「外暑そうだね」 冷房の効いた車内の窓から見える流れる夏の風景を眺めて呟いた。 隣からは「うん」というシンプルな相槌が返って来る。 男の子とこうして二人きりでどこかに行くというのは初めてで、何だか気持ちがそわそわして落ち着かない心地だ。 テストで赤点を取ったのは初めてのことだった。 前日から体調を崩してはいたものの、翌日はテストを控えていたので休むわけにもいかず、また予習しないわけにもいかなくて 無理をしたのがまずかったのか、テスト当日目覚めた瞬間から体は不調を訴えていた。 熱っぽくて体がだるく、瞼が重い、鼻も出て意識がはっきりしない。それらのことから自分が熱を出してしまったことを知ったものの、 休むわけにも行かず登校した。そうして肝心のテストを意識朦朧としながら受けたこともあり、結果は散々だった。 幸い、その日はたまたま一科目――英語――のテストだけだったので赤点を取ったのはそれだけで済んだ。 それでも初めての赤点に私はショックを受けた。 とてつもなくダメなことをしてしまったような...自分がとても不出来な人間なような気分になったのだ。 だけど同じように赤点を取った竹谷くんは、とてもあっけらかんとしていた。 鉢屋くんに赤点を取ったことを散々弄られながら「今回はいけると思ったんだけどなー」と困ったように呟いたかと思えば、 「はー、腹減った」とさっきまでの表情は引っ込めてあっけらかんと言ったのだ。 同じように赤点を取った私とはまるで違った態度に、思わず笑ってしまったのは記憶に新しい。 そうして幾分か気持ちが軽くなったのも事実だ。 . . 夏休みがもうすぐそこに近づいた今日。 私は人が随分と少なくなった校舎で追試を受けた。 英語の追試を受ける人は何人かいたものの、同じクラスでは私と竹谷くんの二人だけだったらしい。 指定された教室の中にはすでに何人かが席に座っていた。 「あ、さん」 どこの席に座るのか迷っていると、名前を呼ばれた。 「竹谷くん」 「さんも?」 振り返った先に見つけたのは同じクラスの竹谷くんだった。 竹谷くんの方はここで私の姿を見つけたことに驚いている様子で、少し目を見開いている。だけど私は最初から竹谷くんが 居るだろうということが予想できていたので、驚くこともない。 そういう風に驚いたリアクションが返ってくると途端に居心地の悪さを感じる。そもそもここで会ったということも少しばかり気まずい。 「う、うん。ひどい点数取っちゃって...」 誤魔化すように笑いながら答えれば、竹谷くんはまずいことを聞いてしまったと思ったのか表情を強張らせた。 「え?! いやいや、俺なんか一桁だったし!」 大きな声でテストの点数が一桁だったと言った竹谷くんに、自然と教室内の視線が集まる。 そのときだった、教室の扉が閉まる音がして先生が教室内に入ってきたのは。 「竹谷ー、点数が一桁だったことは自慢にならないからなー」 そう言ってちくりと刺されてしまった竹谷くんは恥ずかしさを誤魔化すように笑った。 それにつられるように私も思わず笑ってしまったところで、先生に注意を受けてしまった。 どうにかテストを終えれば、ようやくもうすぐ夏休みがやってくるのだと感じることが出来た。 テストを受けにきただけなので他に用事もない私は、早々に帰ることにした。 太陽の照りつける中を帰るのはとてつもなく憂鬱なことだけど、今は開放的な気持ちになっていることもあってそこまでの拒否感はない。 玄関ホールから足を踏み出せば、続くようにして後ろから足音が聞こえた。 反射的に振り返ったのは、その音がとても急いでいるようだったからだ。 「テストどうだった?」 竹谷くんは軽く片手を挙げて挨拶のようなものを寄越してから自然と私の隣に並んだ。 私はそのことに少しだけ面食らったが、なんでもない振りをして尋ねられた言葉に返すべき答えを探した。 「多分今度は赤点を免れてる...といいなーって感じ」 「希望かよ」 多分大丈夫とは思いながらも胸を張って確信できるほどの自信は持っていなかったので、曖昧にそれだけを言うと竹谷くんがくしゃりと表情を崩して笑った。 そのことに少し気を良くした私は、自然と口元に笑みが浮かんだ。 「竹谷くんは?」 「うーん、俺も赤点を免れるといいなーって感じ」 「同じだし」 笑いながらつっこめば、竹谷くんがも楽しそうに笑った。 そのまま談笑しながら歩いていると、不意に会話が途切れた。もともと仲良しで相手のことを知り尽くしているというわけでもないので、共通の話題があるのかさえもしらないので この流れは当然といえば当然だ。 蝉の鳴く音を耳にしながら私は場を繋ぐため...というよりも自然と零れた言葉を口にした。 「暑い...」 ちょうど太陽が真上にやってくるような時間帯と言うこともあって、照りつける光は強烈だ。 意味が無いとは思いながらも手を団扇代わりに扇いでみるもほとんど意味なんか無い。 「マジで暑いな」 私の独り言に同意してくれた竹谷くんを見てみれば、カッターシャツを引っ張り上げて鼻の辺りを拭っていた。 特に何もしていなくてもこの暑さじゃ汗が滴ってくる。早く冷房の効いた家に帰りたいと思っていると何かを思いついたように竹谷くんが突然パッとこちらを振り返った。 口角の上がった竹谷くんに、私は驚いた表情を返すことしか出来なかった。 「それじゃ涼しいとこ、行かね?」 . . そうして私は今、電車に揺られている。 竹谷くんはどこに向かっているのか聞いても教えてくれないので、”涼しいところ”に向かっているということしかわからない。 ガタンゴトンと揺れる車内は、夏休みに突入したばかりなのに時間が良かったのか人がまばらだ。 いつも見ているのとは違う風景が一定の速度で流れていくのを眺めてから、隣に座る竹谷くんを盗み見てみると何だか不思議な感覚になった。 意味もなく座りなおしてスカートのプリーツを整えた。 竹谷君とは今まで二人で出かけたことはない。それどころか話をすることだって稀なのだ。 クラスメイトとして一学期を一緒に過ごしたものの、会話はほとんどない。 それでもそのとっつき易い性格と、男子たちとよく大きな声で会話をしたり笑っているのを見かけるので、私は勝手に竹谷くんに対して親近感のようなものを抱いていた。 実際は会話も交わしていないのに可笑しな話なのだけれど。 それなのにそんな人と二人だけで出かけているということが不思議だったし、その相手が男の子ということも何だか落ち着かない。 心臓がいつもよりも少し騒がしく存在を主張しているように感じながら、窓を見つめることに集中していた。 トンネルに入り、一瞬車内が暗くなるとそれまでその風景を映していた窓に人工的な明かりに照らされた私と竹谷くんの顔が映った。 気のせいでなければ窓越しに視線があった気がして、慌てて視線をそらした。 何か話さないとおかしいかもしれないとわけのわからない焦りに突き動かされるように口を開くと、唇に知らず力が入って居たことを知った。 だけど口を開いたまではいいものの何を言えばいいのかわからず、結局口を意味なくぱくぱくさせるだけで終わった。 「あ、降りないと」 「...え?」 やがて隣から呟くような声が聞こえたと思えば、竹谷くんが立ち上がった。 「次の駅!」 目的地のわからない私にはどこの駅で降りるのかも検討がつかない。だというのに、まるで私が目的地を知っているかのような口ぶりで竹谷くんに急かされた。 慌てて立ち上がれば前後に軽く揺さぶられるような感覚がして電車が止まり、ちょうどドアが開いた。 目の前の背中を追いかけて車内から飛び降りれば、今までの涼しさが嘘だったような熱気と、生温い風が体を舐めていって思わず眉を寄せる。 降りたことが無い駅であることは間違いない。そう思いながらきょろきょろと物珍しさを覚えて辺りを見回していると、急に手を引っ張られた。 「こっち」 「う、うん...」 声が上擦ってかっこ悪いことになってしまったが、竹谷くんは特に気にしていないようにずんずんと前を歩く。私は半ば引っ張られるようにして目の前の背中を必死に追いかけた。 その間も大きな手に握られたままなので、私は目の前の背中と握られた手を交互に何度も見つめた。 何故手を握られているの。そんな私の心の声が聞こえたかのように竹谷くんが振り返った。 「さん迷子になりそうだし」 「なっ、迷子になんてならないよ...!」 思いがけない言葉に語気が強くなった。それに竹谷くんが面白そうに笑った声が微かに耳をくすぐって、瞬時に頬が熱を持ったのを感じた 私の子供っぽい言葉は、まるっと笑って流されてしまった。何となくくすぐったい雰囲気に口元がむずむずする。 握られている手がじわりと汗で湿り始めたような気がして気持ちだけ焦る。 「暑いな」 「暑いね」 それなら手を離せばいい、そんなわかりきったことはきっと竹谷くんも気づいている。それでも気づかない振りをして、私たちは黙々と強烈な熱を放つ太陽の下を歩いた。 そこで唐突に北風と太陽の話を思い出した。旅人の上着をどちらが先に脱がせることができるか、北風と太陽は競争をしていた。 もしかしたら今もその競争をしていて、標的は私と竹谷くんかもしれない。 どちらが早く私たちの繋がった手を離すことができるか。そんな競争が上空では行われている気がした。 だって、さっき学校を出てから駅まで歩いていたときよりも手を繋いでいる今の方がすごく熱く感じる。 そんな馬鹿なことを考えているうちに目的地についたらしく、竹谷くんが「着いた!」と少し弾んだ声を上げた。 振り返って笑みを浮かべた竹谷くんの向こう側に水族館の看板があって、そこでようやく私は”涼しい場所”が水族館であったことを知ったのだ。 「行こう」 引っ張られる力に抗うことなく足を早めながらも、私は解けてしまわないように大きな手をぎゅっと握る。 そうすると一瞬力が抜けたのを感じたが、すぐに強く握り返された。 太陽の思惑にはのってやらない。 太陽に負けたくない
(っていうのは言い訳で...)
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