一応「ミスリードはいらない」の続きですが読んでなくてもわかります。



予め用意しておいたバッグを手に取り、こっそりだけど急ぎ足でトイレへと駆け込んだ。
「急げ急げ!」自分を急かしながらバッグの中から服を引っ張り出して着て、洗面台に備え付けられた鏡で化粧を施した。髪は時間が無いから出先で整えることにしよう。 今まで着ていた服をバッグに詰め、こっそりトイレを抜け出せばちょうどザップとレオが事務所を出ようとしているところだった。

「おつかれっしたー」
「お先でーす」

タイミングを見計らい、その二人の陰に隠れることに成功した私は二人と一緒になって未だ机に向かっている人に向かって頭を下げた。 身長が高くは無いレオはすぐさま私の存在に気づいたものの、「シー!」」と人差し指を立てて威嚇すれば困惑しながらも声は出さない。
よし、このままさっさとここを出て地下鉄まで走れば余裕で時間前には着く! 勝利を確信してガッツポーズを小さくしたとき、私は確実に浮かれていた。

「お前なにしてんの」
「シーっ!」
「はぁ?」

ザップが気づいて声をかけてきたので、慌てて先ほどレオにしたように人差し指を立てて威嚇したもののザップには効果がなかった。 意味わからん、とでも言いたげに眉を潜めている。



ぎくっと肩が跳ねたのはその声がばれてはいないと高を括っていた相手のものだったからだ。
だけど私は悪あがきを続けることにした。黙って二人の後ろに身を屈めて隠れる。ザップが「なんなんだよ!」と声を上げるのでお尻を抓って黙らせた。 「ッテー!!」ザップの叫びを聞きながら私は沈黙を貫く選択をした。

「そんなことをしても何の意味も無いぞー。それよりこっちにきて少し手伝ってくれ」
「嫌ですっ!!!!」

思わず縮めていた体を伸ばせば、小さいレオの影には隠れることが出来ずに姿が丸見えになってしまった。
しまった...! と思っても後の祭りだ。机に向かいながらにやりと笑ったスターフェイズさんと目が合う。

「嫌です嫌です!! 絶対嫌です!」

頭を横に激しく振って答えれば、バチバチと顔に髪が当たって痛い。断固拒否するという意思表示なのでそれも我慢するしかない。 私の必死な抵抗に、何を思ったのかスターフェイズさんは眉を顰めた。これは何かあると思ったのだろう。

「っていうか、何お前、着替えたのかよ」
「何だかおしゃれですね」

私の必死の抵抗を横目に、完全に傍観者のザップとレオは気楽なものだ。私の装いの変化について口出ししてくる。 それにレオも便乗するように言葉を重ねるので、思わず気恥ずかしさを覚えてしまう。
二人には私が何故こうして着替えたのか、その理由がわかっていないのに見透かされてしまっているような気になる。

「別に、なんでもないけど...」
「なんでもないわけねぇだろ。あっ! もしかしてアレか! 男か!」

自分で言っておいて「そんなわけ、」なんて否定するザップの声に、私の顔は意思とは関係なしに熱を高めてしまった。
耳まで赤くなってしまっているだろうことは自分で予想できた。その反応にザップが「マジかよ」と驚いたように呟く。

「いや、まだそういうのではないんだけど...友達に紹介してもらって今日は初めて会う、みたいな...」

長い間こういうことから離れていたので、ザップたちには男気がゼロだと思われているだろう。
それを証拠にそういうことで何度もからかわれてきた身としては、この状況の気恥ずかしさはハンパではない。 誤魔化すように頭をかいたところで、冷静な声が割り込んできた。

「その予定はキャンセルだ」
「えっ!」
「まだ仕事がこうも残ってちゃあな」

後は言わずともわかるだろうというような視線を受け、私は顔が引きつるのが抑えられない。

「嫌です! さっきは急ぎのはないって!お願い変わって...!」

今日の予定は数日前から決まっていたので、予め急ぎの仕事を聞き出して片付けたのだ。それなのに後出しジャンケンみたいなことをして...! くるりと振り返ってレオに向かってお願いするものの申し訳なさそうに「すいません、これからバイトなんで...」と断られてしまった。 しょうがない、背に腹は変えられないとザップを見つめるも「へっ、やなこった」と一蹴されてしまう。
今事務所には私たち四人しかいない。クラウスさんはすでに植物の会みたいなのに参加するために出て行ってしまったし... 何よりもこの場で事務処理を出来るのが私くらいしかいないのだ。
その事実から目を反らしたくて咄嗟に耳を塞いでしゃがみこむ。

「嫌だー!!!!」

以外は帰っていいぞー」
「ちゃんと仕事しろよ。給料ドロボー」
さんすいません...! 失礼します!」

ザップのからかう言葉には明確な殺意を持って返事としたが、奴とは視線が合わず、申し訳なさそうな顔をしたレオがドアを無常にも閉めた。 恥も外聞も捨ててここで床の上に寝そべって手足をばたばたさせる聞き分けの悪い子供のように振舞えば「しょうがないな」と言ってスターフェイズさんが 諦めてくれるのだったらプライドを捨てて実行するところだけど、その可能性は万に一つもないことを知ってしまっている大人の私は涙を呑むしかなった。

「ショックすぎて立ち上がる力も出ない...」

ほんとは立ち上がることくらいわけないけど、それでもショックを受けたのだと言うアピールが必要だと思い、しゃがみこんだまま未だデスクに向かっている上司に視線を向ける。だが、 「はいはい、いいから。早くこっちに来てくれないか」と、これ以上ないほどおざなりに返された。
途端に腹の底からむかむかとしたものがこみ上げてきたけれど、息をついて自分を落ち着かせる。
この上司に生意気な態度をとったり八つ当たりをした場合、もっと怖い仕返しをされることは今までの経験上わかっているのだ。 だからここは私が一つ大人になる必要がある。自らをクールダウンさせながらゆっくり近づく。

「これとこれ、後これも頼めるか」

そう言って渡されたのは結構な量の書類だ。あわよくば仕事を終わらせてから合流しようと考えていたものの、その見込みは限りなくゼロとなったことを渡された書類を見て思った。
「別に今日一日ぐらい多めに見てくれてもいいのに...」という不満をぶつぶつと小さな声で呟くとやけに爽やかな笑顔で「ん? 何だって?」と尋ねられたので大人しく黙ることにする。
受け取った書類を手にして定位置へと戻れば、まだ何か用事を言いつけるつもりなのかスターフェイズさんがこちらを見ていた。

「何ですか」

少し尖った声になったのは許して欲しい。これ以上仕事を増やすつもりか! という警戒を込めた上での言葉だからだ。 だけどスターフェイズさんはそれを流した上で小さく口元に笑みを浮かべた。

「ん? いや、よく似合ってると思ってね」

一瞬スターフェイズさんが何のことを言っているのかわからなかったが、視線を追って改めて自分を見てみれば、 この間買ったシフォン生地のスカートが目に映った。仕事柄プライベートでしかスカートは着ない。 だから私がこういう格好をしているのがこの上司には新鮮に映ったのかもしれない。それを一々律儀に褒めるのだから、この人のマメさが伺える。 決して顔だけでもてているわけではないのだろう。だけど別に部下である私にまで気を回してくれなくてもいいのだけど...。

「あざーす」

それがお世辞だとしても褒めてもらったことに変わりはないので一応の御礼を口にしてから嫌々ペンを握った。
「どうでもよさそうだな...」という不満げに聞こえる声「いえ、嬉しいですよ」と返した。 私の機嫌をこれ以上悪くさせないための気遣いだったとしても、褒められれば悪い気はしない。だけどそれで機嫌が回復するかといえばそういうわけでもない。 もしかしたら終わるかもしれないという希望を胸に、私は今しがた渡された書類に向き直った。



「早く連絡した方がいいんじゃないか?」
「くっ...!」

今日の予定を潰した人からの忠告と言うのが気に入らないものの、スターフェイズさんの言葉は最もなものだった。
ちらちらと何度も壁掛けの時計を確認してきっと焦った表情もしていたのだろう。それを察してのアドバイスだ。
ここで私がどれだけ頑張って仕事を終わらせようとしても時間には間に合わない。もしマッハの速さで仕事を片付けられれば話は変わったかもしれないけれど、 生憎私の手はマッハで動かないし、頭もマッハの速さで働くことは出来ない...。
だからしょうがなく私はスマホを手にとって部屋を出た。
時間を確認すれば待ち合わせ予定時刻10分前だ。数度のコール音の後、友人に謝り倒してからついでに上司が鬼であるという 愚痴も言ってから通話は終了した。呆気ない...。

「何だって?」
「...いえ、別に。しょうがないねって感じです」

部屋へ戻ってくるなりの質問にまさか本人に、あなたの悪口を言いました。と言うわけにもいかないので曖昧に濁す。 再び椅子に腰掛けてさっきとは打って変わってやる気など微塵も起きない書類をぼんやり見ていると、何やら視線を感じたのでしょうがなく顔を上げた。

「そもそもそんなに焦るような年でもないだろ」
「焦りますよ! この仕事あんま出会いとかないし!」
「そうか?」

さも意外とでも言いたげなスターフェイズさんの反応に、今度は私が驚く番だ。
だって、え? 出会い、あったっけ...?

「この事務所で出入りしてるだけでもクラウスにギルベルトさん...あー、一応ザップ。それに少年、ツェッド、それに俺も居るけど」
「いや、居るけど?って言われても...」
「なんだ、不満か?」
「いえ、不満なんてないですけど...」

端々に感じる重圧には気づかないふりをしたいところだけどそうもいかないのはスターフェイズさんに逃がす気がないからだ。 なので曖昧に答えるほかに私の選択肢はないようなものだ。
そうして改めてスターフェイズさんの口から出た面々の顔を頭に浮かべてみたが、どうにもしっくりこない。
男だとは思っているけど、恋愛対象の異性としては考えたことがなかったというのが現状だ。
そりゃ最初はこの目の前の上司のこともかっこいいと思ってたし、間一髪のところをクラウスさんに助けてもらったりした日には なんてかっこいいんだろう...って何日間か輝いて見えた日もあったけど、それも今はない。 ザップさえも輝いて見えた日があったけどあれは目玉が腐っていたのだと自分に言い聞かせている。(とてつもない汚点だから) 体を張って誰かを――この世界を守ろうとする姿は性別人種関係なくかっこいいものだという真理に辿り着いたからだ。 (KKさんに助けられたときにもものすごくかっこよく見えてどきどきしてしまい、私はそっちもいける人だったのか...と新たな自分の一面に動揺したけど実際は恋とかそういうものではなかったので、他の人もそうなのだという結論に辿り着いた。) なので、スターフェイズさんの言うとおり仕事場に異性はたくさんいるのだけど、異性だと意識しないようになっているというのが現状だ。 そうすると当然、出会いだって無いってことになる。
だけどその微妙なところがこの上司にはわからないらしい。以前のこともあるのであまり男扱いしていないというのも機嫌を損ねそうなので黙る。 私がスターフェイズさんのことが大好きな恋する乙女になったらそれはそれでめんどくさいな、とか思われそうなのに...ちょっとわがままだと思う。

「それより早く仕事終わらせましょうよ。帰りたいです」

せっかく着飾ったものの意味がなくなってしまったことによって、私の気分は急降下していた。
上司と会話を楽しむ気分ではないので半ば無理やり会話を切った。こうなってはさっさと家に帰って寝たい。

「...またそいつとは会うのか?」
「え? いえ、まだわかんないです」

唐突な質問に、紙の上を滑らせていたペンを止めてスターフェイズさんを見た。顔は書類によって隠れていて見えない。
自分から質問しておいて「ふぅん」なんてどうでもよさそうな返事を寄越されたものの、こういう状況になってから燻ぶっていた不安が口をついて出た。

「...けど向こうは嫌ですよね。ドタキャンしたような相手。だいぶ失礼だし」
「仕事なんだから仕方ないだろう」
「そうですけど...前から約束してたのにどうにかできなかったのかって思いません?」
「そんなもので嫌だって言うような度量のない奴はこちらから切ればいい」

スターフェイズさんの言葉は最もなのだろう。けれどどうもモテ男の言葉として受け取ってしまって首を捻ってしまう。 次もすぐに見つかる余裕のある人の言葉のように思える。
そうすると片眉を吊り上げた顔がこちらを見た。

「スターフェイズさんだったら仕事で急にドタキャンするような女でもいいんですか?」
「あぁ、かまわないさ。僕だって実際に過去何度も約束をキャンセルせざる得ない状況になったことがあるからね」

同じ仕事をしている身としては納得してしまう。
突然わけのわからない生物や堕落王が一方的にゲームを仕掛けてきたり...と、ここじゃ人の事情にお構いなしで暴れる奴が多い。 そんなときにはプライベートを潰してでも仕事を優先する必要がある。それがライブラだからだ。

「けどそれが何度も続いたら、どれだけおおらかな人でもきっと怒っちゃいますよ」
「..まぁそれは否定できないな」

自分がドタキャンをされる立場になって考えてみれば最初は理解ある彼女を演じていても、それが繰り返されると嫌になるのがわかる。 終いにはいろいろと疑心暗鬼になりそうだ。もしかしたら自分のことが好きじゃないのかもしれない、とか。他に大事な人がいるのかもしれない...とか、そういう類の疑念を浮かべるだろう。 難しい問題に仕事を放り出して腕を組みつつ唸れば、スターフェイズさんがくいっと口角を上げた。
何かいいことでも思いついたというのだろうか。

「それなら最初からその価値観を分かち合える人を選ぶのはどうだ?」

いい考えだとでも言いたげな言葉と共にウインクしたスターフェイズさんに、私は何とも反すことが出来なかった。 そんな人を見つけること自体難しい。そう思えば、同意することも出来ずに眉を寄せてしまう。 そうするとまるで“その答えに合う人を知っているだろう”とでも言いたげな視線が返って来た。 なので、考えてみる。唸りつつも頭に色んな人を浮かべてみる。何だかんだ言って私は素直なのだ。

「いや、やっぱり取り消す」
「...え?」

人が一生懸命考えていたというのに、呆気ないスターフェイズさんの言葉によって思考していた頭は停止した。
「...らしくないことを言った」とか何とかぶつぶつ言いながら片手で顔を抑えている様子は何だか少し困っているように見えた。 こんな上司はなかなか見ることができないと思い、物珍しさを覚えて無遠慮に見つめているとそれに気づいたスターフェイズさんがきっと目尻を吊り上げた。

「さっさと仕事に取り掛かれ」
「...えぇ〜」

私の不満な心のうちを読んだようにますます目尻が吊り上がったのを確認してしまい、私は慌てて書類に向き直った。 横暴だ!





誘うミスリード







(20160430)我に返った上司