リナリア


いつからだったか同期で月一で集まって近況を報告する会が発足し、すぐに終わると思われたそれは意外にもまだ続いていた。 理由としてはこういう機会でもなければ仕事の話ができないというのが一番にあげられると思う。
一般人と私たちの職業について話すのは禁忌とされているので、近況を報告することさえ出来ないのだ。 そもそも審神者業をしていると外部との関わりが希薄になるので、余計に誰かとこの状況について話し合いたい、共有したいという気持ちが強まるのだ。 だからこそ私たちの集まりは未だに続いていた。
今日はその集まりがある日なので、仕事は休みとしている。
そうして私は以前に購入してまだ袖を通していなかったワンピースを箪笥から取り出し、着替えることにした。 こういう機会でもなければせっかく購入しても着る機会がないのだからこの機会を逃すわけには行かない。 本丸にいる間はそう着飾る必要もないだろうと楽ばかりを求めた服装になってしまう。
いつも余所行きの服を着ていたんじゃ肩が凝る。こんなことを光忠に聞かれればどんな小言を永遠と聞かされることになるのか...想像しただけで憂鬱なので、胸のうちでそっと思っているだけで実際に口には出したことが無い。 だからと言って着飾ることをやめたわけでもやめたいわけでもないのだ。ただその機会がないというだけで...。 だがこの月に一度の集まりが始まってからはおしゃれをする口実が出来た。それも月に一度なので、面倒と感じるようなこともない。 いろんな意味で私はこの日をなんだかんだと楽しみにしているのだ。
メイクもしっかりしたし、髪もOKだ。後はワンピースを着て...というところでファスナーを上げれないという問題にぶち当たった。
以前にも背中のファスナーが自分でもあげることが出来なかったので、そのときにはちょうど廊下を歩いていた乱ちゃんに頼んだ。 その時のことを思い出してそろっと戸を開けて廊下を伺うと、ちょうどいいところに長谷部がこちらに向かってくるところだった。 なんてタイミングがいいんだろう! と、自分の運のよさににんまりしながら首を伸ばせば長谷部がすぐに気づき、今まで真面目な顔をしていたのが少し驚いたように目を丸くしている。 それを見ながら私は右手を廊下に出して手招きをすると、パッと嬉しそうな表情を浮かべながら走ってきた。
そのあまりの速さと忠犬っぷりに若干ひいた。

「何かお困りでしょうか?」

私が困っているかもしれないというのに長谷部の目は心なしかきらきら輝いているように見える。
普段から主命を出されるのを待っているのは知っているので、そのことについては流すことにした。

「うん、ちょっと手伝ってほしくて」
「はい! なんなりとおっしゃってください」

普段あまり主命というものを出さないこともあってか、めちゃくちゃ張り切っている様子で語気に力を込めながら答えてくれた長谷部を部屋の中へと招く。 ちょっとチャックを上げてほしいんだけど、とはなかなか言いづらい空気になってしまった。けど他に頼むことも特に無いのでさっさと用事を済ませようと心なしかわくわくしている長谷部を見上げた。

「えっと、後ろのチャックをあげてほしくて...」
「ちゃっくとは...」

くるりとその場で反転して背中を指差しながら不思議そうに問い返してきた長谷部に答える。
日常でのふとしたことが通じなかったりすると、そういえば彼らが普通の人ではなかったのだと思い出す。生活を共にして距離が近くなればなるほどついつい彼らは自分と同じような存在だと勘違いしてしまう。 その度に彼らが刀剣で、九十九神であることを自らに言い聞かせる。
服が少し開いて背中が見えてしまっている現況であるチャックを上へと引き上げて欲しいと頼むが、一向にその様子が無いので不思議に思って振り返れば顔を赤くしている長谷部が顔を背けていた。

「...長谷部?」
「...はい」

名前を呼べば答えてくれるもののこちらを見てくれないのでこれは無理だろうか、と思う。
見かけは今風と言うか、現代の街中に溶け込める感じなのに中身はそうはいかないらしい。それも刀剣達によってさまざまなんだけど、長谷部はこういうことが無理な人だったらしい。 初心すぎる反応にこっちが気まずい。

「無理なら他の人に、」
「いえ! 俺が...!」

慌てた様子の長谷部がチャックに触れたのがわかった。むき出しの背中に布のさらりとした感触がしたのはきっと長谷部の手袋だろう。 ほどなくして、ジジ...と音が聞こえたかと思えば服が体にフィットしていくを感じる。
「失礼いたします」律儀に断ってから私の髪を丁寧に払った手がついに首近くまでやってくればチャックが上げられたことを知った。 長谷部の手は次に丁寧に髪に触れたと思うと、払う前の状態に整えてくれたようだ。

「ありがとう」
「いえ、それでは俺はこれで」

そそくさとそれだけを言って部屋を出て行ってしまった長谷部の耳が後ろから見ても赤く染まっているのがわかったので、次からは違う人の頼もうと思った。

それが数ヶ月前のことだ。
そして今現在、私はまたしてもあのときのようにチャックを上げることが出来ずに困っていた。
どうにか自分で上げようと奮闘したものの途中で引っかかってしまった。少々強引に力を入れて上げなくてはいけないというのに無理な体制をしているので力を入れることも出来ない。

「しょうがない...」

一人で呟きながら誰か人に頼もうと部屋からを顔を出すも誰の気配も感じない。いつもなら誰かしらがうろうろしているのが常だというのに今日に限って...! しょうがないので背中は開いてしまっているがこの状態で人を探しに行くことにした。
別に背中が少し見えるだけで他はきちんと必要最低限隠れてるんだから痴女にもならないだろう。
もっと露出している芸能人なんかを皆テレビで見ているはずだし。逆にこそこそしているのも変だと思い、堂々と廊下を歩く。

「主っ?!」

突然背後から大声で呼ばれたので振り返れば必死の表情を浮かべた長谷部が目の前に居た。
さっき呼ばれたときには距離があっただろうに振り返るまでの少しの時間で距離をつめたのだろう。 驚いて思わず後ずされば、すぐさま長谷部も近づいてくる。

「そのような格好でどうされたのですか?!」
「あ、うん、ちょっとファスナーが上がらなくて誰かに、」

そこでその”誰か”は目の前の人でどうだろう、と思ったがすぐに数か月前のことが頭に浮かんで途中で口を閉じた。
こういうことは長谷部は苦手だと判明したのだった。私の中の長谷部のイメージは初心で潔癖というものだ。
なので出来れば誰か...乱ちゃんとか加州とか比較的頼みやすい雰囲気の人に出会いたかったのだけど...そう上手く行くわけがなかった。 妙な沈黙に思わず誤魔化すへらへらした笑いが浮かぶ。だけど長谷部が同じようにへらへら笑い返してくれることはなかった。 いつものようにきりりとした表情で何かを決意したような鋭い視線に見つめられて思わず顔が強張った。

「俺がします。いえ、俺にさせてください」
「え、ちょっと」

半ば強引に、がしっと腕を掴まれたと思うとそのまま引っ張られる。それに引きずられるようにしながら足を動かし、いつもと違って強引な長谷部に驚く。 先ほどまで着出かける準備をしていた自室へと連れ戻されたかと思うと、戸が閉められて二人きりなった。
この間は気乗りしていない感じだったのに今日はどういう風の吹き回しなんだろう。
長谷部の変化の理由が見出せず、多分呆けた顔をしていた。そんな私に気づいた長谷部は、一瞬気まずげに視線を反らしたかと思うと仕切りなおすかのように咳払いをした。

「後ろを向いていただけますか」
「あ、うん」

言われるがままにその場でくるりと反転して背中を向けるとあの時と違ってすぐにチャックに触れられた。

「ごめんね、長谷部こういうの苦手なんでしょ?」
「いえ? 特に苦手とは思っていませんが」
「...えっ?!」

淡々と返って来た予想外すぎる言葉に声がひっくり返った。そうこうしているうちにファスナーはきちんと上げられたことを知り、「ありがとう」ともう一度お礼の言葉を口にしながら振り返る。 「いえ」と微笑んだ長谷部の頬はやっぱり少しだけ赤くて微妙に視線を反らされた。そのことで私の中の疑いは確信へと変わる。
「なんかこういう、異性の触れ合い...? みたいなのは苦手だと...」
なんて表現すればいいのかわからず、だいぶ誤解を招きそうな言葉を選んでしまって慌てる。「そういう意味じゃないんだけど! なんだろ?女が背中丸出し、見たいな感じの...」 段々自分でも何を言っているのかよくわからなくなってしまい、最終的に首を傾げることになった。
自分の言葉に首を傾げるってどうなんだ...。自分自身に呆れるが長谷部は私が言わんとしていることを察してくれたらしかった。微笑んで頷いてくれる。

「苦手とは思っていません」
「あ、そうなんだ」

苦手と思っていないのなら一体なんだ。もしかしたら単純に私の世話をするのが嫌だということだろうか...?
一つ浮かんだもしかしたら以外に他のもしかしたらは浮かばないので、サッと顔から血の気が引いたのを感じた。 長谷部は審神者として私を慕ってくれているのだと勝手に思っていたけどそれは私の勘違いだった...? 手のかかる審神者に裏では辟易していたのだろうか...?
そうだったとしたら人間不信に陥る。一人で想像してダメージを食らっていると、長谷部が戸惑ったように口火を開いた。

「...ただ、どうすればいいのかわからなくなるんです」
「え?」

ほんのりと頬を染めた長谷部はまるで恥らう乙女のようだった。
その乙女な表情を見ながらもう一度長谷部の言葉を反芻してみればその理由に思い至った。と同時に安堵の息を漏らした。嫌われているということではなかったらしい。

「まぁそうだよね。異性との関わりって全くないもんね」

うんうん、頷きながら理解ある上司を演じる。だけど長谷部は私の言葉にさっきまでの乙女のような表情を引っ込めてきっぱりとした口調で言葉を返してきた。

「いえ、そういうわけではありません」
「...えっ?」
「他はどうでもいいのです」

予想していた展開とは違う言葉を口にした長谷部に、私は間抜けに口を開けるしかなかった。 そして続けられた「他はどうでもいい」という言葉の真意を読み取れず、眉間に皺が寄る。

「主だけです。こうして心かき乱されるのは」

さっきみたいに恋する乙女みたいな反応をしながら言われたのならこっちだって何か言葉を返せたと思う。 軽くいなすような...冗談として終わらせるようなことを。
だけど長谷部は照れている風でもなく、唇に緩く笑みを乗せながらも目はとても真剣だったので何も返すことが出来なかった。 変わりにじわじわと顔に熱が上っていくような感覚に息苦しさを覚え、空気を求めて私は息を吸い込んだ。





(20160816)