まさかあの頃のままでいて欲しいなんて無茶を言うつもりはないけれど、ここまで変わってるとは予想さえ出来なかった。
どっしりと構える重厚な門構えを思わず思い出して力なく笑った。
見上げるほどの巨漢はあの頃の面影が皆無のように思う。

「ク、クラウス、さんですか…?」

わかっているのだが尋ねずにはいられなかった。
”クラウスさん”なんて口にしたのは初めてなので、少しばかり口がもたついた。
呼ばれたほうは厳めしく眉を寄せて余計に険しい表情をしている。それだけで迫力がすごい。思わず少しびびってしまい、心持ち仰け反った。 あのころの面影は今やほとんどないといってもいいかもしれない。

「ム、出来ればあの頃のように呼んでもらえると嬉しいのだが…」

いや、無理!あの頃の呼び名と言えば思いつくのは一つ”僕ちゃん”だ。
からかい混じりのそれは私よりも小さくて可愛かったクラウスにつけた愛称であって、身長をゆうに二メートルは越えてるような男につけることは想定されていない。 可愛くていじめたい、なんて幼いながらに少しひねくれて、小さい男の子並みの愛情表現で「僕ちゃん」と呼んでいたのだ。
「ぼくちゃんではなく、クラウスです」なんていちいち訂正してくるのが面白く可愛くてわざとそう呼んでいた。
やがて訂正することもなく、僕ちゃんがあだ名を受け入れたころに私は親の仕事の都合でクラウスの元から去った。
そうして云十年ぶりに再会したらあのかわいい私の僕ちゃんの面影はほとんど消え去り、二メートル越えの筋肉隆々の怖面クラウスさんに進化していた。 私が隣にいたならBボタンを連打しているところだったけど誰もBボタンを押せば進化を止められるとは知らなかったらしい。

「いやいや...あれは小さかったので…」

暗に小さい頃の戯れなので許してね。の意味も込めた。あの頃には理解できなかった身分なんてこともわかった今となってはラインヘルツの名前がどれだけすごいものなのか骨身に染みている。気安く舐めたあだ名をつけてからかっていい相手ではなかった。どおりで両親は私が「僕ちゃん」と呼んだ時に青い顔をしていたはずだ。 拳骨が頭に振ってきた意味が今になってわかる。けど命知らずのガキだった私の脳細胞はそうやって少しずつ破壊されたので、覚えが悪くてもしょうがないんじゃないかと思う。そして理不尽に叱られていると感じていた私の反抗心は育ち、ますます意固地になってしまったのだ。
そんな私を慕ってくれていた(多分...)僕ちゃんに会えるのをとても楽しみにしていた。いったいどんな感じに大人になってるんだろう? なんてわくわくしていたけど予想以上の進化を目にして呆気に取られることしかできなかった。
勧められたソファに腰かけると、テーブルを挟んで前の席には僕ちゃ...クラウスさんが座る。
その横には副官だというやけにかっこいい男が座った。

「では今の私にも呼び名をつけてくれるということだろうか」
「え"っ」

喉が引きつったような汚い声が出た。
どんな無茶ぶり?!?!
サッと血の気が引くのを感じた。同時に浮かんだのは何のひねりもない「ムキムキマッチョ」とかいうあだ名だった。センスなさすぎ!!じゃなくて!そんなことできるわけがない。
目の前に何かが現れたと思い、視線を上げるとあの頃と変わらないギルベルトさんが紅茶を持ってきてくれたようだった。 「ありがとうございます」と頭を下げると。にこやかな笑みが返ってくる。
上司というのでもない、主従というには遠い。思い知った決定的な身分の差は委縮するには十分なものだ。あだ名なんてつけられるわけがない。

「どういう風に呼ばれてたんだい、興味あるなぁ」
「オレも気になるー」

唐突に会話に入ってきたのは今まで黙って成り行きを見ていた様子の副官と、向こうのソファに座っている銀髪の青年だった。 ここにいるのだからライブラのメンバーで間違いなさそうだ。そう考えるとその隣に座っている少年もきっとそうなのだろう。少し離れたところに立っている黒髪のスタイルのいいお姉さんも。その誰もが心なしか興味深そうにこちらを見ているので、その中心にいる私としては焦る。

「いえ、あの、昔のことで私もほんとにバカな子供だったというか」

しどろもどろになりながらどうにかこの話題を収束させようと試みるものの、依然視線はこちらに向けられている。
逃げられない予感を覚えながらも口を堅く閉ざす。居心地の悪さを覚えるものの圧力などに屈してたまるか!ここはあえて空気を読まない戦法で..

「僕ちゃん、と」

言っちゃうの?!
当の本人がばらしてしまったのでは意味がない。背中に一本の木の棒を入れられたみたいに自然と背筋がピンと伸びる。
僕ちゃんはなんだか少し嬉し気にしている。いや、なんで嬉しそうなんだ。
一度僕ちゃんへと向けられていた視線がまたしても戻ってきたのを感じて私は視線を反らすしかできなかった。
ボスであってその上ラインハルツに向かってって貴様!! 的な意味を持った視線かと思うと見つめ返すなど無理だ。窓の外へと視線をやれば、曇り空が広がっている。 ここはいつだって濃い霧に包まれていると聞いている。体調が悪くなったり気分が憂鬱になったりしないかな? なんて心配をしていたけどその心配も無意味なものだったかもしれない。だってこんな不届きもの、すぐに日本へと熨斗付きで返される可能性が高くなってきた。

「...すいません」

出てきた声はか細い。あまりにも居心地が悪くて声が喉のところに張り付いてしまっている。あの頃の私はなぜ無駄に反骨精神などをもってしまったのか?おとなしく両親の言うとおりにしていればこんな決まりの悪さを覚えることもなかったのに...!!

「何を。謝らないでくれたまえ。私は嬉しかったのだ」

フォローのつもりなのかわからない僕ちゃんの言葉に力なく笑い返せば、またしても嬉し気な顔が返ってきた。 怖い顔してるけどそうやって笑うと少し昔の僕ちゃんの面影を見つけることができる。


「それともう一つ、特別な名前を彩はつけてくれた」

特別な名前?そんなものあったっけ...と、少し考えてからハッとする。

「まっ、」
「ベリーちゃん、と」

待って、という言葉よりも先に口にされてしまったそれに空間が凍り付いたように感じる。
一人その異様な雰囲気を感じていないのは僕ちゃんだけもしれない。思えば少し鈍いところが昔からあった。
擦れずにあの頃のまま育ってよかったよ...。
思わず立ち上がりかけていた中途半端な体制を後ろに重心を持っていけばストンとソファにお尻が入った。

「べりーちゃん......」
「ブボフォッっ!!!」

まるで理解できない言語を脳みそに叩きこもうとするかのように呟いた目の細い男の子の呟きに、我慢しきれないとばかりにおかしな音を立てながら銀髪の青年が崩れ落ちた。 カッと頭に血が上るのと同意に立ち上がった。ガシャンと響いた音と足に何かが当たったのを感じたがそんなものよりも弁明が先だ。

「違う違う!!かわいいからとかじゃなくて僕ちゃんの髪の色がイチゴみたいでかわいいからストロベリーちゃんって言ってたんだけど長いからベリーちゃんになって...!だから別に私がイチゴを好きだったからとかそういう意味じゃないから!!!!」

フーフーっと自分の鼻息が部屋に響いているのがわかるくらいに冷静になってからやってしまったと頭に上っていた血の気が引いていった。 頭の中でHLに異動するのを同僚たちが祝ってくれた居酒屋の夜のことが流れた。「栄転だな!!」と喜んでくれていたのに...もう帰ることになりそうだ。

「た、確かにクラウスの髪は赤いな」
「うむ」

フォローなんだかよくわからないことを副官が言ってくれるがダメージが大きすぎて私は何も答えることができなかった。代わりに何故か僕ちゃんが答えている。
視界に入り込んでくる赤はイチゴとは少し違う。くすんでいる赤に見えるが、小さい頃の私にとって赤はイチゴの赤でしかなかった。少しの違いなど分かってはおらず、雑に区分した赤の中に僕ちゃんの髪は入っていた。そして好物でもあるイチゴが連想されて、安易にあだ名をつけた。表向きのあだ名は”僕ちゃん”で二人だけでかわいがる時には”ベリーちゃん”と呼んでいた。例えば犬をかわいがる時にも表向きにはちゃんと名前で呼んだりするものだけど家では可愛がるあまりにおかしな呼び方をしてしまったりするのに似ている。私にとってクラウスはかわいがる対象だった。
だけど今となってはそれは封印しておいてほしい過去だ。
というか忘れとけよ!律義に何覚えてんだ!! 完全な逆恨み全開で僕ちゃんに抗議の意味を込めて睨むも、羞恥のあまり滲む視界に映ったのはあの頃の面影が残るきょとんとした顔だった。





イノセンスストロベリー



(20180917)