馬くんってすごいスペックだ。将来が有望すぎる。 「はぁ? 意味わかんないし」 私の独り言のような呟きに、佳主馬くんは不機嫌に返しながらスイカを齧った。それを横目で見ながら、私は小さく笑った。 : * : 高校受験が終わってからも、なんだかんだ忙しくて私が長野にやってきたのは三年ぶりのことだった。 おばあちゃんが亡くなってからの一周忌には参加したものの、そのままゆっくりする暇も無く、すぐにとんぼ返りだった。 なので正確に言えば、こうやって大荷物を持ってやってきたのが久しぶりなのだ。 重い荷物を持ちながらバスを降りる。両親は後から来ることになっているので、今回は長い道のりを私一人でやってきた。 「...よいっしょ」 今更になってこの重さを恨めしく思う。こんなことならもう少し荷物を減らしておけば...そう思っても後の祭りだ。 私はこの重い荷物を持って、これから炎天下の中を歩かなくてはいけない。 憂鬱な気分になるものの、しょうがなく荷物を肩に背負ったとき、携帯が着信を告げた。とりあえず今肩に担いだパンパンに膨らんだ旅行鞄を地面に置いた。 どすっと、明らかに質量のある音がするのを耳にしながら、私はディスプレイに表示された文字を確認してから携帯のボタンを押して耳に当てた。 「もしもし」 『あ、何時到着のバスに乗ってるの?』 挨拶もすっ飛ばして用件だけを口早に投げかけてくる理香おばさんの声に、私は一瞬間をあけてそのテンポに乗った。 「今もうついたよ」 『えっ?! あんたもう来てるの?』 驚いた様子の理香おばさんの声を聞きつけたらしく、背後がざわついているのがわかった。それに理香おばさんが『だって! もう来てるらしいよ!」と答えている。 相変わらずあの家はにぎやかな様子が電話越しでも伝わってくる。 『今どこ?』 「バス停」 『じゃあ待っときなさい』 「え、迎えに来てくれるの?」 『そうよ』 「やったー」 電話が切れる直前『会うのが待ちきれないって人が行くわ』何か聞こえた気がするけど、あの家は騒がしいから背後のざわざわしているのが 聞こえたのだと思って特に気にも止めなかった。 車で迎えに来てくれたらこの重い荷物を担ぐ必要がないので本当に助かる。私は地面に置いた荷物を再び肩に担いだ。 そこで待っときなさい。と言われたけど、バス停で突っ立っていればバスに乗ると勘違いされる。 だから、まあ進めるところまで自力で進もうと思った。ここから家までは一本道になっているからすれ違ってしまう、なんてことは起こらないはずだ。 早速鼻の頭に浮いてきた汗を手で拭ってから、私は一歩を踏み出した。 「...何で居るの」 ミーンミーン...という耳につく蝉の鳴き声に飽き飽きしながら歩いていると、突然蝉の鳴き声以外の音が耳に届いた。 暑さのせいで視界がくらくらするのか、蜃気楼というやつが原因で視界がゆらゆらするのか判断がつかない。 顔を上げると、ゆらゆらしている視界に人影が映りこんだ。ちょうど逆光になっている所為で人影があることしかわからない。誰。というよりも、私に話しかけているのかさえもわからない。 とりあえず自分が話しかけられているのかどうか判断がつかず、自分以外に人はいるのか振り返ってみるも、背後には誰も居なかった。 「のことだよ」 思いがけず名前を呼ばれ、この正体不明の人影が知り合いであることがわかった。 誰? と尋ねるのは不躾な質問であることは重々承知だ。なので、誤魔化すように当たり障りの無い笑いを浮かべて一番最初に投げかけられた質問に答えることにした。 「夏休みだから久しぶりに遊びに来たんだ」 このまま誤魔化しながら会話をして通り過ぎよう、そう決意したところでため息が聞こえた。不思議と蝉の鳴き声がうるさい中でも、その音が耳に届く。 「そうじゃなくて、」 「え?」 「何で日陰で待ってないの、って......もういいいや」 会話の途中で諦めた様子で呟かれた。私に言っても無駄、というような響きを含んだ諦めの仕方が、私のことを知っているような感じだった。 だけど私はまだこの目の前の人影が誰かわかっていない。 「僕のこと、誰かわかってないでしょ」 「え?! や、いやー...」 図星を言い当てられれば目が泳いでしまう。それを隠すために咄嗟に額の汗を拭うふりをした。 誤魔化すための言葉は何の意味も持っていない上に、もごもごと口ごもったことで確信を持たせるには十分だったようだ。 目が自然と泳いでしまうのを防ぐことができずに、挙動不審とは自分でも思いつつも視線をさまよわせていると、突然 正体不明の誰か(多分知り合い)(声から考えて男の子)が、ずんずんとこちらに大股で近寄ってきた。 知り合いらしいのに私が忘れたなんていったから怒ったのかもしれないと思い、私は身を硬くした。 相手は足が長いらしく、一定の距離があったはずなのにすぐ目の前までやってきてしまった。そして、私はその人の影に飲み込まれた。 思っていたよりも大きいことがそれで判明した。 そうして何を言われるのか身を縮めていると「はぁ...」と、そんな私に呆れているようなため息が降ってきた。 「まだわかんないの」 「...えーっと」 「...」 「んーっと...」 「はぁ......本気で怒るよ」 そこでピンと来るものがあった。そのため息に聞き覚えがあったのだ。 「しょうがない」そんな言葉が含まれているように感じるため息は、以前にも耳にしたことがある。 「か、佳主馬くん...?!」 「遅い」 自称佳主馬くんは両手を腰に当てて、本気で呆れてるふうに言葉を返してきた。 言われてみれば、その言葉の端々に佳主馬くんらしさが詰め込まれてる。佳主馬くんはよく、私が馬鹿なことを言うたびに 呆れた様子で、ため息混じりに言葉を紡いでいた。だからこそ、ため息に聞き覚えがあったのだけど...こう考えると悲しすぎる理由だ。 佳主馬くんとの共通点を見つけることができたものの、けれど私は目の前の大きな人影を佳主馬くんと結びつけることが出来ない。 だって佳主馬くんと言えば、私よりも小さかったはずだ。そして肩幅だとか腕とかについても頼りないほど細かった。 それなのにいま目の前の人影は普通の男の子のようで、私よりも肩幅ががっしりしていることも、腕が太いことも見て取れた。何よりもかわいらしかったはずの声が、低くなっている。 「...えぇー?!」 思わず素っ頓狂な声を上げると、すぐ目の前までやってきていた佳主馬くんが顔をしかめた。 ようやく逆光に邪魔されずに顔を見ることができると、本当に佳主馬くんだった。まだ幼さは少し残っているものの、 その顔はもうあの頃とは違う。頭の中の佳主馬くんと目の前の佳主馬くんのイメージが繋がらなくて目を白黒していると、 肩に食い込んでいた錘が無くなった。 「え? あ!」 実にスマートに自然な感じで佳主馬くんは私の肩から鞄の紐を引き抜いていき、それを自らの肩に担いだ。 あまりにもスマートな佳主馬くんの動きに動揺していると、そのまま歩き出してしまったので私は慌てて追いかける形で走った。 「いや、いいよ! 自分で持つから」 鞄を取り返そうと、今までは見下ろしていたはずの佳主馬くんを見上げて手を伸ばすも佳主馬くんは私のほうをちらっと見た。 けど鞄を返してくれる様子は無い。どうやら本当に家まで荷物を運んでくれるらしい。 い、何時の間にそんなに紳士になったんだ! 佳主馬くん...!! 佳主馬くんのいろんな意味での成長に衝撃を受けて固まっていると、先を歩いていた佳主馬くんが振り返った。 「僕だって成長するから」 心の中を読まれてしまったような返答に、私はついぎくっと肩を震わせてしまった。だけど心の中を読まれたわけが無いと考え直して、改めて佳主馬くんの言葉の意味を考えた。 肩に担いでいるのは、確かに私の肩に乗っていたもののはずだ。だけど佳主馬くんは少しも重くなさそうに、軽々と持っている。 鞄の中身をどこかに捨てたみたいに軽そうだ。以前の佳主馬くんなら、強がっていても重そうにしているのが伝わってきたはずだ。 「それと、」 私がそんなことを考えながら佳主馬くんを見ていると、何かを思い出したようにふいに佳主馬くんが呟いた。 「隣のキャンセルは今更無理だから」 唇にかすかに笑みを乗せた佳主馬くんの視線に貫かれ、私は一瞬息を止めた。
タイムスリップサマー
「...さっき言った言葉の意味わかってる?」 「........えーっと」 「...もういい」 「ご、ごめん! 思い出すから!!」 |