一応「ミスリードはいらない」からの続きですが読んでなくてもわかります。
あと少し。あと少しで終わってしまう...。 いつになく丁寧に文字を綴ってきたのだが、それでもゴールが見えてきてしまった。 あぁ、自分の有能さが恨めしい...! 額を抑えて一人芝居をしてみたものの、ちらりと時計を確認すればまだまだ約束の時間には間に合うことが判明してしまった。 一人芝居も大した時間稼ぎにはないない。ふぅ、と息を吐いてからペンを持ち直す。 もう少し時間をかけて丁寧に仕上げよう! そう心に誓い、ペンを握る手に力を籠めれば、静まり返った事務所内に唐突に電子音が響いた。 びくっと肩が震える。 「スティーブン」 顔を上げてみれば上司が電話応対しているところだった。 事務所には私と上司であるスティーブンさんの二人しかいないのだから私ではないのならスティーブンさん以外にないのだけど。 気を取り直してペンを握り、もう一度丁寧に文字を綴る。今までここまで丁寧に書き上げた報告書があっただろうか?いや、ない!! 断言できるほどに今回の報告書は丁寧に仕上げている自覚がある。 意識は耳へと持っていかれながらもじりじりとペン先を動かす。 「場所は」 視線の端でスティーブンさんが立ち上がったのを認めた。 つられるように視線を向ければ、真剣な表情が目に映る。そのことからも事態は察することができる。 「すぐ向かう」 「事件ですか?!」 通話が切れたのを見計らって問えば、少し呆けたように目を開いてから頷きが返ってくる。 「悪いが今から向かうぞ」 「もちろんじゃないですか!!」 今度こそ怪訝な表情が返ってきた。まぁ当然といえば当然だろう。いつもの私であればここで一度は渋る。 「えぇー、今からですか?」とかなんかと言って。退勤前とか一番やめてほしい時間帯だ。これから帰ってなにをしよう? とうきうきしているところでその気分がぶち壊されるのだから。 下手をすれば日付が変わっても帰ることができなかったりする。 なので、嫌な予感がした時には電話がかかってきた時点で急いで帰ろうとする。(そして呆気なく電話がかかってきて呼び戻される) それを今日は使命に燃えているかのようにおりこうな返事をしたので訝しく思われるのも無理はない。 自分でもそこのところはわかっている。決して自分は優等生ではなかったと...。 けど言わせてもらうなら文句を言いつつもちゃんと働いている! 現に今だってスティーブンさんと一緒に事務仕事をしていたのだ。 だから突然私が使命に燃えても何らおかしなことはない。今までだってその片鱗があったのだから...! スティーブンさんが上着を引っ掴んで準備しているのを横目に急いで報告書に文字を書き殴った。 今まで丁寧に仕上げていたのを台無しにするかのよう仕上がりになってしまったけど別にいい。 目的は何も報告書をきれいに仕上げるということじゃなかったんだから。 車のキーを手に持ったスティーブンさんの後ろにくっついて事務所を後にした。 お昼休みに鳴った電話は私の気分を下降させるには十分のものだった。 近所でハンバーガーをレオとザップ、ツェッドと食べた帰りだった。 それまで一緒に話していた輪から外れ、後ろから三人についていきながら友人からの電話に出た。 内容は簡潔にまとめればこうだ。 私に紹介してくれる予定だった男性とお付き合いすることになった。 なかなか切り出さない彼女に嫌な予感を覚えてせっついて気まずげに告げられた。確かにこれは切り出しにくい話だなぁ、とぼんやり思った。 逆に彼女は胸のつかえがとれたかのように二人の馴れ初めを語ってくれた。 聞けば彼も自分のことを好きだったらしいのだが、見込みはないと諦めていた。つまり、お互いに見込みはないと思い諦めていたということだ。 そこであの日へと繋がってくる。 私がスティーブンさんに無理やり残業させられた日だ。 スティーブンさんと楽しくもない残業をしていた時にお酒の入った彼女たちは本音をぶっちゃけてそういうことになったらしい。 「お、おめでとう」 口では祝福しながらも叫びだしそうだった。 いや、なんで私当て馬ポジションになってんの?! 心の叫びはぐっと喉のところに押しとどめることにどうにか成功し、「よかったじゃん」なんて大人な返事をしたのだ。すかさず「彩のおかげだよ!」 なんて感謝までされてしまった。 だけど胸の中にはもやもやとしたものが渦を巻いていた。 だって私は正直楽しみにしていたのだ。彼と会えるのを。 友人からの評価もよければ、写真で見た彼もなかなか素敵でその気になってしまっていた。 向こうも私の写真と評判を聞いて気に入ったみたいという太鼓判を押されたのだ。 もうこれはいけるんじゃないの? へいへーい! 気分はハートのサングラスとかおでこに乗せてオープンカーを乗り回してるちょけた野郎だった。 それなのにだ!! スティーブンさんに仕事をふられ、しょうがなくそれらを消化していた時に二人の仲は進展。 遅かれ早かれ両想いだったのならくっついていたのかもしれないと思えば傷が浅いうちでよかったと鬼上司であるスティーブンさんに 感謝するべきかもしれないが、どこか腑に落ちないのは結果的に当て馬ポジションに収まってしまったことと、付き合える可能性は十分あると先走りすぎではあるが思ってしまったことにある。 こちとら二人の仲を進展させるハプニングじゃないんだ!! そして話の流れで彼を紹介したいから今度三人で食事をしようと誘われた。 「え"っ」 声が詰まったのはしょうがないと思う。状況を考えればまさかのお誘いだったのだから。 思わず立ち止まってしまえば、邪魔そうに頭部がタコに似ている人に舌打ちをされてしまったので慌てて歩き出した。 ちらちらと振り返ってこちらを気にしてくれているレオに大丈夫だと手を振る。 「いやー...それってデートにお邪魔しちゃうことになるからなぁ...」 遠回しに私はお邪魔虫だろうから辞退すると伝えたのだが、友人にはそれが遠慮に聞こえたようだった。 「そんなの気にしないでよ、ねっ」 いやいやいや...遠慮じゃなくて気まずいんだよ。とは口に出せずに結果的に押し切られてしまった。 その約束の日が今日だった。 これまでの経緯を掻い摘んで説明すれば、隣でハンドルを握っている鬼上司ことスティーブンさんが「へぇ」と気のない返事をよこした。 そこには「なんだって?! 僕が残業させたせいで彩の恋路を邪魔してしまったのか...?反省...」という感情が一ミリも含まれていなかった。 ただただ事件のせいで混雑して列をなす車が進まないことに辟易しているようにハンドルを握った左手の指を苛立たし気にゆすっている。 反省の色が見て取れない上司にこちらもなんてふてぶてしい態度の上司!! という気持ちになってしまう。 猿回しの猿たちのほうがよっぽど形だけだとしても反省することができる。片手をついてがっくりと肩を落として反省ポーズをしている猿を思い浮かべる。 事件を解決できて帰れるということと、お邪魔虫確定の食事会に参加せずに済んだというほっとした気持ちがみるみる萎んだ。 こんなことならスティーブンさんの車に乗らずに地下鉄に乗ればよかった。 報告書は書き殴って仕上げたのだから一緒に事務所に帰る必要もないことを思えば、ここから歩いて帰るという選択肢もあることに唐突に気づいた。 短気な人がクラクションを鳴らすので、道路はとても騒々しい。赤く光るランプの群れを見つめながら呟いた。 「なかなか進まないですね」 「...ん?あぁ...事件で道が規制されてるせいだろう」 事件は解決したものの、壊れたものは元通りとはいかない。復旧まで時間を要することは実際に現場を見たことからもわかった。 少しの罪悪感を覚えたが、そもそもあんなところで暴れるのが悪いのだ。と、納得させる。 「あの、私ここから地下鉄で帰りますね」 今更沈黙を気づまりと感じる間柄ではないが(なんてったって二人で事務所に籠って徹夜することが多いから)ただただここでぼーっと してるのならスティーブンさんには悪いが地下鉄を使って早く家に帰りたい。戦闘で汗をかいたし服はどこか埃っぽい。車に乗る前に払ったとはいっても落ちない細かな砂が体に張り付いているようで不快だ。 何か暖かいものを食べてながらくだらないテレビ番組でも見て布団にくるまれて寝たい。 「えっ、」 「仕事は終わらせてるんで」 これ以上何かを言われてしまう前に先手を打った。 まさかこれから仕事を押し付けられるなんてこともないだろう。なんせ早く仕事が終わってしまいそうで一枚の報告書をのろのろ書いた意味がなくなってしまう。 ドアノブに手をかけ、後続車の様子をうかがいながらドアを開けるタイミングを見計らう。 ここから降りて少し歩けば駅だ。そう時間がかかることもないだろう。 「いや、そういうことじゃなくてだな」 何かごにょごにょと言っている背後のスティーブンさんを無視し、意識をあたりの様子を伺うのに使う。 今だ。 ちょうどバイクが通り過ぎて後ろから新たに表れる車両がないことを確認し、ドアノブにぐっと力を入れたところで二の腕のあたりを掴まれた。 車から出るためにお尻を少し浮かせ、爪先へと体重を移動していたので自然と前のめりの体制になっていた。 なので、少しの力でも後ろから引っ張られれば意図も容易く体は艶々の革の張られたシートへと引き戻されることになった。 「...怒ったのか?」 思いがけないスティーブンさんの行動に驚いていたところで、もう一度私は驚かされることになった。 「え?」 「それとも、」 今までにないこちらの様子を伺うようなスティーブンさんに目を丸くすると、何やら早とちりしたらしく整った顔の真ん中...眉間にぐっと皺が寄った。 剣呑な目つきに心理的には追い詰められた感が出てくる。 さすが泣く子も黙るエスメラルダ式血統道の使い手...! とか頭の中でおちゃらけてみるものの心情的に余裕は皆無だ。 「...まさかとは思うが馬鹿みたいに律義に行こうとしてるんじゃないんだろうな?」 「...どこに?」 家に帰るのかを問うにしてはおかしな聞き方なので頭の中にはクエスチョンマークを浮かべながら返した。 スティーブンさんにしてみれば私の返答こそおかしなものだったらしく、余計に眉間の皺が深くなってしまった。 徹夜続きのときとはまた違う迫力に押され、視線を反らしてしまう。彷徨う視線が行きついたのは暗い中で光るメーターたちだった。 「決まってるだろ。その友人と彼氏とやらのところだよ」 そっけない物言いではあるものの、どこか怒っているような口調に日頃からのこともあって怒られている気分だ。 別に今は悪いことなんてしてないはずなのに。悲しい習性が身についてしまった...。 「...いや、行きませんけど」 「じゃあどこに行くんだ?」 どこか苛立たし気なスティーブンさんに少々狼狽しながらも素直に答えた。 「い、家へ帰ります...」 「...」 「...」 「家に...」 「はい」 毒気が抜かれたような表情をしているので、どうやら予想とは違った答えだったらしいことはわかった。 だけど私からしてみれば行きたくないと思っていたのにわざわざ遅れてまで出来立てほやほやカップルに会いに行くわけがない。 そこのところを先ほど説明したと思うのだが...。ちゃんと聞いてなかったな、さては。 「いや、なんだ...そうか」 「はい」 責められているわけではないことがわかり、緊張が解けた。 勝手に早とちりしてなんだったんだ、と気持ちで返事をしたので少しばかり鼻息が荒かったかもしれない。 前方の車が数センチ動いたので、スティーブンさんに一応知らせればアクセルが緩く踏まれたのに伴って車がほんの少し動いた。 やっぱりここにいても帰れるまでには時間がかかると判断し、解放された腕を伸ばし再度ドアノブに触れた。 「お疲れっした」 「待て待て」 「なんですかー」 何だか面倒になってきてしまい、返事は随分とおざなりになった。 まぁ今更取り繕うような関係でもないのだけど。 「夕飯食べてないだろう」 そりゃ今まで事件処理に追われていたし、その前は事務所に詰めて報告書を仕上げていた。 それは一緒にいたスティーブンさんも同じだろう。おやつにクラウスさんが買ってきてくれたワッフルをいただいたがそれからは食べてない。 たっぷりの卵と砂糖が入っていただろうけれどすっかり消化してしまっている上に、先ほどの戦闘もあってお腹はぺこぺこだ。 頷きながら「スティーブンさんもないじゃないですか?」と返す。これで食べてるなんて言われたすかさず文句を言ってしまうだろうに尋ねてしまう。 「あぁ」 口元が緩く弧を描いたのでどうやら機嫌はよくなったらしい。 この間(私がスティーブンさんの前でメイクを落としたとき)のことといい、この人の機嫌が傾くポイントがいまいちよくわからない。 「食べに行こうか」 「えっ、けどまだ仕事があるんじゃ?」 「明日には終わらせるさ」 ハザードランプがカチカチと音を立てて点滅を始めたことからもそこに見えている曲がり角へと進路を変更したことが想像できた。 その先に品が良くて少しお高めの評判上々なエスニックレストランがある。目的地はきっとそこだろうとあたりをつけると、ちゃっかり私のお腹が空腹を訴え始めた。 「もちろん奢りだ」 「行きます!!!」 さっきまで自分の所業を見るからに反省していなかったスティーブンさんへの怒りはみるみる消えてしまった。 家に帰ったらインスタントラーメンでも食べようかなと思っていたのが、数倍もグレードがアップした夕食にありつけることが嬉しい。 その上奢ってもらえるのだから喜びもひとしおだ。前から行きたいと思っていたものの、まだ足を踏み入れたことがないそこでの食事は、私の気分が回復するには十分すぎるものだった。 さっきまでの落ち込み疲れモードから急激に回復したので我ながらなんて現金なんだろうと感心してしまうが、これもまた長所ということにしておく。 逸る気持ちを誤魔化すようにポケットに突っ込んでいたスマホを取り出し、早速レストランのメニューを検索した。
ミスリードを誘う(つもりはない)
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