上司がこんなにかっこいいなんて...!! めちゃくちゃラッキー!!
...なんて最初は思っていました。
だけど、その考えを私はすぐに改めることになった。
上司がこんな人なんて...私って超アンラッキー...。


今日も今日とて書類の山が減ることはなく、私は絶望にも似た気持ちでボールペンを握っていた。
片付けても片付けても書類は次々と毎日やってくるのでプラマイゼロというのが机の上の現状だ。
指は当の昔にペンだこができてしまっていて、硬く存在を主張している。白魚のような私の手が...! とこれ見よがしに 上司であり――このペンだこが出来る原因を作ったといっても過言ではない―スターフェイズさんの前で嘆いてみたものの「そうか、それほどまでに仕事を頑張ってくれたのか...これからも期待してるぞ」 なんて返されてしまった。
丸め込むのがうまいスターフェイズさんに私はまんまと丸め込まれてしまい、褒められちゃったし頑張ろ! なんてその日は 張り切って書類と顔を突き合せてしまった。だけどこれがあの人の手であると気づいた。
そう、私だって馬鹿じゃないのだ。
出来上がった書類を受け取ったスターフェイズさんがその出来に「えらいえらい」と褒めてくれたところまではよかった。 だが「はかわいいなぁ」と微笑みながら言われたときに私がまんまと乗せられてしまったことに気づいた。
あまりにも暖かい微笑みはこちらを馬鹿にしているのを通り越している風に感じた。
それからは褒められることがあってもこの言葉には裏があると自らに言い聞かせてきたので、以前のようにスターフェイズさんの 手の平の上で転がされる、なんてことはなくなった。...と思う。
付き合っていくうちに徐々にスターフェイズさんの人となりも知ることになり、その上尋常ではない仕事を割り振られることなども 相まって私は超アンラッキーな奴だと自らに烙印を押した。
まぁ、ひどいセクハラやパワハラを受ける、なんてことはない。だけど時折異常なほどの長時間労働で働かされるし、上司は私のことを猿もおだてりゃ木に上る、みたいな扱いをしているのだ。
優しくないわけじゃないが優しいわけでもない。
そもそもの過ちは事務処理に長けていると思われてしまったことだと思う。
何故私はあの時忙しそうにしていたスターフェイズさんのお手伝いを買って出てしまったのだろうか。 そして何で完璧にそのお手伝いをこなしてしまったのだろうか。自分の才能が恐ろしい...!
なんてことをだらだら考えながら眠気に負けてしまいそうな自らを奮い立たせ、私はボールペンを動かし続けていた。

「まだ残ってたのか」

突然耳を打った声に反射的に顔を上げればスターフェイズさんが立っていた。
その顔には少しばかり驚きの色が見て取れる。それに胸の中で「いやいやこんなに書類あるのに帰れるわけないでしょ!」と答えた。 あくまでも胸の中でだけで実際には口に出していない。口に出せば自分にとってよくない未来が待っているのは日を見るよりも明らかだからだ。 なので私は無駄な言葉をそぎ落としたシンプルすぎる返事だけをした。

「はい」

私だって出来ることなら帰りたい。だけどこの書類を片付けないことによって明日以降の私がひどい目に合うのはわかっているので、今日の自分が頑張ることにしたのだ。 返事をしてから私は上司の存在を消して、目の前の書類にペン先を走らせた。

「あまり根を詰めすぎないほうがいい」
「...まぁ、後ちょっとなんで。っていうかスターフェイズさんだけですか?」

てっきりスターフェイズさんと一緒にクラウスさんも事務所に入ってくると思ったのにいつまでたってもその気配は無い。
自分のデスクに腰を下ろしたスターフェイズさんは先ほどまで着ていた上着をいつの間にか脱いでデスクワークモードに移っていた。 騒ぎが起きているだとかなんだとか言って全員事務所から現場へと向かったのが夕方頃だった。 すでに午前中にごたごたを片付けてきた私は今回は出動を免除されたので溜まっている事務処理をしていた。 そうして二時間ほど経ってから全員無事に任務を終えることができたと電話で伝えられたのだ。 それに喜んだのも束の間、私はまた書類の山を相手にしていた。
てっきり全員と言わずともクラウスさんは事務所に帰ってくるものと思っていたので、その姿が無いことに違和感を覚える。

「あぁ、全員帰ったよ。急ぎの用も特に無いしね」
「そうなんですか...」

そうか誰も帰ってこないのか...。
私は眠気に負けそうになる体を叱咤しながら立ち上がり、鞄の中から洗顔フォームを取り出して洗面台へとむかった。
襲い来る眠気を吹っ飛ばそうという狙いと、後は単純に肌のことを考えてメイクを落とすことにした。 壁へと備え付けられている鏡には明らかにぐったりとつかれきった表情をした自分が居る。
洗顔フォームを手の中で泡立て、(生憎と泡立てようのネットまで用意していなかった)それで顔を洗う。 重ねたポイントメイクがきちんと落ちるように口や目などを重点的に洗い、水でそれらを流せばさっぱりした顔が鏡に映った。

「よいしょっと」

書類が山のように積まれている机の前の椅子に腰をかけ、洗顔フォームを鞄の中に仕舞い、今度は化粧水を取り出す。面倒だと思うけどここまできっちりしないと後々泣くことになる。 家には美容液、乳液、クリーム...などといったものも常備しているがさすがにそれら一式を持ち歩くことは出来ず、とりあえず化粧水だけは忍ばせてある。 その化粧水をたっぷり手の平の上に取り出し、顔に塗る。
染みこむ様に手のひらで抑えながらも視線は書類に向ける。次に片付けるべき書類は汚い字が躍っている。間違いなくザップだ。 今頃は女のところに転がり込んでいるであろう奴のことを考え、思わず眉を寄せる。書類はもっと綺麗に書けと言っただろうが!

「......一つ聞いてもいいか。」
「何ですか?」

睨みつけていた書類から視線を外せばスターフェイズさんがデスクに座りながらもこちらを見ていた。 てっきりすでに書類を片付け始めていると思ったのだけど...。そんな疑問も持ちながら首を傾げる。

「他のメンバーがいないから顔を洗った?」
「え、はい。そうですけど」

何やら納得いかない様子のスターフェイズさんの質問に、私は釈然としないながらも頷いて答えた。
わざわざ仕事をする手を止めてまでする質問とは思えなかったからだ。十分にしみこんだと思われる化粧水を塗っていた手に今度はペンを握る。 仕事を再開しよう! という雰囲気を出したつもりだというのに、スカーフェイズさんは相変わらず仕事を始める様子が無い。 何やら真剣な表情でこちらを見ている。一直線に向けられる視線に耐えかね、私は思わずもぞもぞと意味もなく椅子の上に座り直した。
なんだろうか、今から怒られるのだろうか......そ、それとも! また仕事を増やされるのだろうか...!!それだけは嫌だ!!

「...」
「...」
「あ、使いますか?」
「...何を」
「洗顔です。さっぱりしますよ。気分リフレッシュっ!! 爽快っ!!みたいな...」
「...」
「あ、よければ化粧水も...」
「いらん」
「...そうですか」

仕事を増やそうと企んでいるのであれば、どうにか取り消してもらえないだろうか。
そんな気持ちを込めた私の気遣いと言う名の下心は相手にもしてもらえなかった。せっかく”リフレッシュ”と”爽快”の部分は力を入れたというのに...CMばりに大げさに主張したのに...無駄な力を使ってしまった。 そもそも多くないHPを少し減らした私を相変わらずスターフェイズさんは見つめてくる。
何だろう...叱るのなら早く叱ってほしい。別に私は怒られてうれしい...マゾとかいう性癖を持ち合わせているわけではないが、 こうまでじりじりと追い詰められるような視線を受ければ止めをさして欲しいと思ってしまう。それも相手がスターフェイズさんだ。(その上ただのスターフェイズさんじゃない。徹夜何日目かのスターフェイズさんだ) この人は瞳だけで人を追い詰めることが出来る。心情的には今まさに私は崖の上へと追い詰められている。

「...もしもここにクラウスが居たら君は今のように顔を洗うのか」
「いや、洗いません」

脈絡がないと思われたスターフェイズさんの言葉は、だけど先ほどの会話から微妙に続いていた。 思わず反射的に首を振りながら答えれば、スターフェイズさんの眉間に皺が寄った。
「ギルベルトさんなら」「ツェッドなら」「ザップなら」先ほどの質問と同じ内容で、けれどスターフェイズさんは何を思っているのか次々と他のライブラメンバーの名前を代わる代わる言った。 それに私は先ほどと同じように首を振って答えた。「洗いません」と。だけど徐々にその眉間の皺が深くなっていくのを目にして私はどうやら答えを間違ったらしい、ということに気づいた。

「...少年は」

”もしもここにレオナルドがいたら君は今のように顔を洗うのか”
最後のライブラ主要男子メンバーの名前(正確には名前じゃないけど...)が告げられ、私はごくりと唾を飲んだ。
そんな緊張するような場面ではないはずなのだが、私は心情的には崖へと追い詰められている状態なのだ。 海へと身を投げたくは無い...! つまりここで答えを間違ってはいけないということだ。
私は先ほどまでの返答に対するスターフェイズさんの反応を鑑みて答えを導いた。

「えーっと、そうですね...うーん、洗うかも...いや洗います」

本音ではスターフェイズさんの代わりにここにレオが居たのなら顔を洗うことはない。
洗顔をすれば当然メイクを落とすことになるのだから、すっぴんをレオに見せる気は無い。 だけど私の嘘に対しての微妙な罪悪感による”洗うかも”という断定しない返答にスターフェイズさんの眼光が鋭くなった。 それを受けて私はすぐさま嘘をつくことにした。
迷うことなく、正直で居ることよりも平穏を取った。

「へぇ...そうかそうか、俺は少年と同じ扱いと言うことなんだな」

凄みのある笑顔だけでも勘弁して欲しいというのに声には棘まである。私は内心で「えぇー」と声を上げた。 どうやらこの答えでもスターフェイズさんの機嫌は傾いてしまったらしい。どう答えりゃよかったんだ!

「いや、だってスターフェイズさんには何回もひどい顔見られてるじゃないですか」

こうして二人で事務所に篭って一晩過ごしたことは数え切れないくらいある。そのときにはメイク崩れがひどい顔を見られてしまっているのだ。 ウォータープルーフのマスカラやらアイラインを使っていても崩れてしまうものは崩れてしまう。 24時間崩れないという謳い文句のメイク用品にも何度も騙された。(その度に「うそつき! 広告詐欺で訴えてやる!!」と声を上げることになった。まぁ、実際には訴えたことはない。少しコスメレビューで酷評してやったくらいだ。)(だけど別に嘘を言ってるわけではないし!)
そのひどい顔をどうにかするためにシャワーだけでも浴びたいと一度は家に帰るようにしているので、他のメンバーには その顔をみられたことはないと思うのだが、スターフェイズさんは例外だ。それこそ二人で夜明け前のコーヒーだって飲んだことがある。 もちろん色っぽいことなど皆無でお互いに隈をこさえて血走った目の疲れきった顔で、だ。家に帰って鏡に映った自分の顔に私は思わず目を瞑りたくなったほどだ。 それなのに今更、スッピンなんて見せられない...恥ずかしいもん☆...なんて乙女的思考になるわけが無い。
つまり「スターフェイズさんならいっか!」と、戸惑い無くスッピンをさらしてもなんらおかしなことはない。
だがそれがどうやらスターフェイズさんは気に入らなかったらしい。私の言い分に今度は笑みを消して眉を寄せている。

「確かに君のひどい顔は何度も見たが、この場合にその話は当てはまらんだろ」
「当てはまりますよ。ひどい顔を見られてるんだからすっぴんもいっか、ってなりますよ」

と、そこまで口にして私はある事実に気づいてハッとした。
サッとスターフェイズさんを見れば険の無い目で見返される。

「も、もしかして化粧崩れした上に隈があって血走った目をした顔の方がマシだって言いたいんですか...!」

口にしてそうとしか考えられないと思いショックを受けた。「ひ、ひどい!!」と声を上げると呆れたようなため息が返ってくる。だがその顔には少しだけ笑みが浮かんでいた。

「そうは言ってないだろ」
「...そうですか」

信じきることなど到底出来ないが、その場では一応納得したような形にした。(ただし目は納得などしていなかったと思う。) ここでこの話は終わりにしたかったのだ。というか今は私のすっぴんについてあーだこーだ言うよりも一刻も早く仕事を片付けたい。 そうしてぐっすりとベッドで眠りにつきたい。早くこの目の下に出来た隈を消し去りたい。
私がスターフェイズさんにスッピンを見られてもいい。と思ったことについて文句があるらしい上司の相手をしている暇は無い。 そもそも何故そこまで文句があるのか、ということについても理解できない。あれだろうか、女は自分に色目を使わなければいけないとでも思っているのだろうか。 そこまで考えてそれはないか、と考え直した。KKさんの例だってあるし、女性に好意を持たれて面倒そうにしている顔も見たことがある。(もて過ぎるというのも困るものらしい。......ケッ!!)
握ったままだったペンを持ち直し、ザップの汚い字が躍っている書類に向き直る。
雑としか言いようが無い活動費請求についての詳細は私の眉間に簡単に皺を刻んだ。
再提出じゃこんなもん! 私は再提出とでかでかと書類に書き殴ってから横に置いた。
そうしてまた新たな一枚に向き直ろうとしたとき、スターフェイズさんがこちらを見ているのに気づいた。

「早くしないと朝になりますよ」

早く机の上に山のようになっている書類を片付けることを勧めるものの、スターフェイズさんは一向にペンを握る様子が無い。 一応注意したからな、なんて言質を取った気持ちでもう一度書類へと向き直る。
眠い目を擦りながらペンを握る手に力を入れる。一瞬、ほんの一瞬だけ擦る際に瞑った目を開くと、目の前がさっきよりも暗くなっていた。 まるで影に覆われているかのようで...。書類から視線を移し、顔を上げればすぐ隣にスターフェイズさんが居た。
あまりにもびっくりしすぎると人は声が出ないらしい。変わり、と言っては何だけど私は椅子の上で軽く飛び跳ねた。 「...ちょっ、音もなく忍び寄らないでくださいよ!」バクバクしている心臓を落ち着かせようと手を胸の上に置きながら抗議するが、相手には全然届いていない様子で...スターフェイズさんはまるで何も聞こえていないかのような反応だ。 なんとも言えない沈黙に、居心地の悪さを感じるよりも先にこの人が果たして起きているのか心配になった。 もしかしたら目を開けて立ったまま眠っているのかもしれない...。

「最近少し生意気じゃないか」

あ、起きてた。
そう安堵したのも束の間、生意気という言葉に思わず驚く。 突然生意気などと難癖をつけられてもさっぱりだ。生意気な態度など取った覚えは無い。 当てのない正解を探しながらも突然つっかかられた私には戸惑う以外の選択肢が見つからなかった。
そんな私に焦れたようにスターフェイズさんは愛想笑いという仮面をつけて何を思ったのか手を伸ばしてきた。 その手はがしっと私の顎をつかんだかと思えば、少し冷たい指先は頬へとめり込んでくる。そうなると当然だが口を尖らせた間抜けな顔の出来上がりだ。

「...にゃにしゅるんでしゅか!」

これまた間抜けに叫んで抗議する。脈絡なく突発的なスターフェイズさんの行動に、私の頭はこの事態を処理しきることが出来ない。 そうして戸惑う私を他所に、スターフェイズさんが突然ぐっと顔の距離を縮めてきた。 ため息でもつけば顔に息がかかってしまうほどの距離に、私は反射的に顔を後ろへと引っ込めて距離をとろうとしたが頬をいまだ掴む手がそれを許してはくれなかった。 あまりにも近い距離で、スターフェイズさんがこちらをじっと見つめてくる。
一体なんだ?! という疑問と戸惑いと共に、私の胸には少しの羞恥の感情がむくむくと現れ始めた。 中身は当に知ってしまったが、最初に会ったときと変わりなくかっこいい顔が目の前にあるのだ。 徹夜続きのため目の下には隈があり、やつれた顔をしているのだがそれさえも魅力へとスターフェイズさんは昇華することが出来る人だった。 気だるげな雰囲気も大人の魅力として身にまとうことが出来るのだからすごい。
そんな気だるげな雰囲気で見つめられ、私の心臓はドキドキとその動きを早め始める。こればかりでも自分の体とは言えども制御することなど不可能だ。 そうしてついに、私はその赤みを帯びた色の瞳から視線を反らしてしまった。頬は拘束されたままなので、視線だけでもと逃げる。 顔が熱いのでもしかしたら掴まれている頬も赤くなってしまっているかもしれない...。

「ハハハ」

戸惑いと羞恥、それとそれらの感情を知られたくないと考えても意味が無いことに頭を悩ませていたところで軽い笑い声が耳を打った。 そうして掴まれていた頬が開放される。次いで頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜられる。 遠慮も何もあったものじゃない。ついでに言えば女性に対して雑としか言いようが無い、まるで犬でも相手にしているかのような撫で方だった。

「もう、何なんですか!」

上司の理解不能な行動にすぐさま抗議の声を上げる。掴まれていた頬の感触が消えず、そこに触れながらデスクへと戻っていく後姿を睨む。

「生意気だから指導したんだよ」

先ほどまで不機嫌そうだった表情には笑みが浮かんでいる。それも作られたものではなく、楽しそうなものだ。 だけど今度は私がそんなスターフェイズさんの表情を見て、眉間に皺が寄った。明らかに私をからかってから機嫌がよくなったのだ。 そりゃこちらとしては面白くない。

「どういう指導の仕方ですか...っていうか全然指導になってないし。それにそもそも私生意気なんかじゃないですよ! 毎日初心を忘れずに生きてるんで!」
「関心関心」

ヒートアップする私を他所にスターフェイズさんは適当な返事をしながらようやくペンを握った。
笑みの余韻が残る口元を確認してから、今更とは思いながらも未だに熱いままの顔を隠すべく書類に視線を落とした。





ミスリードはいらない







(20150814)