暑い...とてつもなく暑い。
夏休みに入ってからというもの、エアコンで快適な温度に調節された部屋で過ごすのが普通になっていた体は、この登校日と言う名の地獄に悲鳴を上げた。 やっとの思いで学校に辿り着いたものの、教室にはクーラーがついていないので私は唯一と言ってもいい冷たい机にぴたりと頬をあて、スカートを団扇代わりにして どうにか体を冷やそうとしていた。
たいしたことをするわけでもない登校日という存在が今は憎くてしょうがない。
暑さの所為で残り少なくなった気力と体力を私は登校日を憎むことに費やしていた。そんな有意義な時間を過ごしていた私を無視するように会話は始まった。

「水族館って知ってるか」
「...はぁ?」

思わず冷たい机から顔を上げてしまうほど今の質問は聞き捨てなら無い。

「知ってるに決まってるじゃん!」

矢継ぎ早に紡いだ言葉に、馬鹿らしい質問をしてきた田村は眉を寄せていやそうな顔をした。あ、腹立つ。
気力と体力が削られているとは言えど、まだ戦うことが出来る私はすぐさま戦闘モードへと入ろうとした。 が、田村が次に紡いだ言葉は意外なものだったので、それも無駄な労力になった。

「言い方が悪かった」

らしくもなく自分の非をすぐに認めた田村に、私もそれ以上言うのは憚られて黙った。
だけど表情は心情を隠すことが出来なかったらしい。驚いた顔をしていたらしい私を見て田村は「何だよ」と眉間に皺を寄せながら呟いた。 「べつにー」なんて答えれば田村は一度これみよがしにため息をついた。
そうして告げられたのは聞き覚えのある水族館の名前だ。
テレビでCMも流れているそこは、最近白熊の赤ちゃんが生まれたところだ。

「白熊の赤ちゃんがいるところだよね」

反射的に頭に浮かんだふわふわの白い生き物に、思わず口元が緩んだ。ころんとした体でぽてぽてという擬音でもつきそうな歩き方をする白熊の赤ちゃんはとてつもなくかわいい。 叶うのなら抱っこして頬釣りをして力いっぱい抱きしめたい。そんな愛らしさがあるのだ。

「あとペンギンも。あ、足の長いカニとかも居るんだよね。知ってる?」

次々と浮かんだ情景を思わず弾んだ声で口にすると、田村が何やら変な顔をしてこちらを見ていた。
はしゃぎすぎてしまっただろうか、なんてバツの悪さを覚えて緩んだ口元に力を入れる。それから咳払いを一つして気を取り直す。 いつものクールな私に戻るんだ。

「...えっと、それで?」
「...いや、この間チケットをもらったんだ」
「え! いいなー!」

クールに田村の相手をするつもりだったのに、気づけば大きな声を出してしまった。 あまつさえ反射的に口をついて出た言葉は、もはやクールさ0だ。
そして田村の反応はきょとんとしたものだった。その反応を見て、私はハッとした。
もしやこやつ...私を羨ましがらせるためにこのことを自慢しに来たのでは...!
そう推理した私はまんまと田村の術中に嵌ってしまったことを悔いながらも、なんでもないような態度を心がけた。

「へー、誰にもらったの?」

突然感情を隠した私に田村は変な目を向けてくるが、そんなものは無視した。

「叔母さんだ」
「太っ腹な叔母さんだね」

水族館は学生の身としてはおいそれと行くことができない金額が必要だ。
かく言う私ももう一、二年ほどは行ってない。日頃からいろいろなことにお小遣いを使っているので、毎月ぎりぎりなのだ。 月末にはいつだって「何だってこんなにお金が無いのだろう...」と嘆いている。
空しい気持ちになってしまいながら急にそわそわしだした田村に、今度は私が訝しんだ。

「...それでまぁ、あれだ」
「あれって何」

気まずそうと言うか、何か言いづらそうにしている田村に素っ気無い言葉を返したものの、田村が怒ってくるようなこともムッとする様子もない。 ますますおかしい田村の態度に私の眉根も寄る。

「何」
「...ちょっと待て。お前少しも待てないのか? 犬の方がよっぽど賢いぞ」
「うるせぇわ! こっちは話し聞いてやってんだぞ! 身のほど弁えろ! 頭が高いわ!!」
「お前...」
「あんだー? やんのかー?」

ただでさえクソ暑いというのに田村の話は要領を得ないし、態度もおかしいということで私の機嫌は下降の一途を辿っている。 私がうるさく喚き散らしているというのに(自覚はある)クラスメイト達は無関心だ。
多分私と田村という組み合わせを見て納得しているのだろう。またあいつらか...みたいな感じで。
田村は田村でヒートアップする私とは反対に何故か落ち着いている。いつもならここで一戦交えていてもおかしくないというのに私の挑発に乗ってくる様子は無い。 それどころか何だか疲れたようにため息をついている始末。その態度にカチンとくるものがあるがこれ以上追撃するのは大人気ない気がする。

「...まぁいい、それよりお前暇な日はいつだ」
「生憎毎日忙しい」
「嘘つけ」

本当に毎日忙しいというのに田村はすぐさま私の発言を嘘だと決め付けやがった。そのことに不満を覚え、「嘘じゃねぇー!!」と叫べば「うるさい!」と友人の声が飛んできたので大人しく黙る。そんな私を見て田村がこれみよがしにふんっと鼻で笑ったのでもう一度声を上げようとすれば友人に睨まれたので大人しくしておいた。
言葉通り私は毎日忙しいのだ。花に水遣りをしなくちゃいけないし、犬の散歩にも行かなくちゃいけないし、アイス食べながらドラマの再放送を見なくちゃいけないし、 課題だってしなくちゃいけないし! 昼寝だってしなくちゃいけない! それに友達とも遊ばないといけないし! こう考えたら私って毎日ハードスケジュールをこなしてる...!

「答えないなら適当に決めるぞ」
「...何を?」
「今週の金曜にしよう」
「だから何を?!」
「金曜予定空けとけよ」
「何で?!」

勝手に先に先に話を進める田村に、私は話しについていけずに半ば叫ぶように質問を繰り返す。
そうするとようやくちらりと田村がこちらを見た。そうして何を今更とでも言いたげに左の眉をくいっと上げた。 田村のすごいところは眉毛をちょっと動かすだけで人を苛立たせることが出来るところだと思う。

「水族館に行くからに決まってるだろ」
「...ん?」

あまりにも突拍子な言葉に私は口をぽかんと開けて一音発するのでいっぱいいっぱいだった。
そんな私の反応に田村は今まで余裕ぶっていた表情を引っ込ませ、変わりに顔を赤くさせながらバツが悪そうに呻くように小さな声で呟いた。

「...さっき誘っただろ」
「え?」

誘われた覚えなど皆無なので私が不可解な顔をすれば瞬時に田村の顔色が赤へと変化した。 色が白いから余計に赤くなると目立つ。

「金曜日だぞ! わかったな!」

突然キレれてどすどすと怒ったように足を踏み鳴らして去っていく田村の後姿を私は唖然と見つめた。なんだありゃ...。 にしても、誘われた覚えなど皆無だし...。田村が私と二人で水族館に行くということ自体目的がわからない。 だって良い年した思春期の男女が二人で水族館に行くとかってデートみたいじゃない?

「...え?」

胸の中で呟いた独り言が以外にもしっくりときてしまい、この暑さとは違う意味で体温が上昇するのを感じた私は再び机に顔を伏せた。 だけど今度は熱い顔を冷やすなんて目的ではなくて、きっとさっきの田村のように真っ赤になってしまっているであろう顔を隠すためにだ。




気温よりも熱く


(20160903)