じゃれるだけの頃 「あつ...」 照りつける太陽と、その熱を反射するアスファルト。上と下どちらともから熱を感じ、思わず独り言を呟いた。 もう少し校舎の中で涼んでから帰るべきだったかもしれない。だが、そうしたところで校舎の中が涼しいわけではない。 クーラーなんて気の利いたものは最低限必要であると判断されたパソコン室以外には設置されていないのだ。 つまり自分の席に大人しく座っているだけでも汗は噴出してくる、それでは涼んでいるとは言えない。おまけに 暑さのせいで勉強どころではない。それなのに少し涼しくなる夕方を待ち、大人しく席に座っているか と言えば、それは時間の無駄な気がしてならない。それなら熱い中、我慢しクーラーのある家に帰るほうがいいに 決まってる。 この灼熱地獄の中を帰る正当性をつらつらと頭の中に並べ立てながら自転車置き場へと向かう。 すでに額に浮き出てきた汗を手の甲で拭い、自転車のサドルに跨る。黒いそこは太陽の熱を吸収していて、火傷しそうな ほどに熱かった。 歩くよりはマシだろうがそれでも暑いものは暑い。時折、風が通り過ぎていくが、それはぬるく湿っておりお世辞にも 心地良いと言えるものじゃない。シャツとズボンがぴたりと肌にくっついている感触が気持ち悪いと、首元のシャツを右手で摘まみ風を送る もあまり意味のある行為ではないようだ。 いつもであれば同じ制服を来た集団でごったがえしているはずの道は、下校時刻を少し過ぎた今の時刻は自分以外の 人影はないようだった。すいすいと進むペダルの感触は人がごったがえしていると味わう事は出来ない。 カラカラと回る車輪の音をぼんやりと聞きながら、人の通りが極端に少ない道を突き進む。 やがて迫ってきた大きな坂道に眉根を寄せうんざりするも、そうしたことで坂道が消えるわけでもない。 しょうがなく覚悟を決め、ペダルの上に立ち上がり立ち漕ぎで進むことにする。手に汗をかいているので、うっかり滑ってハンドルを離さない様、手に力をこめ つつ歯を食いしばる。 あと少し、あと少し、自分に言い聞かせながらいつも以上につらい坂を上り終えた。 大きく息を吐き、達成感を抱きながらサドルの上に腰を下ろす。あとはペダルを漕がなくても坂を下っていくだけだ、と 全身の力を抜いた時だった。前方に見知った後姿を見つけた。 あ、と胸中で呟くと、自転車が勝手に坂道を下っていく。 カラカラカラ.... 車輪の回転する音が早い。前方の真っ黒な髪がぬるい風に吹かれ揺れた。こちらを振り返り、真っ黒な瞳 と視線がかち合う。あ、の形に口が開かれた。次の瞬間、は右手の親指を上空向けて立てた手と右足を車道向かって 突き出した。 ヒッチハイクか。俺が乗ってるのは車じゃないぞ。 満面の笑みを浮かべると違って俺は顔を歪めて不満をあらわにした。そのまま何事も無かったように振舞おうと、 そいつを視界から追い出し前方だけを見遣る。 「あっ! 兵助無視するなっ!」 喚くような声を聞きながらも無視する。気付けば結構な距離があったはずのと俺の間の距離はあっという間に 縮み、俺はを追い抜かした。 「ひきようものー!」 “ひきようもの”じゃなくて、“ひきょうもの”な。 胸中で突っ込みつつも、落胆した様子を声に滲ませていたに、俺は結局ブレーキをかけた。 キキィー うるさい音をたて、勢いよく回っていた車輪は動きを止める。 うんざりした表情を顔に貼り付けながら振り返れば、嬉しそうな顔をしたがこちら向かってすかさず走ってくる。 結局、いつも俺が折れることになるのだ。 「いっちょ家までお願いします」 そう言いながらいそいそと荷台に乗ってきたは人差し指で前方をさしながら言う。それに返事を返さずに、 視線で文句を言えばぺこぺこ頭を下げる。それにため息を返して、ペダルに再び足を乗せた。 「おもっ」 「そんなばかな!」 「その自信はどこからくるんだ」 「私は羽のように軽いはずですよ」 「よくもそんな嘘が言えるな」 まだ坂道の途中だった事が幸いして、本当は重いなんて感じなかった。それでも軽口を叩いたのは、これが俺たちの “普通”だからだ。 カラカラと回り始めた車輪には先ほどまでの勢いが無くなっていた。それでも風を切る感覚は消えない。 「自転車どうしたんだよ」 風の音で聞こえないかもしれないと思い、少し大きな声で尋ねる。 も俺と一緒で自転車通学のはずだ。それなのに今日はなぜ徒歩なのか。 「それが聞いてよ! もー、最悪。......パンクした」 間髪入れず、待ってましたとばかりに返ってきた声も俺同様に大きな声だった。その上に怒りの感情もプラスされた からか、興奮気味に荒げた声だ。聞かなければよかったかもしれないと早々に思う俺をおいて、は言葉を続けた。 「それも朝に気付いたから今日は走って学校に来たんだよ! 兵助、先に学校言ってるしさー」 さり気無く俺の事を責めてくるは、控えめに握っていた俺のシャツを引っ張り不平を表している。握り締められた そこは絶対に皺になっているだろう。(どうせ汗もかいたので帰ったら洗濯機の中に放り込むので別にいいが。) こちらとしては、そんなこと知るか、だ。いつだってぎりぎりまで寝てるからこんなことが起きた時に困った事になるのだ。 だからといってそのことを指摘すればが今の生活を改善し、早起きをするようになるのかというと答えは“ありえない”だ。 だてに幼馴染というやつをやっているわけではない。そんなことは想像に容易い。なのでわざわざ俺はそこを指摘しない。 まぁ、だがこの暑さの中走ってきたのは大変だっただろう。朝といえども太陽は容赦してくれないのだから。 「ふーん。大変だったな」 「なんか腹立つー!」 労いの言葉をかけてやったというのにはそれが不満だったらしく、ばしばしと平手で後ろから俺の背中を叩いてくる。 せっかく後ろに乗せてやったというのに、俺が得たものと言えば重いペダルと背中の痛みだなんて...。 思わずため息を吐いた時だった。 突然、目の前を猫が横切っていった。 驚きの声を口の中で小さく呟きつつ、慌ててブレーキをかける。 キキイー! 「わ」 ブレーキをかけたと同時に小さく聞こえた声と、背中に軽い衝撃。猫はブレーキの音に一瞬驚いたようで、こちら を振り返ったがそれだけで、そのまま走って道路を渡っていった。まさか猫に謝れとも言えないが、それでも何故わざわざ 目の前を横切っていくんだと思わずにはいられない。 安堵の息を吐きつつ額に浮き出た汗を手の甲で拭うと、違和感に気付いた。後ろから伸びた手が俺の腰に回っている。 それは間違いなく自転車の荷台に座っているのものだ。 するとつまり、ぴったりと背中に張り付いているのはの体だ。 そう理解すると同時におかしな汗が噴出してきた。ばくばくと心臓が大きく脈打っている。 意識が全て、背中にくっついているに集中している。 首筋を汗が滑り落ちた感覚が、いやにはっきりと感じられた。 「...いったー」 やがて聞こえたの声でどこかに飛んでいた思考が戻ってきた。それから腰を締め付けていた感覚がするすると解けた。 そして、おかしなことに俺はその手が離れていくのが名残おしく感じた。 ぴったりとくっついたの体は確かに熱を持っていた。ただでさえも暑いというのに...それなのに、だ。 「安全運転で頼むよ。運転手さん」 「...悪い」 ぽんぽんと肩を叩いてくるはいつもと何ら変わりのない様子だった。そのことに少し理不尽な怒りを覚えつつも 足に力を入れ、ペダルを漕ぎ始める。 控えめに俺のシャツを掴んでいるの手が気になってしょうがなかった。 (20101011) |