軟禁されてるみたい、と零すと、父に頼まれて様子を見に来たいかにもな風貌の男は困ったように眉尻を情けなく垂らした。そうすると少しだけとっつきやすそうに見えるなぁ、なんてことを考えながら大して興味もないテレビへと視線を移した。
パッショーネというギャング組織がこのイタリアではずいぶん力を持っているらしいと知ったと同時に私は自分の父がその組織の幹部と呼ばれる地位にいるらしいことを知った。
幹部ともなると部下を私的な用事に使ってもいいらしい。父の部下の内の一人が私がまたしても何かを仕出かすことがないように見張りに来ているのだ。もちろん見張りに来ているとは言わず、久々に顔を見に来たなんてことを言いながらやってきた。小さい頃から知っている男は長年父の部下として付き従ってきているらしいが、そもそもそう頻繁に顔を合わすようなこともない。それを白々しく顔を見に来たなんて言いながら現れたのだ。父の指示であることは考えるまでもなく察しが付く。 娘である私の様子を見張っていろ、と指示を出しているのであれば間違いなく職権乱用となるはずなのにそれがまかり通るのがギャングらしい。
ここ数日、私の顔を見に来た、やら、ちょうど通りかかったから、などなどへたくそな言い訳を並べ立てて毎日父の部下がやってくることにいい加減辟易していた。 外出禁止を言い渡され、学校が終われば車が迎えに来て家へと直行。そこからは日替わりで現れる男に見張られながら過ごす日々はとんでもなく窮屈だった。
だから友人と寄り道をすることも許されずに学校の敷地を出たところで車に乗って待っていたらしいブチャラティが手を挙げてこちらに合図してきた姿を確認し、私は現状を理解しきれずに目を瞬かせることしかできなかった。

「久しぶりだな」
「えっ、なんで?!」

穏やかに笑みを浮かべた顔は記憶にあるよりも男らしくなっていた。走り寄れば車から降りて見下ろされる。顔だけではなく、体つきも以前に比べるとがっしりとしているように感じる。
久しぶりに顔を合わせた気恥ずかしさが遅れてやってきた。高揚して唇が吊り上がりそうになるのを抑えるために無理やり口元に力を入れる。

「とりあえず車に乗ってくれ」

うん、と頷いてから走って助手席へと回り込んだ。初めて乗ったブチャラティの車は必要なもの以外は何も乗せていない様子で余計なものが一切ない。それがどこかブチャラティらしいと感じる。もしごてごてに飾り付けられた内装だとしたらものすごく違和感を覚えただろう。
滑るように道路を走りだした車を操作している姿を盗み見る。二つ年が違うだけなのに初めて顔を合わせた日からブチャラティは大人びた雰囲気を漂わせていたが、やはり外見は少年だった。今は外見が成長したことによってようやく中身に伴ってきているのかもしれない。

「家出しようとしたらしいな」

咎めるような口調ではない。それどころか感心している風に聞こえ、思わずハンドルを握るブチャラティを見れば面白そうに口元を釣り上げた顔と目が合った。
バツの悪さに視線を流れていく風景へと戻した。今の言葉でブチャラティがここに現れた理由にある程度察しがついた。
窮屈な日々を強いる父への反抗として、話しかけられても素っ気なくしていたのが効いたのかもしれない。父はきっと私の機嫌を取るためにブチャラティに相手を頼んだのだろう。

「まぁ、うん......」

歯切れの悪い言葉はそのまま私の心情を現していた。さっきブチャラティに会えて風船のように膨らんでいた気持ちがしおしおに萎んだ。 ”家出”とブチャラティは言った。つまり細かいところまでは知らないのかもしれない。父は私の行動を恥ずべきものと思い、隠しているのだろうか。頭をよぎった考えに、ここ数日感じていた罪悪感がじわりと胸を侵食してくるようだった。だが、とすぐに切り替える。ブチャラティに知られなかったのは好都合だった。

「だけど、こんなことになるのならやめとけばよかったかも」

視線は窓の外へと向けながらも意識は数日前の”あの日”へと戻っていた。
本当に今にして思えばやめておけばよかったと思う。父に謝罪と共に思わず吐露した、後悔している、という心情は何も表向きの言葉だったわけじゃない。
計画も何もあったもんじゃないし、完全に雰囲気にのまれた無計画で向こう見ずな行動だった。

「親父さんは娘がかわいいのさ」

私の言葉を今こうして見張られていることについてと解釈したらしい。それに曖昧に頷いた。
信号に引っかかったのを機に、こちらへと視線を向けてきたブチャラティにじわじわと照れがやってきて視線が泳いでしまう。それを悟られたくなくてわざと拗ねたようにさっきの言葉に乗っかることにした。

「...けどさ、出かけることも出来ないんだよ?」

不満げな声色をきちんと出すことに成功したようだった。まあ、本当に不満に思っているのだから造作もないことだったけど。
軽く笑い声をあげたブチャラティは、一度視線を信号へと流してからこちらに向き直った。

「今だけだ。がこの調子でいれば、そのうち親父さんにも伝わる」
「そうだといいけど」

このままだと本当にずっと軟禁なんてことにもなりかねない。原因を作ったのは私なので文句を言うこともできないのだけど。

「出かけるときに後ろに如何にもなおじさんをぞろぞろ連れて歩くなんてことは絶対に嫌だし」
「そいつは遠慮したいな」

笑いの含んだ声に私の機嫌は上がっていく。父がご機嫌取りのためにブチャラティを寄越したのならその目論見通りになるのは少なからず不満を覚えるものの、それを上回るくらいブチャラティと久しぶりに会えたことが嬉しかった。

ネアポリスを取り仕切っている幹部の男に気に入られてからというもの、ブチャラティは以前よりもますます忙しくなったようだった。それまでには定期的に父に呼び出されていたのにここ最近は顔を合わすことは殆どなかった。もともとネアポリスよりも田舎のこの地域を訪れる必要性もそうないだろう。
ブチャラティは父を恩人と慕ってくれているようだったけれど、一体父が何をしたっていうんだろうと以前から疑問には思っていた。私に組織の事情を話すことはない父は何が起きたのかを口にすることはない。それはブチャラティも同じだった。それでも父に恩を感じているらしいブチャラティは、父に呼び出されると快く家へと顔を出してくれていた。そうして何度もやって来るうちに私とも顔見知りになった。年が二つ違いなので、父は私たちに友人として付き合っていくのを期待しているらしかった。
それはそのままブチャラティへの信頼の表明にもなっている。娘の友人という枠にブチャラティは入れてもいいと思ったらしい。
その御膳立てされた関係に私はまんまと乗ることになった。何度も会って話しているうちに同年代であるはずなのに少し大人びている彼のことが気に入った。 さらりとした切りそろえられた黒髪も、空も海も連想するような青い瞳も。私の知っているギャングにあるはずの威圧感と、それっぽい空気を感じないのも好きだった。
ブチャラティも同じように私のことを思ってくれていたかどうかはわからない。父への恩があるからしょうがなく私の相手をしていたのかもしれない。

「チョコとバニラ、レモン、ピスタチオ何が好きだ?」
「え?」

物思いに耽っていたところでの唐突な言葉はうまく処理しきれなかった。
間抜けな声が漏れ、何かを眺めるでもなくぼんやりと漂わせていた視線を隣へと向ける。

「前と変わってないってんならチョコか?」

ちらりとこちらを伺った目はすぐにまた前方へと戻った。私はその横顔を見つめながらこくこくと頷いた。
それを横目で確認したらしくうっすらと笑みを浮かべたのが見て取れる。

「すぐ戻る」

車を路肩へと寄せ、停車させたブチャラティは車を降りて道を渡っていった。走って行く先にはジェラートが評判の店がある。さっきの質問と照らし合わせれば何をしに行ったのか自ずと察しがついた。今になって先ほどの言葉が脳へと染み込んでいく。
私の好みを覚えてくれていた。そのことが嬉しくて何も知らない人が見れば怪しげに見えるだろうにやにやした笑みが顔に広がった。

「ありがと。それ持っておくよ」私の分はチョコで、預かったブチャラティの分はバニラだった。あの頃から変わっていないのは私だけではなかったらしい。そのことが嬉しい。
走り出した車の行き先が家とは違うようなので訪ねれば「海だ」と当然のように返って来る。

「えっ、けど寄り道はだめなんじゃ...」

すでにジェラートを買いに寄り道しているようなものだけど。
頭に浮かんだのはここ数日言われ続けてきた「真っ直ぐに家に帰る」という言葉だった。 少し寄り道をしたいと言っても父に言いつけられているのだろう。頑として誰も寄り道を許してはくれなかった。飲み物を買うだけと言った時には買いに行ってはくれたけど私が車から降りることは許されなかった。
一瞬ちらりと視線がこちらに向けられたかと思うと口元にはニヤリと悪戯っぽい笑みが浮かんだ。そうだ。ブチャラティは生真面目な性格をしているのに時々こういうところがある。

「車から降りなけりゃ大丈夫だ」

車は海岸沿いの道でゆっくりと停車した。大きな道から横道へと逸れた道路なので、交通の邪魔になるような心配をする必要もなさそうだった。
手に持っていたカップをブチャラティへと渡せば、少し硬い指先が触れた。努めてなんでもないように装いながらも、触れたところがじんじんと痺れたような気がした。ようやく口にできたジェラートは少しばかり溶けかけていたものの、残念なことにはなっていなかった。手の熱で溶けないように触れる部分を極力減らすために指先で持っていたのがよかったのかもしれない。
流石ジェラートが評判ということもあり、味は文句の付け所がないくらいおいしかった。舌に乗せればじんわりとチョコの余韻を残しながら極小の氷の粒が消えていく。

「少し溶けたな」
「完全に溶けてないから大丈夫だよ。おいしい」

車体は海へと向けて停車しているので、前方を見れば夕陽を反射してきらきら光る海が視界に入る。夕陽の色を写した海はそれでも青い本来の色を残しているのでグラデーションしているように見える。ストローを刺して飲めば、上のほうはオレンジ味、下のほうはソーダ味がしそうだ。なかなかおいしいかもしれない、なんてことを考えながらジェラートをつつく。

「あ、」

少し汗をかいたカップが気になり、そちらに意識が持っていかれ、気づけばチョコ色のそれがスプーンから滑り落ちていた。スカートに落下したそれに「やってしまった」と顔を顰める。

「変わってないな」

隣のブチャラティが笑いながらハンカチでそれを拭ってくれた。茶色い跡が残ってしまったが、それも自分が余所見をしていたせいなので諦めがつく。 「跡が残るかもしれないな」
「しょうがないよ。ありがと」
ふぅ、と息を吐いて遣る瀬無い気持ちを押し出した。

「前もこんなことがあったな。がジェラートを落として」
「そんなのずっと前のことでしょ」

あの頃よりも確実に成長したはずなのにブチャラティの中では私は変わらないままなのだろうか。
背は伸び、体もあの頃よりも女らしい丸みを帯び、化粧だって覚えた。それでもブチャラティにしてみれば、私は二人で初めてジェラートを食べに行った時と変わりがないのだろうか。 ジェラートを落として服を汚してしまった時のことは私も覚えていた。二人で初めてジェラートを食べに行ったのだ。私はチョコでブチャラティはバニラ。まさに今と同じものをそれぞれ手に持っていた。

「ほんとは家出じゃなくて駆け落ちしようとしたんだ」

父がブチャラティに細かいことを伝えなくてよかったと思っているのにどうしてだが私は事の顛末を口にしていた。ジェラートを口にしたことで気持ちが解れたのかもしれない。それとも何かを察した様子のブチャラティに話したくなったのかもしれない。......いや、本当はわかってる。子ども扱いされたことが悔しくて傷ついたからだ。私があの頃のままの子供じゃないと知らしめてやりたいというバカみたいな理由で、ついさっきまで知られたくないと思っていたのに自らすべてをばらしている。

「...そうか」

しばらくの沈黙ののちに返ってきたのはシンプルなものだった。勇気のいる告白だったはずなのに、そうやって軽く返事をされるとなんてことなかったのかもしれないと思えてしまう。急激に頭が冷やされたように胸の中に渦巻いていた感情が力を弱めた。さっきまでの子供っぽい感情が鳴りを潜める。

「いま考えたらどこが好きだったのかわからないんだけど、」

そこまで口にして不意に思い当たった。そうだ。彼は私のことが好きだと言ってくれたのだ。
それは初めての経験だった。
家族である父や母、私のことを娘や妹のように思ってくれている父の部下以外に好意を示されたのは初めてだった。私がギャングの娘だと知っている同級生たちは私を遠巻きに見ているか、同情するか恐れるか、そればかりだった。その中でも友人と呼べる人たちが数人いたが、私を恋人にと望んでくれるような人はいなかった。
この国じゃこの年齢になるとそれなりに経験している子が多い中、私は一切そういうことに触れてこなかった。
だから好きだと言われて舞い上がった。初めて恋人ができて自分が誰かの特別になれたことがとんでもなく嬉しかった。
その彼が言ったのだ。
「君は可哀そうだ」
と。
「父親がギャングだから普通の生活を送れない。父親から、ギャングから離れるべきだよ。大丈夫、俺が守るよ」
今思えば陳腐としか言いようがないセリフだが、舞い上がった私の頭には正常な判断ができず、砂糖のようにひたすら甘い愛のような言葉に感じてしまった。
それからは簡単だった。
無計画な駆け落ちを実行し、あっさり見つかってしまった。彼の小さなバイクに乗って一体どこに行こうとしていたのか...今にして思えば彼の計画は向こう見ずもいいところで、それに乗った私も頭がいかれていた。

「好きだって言われて舞い上がっちゃったんだよね」

家へと軟禁されている間。たっぷり考える時間があったので結論を出すことができた。私は彼のことをそう好きではなかったけど、彼も私のことをそう好きではなかった。
彼は可哀そうな私を気に入っただけだったのだ。父親がギャングで周りの人から距離を取られている孤独に見える私がかわいそうで好きだったのだろう。 彼が憧れているヒーローになるための手段にされただけだった。そして質が悪いことに私も悲劇のヒロイン願望があったのだろう。彼のその芝居にその気になってしまったのだから。
本当に愛し合っているわけでもないので、駆け落ちが失敗してからは彼とは話すこともなくなった。そもそも父に何か言い含められたのかもしれないけど...時折視線を感じることがあっても私は未練を感じることもなかった。完璧に目が覚めた思いだった。
掻い摘んでそれらを話し終えた時にはブチャラティの眉は不快気に潜められていた。やけに真面目な顔をしているので、少し気まずを覚える。今まさに自ら自分の馬鹿さ加減を語ったばかりだ。呆れられたかもしれないと思うと後悔の念が胸をちらつく。
すっかり水分に戻ってしまったジェラートはカップの底にへばりつくように少し残っているだけ。捨てる場所もないのでしょうがなく手に握っている。

、お前は可哀そうなんかじゃあない」

硬いというよりも言い聞かせるような声色だった。顔を上げれば真剣な顔をしたブチャラティと目が合った。

「親父さんもお袋さんもお前を愛している。考えてみろ、他にもお前を娘や妹のようにかわいがっている人がいるだろ。友人だってどうだ」

いつになく強い声色と瞳に目が釘付けになった。朱い夕陽の光を受け、ブチャラティの瞳の色がいつもと違う。海のような色だと思っていたのに光を受けた今、夏の空のような澄んだ青色に見える。その瞳に魅入られ、半ば無意識に口を開いた。

「ブチャラティは?」
「もちろんオレもだ」
「どっち?」

言葉の意味を正確に読み取れないというように困惑した視線が返って来る。

「妹のように? 友人のように?」

そこまで言ってから息を細く吐いた。喉元までやって来ている言葉を口にする躊躇いで一度視線が落ちる。先ほどできたばかりのスカートの茶色いシミが目に入った。

「......それとも愛してる?」

口にして胸がざわざわとさんざめいた。気づかないように胸の中に仕舞いこんでいたものが、その言葉を合図に溢れてくるようだった。
妹としか思われていないのを感じて気づかないようにしていた想いだ。ブチャラティがよく家に来てくれていたとき、私は初めて恋をした。
ギャングの娘としてではない。透けて見えるバックグラウンドを気にせずに私を個人として接してくれた。その上ブチャラティは真面目過ぎる気があるものの優しくかっこよかった。ギャングである父が紹介し、ブチャラティ本人もギャングだというのにそこにはきれいに目を瞑った。
私はきっと彼にブチャラティの代わりになってほしかったのだ。
ブチャラティには私の今の言葉は思ってもいなかったものらしい。呆気に取られたように少し口を開いて言葉が出ない様子に、不快なざわめきで胸がいっぱいになる。その表情を見ただけで私が望んでいる感情を持ち合わせていないとわかってしまった。そうだった。ブチャラティは私のことを妹のようにかわいがってくれているだけで純粋な好意には不純なものが一滴だって混じっていなかった。
それは今も変わらないはずなのに何を勘違いしたのだろう。

「ごめん、冗談だから忘れて」

咄嗟に何でもないことのように慌てて取り繕った。唇が震えそうになるのをやり過ごすためにきつく引き結ぶ。サイドミラーに映る自分の情けない顔を見つけ、絶対にブチャラティに見られるわけにはいかないと思い、体ごと顔を窓へと向けた。

「......そろそろ帰らないといい加減寄り道がばれるな」
「うん」

相槌を打つだけでいっぱいいっぱいだった。
瞼を目いっぱい広げ、落ちてしまいそうな水分をどうにかとどめていたというのに、大きな手に頭を一度撫でられると努力空しく呆気なく涙が頬の上を滑った。






プレリュードが終わらない














(20190706)