「狗が何やら喚いていたわ」

ふははは、と何やらご機嫌に高笑いを始めたギルガメッシュさんに、私は今の言葉を聞き返すべく声を張り上げた。

「え!! 犬、飼い始めたんですかっ?!」

興奮のあまり張り上げた声はギルガメッシュさんの高笑いに勝っていたらしく、すぐにこちらに意識を戻すことができた。 ヘタをすればいつまでも高笑いと何事かでかい独り言を続けているであろうことは容易に想像がつく。だけど私の声を聞き、高笑いは止まった。
ニヤリと何かを企んでいるかのような笑みを浮かべたかと思うとギルガメッシュさんが頷く。

「おお、飼っているぞ。なかなか躾のなっておらん狗だがな」
「見に行っていいですか!」

思わず握りこぶしを作って尋ねてしまった。だけど私の食いつきには特に何も思わなかったらしく、ふっと笑みを浮かべ、前髪を掻き分けながらギルガメッシュさんが答えた。

「構わん」

許しを得た私は早速後日ギルガメッシュさんが教会で飼い始めたという犬を見に行くことにした。
犬が大好きで小さいころから飼いたいと何度も両親にお願いしたが、アレルギーがあることが判明してからは飼うなんて夢のまた夢になってしまったので、 犬に会うことが出来る喜びに私は朝から浮かれていた。
近所のうちで飼われているシロ(雑種♀)は、私が近づいてきただけで歯茎をむき出しにして唸るので触れることができない。 一度、威嚇しているだけで本当に噛んだりしないだろう、なんて自分勝手に解釈して触れたことはあるけれど手には歯型と血がぽつぽつと浮き出てしまった。 こんなに愛してるのに触れさせてもらえないのだとそのときにはひどく傷心した。近所や友達の家は猫派が多いらしく、私はシロ以外の犬と接触することが出来ずにいた。 なかなか犬と関われない生活を送っている所為で、私は犬欠乏状態だった。そんなところでギルガメッシュさんが犬を飼い始めたというのだから渡りに船だ。
少しぐらいなら触っても大丈夫だろう、なんて結論を勝手に出して戯れる気満々でスキップしながら教会にやって来たものの、そこには想像していたふわふわもこもこの姿はない。

「ギルガメッシュさん」
「雑種、来ておったか」

教会の敷地内をうろうろしてわんちゃん探しをしてみたものの犬小屋の類なども見つけることが出来なかったので、屋内で飼っているのか思った私は教会内に足を踏み入れたが、 そこにも探している姿は無い。
パンツのポケットに手を突っ込みながら近づいてくるギルガメッシュさんに私は尋ねた。

「犬は...わんちゃんはどこに......?」
「今は席を外しておるがすぐに戻ってこよう。それよりもその手の、」
「え! お散歩ですか? ...え! 言峯さんと?!」

言峯さんと言うのはこの協会の神父さんだ。この教会に住んでいるのは言峯さんかギルガメッシュさんしかいないので、 犬を散歩に連れて行っているのは言峯さんということになる。
どうりで先ほどから姿を見ないと思ったが、......まさか言峯さんが犬の散歩に行くなんて...。
リードとエチケット袋を持っている言峯さんの姿を想像しようとして私は頭を振った。衝撃的過ぎて想像できない。

「馬鹿を言うな、雑種よ。言峯がそのようなことをするわけがなかろう。もしもそのようなことをしたのであれば、そこには何か裏があるに決まっておる」
「!! じゃあわんこが一人で散歩に行ってるんですかっ?!」

雷が落ちたような衝撃を受けて私の全身は強張った。だってまさか犬が一人で散歩に行くなんて...リードは自分でくわえるのだろうか。 それってとてつもなく可愛いし、とてつもなく頭がいい!!!!
今から会うことが出来る愛らしい姿を想像して私の胸は高鳴る。
頭の中ではゴールデンレトリバーが自らのリードをくわえてしっぽをふりふりしている姿が浮かんでいる。 ギルガメッシュさんが飼っているわんちゃんなのだから只者ではないのだろう。自分で散歩をこなすくらいには。

「帰ったぞー」
「おお、狗。ようやく散歩を終えて帰ってきたか」
「狗じゃねぇし散歩でもねぇよ! 誰かが食いてぇってうるせえ菓子を買ってきたんだろうが!」
「...え、え?」

展開についていけずにギルガメッシュさんと、犬と呼ばれているお兄さんを交互に見てみる。
だが交互に見たからといって、今見ている状況が変わるようなことも無い。いくら激しく頭を振っても何か映像が浮かび上がるとかそういうトリックは無い。 ただただ三半規管にダメージを受けて頭がくらくらするだけだった。そんな私を二人は見ている。 一人はいつも通りよくわからない自信に溢れた余裕尺癪な笑みを浮かべて。もう一人は目を丸くしている。その表情を見る限り、少しヒいているのがわかる。
まあ、私も見慣れない奴が急に頭を激しく振って三半規管にダメージを食らってくらくらしていれば「何だ、こいつ...」ぐらいは思うので、その反応は最もだろう。

、貴様が見たがっていた狗だぞ」
「狗って言うなっ!!」

私の想像とは全然違うただの人(とは違うかもしれないが...だって髪は青いし目は赤い)が立っていて、その人のことをギルガメッシュさんは相変わらず「犬」と呼んでいる。 私の目がおかしいのかと思い、無駄のこととは知りながらも目を眇めたりかっぴらいてみても目の前には状況がわからずに困ったような顔をしたお兄さんが居るだけだ。

「...謀ったな!!」

ギルガメッシュさんに半泣きで詰め寄りながら叫ぶと、視界の端で犬さんがびくっと小さく震えた。

「何を謀ったなどと。我がいつ貴様を謀ったというのだ。そいつは狗で間違いないのだからな」

そもそも貴様を騙すための労力も時間も惜しい。とかなんとかごちゃごちゃ言っているギルガメッシュさんを無視して私は再度「犬さん」を見つめた。
どう見ても人だ。

「なんだ? どういうことか説明しろよ...この嬢ちゃんは誰なんだ?」
「私は、かわいいわんちゃんに会いに来たんですけど...」
「...ん?」

ここに私がきた理由はギルガメッシュさんが飼っている犬に会いに来た。これで間違いないのだ。
だけど実際にふわふわした愛らしいわんこの姿は無くて、代わりに現れたのは「いぬ」と呼ばれている目の前のお兄さんだ。 ...つまり私はこの人に会いに来たと言うことなのだろうか...?

「何かわかんないですけどあなたに会いに来たみたいです」
「...はあ?」

どうやら結論らしきものを見つけてそれを口にすれば、目の前のお兄さんは心底意味がわからないというような表情を浮かべているが、私とて意味がわからないので同じような顔をしていることだろう。 私は犬に会いに来たはずなのだ。決してホモサピエンスに会いに来たわけではない。

「なんだそりゃ。わかんねえって...自分のことだろ?」
「自分のことなんですけど...ギルガメッシュさんが犬に会わせてくれるって...」
「オイ、テメェふざけんな!!」
「やれやれ、やかましい狗よ」

呆れているのを現すためのジェスチャー(肩をすくめながら首を振る)までしてギルガメッシュンさんが薄く笑みを浮かべながら「犬さん」の手にぶら下がっていた白いナイロン袋を持っていった。 中には先ほどの二人の会話から察するに、何かお菓子が入っているのだろう。
依然怒りが収まらない様子の「犬さん」が喚いているのをギルガメッシュさんは完全に無視している。 その様子を眺めながら私は謎を解き明かそうと考えた。
ギルガメッシュさんとお兄さんの関係性だ。犬と呼ぶな、と否定している様子から考えるに、お兄さんは犬扱いされることに不満をもっているのかもしれない。 だけどギルガメッシュさんは私に「犬を飼っている」と言い、犬として紹介してきた。つまり、お兄さんは不本意ながら犬として飼われている、ということだろうか?

「雑種、貴様のその手にあるものの献上を許す」
「え?」

完全に「犬さん」の言葉を無視し、明らかに何か考え事をしている私も無視したギルガメッシュさんの突然の言葉に一瞬思考が停止した。 それを気にした風もなく、ギルガメッシュさんは何故か偉そうな表情を浮かべたままだ。

「その手に持っているものだ。我に献上するためのものであろう。なかなか良い心がけではないか」
「あ、これですか?」

機嫌がよさそうなギルガメッシュさんの後ろではまだ文句を言い足りない様子のお兄さんが待機している。 ちらっとそちらを見れば視線に気づいたお兄さんが不思議そうな表情を浮かべる。
犬が犬ではなく人間だったということが判明した今ではこれも必要ないものだし...。

「どうぞ」
「ふむ」

かさりを音を立てる袋をギルガメッシュさんに渡せば、すぐさま袋の中に手をつっこんで中に入っていたものを出している。 そうしてパッケージを確認してから眉間にしわを寄せた。

「何だこれは...!! 犬用ではないか!」
「違いますよ。人間も食べられるんです」
「なに...?」

パッケージには”グルメなわんちゃんも大満足!”と書いてある。当然犬用だ。だけどギルガメッシュさんはいたいけな少女を騙くらかすという大罪を犯したのだ。
いたいけな少女である私がこの日をどれだけ待ち望んでいたことか...! 今日この日を楽しみに日々を過ごしてきたといっても過言ではない。 辛く苦しい授業だって頑張ったし、大嫌いなピーマンがお弁当に入っていても残さずに食べたし。 ”これを頑張ればわんこに会える”この言葉を合言葉にして自らを奮い立たせたのだ。それなのにギルガメッシュさんは...!
それらの不平不満を口にしたところで軽くいなされるのはわかっている。先ほどの犬さん同様に。だからこそ...! というわけで私は口からぺらぺらと嘘八百並び立てた。

「犬も人も食べれるんですよ。犬に併せて塩分は少なくなってるんで、塩こしょうや醤油はお好みで」

それでもまだ訝しむ表情が消えることは無かったので、「あれ、最近流行ってるんですけど知りませんでした?」というと「知らぬわけがなかろう!」と言いながら部屋へと帰っていった。
その後姿をにやっと笑いながら見送る。これくらいの復讐かわいいものだ。それにあれはペットにも自然派思考を、という考えで作られているものなので余計な添加物が入っていないのだ。 なので、犬が食べても人が食べても大丈夫。ポテトチップスとかよりもよっぽど体に良いだろう。

「...おい、ありゃほんとに人間も食えんのか?」

あれだけ犬扱いをされて嫌そうだったというのにギルガメッシュさんの心配をしてあげるらしい。 そんなところからもこの人が良い人であることが予想できた。

「私...アレルギーがあって犬を飼えないんです。だけど犬が大好きでどうしても触れ合いたいのに犬が居なくて...周り皆猫派で... だからギルガメッシュさんが犬を飼い始めたって聞いてこの日をすっっっごく!! 楽しみにしてたんです...!」
「残念だったな...」

どうやら私が何を言いたいのか察してくれたらしく、同情したように声をかけられた。 演技がかって大げさに話して正解だったようだ。
哀れみを含んだ目は、雄弁に語りかけてくる。お前の気持ちはよくわかるぜ、と。どうやら犬用のジャーキーを渡してもしょうがないと思ってくれたようだ。
だけど私はこれで諦める気にはなれなかった。このささやか過ぎる復習を遂げたことでこの話は終わり、とは思えない。私の犬への愛はこれくらいじゃとめることは出来ない...!! だからこそ少しでも可能性を見出そうと、目の前の「犬さん」について考えた。
そして、犬扱いされているということは犬としての素質がある、ということなんじゃないだろうか。そんな考えが頭を過ぎった。 じーっとその顔を見つめれば、臆することなく赤い瞳で見つめ返される。きれいな色だ。 そして気づいた。全体的な雰囲気が犬や狼など、どこか野生を感じさせるのだ。鋭い視線や立ち居振る舞いに隙が無い。 だけど良い人であることは先ほどのやり取りでわかっている。自分を犬扱いしてくるギルガメッシュさんの心配をしたり、 会ったばかりの私に同情してくれたり。これは...いけるかもしれない...!!

「お手」
「...あ?」

もしかしたらいけるかもしれない。そんな考えが過ぎり、欲求と葛藤することもなく私は右手を犬さんの目の前に出した。 その手を見て低い声を上げながら戸惑ったように見つめ返される。なので私も見つめ返す。

「...」
「...」
「...」
「...」

先に折れたのは犬さんだった。
嫌そうな顔をしながらも大きな筋張った手が私の広げた手の平の上に置かれた。
その瞬間、私はわんこにやってみたかったことその3をすぐさま実行した。

「グッボーイ!!」
「やめろ!」

両手を伸ばして犬さんの髪をわしゃわしゃと混ぜながら「good boy」というやつだ。海外ドラマとかでよく見るあの光景。 理想としては抱きつきながら褒めるのがよかったのだけど、ちょっと普通のわんことは勝手が違うのでしょうがない。 その代わりアレルギー症状が出ることも無い!
口では拒否しつつも、犬さんは私の手を振り払うようなことはしなかった。嫌そうに顔を歪ませながら私の好きなようにさせてくれる。 その懐のでかさに付け入る隙を私は見出してしまった。

「...満足か、嬢ちゃん」
「いえ、まだまだです。犬に触れられないフラストレーションが溜まりまくってるんです!!」
「はあ?」
「散歩に行ったり、一緒に寝たり...他にもボール投げてとってこーい! とかしたいんです!!」
「しねえからな! 絶対!!」
「またまたぁ...そんなこと言って? ホントは?」
「ホントもなにもねえ! 俺は犬じゃねえ!!!!」

必死に拒否する犬さんだが、こうしてお手もしてくれたし、頭をわしゃわしゃさせてくれたし...ということで、 完全に味を占めた私はその日からわんこ...もとい、ランサーさんに会いに教会を尋ねることになった。



step ワン!
まずは仲良くなりましょう







(20151104)