「蜜の代償」の続きです。




家に帰ってからいつも通りの時間を過ごして、ベッドに入って寝る間際。私はそこで今日のことは夢ではなかったのだろうか、と考えた。 そうして明日登校したときのことを考えて暗闇の中青くなった。
だって、黄瀬くんと付き合うってことになるんだから絶対に”黄瀬くんの彼女”という肩書きはついてくるはずだからだ。 その座を狙っていた女の子達に何かされるんじゃないか、とかそういうことを考えてぞっとした。 そうしてまた自分が保身ばかりを考えていることに気づいてがっかりした。自分自身の卑怯さに。
そして思考の終着点はやはり”黄瀬くんは何故私のことが好きなんだろう?”というものだった。
もちろんこの疑問は考えていればいつかは解ける数学の問題みたいなものじゃないので、ただただ悶々と考える他無い。 結局それらしい答えを見つけることも出来ないまま私は眠りについた。
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やはりあの日のことは夢だったのだと今なら思える。
あの黄瀬くんからの衝撃の告白があったと思っていた日(...思い込んでいたというほうが正しいかもしれない)から気づけば 一週間ほど経過していたが、私が恐れていた事態は何も起きてはいなかった。
翌日びくびくしながら登校した私は奇異の視線で迎えられる...なんてことはなく、普段と変わりなく教室までの道を歩き、 授業をこなし、友人との談笑に休み時間を費やした。つまり、普段と何一つ変わりが無かった。 そんな日が一週間も続いている。それはつまり、黄瀬くんとも一週間話をしていない、それどころか顔さえも合わせていない という状況と言うことなのだ。
そもそもクラスが離れた上に校舎までも違うので顔を合わせるような機会もなかった。
だからこれが通常だ。
あまりにもいつも通り過ぎるので多分あの日のことは私が夢を見ていたとか妄想してたとかそういうことだろう、と結論付けた。 もちろん私だってなんかおかしい...とひっかかるところが無いわけじゃない。 もしかしたら深層心理で私は黄瀬くんのことが好きで、付き合いたい! とか思っていたのかもしれない。 だからあんなあるわけもない夢を見てしまったのだと、そのひっかかりを無理やり落ち着かせた。
夢を現実と思い込むなんて、私ってばおっちょこちょい☆

「...さん!」

数学の課題とテキストを鞄の中に入れ、帰り支度をしながら完全に自分の世界に入りこんでいたので、
突然名前を呼ばれて驚いた私は文字通り弾かれるように椅子の上で跳ねてから声が聞こえたほうに反射的に首を回した。 そうすると思っても居なかった人物が教室のドアのところに立っていた。

「き、黄瀬くん?」

少し困った顔をしているものの、黄瀬くんは常人にはないきらきらしているオーラを振りまきながらそこに立っていた。 内心では「げげっ!」なんて言葉が反射的に出てきたものの、それはどうにか口にしないことに成功した。
そして自分で、なんて奴だろう...と自己嫌悪に陥る。だが、そう落ち込んでも居られないのですぐさま顔には笑みを貼り付けた。 多少ぎこちなかったかもしれないが、それにはどうか気づかないで欲しい。

「...えっと、どうしたの?」

急いで黄瀬くんの元へと走れば、教室中の視線が向けられていることに嫌でも気づいた。
当然といえば当然だろう。校舎が違うこともあってレアキャラとなっている黄瀬くんが現れた上に、私を訪ねて来たのだからちょっとした事件だ。 居心地の悪さを覚えていると、視界の端で友人が目をひん剥いているのが見えてしまった。 「どういうこと?!」と口をぱくぱくしながら尋ねられるが、生憎と答えは持ち合わせていないので戸惑った視線を返すことしか出来なかった。

「...ちょっといいっスか?」

はにかむようにして告げられた言葉に、私の頭には反射的に夢として処理したあの日のことが浮かんだ。
あのときも黄瀬くんははにかんでいた。もしかしてこれも夢...? ここが夢と現実の狭間?? そんなことを考えていた私は多分おかしな顔をしていたのだろう。 困惑と不安を混ぜたような表情の黄瀬くんに「あ、忙しいっスか...?」と伺うように尋ねられて慌てて首を横に振った。

もう帰る準備も出来ていたので、私は鞄を手にとって黄瀬くんに導かれるまま足を動かした。
黄瀬くんはどこへ向かうのか考えていたらしく、どこか目的地に向かって迷うことなく足を動かしている。 私はその後は少し小走りでついて行くしかなかった。そうしてから自分が小間使いのようだな、と思った。
背中を丸めて鞄を抱え、屋敷しもべ妖精のドビーのように傅いて歩けば、先ほどから向けられる周りのあからさまに好奇心丸出しの視線は「なんだ屋敷しもべ妖精か」 という具合に何でもない日常を目にしたときのようにスルーしてくれないだろうか、と考える。 この居心地の悪い視線から逃げることが出来るのであれば、屋敷しもべ妖精にだってなってやる。 だけど一つだけ叶うのなら主人は優しい人であってほしい...ハーマイオニーのように。
そんなしょうもないことを考えて現実逃避をしていると、黄瀬くんが立ち止まり振り返った。
どうやら目的の場所はこの人気のない階段と階段の間の踊り場だったらしい。 下校時刻を迎えた校舎内のざわめきが遠くに聞こえ、ここは隔離されているかのように感じる。
...二人きり。その事実に何だか緊張を覚え、頭がいろいろと働いて思考し始める。 あの日のことはもしかしたら夢ではないと仮定すのであれば...もしかすると、いや、本当にもしかするとなんだけど、私と黄瀬くんは付き合っていると言うことになるのではないだろうか...?

「...久しぶりっスね」
「あっ! う、うん。久しぶりだね!」

頭を過ぎる”もしかして”に手の平がじわりと汗ばんできたところで突然声をかけられたので、びくりと肩が跳ねた。 あからさまにぎこちない返事をすると、黄瀬くんが少しおかしそうに笑った。とりあえず怒っているわけではないということにホッとしたのも束の間、黄瀬くんが眉根を寄せた。

「ほんとごめん...! 今ちょうど部活で忙しくて...」

突然の謝罪にわけがわからず、私は「いえ、そんな」みたいなことをごにょごにょと口の中で反射的に返したが、黄瀬くんの口が止まることはなかった。

「連絡取ろうと思ってもさんの番号とか知らないし...何回か昼休憩とか放課後に会いに行ったんスけど一回も会えなくて」

そこまで一息に喋ったかと思うと、申し訳なさそうな表情のまま勢いよく頭を下げられた。

「ごめん!!」

どれくらい勢いがよかったのかというと、黄瀬くんが頭を下げた風圧で前髪が軽く揺れるくらいだ。 だけど今はそんなことはどうでもいい。問題はあの黄瀬くんが目の前で深く頭を下げているということだ。
どちらかというと私の方が彼に対して頭を下げるべき悪行を行っているというのに...!

「いやいや! 頭上げて黄瀬くん...!」

慌てて声を上げれば、ゆっくりと顔を上げた黄瀬くんは気のせいでなければ少し不安そうだった。

「...許してくれるんスか」
「許す許す」

そもそも許すも許さないものないのだ。頭を上下に何度も振って慌てて答えると、ようやく黄瀬くんが安心した表情で顔を上げた。 そうして目と目が合えば、じんわりと表情が崩れる。それでもイケメンなことには変わりないので、さすが黄瀬くんイケメンはどうなってもイケメンだなぁ、と現実逃避をしながら感心した。

さんオレのこと忘れちゃいそう、って思って不安だった」
「...あははー、そんなわけないよー」

少し恥ずかしそうに告げられた言葉に、私は別に何も食べてないのに喉に何かが詰まったかのように感じた。 それを取り繕うように笑ってみたがどうにも空々しく聞こえた。だけど当然かもしれない。
黄瀬くんのことを忘れることはもちろんなかったが...それどころかめちゃくちゃ考えてたんだけど......。 何だか話しの雲行きが怪しくなっていたように感じ、先ほどから心臓がどくどく大きく脈打っている。 黄瀬くんが私と連絡を取れなかったことについて謝罪をする意味は、夢として処理したあの日と繋げれば答えが導かれてしまう。 「あれは夢だったのでは?!」そんな疑問を自分自身に投げかけてみるが、答えることができなかった。
変わりに「いや、やっぱり...何か妙にリアルだと思ったんだよね」と冷静な部分が今更なことを呟いた。
私の様子がおかしいことには気づかないのか、私の返答を聞いた黄瀬くんの表情はあきらかに緩んでいた。 そうして今度は何だか落ち着かない様子で頭をかいたり頬をかいたりしている。
私はそんな黄瀬くんをぼんやりと眺めながら、じわじわと現実を飲み込んでいった。
あの日が夢ではなかったというのであれば、何もなかった平穏な今日までが夢のようだったとさえ思える。

「...それじゃ寂しかった、っスか」

何かを決意したようにこちらに視線を定めた黄瀬くんを目玉が捕らえ、自然と見詰め合うような形になったところで爆弾が落とされた。

「...ええ?!」

一体何を言うんだ?! そんな気持ちが叫び声として出てしまった。
その言葉は大きな衝撃を私に与え、器官にダメージを与えた。げほごほ咳き込んだ私の背中を誰かが摩ってくれる。 「大丈夫っスか?!」慌てるそんな声を聞いて、背中に触れる手が黄瀬くんであることを理解して急いで距離をとった。 これ以上優しくされると罰が当たるどころの話ではない。咳き込みながら大丈夫だと答えるが、黄瀬くんは納得していなさそうだった。 胸を摩って自らを落ち着かせていると、タイミングを見計らったかのように黄瀬くんがポケットから携帯を取り出した。

「番号とか交換したいんスけど...」

えっ! と声には出さなかったものの、その驚きはばっちり表情として表れてしまったらしいことは自分でもわかった。 目の前の黄瀬くんが途端に不安げに眉を寄せたので、私は慌ててもちろんオッケー! って感じで頷いた。
断る理由なんてない! って感じを装ったが、もちろん内心はそんなことはない。番号なんて交換した日には、本当に、こ、こ、恋人みたいな感じになってしまいそうだ...。

「あ、うん、そうだね! 交換しよ!」

だけどだからといって断れるわけが無いというのも事実。なんてったって私はバレンタインに黄瀬くんにお高い見るからに本命チョコを渡したし、 ホワイトデーには高そうなピアスをいただいて、あまつさえ嬉しげにつけているところを目撃されている。
そうして今度は告白らしきものをされて、よろしくなんて言葉を交わしたのだ。考えてみれば逃げ道などあるわけがなかった。 何だって私はさっきまでこの間のことは夢だったのかもしれない、なんて馬鹿みたいなことを考えられたのか今となっては意味が分からない。 完全に逃げ道はふさがれているというのに...。
同じように携帯をポケットから取り出せば、黄瀬くんの表情がパッと明るくなる。
操作をして、無事に交換を終えてしまい。私は新たに登録された黄瀬くんの番号をじっくりと眺めた。 売るといえば買うという人は何十人いるかわからない。そんな番号が私の携帯に登録されている。

「これでいつでも連絡取れるっスね」

私の心情など知らない黄瀬くんは私なんかの連絡先を登録したことに大層嬉しそうな顔をしている。「...そ、そうだね」と、一応言葉は返したが 私としてはより近くなった黄瀬くんの距離に口元が引きつりそうだ。
こんなことなら一週間現実逃避をするんじゃなく、心を決めておけばよかった。あまりにも失礼すぎる態度に、顔を上げることもできない。 けれど今更本当のことを言うなんて選択肢は私の頭にはない。とすれば、このまま進めるしか道はないのだ。

「さっきの話し、」

腹を括れ!! 携帯の画面に映る「黄瀬涼太」の文字を見つめながら自らを鼓舞していると、ぽつりと頭の上に声が落ちてきた。 反射的に顔を上げれば、真剣な表情をしている黄瀬くんと目が合った。

「オレは寂しかった」

そう口にした黄瀬君の頬を上気していた。唇は何か感情を耐えるかのように一文字に引き結ばれている。 この顔は前にも見たことがある。どこだっけ、と考えるまでもなく一週間前のことが脳裏に浮かんだ。 そうして今の黄瀬くんの言葉を頭の中にもう一度再生させる。
”さっきの話し” ”オレは寂しかった”
意味を理解して、黄瀬くんの赤いのが映ったみたいに私の顔にも熱が上ってくるのを感じた。 それと同時にどうしようもない申し訳なさを覚えて胸が痛んだ。だけど今更引き返すことは出来ない。





蜜の代償



(20160102)また続くYO!