一生忘れられないと思っていた出来事は、けれどあまりにも現実味がなかったということと、早く忘れたいと思っていたからか少しずつ記憶が薄れつつあった。 あんなにも恐ろしい幽霊に会ったのは初めてだったと思っていたのだけど、あのときよりも今はピンチかもしれない。 「ぐぅっ...重っ...!!」 肩といわず頭に背中と、全身に覆い被さってくるものの所為で私は身動きが取れずにいた。 こうなってしまうことは少なからず予想できたというのに...! 買い物にやって来た商店街で見つけたのは反復横飛びをしている人だった。地面に敷かれているタイルを線の代わりにして飛んでいる。 人の往来が多いこんなところでなんだって反復横飛びなんてしてるんだ...迷惑すぎる。そう思いながらもそれを口にはせずにいたものの、 視線で私が見ていることに気づいたらしく、反復横飛びを唐突にやめたその人と目が合ってしまった。 「あ、」 思わず反射的に声が出てしまい、私が視えてしまう人だと言うことに気づかれた。 つまり、反復横飛びをしていた人は幽霊で、自分が見える人を探していたようだったのだ。 おかげでべったりとまとわりつかれてしまい、それを見たほかの幽霊まで寄せ集めてしまうことになった。 小さな頃から視える体質の私は何度もこういう目にあって来たので、自分の身を守るために普段は幽霊には気づかないふりをしている。 だけど時々、あまりにも日常に溶け込んでしまっているとそれが幽霊なのか判断できないことがあるのだ。 まぁ今回は異質すぎて逆に注目してしまった、っていうパターンだけど。 商店街とは言ってもあまり人通りの無いここを通る人は居ないようで、おかげで私の状態――背中を丸めて、足は生まれたての小鹿のようにぷるぷるしている―― も見られることは無いのだけれど、自分ではこの状態をどうすることも出来ないのでよかったとは素直に喜べない。 いつも持ち歩いている塩やお札なんかは鞄を変えたので忘れてきてしまった。この間ピンチを乗り越えたと思っていると、またしてもピンチになるとは...!! 踏ん張ってどうにか倒れこまないように頑張っていると、突如スッと体が軽くなった。そうすると自然と丸めていた背中をまっすぐにすることが出来た。 何が起きたのかと見てみれば、今まで私にまとわりついていた幽霊や妖怪的なものたちは消えている。 「よお、なんだってあんなもん体に貼り付けてんだ?」 「好きで貼り付けてるわけじゃ...」 そこまで答えて、既視感を覚えた頭が記憶を掘り起こした。慌てて声が聞こえたほうを振り返ればどこか見覚えのある姿があった。 青い髪に赤い瞳、低い声.....そこまで辿って一致した記憶は私にとっては決して良いとは言えない夜の思い出だ。 見えないふりをしないと殺される。そう思った私は咄嗟に視線を気軽に声をかけてきた男から反らした。 「なんだ?」 何も見えていないし何も聞こえていないのだと主張するために、声は聞こえないふりをして歩き出すことにした。 先ほどまでの押しつぶされるかもしれないという危機からは逃れることが出来たものの、今度は新たに殺される可能性が出てきてしまったのだ。 こういうのを一難去ってまた一難というのかもしれない...本当についてない。 「おい、何で急に無視すんだ?」 殺されるからだよ! と言いたくても見えていないふりをしなくてはいけないので答えることができない。 それでも男はめげずに、というかしつこく話しかけにくる。こちとらこの間の恐怖体験を思い出してびっちょり手に汗を握っているというのに...! どうにか男を撒こうと足を動かすもののそもそも足の長さが違うので撒くことなど出来ない。 というか、もしかしたらこの人は私がこの間殺そうとした女だということに気づいていないのだろうか。あまりにもあっけらかんとしている。 おい。と、なあ。を繰り返し何度も口にしながらついて来る男に、私はついつい固く引き結んでいた唇を緩めてしまった。 「見えてたら殺すって言ったじゃないですか...!」 押し殺すように歯の隙間から声を絞り出したので男の耳までは届かなかっただろうと思ったのだが、心当たりを探すような「ん?」という呟きの後に 「あぁ!」と、合点がいったような声が続いた。その声に思わず今まで意図して避けていた男を視界に映してしまう。 「見えてないはずだろ、何にも」 ニヤッと意味ありげに笑ったので、やはりあのときの私の苦し紛れすぎる演技は見破られていたということを知った。 この人の目にはとても滑稽に見えただろう。恥ずかしさに顔が熱をもったのを感じる。 「それになー、今は見えてなきゃおかしいんだよ」 「え?」 「今は実体化してるからな。見えてるのが普通だ」 「......幽霊じゃないんですか?」 あそこまでアグレッシブに動いて力が漲っている幽霊と言うのも見たことが無かったので普通の幽霊ではないとは思っていたものの、 いざそう言われてもよくわからない。目の前の男を観察してみると、あの夜とは違い普通の人にしか見えない。 格好はシンプルに白いシャツと黒いパンツで、本当に普通のお兄さんという感じだ。 唯一、青く長い髪と紅い瞳が異を放っている。 「オイオイ、さっきの連中なんかと一緒にしてくれるなよ」 さっきの連中というと、反復横飛びをしていた幽霊や、その他私の背中に張り付いていた幽霊のことを言っているのだろうか。 私としては幽霊は幽霊と言う感じなんだけど(目の前の人は普通の幽霊ではないと思ったものの、やっぱり括りとしては幽霊だ)、この人からすると違うらしい。 「はぁ」といまいちな反応をする私に少し面白くなさそうな顔をしている。 「...わかってねえな?」 「わかってますよ、幽霊ですよね」 「ちが、いや、...そうなんだが」 バツが悪そうにもごもごと喋っていたと思うと、突然何かを思いついたように口角を上げた。 「ま、簡単に言えば格上も格上だ」 「へぇ」 幽霊の中でも格と言うのがあるらしい、ということを今ここで聞くまで知らなかったのでおのずと返事は気の抜けたものになった。 だけど格上、と言う言葉には少し納得してしまう。今までの経験から考えれば、幽霊とこうして話が普通に出来ているというのがイレギュラーなのだ。 あまりにも普通に会話が出来ているので、もはや相手が幽霊であることも忘れてしまいそうだ。 「あれ、じゃあもしかしてさっき幽霊達が逃げたのは...」 「あぁ、ちょっとびびらせたらすぐに逃げていきやがった」 口ほどにもねぇ。と言いながらフンッと鼻で笑っているのを見ながら、この人がどうやら私を助けてくれたらしいことを知った。 「ありがとうございます」 「ん?」 「あのままだったら多分ぺしゃんこにされちゃってたと思うんで」 ぺしゃんこにされるのを想像して思わず気分が悪くなった。決して想像だけの話ではなく、現実でありえる話だったのだから。 そんな恐ろしい未来を回避することが出来て心底ホッとしながら、そして目の前の人に心から感謝するも、感謝されている方はきょとんとしている。 そうして間が合ってから頭を掻きながら苦く笑った。 「いや、まさか礼を言われるとはなぁ」 「助けてもらったんだからお礼くらい言いますよ...」 そんな常識外れのつもりはない。助けてもらったんだからお礼を言うのは当たり前だ。 たとえ相手が幽霊、もとい格上の幽霊であったとしてもだ。 それでも少し腑に落ちない様子だが、いつまでもこうしているわけにもいかないので私はさっさとこの場を離れることにした。 まだ買い物は途中なのだ。 「それじゃあ私はそろそろ......安らかに成仏してくださいね」 「待て待て! やっぱわかってねえじゃねぇか!」 片手を振りながら颯爽とその場を離れようとしたところで腕を掴まれてしまい、引き止められてしまった。 「いや、わかってますよ。成仏できない格上の幽霊なんですよね」 「間違っては、ない、のか...?」 眉間にシワを寄せながら呟いているのを見てから私は掴まれた腕に視線を移動させた。 普通に人に触れられているのとなんら変わりが無い。本当にこの人は幽霊なのだろうか。 幽霊に触れられたときにはひんやりした感覚というのか、少し変な感じがするものなのだ。それなのにそれを全く感じない。 格上となるとそこのところが違ってくるものなのだろうか? 握られた手をどうにか振り払おうと力を込めてみるもののびくともしないので、しょうがなく逃げることは諦めた。 そうするとそれに満足したらしく格上の幽霊は口端を吊り上げる。 「礼なら言葉じゃ無くて他のもんがいい」 「えっ、死にたくないです...」 「そんな物騒なことするかよ」 どの口が言うのか! そんなツッコミをもはや待っているのかと疑う言葉だ。 そしてとても図々しい。自らお礼を要求するとは...と思ったものの、助けられた身としてはそれを口にするのもどうかと思い、胸のうちだけで呟いた。 殺されるわけではないというのなら一体何が望みだというのだろう......お金だろうか。 そこはかとなくただようチンピラ臭を嗅ぎ取り、私の警戒レベルは上がっていく。 幽霊なのにお金がほしいのだろうか。格上の幽霊は隙あらばお金とかを巻き上げたりするのかもしれない...。よくわからないけど。 余裕のある生活をしているとは言えないので、常日頃から節約を心がけている身としてはどれくらいの金額を要求されるのか戦々恐々だ。 「......一回聞いてみるだけですけど、じゃあ何ですか」 「あ、そういや名前聞いてなかったな。嬢ちゃん名前は?」 意を決して自ら話を切り出したのにまるっと無視されたという苛立ちよりも嬢ちゃんと呼ばれたことの衝撃のほうが大きかった。 嬢ちゃんなんて呼ばれるような年齢はとっくにすぎてしまったし、嬢ちゃんなんて呼ばれること自体稀有なので想像以上の衝撃を受けてしまった。 というか、この人とそこまで年は変わらないと思うのだけど...と、考えてそういえば幽霊だったことを思い出した。 幽霊なのでもしかしたらものすごく年を取っているのかもしれない。 「...です。」 「俺のことはランサーって呼んでくれ」 にかっと笑っている姿はとても爽やかで人懐こいものなのだけど、がっしりと肩を組まれたのが実は逃げることを許さないためのものだったと知るのは後になってからだ。 |