何で今にも干からびそうになりながら、本来は休みで行く必要がない学校に向かっているのかと言うと、私が美化委員会なんてものになってしまったからだ。 美化委員になったのも楽できると思ったからなのに...実際は夏休みには学校の花壇の花や野菜に水をあげなくてはいけないらしい。 そんなことがわかっていれば、当然この委員会には入ることは全力で拒否したいというのに...委員会の選定をしたときには先生はそんなこと一言も言っていなかった。 だから私も、どうせ特に何もすること無くて暇な委員会だろう。と思って、学級委員のクラメイトに頼まれるまま「いーよー」と二つ返事したのだ。 だけど実際は、貴重な夏休みに学校に行かなくてはいけない。 本来は帰宅部であるはずの私は、貴重な夏休みである今日をごろごろして過ごすつもりだった。 アイスとか食べてテレビの再放送とか見てたはずだ。だけど今私は炎天下の中を自転車を漕いで学校に向かってる。 暑すぎて倒れるかもしれない...もし倒れたら美化委員会の所為だ。まだ花に水をあげるのはわかるけど、野菜の水遣りとか意味がわからない。 誰のための野菜なんだ一体! 出来た野菜は一体誰のお腹に入るのかと思うと...その人が水遣りをしろ!! という気持ちになるのだ。 ついでなんだからやってあげればいいじゃない、とか第三者は思うかもしれないが、私的にはそんな広い心を持つことができない。 むしろ暑さの所為でいつもよりも心が狭くなっている気がする。触れるものを皆傷つけてやりたい。そんな凶暴な気分だ。 くだらないことを考えながら自転車を漕いでいると、結構早く学校に着いた。そのままがらがらの自転車置き場に自転車を置き、 私は早速花壇に向かった。 ホースを引っ張ってきて花壇の中の花や野菜に水をあげていると、炎天下の中を走り回っているであろう野球部の掛け声などが聞こえてくる。 他にも人の気配をいろいろと感じることができる。上を見上げると、まさに”夏の空”という光景が広がっていた。 汗をかきながら花壇の水遣りを終えた私は、ちょっとだけ休憩をして行くことにした。 またこの炎天下の中を自転車を漕ぐのだと思うと、少しだけ休憩をしなくてはやってられない。自販機で喉越しが良い炭酸のジュースを買って、 その冷えた缶を頬に当てながらなんとなく自分の教室に向かった。 どことなく夏休みの学校というのは、居心地が悪い。私が部活動をしていないこともあって、今ここに居ることに変な気まずさを感じてしまう。 そんなこともあり、私は学校の中で一番慣れ親しんだ場所である教室を目指した。 「多分空いてないよねー」 あまりにも静かな校舎内で何か音を聴きたいと思って声を出すと、予想以上に声が大きくてびっくりした。 辿り着いた教室は、予想に反して開いていた。てっきり締まっているものだと思ったけど、貴重品などを置いてあることもないので、 空気を入れるために開けっ放しにしているのかもしれない。教室に入り、辺りを見回していると私の視線はある一つの席で止まった。 そこで私の中のある欲求がむくむくと膨らんでいく。辺りをもう一度見回してみるも、人は居ないどころか気配を感じることもない。 だから私はその欲求に大人しく従うことにした。 「お邪魔します...」 一応声をかけてから、田村がいつも座っている椅子を引いた。音が鳴らないように慎重に動く。誰に見られるということはないだろうけど、 やっぱりいけないことをしているという気がしてくるのだ。たかが椅子に座るくらいで。とか思われるかもしれないけど緊張するものは緊張する。 田村の席に座ってみると、やっぱり自分の慣れ親しんだ席とはちょっとだけ違った。どこが違うというのはわからないけど、 何だか違う。やましいことをしているという自覚はあるので、私はちょっと落ち着かない心地で背筋を伸ばして座った。 田村の机は、少しだけ傷が入っているけど比較的きれいだった。どこにも落書きなんてものはない。 少しだけ入っている傷についても、田村の性格からもそれは田村がつけたわけじゃないことはわかる。 机から顔を上げると、いつも田村が見ているだろう景色が広がっていた。私の席から見える光景よりも視界が狭い。 私の席からは教室全体を見渡すことが出来るので、授業中田村が真面目に先生の声を聞いているのかも見える。 私はというと、先生の言葉を半分聞き流しながら田村の観察をしていたりする。言っておくが断じてストーカーとかそういうのではない。 別に面白いことがあるわけじゃないのに、私の口元はさっきからだらしなく緩みっぱなしだ。 ただ田村の席に座っているということが、私の機嫌を上昇させていた。こんなこと校舎にほぼ人が居ない夏休みでないと出来ない。 そう考えると、ちょっと美化委員に入ってよかったと思える。今日初めて美化委員を選んでよかった、と思っているときに突然肩にぽんっと何かが置かれた。 あるはずがない衝撃に......そして人に見られてはいけないことをしていたこともあって、私の体はいつにないほどすばやい反応をした。 「っぉぎゃーーー!!」 叫びながら椅子から転げるようにして落ち、肩に置かれたものの正体が何なのか振り返ると予想外すぎる人が立っていた。 さっき私の肩にあったのは、その人の手だったのだと理解して私はサッと血の気が引いた。田村はまさに唖然と言う感じで私を見ている。 床に尻餅をついた状態で、私は何か誤魔化さないとと思い、「あ」とか「え」とか言ってみるも、それ以上言葉が続かない。 田村の席に座ってるのをよりによって張本人に見られた...! それに、よりによって変な奇声を上げてしまった...! おぎゃー...って。 二つのことが私の頭の中でぐるぐる周っている。 「文次郎、今のおたけびを聞いたか」 「あぁ」 「またこの地球に新しい生命が誕生したぞ。喜ばしいことだな」 「あぁ、喜ばしいことだ」 そのとき、第三者の声が聞こえたことで私の意識も田村の意識も廊下のほうへ向いた。 私の位置からは机などが邪魔で見えないが、その会話は聞こえる。よって”おたけび”はさっきの私のものであると察することができた。 そんな遠くまで聞こえたなんて恥ずかしすぎる! そして返事をしている方が生返事であることもわかった。どう聞いてもめんどくさそうに返事をしている。 声で状況を観察していると突然、パンッ! と音が聞こえ、その後に「いてッ!! 仙蔵、お前っ!!」というのが聞こえた。 あきらかにめんどくさそうに返事をされたのが気に入らなかったようで、手か足が出たようだ。 そうしているうちに足音は近づいてきて、さっきよりもクリアに声が聞こえた。 「三木ヱ門、お前まだ居たのか」 「あ、はい」 どうやら田村の知り合いの人らしいということはわかった。私は尻餅をついた状態なので、あちらかは見えていないようだ。 同様にこちらからも廊下にいる人の姿は見ることができない。田村とその知り合いが挨拶をしているのを私は何となく息を潜めて聞いていた。 そうして足音が遠ざかっていったと思うと、田村がこちらを振り返った。しばらく沈黙が続いているのを渋々私から破った。 「......おはよう」 「...おはよう」 今はどちらかというとこんにちはの方が最適なんだけど、田村はそのことを指摘しなかった。そしてまたしてもやってきた沈黙に、私の心臓は激しく動き出した。 挨拶をしたらその次は絶対に今何をしていたのか、ということについて話題は移るだろう。 そうしたら私は「田村の席に座ってにやにやしてたんだよ?」とか本当のことを言えるわけも無いので、答えに詰まることになる。 誤魔化そうにも人の席に座る理由って何? 私が聞きたい。 「今の...」 「えっ?!」 いつ話を振られるのかひやひやしていると、つい過剰に反応してしまった。そんな私の反応に今度は田村が驚いている。 「ご、ごめん。どうぞ」 「あぁ、さっきはそんなに驚くとは思わなくて...悪かったな」 そう言って私に向かって伸ばされた手を私はまじまじと見ながら、思わず思ったままのことを口に出してしまった。 「田村が謝った...」 「なっ、...僕だって謝るに決まってるだろ!」 「田村が謝ってるところなんか初めて見た」 私の一言に気を悪くした様子の田村は眉間にしわを寄せながら、私に向かって伸ばしていた手を引っ込めた。こういうところは田村っぽい。 もともと自分で立ち上がるつもりだったのでそのまま立ち上がると、田村が腕を組みながら私を見ている。 「さっき何で僕の席に座ってた」 「...エッ!」 油断していたところで心臓を針でつつかれるような問いかけに、私の声はひっくり返った。 どうにかこのまま”なかったこと”にしようと思ったのに、その企みは潰されてしまった。視線が挙動不審な動きをしそうなのを耐え、 私は無いはずの答えを探して頭の中を探った。その結果、やっぱり答えは無かった。 「...」 「...」 「さて、どうして私は田村の席に座っていたのでしょうか?」 「だからそれを聞いてるんだろ!」 突然クイズふしぎ発見のように問題を出した私に、田村はあきらかに苛立った様子でぷりぷり怒っている。 だけど私だって馬鹿正直に「田村の席に座ってにやにやしてたんだ! 超楽しかった! フォーッ!!」とか、ほとばしる感情を露にするわけにはいかない。 むしろ「なんでそんなくだらんことを尋ねるのだね?」というような余裕がある態度を取らなくてはいけない。 あわよくば「そんなことに時間を割いている暇は無いと思わないかね?」と、まるで田村が質問をすること自体が間違っているという雰囲気に持っていくことが出来れば万々歳だ。 「そんなことを聞いてどうするというんだい」 「は、」 「貴重な夏休みをこんなことに割いている暇はないと思うがね」 「そういうならお前は貴重な夏休みを僕の席で何をしていたんだ」 「!!」 田村め!! 私の言葉を逆手にとってそんなことを尋ねられるとは予想だにしなかった。 まんまと私が黙り込むと、田村はにやっと笑った。そこがまた憎らしい、だけど心底憎らしいとは思えない。 私が答えに詰まるも、田村は早く吐けとでも言いたげな視線を投げかけてきて私を追い詰めようとする。その視線から逃げるように、私はふいっと視線を外した。 「さて、そろそろ帰ろうかな...」 「腕時計なんてしてないだろ!」 見えない腕時計を見ながら呟くと、田村がすかさずツッコみを入れてきた。 「これでも私忙しい身だから。スケジュールが5分刻みに入ってるから、じゃ!」 「あ、おい!」 田村の席に置きっぱなしにしていた缶を手に取り、私は足早に教室を出ようとした。だけど教室から足を踏み出そうとしたところで、 目の前にぬっと壁が現れた所為で、急ブレーキをすることになった。 「あ、悪い」 「い、いえ、すいません」 突然現れた壁は実は人だった。 「お前まだ居たのか」 私に向かっていた視線が私の背後に向かっていると思うと、田村に話しかけている。そうして、その声が先ほどの声だったと気づく。 よく見れば私がぶつかりそうになった人の向こうには、もう一人居た。その人が多分私の叫び声をからかっていた人だ。 「まだ仕事は残ってるからな。帰らんのなら使うぞ」 「えっ、」 田村はあきらかに嫌そうな声を出した。そのやり取りからも、多分この人は会計委員の先輩なんだろうということがわかった。 こんな夏休みまで会計委員会はあるのか...。そう思うと少し不憫に思えた。一応私も美化委員に所属している所為でわざわざ夏休みに学校に来てるけど、私の場合は一日だけだ。 「文次郎、お前は本当に.......この状況を見て何も察することができんとはな」 「はあ?」 文次郎と呼ばれた人は、わけがわからないと言いたげな反応を見せていた。私としても突然何の話なんだ、と思っていると、 その人が呆れたように言葉を続けた。 「どう見てもお前は邪魔者だろう」 そう言って、顎で私たちを指した。 「ち、違います!!」 声を上げたのは田村だった。焦ったような声音に自然と私の視線も背後の田村に向く。そうすると顔を赤くさせた田村が 「そういうんじゃありません!!」と、声を上げる。そこでようやく”邪魔者”の意味を理解した私は、慌てて田村の言葉に何度も頷いた。 「ほら文次郎行くぞ。礼は作法の予算を上げろ」 「そ、そうだな」 「ようやく予算を上げるつもりになったか。良い心がけだ」 「違う! 何で作法の予算を上げるんだ、バカタレ!」 「...ほう...この私にバカタレとは...」 騒々しく去って行った先輩二人組みを見送り、何だか微妙な空気だけが残されてしまった教室で、私は動くことができずに居た。 田村の赤くなっている顔を思い出して、私は何かを期待するように鼓動が大きく鳴っているのを感じた。 「...さあ! 帰ろうかな!」 空元気という言葉がぴったりの声が教室にむなしく響く。この微妙な雰囲気に何か言葉を発した、ということをまずは評価して欲しい。 だけど田村は、そんな私を評価することなく黙ったままだ。一応声はかけたのだから、このまま微妙な雰囲気の教室を出ようかと思ったところで、背後から呼び止められた。 「待て、僕も帰る」 「...え?」 「だから、僕も帰る」 え〜? この微妙な雰囲気で一緒に帰るんかーい! とは思ったものの、そのまま口にすることも出来ずに私は「ふーん」とだけ答えた。 出来るなら一緒には帰りたくないのだけど...(だって絶対にこのおかしな雰囲気を引きずることになる)正直にそんなことを言うわけにもいかず...。 私と田村は一緒に帰ることになってしまった。だけどさっきの今で、いつものような態度を取るのは難しい。 結局私と田村は会話らしい会話をすることなく、校舎の中を歩き、自転車を取りに行った。何となく自転車に乗ることなく押しながら校門へ向かった。 私と田村は家が反対方向なので、ここで分かれることになるのだ。「じゃあ」という短い挨拶のようなものを交わしてから私は左に、田村は右へと自転車の進行方向を合わせた。 「ー!」 自転車を漕ぎ出そうと、ペダルを踏む足に力を入れたところで呼び止められ、私は慌てて足を地面に置いた。 後ろを振り返ると田村も私と同じように自転車は前を向いたまま、上半身だけを捻ってこちらを見ていた。 「なにー」 そこまで距離が離れているわけではないけど、そこそこ声を張り上げないと相手には届かない。 田村は何かを言おうとしている様子なのに、それを口にするのを躊躇するように少しの間何も言わなかった。 容赦ない夏の日差しが暑くて、頭の上に日陰を作ろうと手をかざしたとき、ようやく田村が口を開いた。 「さっきの問題の答え、...わかったって言ったらどうする」 思いもしない一言は、私の動きを停止させるには十分だった。 さっきの答えと言うと、”とうして私は田村の席に座っていたのでしょうか?”と言うやつだろう。 その答えがわかったと言うのなら、つまりそれは...私が、田村のことをそういう風に思っているということがわかったということだろう。 カッと、一瞬にして顔に熱が上ったのを感じた。そんな私を見て、田村は口角を上げたのが見えた。 そこで田村は何かを言うわけではなく「じゃあな」の言葉を残して去っていった。満足げに結ばれた唇が印象的だった。 答え合わせをされても困るのだけど、それをすることもなく一人で完結して行ってしまった背中を眺めてから、私はようやく足に力を入れて漕ぎ出した。 田村の口から答えを聞いていないことが良かったと思うのに、同時にそれを残念にも思う。 行き道はあんなにこの暑さを恨んでいたのに、今はそんなこと気にならなくなっている。 頭の中でリピートするのは、最後に見えた田村の楽しそうな顔だった。
夏のバカンス
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