あーでもないこーでもないと頭を抱えて机に向かっている私以外にはすでにフロアには人は残っていない。 みんな薄情にも私に戸締りをしっかりするように言い残してとっとと家路に着いたのだ。電気代節約のために私の 上だけぽつんと電気がついた状態のフロア内は暗い。一人で居残りって時点で勘弁して欲しいというのに、こんな薄暗い中で一人 というのは切実にやめて欲しい。気持ちは焦ると言うのにそれにペンを持つ手がついてこない。 「始末書書いてるの?」 「うわっ!!」 一人だと思っていたのに突然左耳のすぐそばで声が聞こえ、思わず声を上げながら体を強張らせて振り返ると何故かパオリンが居た。 「パオリン?!」 「そう、ボク」 驚愕の声を上げた私の声がフロア中に響き、それに冷静なパオリンの声が返って来る。 だけど今はそのパオリンのいつもどおりの態度に安堵する。 「パオリンでよかった...このフロアに住み着いてる幼女の幽霊とかだったら死ぬ」 「幼女ってやめてよ!」 とりあえずパオリンだったことに改めてホッと息を吐きながら呟けばどこかずれた返答が飛んできた。 自分が幼女と間違えられた=自分も幼女だと言う方程式の元での言葉だと言うことは分かったけど、何でそこまで怒るのかは分からない。 「じゃあ何て言えばいいの」 「普通に。ボーイッシュな子とか」 パオリンは最良の答えを見つけた気なのか、なぜか得意げな表情を浮かべたがこちらとしては首を傾げる答えだ。 普通と言うのなら“女の子”と言えばいいのに、よく分からないこだわりだ。やれやれと椅子に座りなおして目に入った時計の 文字盤に私は慌ててペンを持ち直した。こんなことをしてる間にも時間は過ぎて行く! だけどペンを持ったからといってスラスラ文章が浮かぶわけでもないので私の手はぴたりと止まったままだ。 埋まらない紙を前に焦っていると、左隣からずいっと小さな頭が私の腕を押しのけて視界に無理やり入り込んできた。 「...ボーイッシュな子は何でここに? ナターシャさんと帰ったんじゃなかったの?」 ただでさえ広くはないデスク(物がいっぱいあるってことを抜きにしても狭い)に設置されている大きくは無い椅子の上に無理やりパオリンが入り込んでくるので 肩を縮こまらせてどうにか二人で収まって今更な質問を繰り出すと、それまであまり文字の埋まっていないほぼ白い紙を 見ていたパオリンが驚いた様子で私を見た。 「ひどい! 、今日は一緒にご飯食べるって約束したのに!」 あ、しまった。と咄嗟に思ったのだから約束のことは頭にしっかり残っていたのだけどそれが今日のことだとすっかり 頭から抜け落ちてしまっていた。“あ”の形で口が固まるとみるみるうちにパオリンの眉が吊り上がった。 「一緒に肉食べに行くって約束したのに!」 「...肉食べに行くとは言ってないけどね」 「ボク肉が食べたいんだもん」 「えー」 「ヒーローだから肉食べて栄養つけなきゃいけないんだもん!」 どうやら今日のパオリンはどうしても肉を食べたい気分らしい。(というか、大体肉を食べたい気分のようだけど)主張を曲げるつもりはないだろうことは、その力の 込められた言葉でわかった。約束を忘れていたと言う負い目もある以上ここは私が譲らなくてはいけないだろう。 「へーへーわーったよ」 こんな時間から肉って...。と思うと大人げなくも不満ありありな声が出た。けどパオリンはそれについては何も思わなかった らしく、私の口から了承の意を持つ言葉を得たことに喜んだ。怒りの表情からパッと笑顔に切り替わる。その心底嬉しそうな顔を見ると 、まぁいいか。って気になってくる。体重が増えるのはまぁいいかではすまないので、食べる量をセーブしないといけないけど。 目の前で肉が焼かれいるのにそれが出来るのかは疑問だけど...。 「それでは始末書を書かされてるの?」 「そーだった...」 つい現実逃避して夕飯について思いを馳せていたのに、パオリンの一言で一気に現実に引き戻されてしまう。 嫌々ながらもペンを持ってまた紙に向き直ることにした。 「始末書ってさー」 「始末したい人を書くんだよ」 「うそだ! 知ってるんだからボク、タイガーに聞いたもん」 「えー聞いちゃったのー」 ガタン! と大きな音が聞こえたのでそちらの方に視線をやれば、パオリンが椅子を蹴って立ち上がったようだった。おかげで私は椅子ごと少し飛ばされてしまった。 パオリンは怒っているようで眉を吊り上げて腰に両手を置いて“怒ってます、ボク!”ってポーズをしていた。 「うそばっかり言うからタイガーにまた嘘つかれたらやだから教えてって言ったの」 「え、それじゃ私嘘つきな人って思われちゃう...」 「実際そうだもん、しょうがないよ」 けろっと容赦なくいうパオリンに非は無いのだろうけど、簡単に納得は出来ない。 「冗談なのに...。ジョーダンジョーダンマイケルジョーダン」 「なにそれ?」 「一発ギャグ」 「ふぅん、全然おもしろくないね」 別にそんなウケたいと思っていったわけではないし、ウケると思っていたわけではないのだけれど、おもしろくないとばっさり切り捨てられると少し傷付く。 ただでさえも埋まらない始末書がパオリンが現れてから全然進まないのを眺めていると、これ今日終わるの...? と、純粋な疑問が生まれてしまった。 「僕が変わりに書いたげよっか?」 「パオリンが?」 「うん」 パオリンもどうやら同じことを考えたらしい。先ほどから進まないのを焦れたように、身を乗り出して来た。 正直お願いしたいところだけど、さすがにそれはどうかとも思う。自分の中で二つの感情...「まかせちゃお!」という正直な 気持ちと、「いやいや、だめでしょ」という理性がどうしても止めようとする気持ちが沸き起こった。 同時に、もしかしたらパオリンがしたことなら許されるかもしれない...という、大人の汚い打算なども頭を駆け巡る。 「はすごく反省しているのでこれくらいで許してあげてくださいって」 「それだと全然行数が足りないよ」 パオリンの中ではもう自分が私の代わりに始末書を考えてあげるということで決定したらしい。 私のちょっとずれた指摘を真剣に受け取って、頭を抱えながら唸っている。 なんかもう、パオリンすごく頑張ってるし、パオリンが考えた文章提出してもいいかって気になってきた。 この状態から早く開放されたいがゆえの現実逃避である可能性は否めない。 「えぇー、うーん...じゃあはすっごくすっごく反省してるし、ボクはお腹がすいたので許してあげてください」 「パオリンお腹すいたの?」 「うん」 「そっかー。けどまだまだ行数が埋まんないよ」 「えぇー、もう書くこと思い浮かばないよ」 「けど書かないと終わらないよ」 「う〜ん......」 「(頭抱えてすごい考えてる...よっぽどお腹すいてるのかな)」 「そっか!おっきな字で書いたらいいんだよ!」 「うん、やってる」 「えっ、それでもまだまだなの?」 「うん」 「...」 「...」 しばし無言で見つめあう。目の前のパオリンからは、すでにげんなりしている様子が伺えた。 それでも肉のためにめげないパオリンは、考え込むように顎に手を添えた。そして頭の上で電球がピコンと点灯したのが見えるかのように手を叩いて、閃いたという顔をした。 「あっ、はすっごくすっごく反省してます」 「うん」 「ボクはすっごくすっごくお腹がすいてます」 「お腹と背中くっつきそう?」 「くっつきそう! ...あっ!ボクはすっごくすっごくお腹がすいてて、お腹と背中がくっつきそうです。の方が長いからそっちに変えよ!」 「うん」 「それでねぇ...」 「うん」 腕を組んで深刻な表情を浮かべるパオリンは、本当に悩んでいるらしい、笑顔なことが多いパオリンの珍しい表情を眺めながら、 私は手に握っているペンを指の間で回した。 「...うーん」 「...」 「ジョーダンジョーダンマイケルジョーダン」 「ここでそれはだめでしょ!!」 |