「目を閉じたら逢いましょう」の続き




 こっそりテラス席に人がいないことを確認し、扉も音がしないように警戒しながら開き、忍び足で侵入することに成功した私は店内に探し人の姿がないことにホッと息を吐きながらもどこか心の隅のほうでは残念に思っている自分が居ることにも気づいた。

「うわ! びっくりしたー、入ってきたの気づきませんでしたよ」

 驚いたように声を上げる馴染みの店員に愛想笑いを返しながらいつもの席へと案内される。
手慣れた様子でカップチーノを運んできた彼に問いかけたのはブチャラティがあれからもこの店に来たかどうかということだった。 今日ここにやって来た目的は何もいつものように仕事の休憩時間に一息入れるためではない。もちろんカップチーノで気分転換はするものの、それはついでみたいなものだ。

「あれから来てないですねー」

 意外そうな表情を浮かべたのは一瞬で、すぐに普段通りの態度に戻った彼の返事は私を複雑な気持ちにさせるものだった。

「そっか、ありがとう」

 そこで私としては会話が終わったものだと思っていたのだが、彼は違ったらしい。未だそこに立ったままの彼を見上げれば待ってましたと言わんばかりに口火を切った。

「なんかあったんですか? あの時ハンカチを濡らしてくれって頼まれましたし。今日来てくれるのも久しぶりじゃないですか」

 ほとんど空席の店では仕事もなく暇らしい。どこか好奇心を含んでいるように見える彼の目から逃れるようにカップチーノへと手を伸ばす。

「あれは、私が足をぶつけちゃったから貸してくれたんだよね」
「そうだったんですね」

 それで? とも言いたげな視線に店長へと助け船を出してもらおうと店内を覗いてみるものの、見えるところにはいないようだった。
「店長は買出しだからいないよ」私の行動の意味を理解したらしい彼ににやっと笑いながら言われ、その顔を憎らしく思う。

「......久しぶりになっちゃったのは仕事が忙しかったから」
「なんだ、そうなんですか」

 拍子抜けした様子なのでうまく誤魔化せたことがわかった。こうして数日来ないようになることは今までもあったのでそれが納得する材料として信憑性はあったようだ。 ようやく「ごゆっくり」と一言残して去っていった彼に小さく息を吐いた。なかなか飲めずにいたカップチーノを一口飲んでから鞄を膝の上に乗せて中を探る。 あの日借りたままになっている白いハンカチは、未だ返せずに鞄の中に居れたままだ。きちんと洗濯をし、アイロンまで施したそれを返す勇気が持てず、数日持ち歩いていたのだがいざこうして心を決めてやって来ても肝心のブチャラティがいないんじゃ意味がない。それも今聞いたところによれば、彼はあれからこのバールにもやって来ていないらしい。そうなると私とブチャラティの接点なんてものは何もなくなってしまう。
ここに来るまでにはハンカチを店に預けて代わりに返してもらうという案もあったのだが、これではそれを実行することもできない。やって来ない彼にハンカチを返してもらうなんて無理な話だ。
いや、元より私が借りたのだから自分の手できちんと返すべきだと思っているのだけど...あの最後の別れ方からも気まずさが半端じゃないのだ。
せっかく現実でブチャラティと一緒の席に座ることができたというのに...足はぶつけるわ、挙動不審に去るわ......散々だった。いくつも夢想していたブチャラティとの未来〜出会い編〜にはあんなものはなかった。ハンカチだって何日も借りたままになっているので、借りパクされたと思われているかもしれない。
そう考えると私の印象は決して良いものではないはずだ。そこまで考えて気分がとんでもなく落ち込んだ。
 毎日のようにお邪魔していた夢の中にも今は自粛して能力を使うことさえしていない。

「このままじゃダメだよね...」

 机に突っ伏したいところだけど人目もあるテラス席なのでそれを堪え、ため息を吐くことで我慢した。


 久しぶりに見つけた彼は椅子に座ってちょうど休憩しているところだったらしい。
前にも何度か見たことがある情景は、彼の自宅ではないかと予想しているところだった。窓際の椅子に座ってカップを傾けながら外を眺めている。 そっと近づいて一緒になって窓の外を見てみれば太陽の光を反射して眩しいほどに光る水面に目が眩む。一面に広がるのは海で、海の上にぽつりと船が小さく浮いているのが見える。窓のすぐそばは海で、陸は見えない。夢らしい情景ともいえる光景も、夢だからの一言で済ませられる。 空気を吸うと潮の香りを感じた。あまりにもリアルに感じるこれは、夢を見ている主が感じているものをそのまま感じているだけに過ぎない。

「眩しいね」
「ああ、太陽の光を反射しているからな」

 唐突に部屋に現れた女に対して例に漏れずブチャラティは特に何かを思うこともなく受け入れた。夢の中ではやはり誰でも無防備で、全てを受け入れてしまうものらしい。
 夢の中まで仕事をしていることが多いブチャラティがこうして穏やかな時間を過ごしていることに単純に喜びを感じた。同時に私のことを何とも思っていない様子に安堵しながらもちくりと胸が痛む。私は何日も彼のことで思い悩んでいたけれど、ブチャラティにとっては取るに足りない出来事だったのかもしれない。こうしていつもと同じように接してもらえたことが嬉しいのに不満を持ってしまった。自らの自分勝手な感情に目を背け、私は強行して彼の夢の中に侵入してくるに至った本題を口にしようとした。

「あの、ブチャラティ...」
「どうかしたか?」

 穏やかに海を眺めていた視線がこちらに向けられる。
あの日、ブチャラティは私と会ったことがあるような気がすると言っていた。それはこうして夢の中で何度も顔を合わせていたからかもしれないと思っていたけれど、それは違うのかもしれないと今思えてきた。だってブチャラティの態度はいつもと変わらない。まるで親しい友人であるかのようだ。あの日の女が私だとわかったのならこんなにも親しい態度を取らないはずだし...。言い訳めいた考えは、これからも彼の夢の中に入るための理由でしかない。

「ハンカチ、返せてなくてごめんね...」
「ん? ああ、かまわないさ」

 一瞬、きょとんとしたもののすぐに気を取り直したように返事をしてくれた。きっと言葉の意味はきちんと理解できていないのだろう。だって彼にとってはこれは現実での出来事ではなく、夢の中での出来事だ。現実の彼は布団の中で眠りについているはず。
それでも胸に引っかかっていたことを片付けることができたような気がして呼吸が楽になったような気がする。たとえ独り善がりでしかない行動だったとしても気持ち的には楽になった。
 ぐるん、と急に世界が回るような感覚に体を持っていかれそうになった。無重力空間に投げ出され、体を強制的に回転させられるような独特の気持ち悪さは何度か体感したことがあるものだ。目が回りそうな感覚と共にここから放り出されそうになるのをぐっと目を瞑ってやり過ごせば、地面に足がついているのを知覚できた。
 目を開けば、先ほどの風景がきれいに消え、代わりにあるのは見覚えのある部屋だった。設置されているソファにはすでに人が座っている。現実でも夢でも何度も見たことがある面々に、ブチャラティのチームメンバーであると予想している人たちだ。突飛な場面転換は、夢を見ているとよくあることだ。どうやらそれが今起こったらしい。 まだぐらぐらと揺れているような感覚が抜けず、空いているスペースをソファの上に見つけたが隣に座っているのがアバッキオと呼ばれている体が大きくてなんとなく近寄りがたい人だったので諦めた。自宅で使っているスツールを頭の中に浮かべれば何もなかったところにそれが現れる。
 今日の目的は夢の中でもいいからブチャラティに謝るということだったので、用が済めばさっさと去るつもりでいたものの、久しぶりに会えたこともあって欲が出てしまった。ちょっとくらい長居してもいいだろう。机を囲むようにして設置してあるソファの隙間にスツールを持っていきそこに腰を下ろした。

「まだ見つかりそうにないか?」
「ええ、何かあればすぐに連絡が来るようになっているんですがなかなか...」

 穴あきだらけの特徴的すぎる服を着ている青年は(確かフーゴとか言った)眉を寄せて困ったように答えた。
 彼らが何かを探しているらしいことはわかるものの、それが何かまでは現実でも関りがない私には察することも出来ない。とりあえず黙って彼らの会話に耳を傾ければ、 ”何か”は多分人であることがわかった。その”人”をブチャラティたちは探しているらしい。

「けどよォ...」

 情報を交換し終わった様子でやや気が重くなるような沈黙の中声を上げたのはド派手な服を着ているミスタと呼ばれている男だ。

「こんだけオレらが捜してるのに見つからねぇってことは誰かが手を貸してたりするのかもな」
「ありえねぇ話じゃねェな」
「誰かが匿ってることかぁ?」

 ナランチャと呼ばれている少年がどこか眠そうな表情で尋ねれば、アバッキオが頷く。
ブチャラティは口を挟むことなく成り行きを見守るようにソファの上からこちらを見つめている。

「その人は何をしたの?」

 会話がまたしても途切れたところを見計らって声を上げれば、全員分の視線が一気に向けられ、思わず背筋がピンと伸びる。
何かまずいことを言ったのだろうか? まずいことを言ってしまったらしいことは雰囲気でわかった。

「オイオイ、マジに言ってんのかよ」
「オレよりも話聞いてないんじゃあねェか?!」

 呆れた反応のミスタと反対の反応を見せたのはナランチャだ。何故か嬉し気にソファの上で跳ねている。
何度もしつこいほどにブチャラティの夢に入り浸っていたので、彼のチームメンバーの名前まできっちり把握してしまっていることに今更気づいた。

「ナランチャ、なんでキミが嬉しそうなんだよ」

 呆れた顔のフーゴにナランチャはこれまた弾けた笑顔で「だってオレより話聞いてないんだぜ?」とやっぱり何故だか嬉しそうだ。続けて「フーゴ、叱らねぇのかよ。オレの時は頭はたいたりするくせに」とわくわくしながら恐ろしいことを言い始めた。どうやら自分以外の誰かが叱られているところが見たいらしい。なんて恐ろしいことを唆そうとするんだ...! 机を挟んで斜め前方に居るフーゴから逃れるように足の裏を地面へとくっつける。

「この男は最近店を何件も襲撃している強盗だ」

 ブチャラティが話し始めるとみんなぴたりと口を閉じた。

「やっかいなことにスタンド能力を持っているらしい。そのスタンドを悪用して店を襲撃し、時には鉢合わせした店の人間に手を出すこともある」

 スタンド。とは時々彼が夢の中で口にする言葉だ。スティッキーフィンガーズと声を上げれば、人型の何かが現れるのは何度か見たことがある。その能力を男も持っているということだろうか。

「その店の中にパッショーネの息がかかったところもあるってわけだ」

 ブチャラティの話を引き継いだアバッキオの言葉に頷く。さっきから我関せずという感じで足を組んで目を瞑っているようだったので聞いていないかと思ったけどそうでもなかったらしい。

「それでブチャラティ達がその男を探してるの?」

「そうだ」と簡潔に答えるブチャラティは何かを考えているように顎に片手を添えている。

「どんな男なの?」
「強盗に入られた店の親父の話では...髪は茶色で大柄な男です。それと、左腕にタトゥーを掘ってあるそうです。蛇が、こう...腕に巻き付いているようなものらしいです」

 フーゴが自らの左腕の二の腕を指して言うので、きっとタトゥーはそこに彫られているのだろう。茶色い髪に大柄の男という情報だけでは正直見つけられる自信はないが、そんな特徴的なタトゥーがあるのなら一目でわかりそうだ。もし見つけたらブチャラティに知らせないと......そう考えてから唐突にハッと思い出した。
これがブチャラティの夢の中であることに。
突飛でわけのわからない夢などであれば自分が今他人の夢の中に入り混んでいることを忘れることもないのだが、あまりにもリアルな夢だと現実と混同してしまいわからなくなってしまう。
 ぱちんとシャボン玉が弾けたように目が覚めた。

「どうかしたか?」

 現実には起こるはずがないのに何故これがリアルだと思ったのか? そんな自嘲的な気持ちを隠せなかった私に声をかけてくれたのはブチャラティだった。
こちらを伺うように視線が向けられると、思わずへらっとした笑顔に見えるだろう情けない表情を浮かべる。

「ううん、何でもない」

 襲撃事件も本当にあったのか定かではないし、ブチャラティ達が男を追っているのかも現実ではないかもしれない。
彼の頭の中で描かれた一夜限りの物語に過ぎないのかもしれない。そう思い至ってしまうと、今まで真剣に彼らの言葉に耳を傾けていたことに虚しさを覚える。


 夢の中で謝ったということを免罪符に、あれから数日経つというのに未だに私はブチャラティにハンカチを返せずにいた。鞄の中に入れっぱなしのハンカチは汚してしまってはいけないと、紙袋に入れてある。このためにわざわざラッピング用品を買いに行った。うんうん唸りながら吟味して選んだ紙袋はシンプルな未ざらしの生地に金色の箔押しで小さな花が描かれている。
品の良いこの包装を選ぶまでにはラッピング用品がまとめてある売り場の一角に一時間ほど居座った。だというのに、いまだに渡せていないのだから意味がない。
 今日も渡せなかった...そもそもあのバールにブチャラティは姿を見せなくなってしまったと、とぼとぼバールから引き上げて仕事へと戻ろうとした帰り道、突然視界にド派手な赤と青という色が飛び込んできた。見覚えのあるそれがなんであるのか理解して咄嗟に来た道を引き返して壁に身を隠した。
そっと顔だけを出して覗き込んでみると、ド派手な服のミスタと誰かが話し込んでいる。店の中の誰かと立ち話をしているらしく、大きく開かれている緑色のドアの影に姿は隠れていて誰と話しているのか確認できない。
このまま出ていくのを少し気まずく思ってしまうのは、夢の中で何度か一方的に顔を合わせたことがあるからだろう。それもブチャラティの夢の中でがほとんどだけど。一度だけ彼の夢の中にも入ったことがある。それも近しい人から見たブチャラティはどんな人だろう? という好奇心からだ。そうして入り混んだ夢の中で彼はかなり情熱的に女性を口説いていたので、見てはいけないものを見てしまった気持ちになってしまい、それから彼の夢に入ることはなかった。
そんなミスタは知らないだろう後ろめたさを抱えているので、顔を合わせるのはやはり避けたいと思ってしまう。
 コソコソ通りを渡り、対面する歩道へと移動した。店が立ち並ぶ通りなので幸いなことに人通りもそこそこある。それに紛れてこの場を去ろう。
思えばここ最近の私は疚しさばかり抱え、コソ泥のように動くことも板についてきたような気がする。何が悲しくてコソ泥力をアップしなくちゃいけないんだ.....。己の情けなさを嘆くことでいっぱいで、俯いていたのが悪かったらしい。舗装された道が映りこんでいた視界に何かが入り混んだと気づいた時にはそれにぶつかってしまった。

「すいません…!」

 慌てて顔を上げて謝れば、そこにはいかつい顔をした男が立っていた。現状を理解してサッと血の気が引く。どう考えてもよろしくなさそうな”そういう系統”の怖い人に見える。怯えが相手に伝わったのか、それとも急いでいたのか男はじろじろこちらを観察したかと思うとこれ見よがしに大きな舌打ちをして私が向かっている方向へと進んでいった。
どうやら恐ろしい事態になることは免れたようだ。無意識のうちに詰めていた息を吐きだす。
こわかった...目つきは鋭いし、何より漂わせている雰囲気が普通のそれじゃない。それに腕には蛇のタトゥーなんてしてる、絶対に普通じゃない...。

「...ん?」

 何かが引っかかったような気がして先ほどの恐怖体験を頭の中でリプレイしてみる。

「あ!!」

 違和感を突き止め、その正体に驚きの声が上がった。
 慌てて先ほどの男――ブチャラティが捜していた男が行った方向を目で追いかければ、右へと道を曲がっていくのが見えた。これは誰かに知らせなくてはいけないと考えて思いついたのは、先ほど一際目を引いた男だ。急いできた道を戻れば、まだ先ほどと同じ場所に居るのが見えた。派手な色合いの服は少し遠くから見ても彼と分かるという利点があるらしい。

「ミスター!!」

 走りながら叫べば、名前を呼ばれた本人はびくっと肩を震わせた。
こちらを向いた彼の顔は疑問でいっぱいだ。

「なっ、誰だ?!」
「そんなのいいからちょっと来て! 腕に蛇のタトゥーがある男がさっきあっちに」

 指をさした次の瞬間にはミスタは駆け出していた。その後を慌てて追いかける。
とても追いつけない速さで走るので、ぐんぐん距離が開いていくのを目にしながらも運動不足で思うように動かない足を懸命に動かす。

「右ー!!」

 ハァハァと、まるで走り回った犬のような呼吸をしながらどうにかそれだけ叫んだ。それをきちんと聞き取ったらしいミスタは、真っ直ぐと右への分岐を迷いなく足を踏み出した。パンプスを履いていることもあって余計に走りづらく、追いつける気がしない。それでも足を進めてようやく追いついた先にはミスタが男を取り押さえているところだった。決着は一瞬でついたのだろう。男は血を流していて、ミスタのほうには怪我をしている様子はない。そのことに安堵しながらも膝に手をついてとりあえず息を整える。
喉がカラカラに乾いているが、唾を飲み込もうにもそれも出そうにない。

「ミスタ!!」

 声を上げながらやってきたのはブチャラティだった。
思いがけない人の登場に運動後とは違う意味で心臓が大きく跳ねた。

「その男は...」
「ああ、オレらが追いかけてた男だ。ここにタトゥーがあるから間違いねェ」

 息を整えながら二人のやり取りを眺めていると、唐突に二人がこちらを振り返った。ぎくっと体が跳ねるが、気にした風もなく二人は何事かを話している。頷くブチャラティの目は私に固定されている。それだけなのにここから今すぐ逃げ出したくなるような気持ちになる。それってよっぽどのことだと思う。何せ私は経った今まで間抜けに口を開けて呼吸するくらい走ったからだ。
 やがて話し終えたらしいミスタはブーツの中から携帯を取り出したと思うとどこかに電話をかけ始めた。血を流す男をその足で踏んづけているとは思えないほど普段通りに話しているミスタの声をBGMに、私はこちらへと近づいてくるブチャラティから視線が逸らせずにいた。

「君はあの時バールに居た...オレのことは覚えているだろうか」

 どうやら私のことを覚えていてくれたらしい。驚いた表情の中には何故私がここに居るのかわからないという気持ちがありありと浮かんで見える。もう今日は会えないものと思い込んでいたので、心の準備は全くできていなかった。バールに入るときにはブチャラティが居た時にはどうやってハンカチを返すか、どう会話を進めるかと何度も頭に浮かべていたシミュレーションはこの予期しなかった現実の前に水泡と化した。今の私の頭にあるのは「どうしよう!」というどうにもならない間抜けな叫びだけだ。
「あ、はい、もちろんです」と馬鹿みたいな言葉と共にかくかくと壊れた人形のように頭を上下に振っているうちに電話を終えたらしいミスタがこちらにやってきた。

「とりあえずフーゴに電話したら今からこっちに来るらしい」
「そうか」

 あまりにも見られるのでブチャラティから逃れるようにミスタへと視線を移す。すると彼の周りにふよふよと浮かんでいる小さい何かに気づいた。
妖精...? 頭に浮かんだメルヘンな予想に、思わず自らそれはないでしょ! とツッコむ。
夢の中で何度か見たブチャラティと同じ能力なのかもしれない。そう当たりをつけられるほどに私は何度もブチャラティの夢の中でスティッキーフィンガーズという人型の何かを見ていた。

「あんたのおかげで助かったぜ」
「あ、いえ」
 にかっと溌溂とした笑顔を向けられれば誰だって嫌な気持ちになるわけがない。今度は左右に頭を振りながら答えた。必要以上に首に負担を与えてる気がするがどうにも大げさな反応をしてしまう。

「それにしてもブチャラティの知り合いだったのか」

 知り合いというほどの仲ではない。夢の中では何度となく会って言葉を交わしているけれど、現実ではあのバールの日が初めてで最後に会った時なのだから。

「あぁ」

 返事を曖昧に濁そうとしたところで思いがけず力強い相槌が聞こえ、思わずそちらへと視線を向ける。ブチャラティは表情を一切変えることなくミスタに向き合っている。

「じゃあブチャラティから話聞いてたのか? あの男を探してるって」

 立てた親指で背後を示され、自然と目で追えばぴくりともしない男が確認できた。死んでるんじゃ...? と考えたことを読んだらしいミスタが「気絶してるだけだぜ。ちょこっと血が出ただけなのによォ」と、まるでなんでもないことのようだ。地面が赤くなっていることからも、ちょこっとどころではないと思いますよ、とは思ったが空気を読んで口を閉じた。

「...いえ、あの、たまたまそういう話を聞いて...」
「へぇ、誰から?」
「だっ、誰から?!」

 まさか突っ込まれるとは思っていなかったので口から飛び出た声は大きく、裏返っていた。オーバーなリアクションを取ってしまった、と自分でもわかったのだから、それを見ていた二人も同じ感想を抱いたことだろう。嫌な沈黙に鞄の取っ手をぎゅっと力を入れて握りながら、自然と顔は俯いてしまう。正直に話すことも出来ないので、どうやって誤魔化すか、答えの出ない意味のない言葉がぐるぐる回る。

「ミスター、ナンカコノ女、怪シイゼ」
「ソンナニ驚クコト聞イテネェノニヨ、ヤマシイコトデモアルンジャネェカ?」
「いや、あの! ......誰からだったかな?」

 高い声の言葉を遮るために慌てて口にした言葉は白々しく、またしても痛い沈黙が落ちる。いつの間に近づいていたのか、私の顔を覗き込むようして妖精もどきが疑わし気に腕を組みながらこちらを見つめている。そろっと視線を反らしながらこの場から逃げるための言い訳を考える。
とても確認することはできないが、きっとこの妖精もどき達のような疑わし気な顔をして二人とも私を見ているんだろうと予想できる。
それくらい怪しい奴であることは自覚があるので、その評価も甘んじて受けるしかない...。

「すいません! そろそろ休憩時間終わっちゃうんで!」

 どうせ怪しい奴だと思われているのならここでその場限りの適当な言い訳で逃れるのではなく、一旦持ち帰ってじっくりそれっぽい言い訳を考えたい。自分でもなかなか最低なことを考えている自覚はあるが、これが一番良い案な気がする...! と思い立てば何だか気が楽になったような気がして、すぐさま口にした。
”本当のことを言う”という正論はもちろん気づかないことにする...。

「待ってくれ」

 では!! と、まさに駆け出そうとしたところで左腕を掴まれた。反射的に足を止めて振り返れば、ブチャラティがすぐそこに居て驚く。となると、当然私の腕を掴んでいたのはブチャラティだった。夢の中でも触れられたことはない。その手に今まさに触れられていると思うと、その部分が熱を持ってくる。

「あのバールでまた会えるだろうか」

 あの夢の中でブチャラティが見つめていた海をそのまま映した瞳がこちらに向けられている。
少し硬い手に触れられているところがじりじりと温度を上げ、顔にも熱が溜まっていくのを感じる。

「はい......」

 心臓が早鐘を打ち、息苦しさを覚えて息を吸い込みながら頷いた。
口端を上げブチャラティが薄く笑みを浮かべれば、耳が正常に動き出したようにざわざわと遠くに聞こえていた喧騒がすぐそばで聞こえる。
 ふわふわとした夢見心地の足取りで仕事へと戻った私が使い物になったかどうかなんてわかりきったことは聞かないでほしい。
 また会う約束をしたことに浮かれて、それが自らの首を絞めることになると気づいたのはもう少し後の話。

夢の痕追う昼下がり






(20190825)