「チョコレート色の罪」の続きです。




バレンタインでのことは黄瀬くんにとっては取るに足りない出来事だったのだろうと思う。
だからこそ、私は次の日からは何も無かったかのような普通の日々がやってくるのだと確信していた。
ちょっとした事故として黄瀬くんには「そんなこともあったなぁ...」という感じで処理をされているだろうから、私もそういう 軽い感じの心持ちでいようと思ったのだ。
バレンタインは金曜日と言うこともあり、二日休みがあった。その二日の間に気持ちの整理をつけることが出来たということもあり、 私は学校に行くときにどきどきするようなこともなかった。
いつも通り家を出て、学校について靴を履き替えてから教室を目指していた。
廊下を歩いている途中、前から友人がスマホを弄りながら歩いてくるのが見え、私はパッと右手を上げた。そして続けて「おはよう!」 と言おうとしたところで、思わぬところから反応があり、開きかけていた口をそのままに視線を友人の背後に向けた。
そうすると何故今まで気づかなかったのか? そこにいるだけで目立つ黄瀬くんがいた。
その黄瀬くんは、私と同じように片手を挙げて満面の笑みを浮かべていた。(黄瀬くんが手を挙げたからこそ、視線がそちらに向くことになったのだけど) 誰か知り合いでもいるのだろう。そう思いながらも、その誰かからの反応がなかったので、私は反射的に振り返って黄瀬くんの知り合いを探した。 登校時間と言うこともあり、廊下には人が居るものの、それとおもしき人を見つけることは出来なかった。

「ちょっ! ひどいっスよ! さんから挨拶してくれたのに!」
「え!」

黄瀬くんの言葉に、一瞬彼が何を言っているのかわからなかった。
何だか情けない声を出しながら覚えのないことを言う黄瀬くんに、私はただびっくりして声を上げた。 目を丸くしていると、黄瀬くんのちょうど前に居た友人が、後ろを振り返って驚いているようだった。そして、黄瀬くんの話し相手が私だとわかると、 ますます驚いた様子で目を丸くしている。一体どういうことだ言いたげな視線を送りながらも 「おはよ」と何事もないように挨拶をされた。それに私もいつものように「おはよう」と挨拶を返しながらも、自分でもこの状況の意味がわからなかった。

「あれ、もしかして友達、っスか?」

間の抜けたような表情での黄瀬くんの問いかけに、私は一つ頷いて返した。そうすると、急に黄瀬くんが両手で顔を覆った。 そのときの動作があまりにも突飛なものだったので、私はその場で小さくジャンプしてしまった。


ぶつぶつと呟きながら顔を覆ったままの黄瀬くんに、私はいまいちこの状況についていくことができずに居た。 黄瀬くんが話しかけてきた、ということが衝撃的なのだ。
なので、前後の黄瀬くんの言葉から考えるほかないのだ。そうすると、黄瀬君が何故今身悶えているのか想像できた。 私が挨拶をしてきたと思い、挨拶を返したというのに実際は黄瀬くんではない友人に挨拶をしていたということが判明したからだろう。 ”黄瀬くんが挨拶をしてくれた”というシチュエーション自体がないことなので、私の頭は変にこんがらがってしまった。

「おはよう」

私が急に挨拶をしたものだから、黄瀬くんは「へ...?」と言いながら目を丸くした。

「いや、黄瀬くんにも挨拶しようと思って」
「あ、あぁ、おはよっス」

私が急に挨拶をしたことにぽかんとしていた黄瀬くんの表情がパッと明るくなったのを確認し、私は黄瀬くんと並んで教室に向かった。




まぁ、挨拶ぐらいをするようになるかもしれない。
これくらいは全然許容範囲ということにしておこう。
そう自分で結論を出したものの、黄瀬くんからの接触はこれだけで終わらなかった。
休憩時間になると「すげー眠くないっスか?」から始まり「昨日あのドラマ見たっスか?」とかいろいろな話題を振られることになり、 いろいろと話しをすることになった。
全然今まで話しをしたことがなかったというのに...きっかけはやっぱりバレンタインの出来事だろう。
黄瀬くんの中では何故か私は話をしてもいい人にカテゴライズされたらしかった。あの日は二人で一緒に帰ったものの、 特に面白い話をした覚えも無いので何でそういう風に思われたのかも謎だ。
最初は黄瀬くんが普通に話しかけてくる、という状況自体が異常だったので、一々驚いてしまっていたのだけど、さすがに二週間こんな状態が続くようになれば慣れてしまった。
”異常”がいつの間にか日常に溶け込んでしまっていたのだ。
黄瀬くんがどうして私に興味を持った様子なのかについては、正直本人に聞いてみたいとも思ったが、そうなるとバレンタインのことについて 触れることになるのでそれは避けたいあまり、私は黄瀬くんに聞きたいことを尋ねることをしなかった。
バレンタインのことについては、完全に私が悪いのだ。


最初はぎこちなかった「バイバイ」も、慣れてきたこともあって自然と口にすることが出来るようになっていた。 そうしていつものように黄瀬くんに「バイバイ」をしたところで「ちょっと話があるんス」と引き止められた。
一瞬、いつもと違って黄瀬くんが真面目な表情をしていたこともあり、私の心臓は大きく一瞬はねた。
反射的に、胸に抱えていた罪悪感をつつかれるのだと思ったのだ。
そうして教室から離れて、人気が無い廊下まで連れてこられるまでは私の頭の中はどういう謝罪の言葉が一番許してもらうことが出来るのか? と言うことについて考えるのいっぱいいっぱいだった。自分でも最低だと思う。真っ先に保身についてを考えるのだから...。 自分で自分を最低だ! と思っていると、言い訳をすること自体がいけないことだと思えてきた。(いや、それはそうなんだけども) いや、全くその通りなんだろうけど...。完全に私が悪かったのだから、ここはおかしな言い訳をすることなく謝ろう! と決意したところで
黄瀬くんが立ち止まった。そしてこちらに改めて向き直った黄瀬くんを正面から見てしまい、さっきの決意はなかったことにしようかな? と早くも私は臆病風に吹かれてしまった。

「教室とかはちょっと話しにくかったんで...」

そういう黄瀬くんは何だかいつもの堂々とした自信に溢れている感じが無かった。どこか落ち着かない様子だ。
私があげたチョコは本当は違う人にあげる予定のものだったんじゃないか、っていうのはやっぱり話しづらいことだろうから...。 「すみません」「ごめんなさい」どれが一番いい言葉なのか、焦りながら考えていると黄瀬くんが口火を切った。

「バレンタインの時、チョコ、もらったじゃないっスか」
「えっ、あっ......うん」

やはりその話だったか。確信を今にもつかれてしまいそうな話の流れに、私の心臓はどきどきと激しく鳴り出した。 ”すみません”か、”ごめんなさい”。どっちのほうが誠意があると感じるのかについての結論はまだ出ないままだ。
どっちだ?! どっちにするべきだ?!

「これ、お返しっス」
「...え?」

いつの間に取り出したのか。黄瀬くんが手に持っている箱をこっちに差し出してきた。
思わぬ話の流れに、私はまじまじとその箱を見つめた。黄瀬くんの手の平に収まっている小さなクリーム色の箱には、深緑色のリボンがかかっている。 何かはわからないが、中に入っているものは”素敵なもの”って感じがする。
何故こんなものを黄瀬くんが私にくれるのかわからず、箱を眺めた後は黄瀬くんをまじまじと眺めてしまった。

「...あの、早く受け取ってほしいんスけど...」
「え! ご、ごめん」

困っているというよりは、急かしているように言われたことで反射的に受け取ってしまった。
そこで自分がどういうチョコを黄瀬くんに渡したのかを思い出し、ハッとした。

「いやいやお返しとかいいよ! 全然気にしないでください...!」

慌てて箱を返そうとするも「いやいや」と、黄瀬くんは受け取ってはくれない。
そうはいっても、黄瀬くんにあげたチョコは本当は違う人にあげるものだったのだ。それなのにお返しをもらうなんて...! 黄瀬くんはきっとたくさんのチョコをもらってるだろうから、そういうことに関しては後腐れがないと思っていたのだけど... (失礼だけど)意外にもこういうところはきっちりしているらしい。それにしてもチョコをくれた人にはきちんとお返しをしているなんて、黄瀬くんてマメなんだなぁ...!

さんが受け取ってくれないと俺も困るんスけど...」
「え」
「もらってばっかでお返しができてないっていうのはやっぱこっちも気が治まらないっていうか」

黄瀬くんはあのチョコは本当は他の人にあげるものであったということは知らない。そして(意外にも)黄瀬くんはマメな性格をしているらしい。 そういうところから考えて、黄瀬くん言い分にも納得するところがあった。
黙って私が考えていると、黄瀬くんがもう一押しするように「だから、それはさんがもらって」と言う。
ここまで言われて「そんな...! もらえないよ!」とか言うのはさすがに空気が読めてないという感じだろう。 本当のことを言えば黄瀬くんも”それならお返しはあげないでいいや”と思うかもしれないが、ばれていないのであれば言う必要もないだろう... と、私のダメな部分が囁きかけてきた。そうして私は”本当のことを言う”という選択肢をなくした。

「そ、それじゃあもらってもいい、ですか...?」
「どーぞ」
「あ、ありがとう...」

”悪い”という気持ちはあるので、何だか動きが不自然なことになってしまう。
ぎくしゃくしながら両手に持っている箱を見つめていると、黄瀬くんが一歩近づいてきた。

「開けないんスか?」

顔を上げると、嬉しそうに表情を緩めている黄瀬くんが居た。

「つーか、開けてほしいんスけど」
「あ、は、はい! 只今!」

黄瀬くんに急かされることで、私はようやく手の中の箱を開けるという次の動作があることに気づいた。
「只今って!」とか何とか言いながら笑っている黄瀬くんを前に、私は左手に箱を乗せ、きれいにラッピングされているリボンをほどいた。 蓋を持ち上げて中を見てみると、きらっと光る黄色い石が二つ並んでいるのが見えた。
そのうちの一つを手にとってみると、ピアスだということがわかった。

「...さんが穴開けてないって知ってるんスけど、これ似合いそうだと思って」

顔を上げると、黄瀬くんがいいわけでもするかのように小さい声で呟いた。視線は下を向いていてこちらを見てない。

「いつか穴開けたときにでも使ってください」

苦笑いとは違うが、何だかいつもの自信に満ちている黄瀬くんとは違った弱弱しい笑い方だった。意外だけど、そのことからこのお返しに自信がないということが伺えた。 だから私は必要以上に大きな声で答えた。

「穴開けたいと思ってたから使わせてもらいます!」
ピアスをしたいとは思っていたので、漠然といつかは穴を開けたいと思っていた。だけど校則とかのことを考えると、やっぱり高校卒業後に開けたほうがいいかな、と 思っていたのだけれど...一目でこのピアスを気に入ったというのはもちろん、黄瀬くんがバレンタインのお返しでくれたという負い目もあるので、春休み中に開けようと思った。 窓から差し込んでくる光を反射して、きれいにカットされている黄色い石はきらきらと光っている。

「黄瀬くんみたいだね」
「...え?」

手の平の上でピアスを転がしながら思っていたことを特に何も考えずに口にしたので、黄瀬くんの呆けたような返答にハッとした。

「あ、色がっスか?」

取り繕うような黄瀬くんの言葉に、確かに言われてみれば黄瀬くんの髪と同じ色をしているということに気づいた。

「色もあるんだけど、元気な色って黄色ってイメージがあるから...黄瀬くんいつも明るいから黄色ってイメージがあって。それときらきらしてるのも黄瀬くんっぽいなーって思って」

手の平で転がしていたピアスをまた元通り箱に戻し、蓋をしながら思ったまま口にした。ピアスを見て黄瀬くんみたいとか言うなんて、 電波な人と思われてしまうかもしれないので、きちんと説明をする必要がある。
すべて言葉にしたところで、ちょうどピアスも片付けることができた。リボンは片手で結ぶのは難しいので、折り目がつかないように注意しながらたたんだ。 そうして顔を上げると、黄瀬くんが何だかもじもじしてた。
...トイレに行きたいのだろうか? そう思っていると、黄瀬くんも私が変な目で見ていることに気づいたらしい。

「や、何か、照れるっスね!」

どうやらもじもじしていたのはトイレに行きたかったのではなく、照れていたかららしかった。
だが何だか意外だ。というのも、黄瀬くんならこういうことは言われ慣れていると思ったからだ。これ以上のもっと素敵な言葉を日々シャワーで頭でも洗うように浴びていそう。 というのが私の黄瀬くんのイメージだ。
へぇ、黄瀬くんでも照れたりするんだな。と思いがけず新しく発見したことに頷いていると「何頷いてるんスかー!」とか恥ずかしそうに言われた。 黄瀬くんてもっと別次元の人だと思っていたのに、普通の高校生って面もあるんだ。今更とは思いつつも、黄瀬くんが意外と近いところに存在していたということに驚いたのだ。

「...けど、こんなに高そうなのもらってもいいの?」

多分話をそらして欲しいだろうと思い、私は気を取り直してさっきから思っていたことを口にした。
私があげたチョコも安い値段ではなかったものの、このお返しのほうがきっと値段は高いことだろうと思ったのだ。 そして同時に、黄瀬くんはこういうお返しを一人一人にあげているのだとしたら、何てお金持ちなんだろう...! と考えていた。

「いいんスよ。つーかもらってもらわないと困るってさっきも言ったじゃないっスか」

さっさと話題を変えたかっただろう黄瀬くんも、すぐに話しに乗ってきた。

「それじゃあ、ありがたくいただきます...。ありがとうございます」

深々と頭を下げると「頭下げすぎっスよ!」とか笑いながらつっこまれた。だけど心情としては土下座しても足りないほどだ。 ここでピアスをもらうことによって罪を上塗りすることになってしまうが、臆病者の私は本当のことを話すこともできない。
出来ることなら隠し通したいことなのだ。例え罪を重ねることになろうとも...!!
私がここで大きな過ちを犯してしまったのだということに気づくのは、もうちょっと後のことだった。





シトロンの足枷



(20140319)ホワイトデーに間に合わなかった☆また続きそう