噛み殺すことが出来ずに中途半端に開いた口からは欠伸が漏れ、じわりと視界が涙で曇った。
昨夜はお酒を飲んだにもかかわらずなかなか寝付けなかった。だから少し寝不足なこともあって、始まる前から今日の仕事が憂鬱だ…。といっても、やる気が出ないからと言って休むのも良心が痛む。 何よりコンディションが悪いのは自分の問題だ。風邪を引いたとかそういうものでもないのだから仕事には行くべきだと自らに朝から言い聞かせてやってきた。 だけど予想通りと言うか仕事がはかどるようなこともなかったけれどそれなりに忙しかったので仕事に集中することができた頭からはいつの間にやら昨夜のことが抜けていた。 だが、昼休みになればそうもいかない。デスクとぼんやりしているとどうしたんだと声をかけてくれる人がいたが、へらっと笑って誤魔化した。 そんな覇気のない昼休みを過ごしていると、携帯から音が鳴った。鞄の中に入れてあったそれを取り出してディスプレイを確認して目玉が飛び出るかと思った。

"バーナビーさん"

「...うわっ!」
今一番話したくないと言っても過言ではない人物からの着信を知らせる携帯から思わず上体を反らして距離をとる。

「どっ、どどど」

どうしよう?!
声にはならなかった叫びを上げると、何事かとこちらを見ていた同僚の視線が向けられているのが見えた。

「どうした」
「いや、あの...これ!」

携帯を指差すももちろん同僚は詳細を知らないどころかディスプレイも見えていないのでただ頭を傾げただけだ。
そこで誰かに相談することが出来る状態にないことがわかったので椅子から立ち上がった。「ちょっと行って来る」とだけ言って返事も聞かずにフロアを飛び出した。 ネイサンとかカリーナにこの電話を取るべきか相談したいところだけどどう考えても無理だし、なによりも二人なら「さっさと取りなさいよー!!!」っていうだろうことが予想出来る。脳内の二人に急かされる形で未だに鳴り続けている携帯に深呼吸をしてからディスプレイに触れる。

「...はい?」
「...さんですか?」
「そ、そうです」

この電話に出てるんだから九割の確率で私が出るに決まってる! なんてツッコミは頭がパニックで働かない今は出てこなかった。ただただ馬鹿みたいに頭をかくかくと上下にふる。バーナビーさんには見えてないだろうけど。

「…お仕事中ですか?」
「え、はい…」

思ってもいなかった言葉に返答はそのまま気持ちが入ったみたいな釈然としないものになってしまった。

「わかりました。終業時刻はいつもと同じと考えても?」
「はい…多分…?」

なんでそんなことを? という疑問はそのまま声に出ていたと思う。それは多分通話相手のバーナビーさんにも届いたはず。だけど私の疑問を解消してくれるようなことはなく...。

「わかりました。では迎えに行きます」

一方的とも言える言葉を最後に通話は切れた。 頭がじわじわとバーナビーさんの言葉を理解してようやく私は「はぁ?!」と言うことができたけど、とっくに通話は切れていたのでもちろん独り言になってしまった。



帰りたくない...いや、帰りたいんだけど帰りたくない。そんな微妙な気持ちで退社すれば、ホールを抜けた入り口に赤いジャケットが建物の陰に見えた。 何度か迎えに来てもらったことがあるのでそこにバーナビーさんが立っていてもおかしくなはいはずなのに、もうこの先そんなことはないと思っていたので不思議な気分だ。

「お疲れ様です」

こちらに気づいたバーナビーさんが固い表情のまま労ってくれたので私も同じ言葉を返す。
同時に向けられる多くの視線に気づいて早くこの場を去りたかったので、とりあえず歩き始めた。バーナビーさんは無防備だと思う。この前熱愛報道をスクープされたところだっていうのに私と二人で居るところを見られたら二股疑惑が出てしまうかもしれないのに...。それに彼女にも悪いだろう。彼氏が自分以外の女性と二人で居るなんて出来ればやめて欲しいと思うはず。時々バーナビーさんはこういうところに無頓着なところがある。

「...どうして急いでるんですか」

手っ取り早くここから離れるには走るのが一番だけどそうなると悪目立ちしそうなので早歩きで先を急いでいると、少し後ろに居たバーナビーさんが未だに固いままの表情で尋ねてきた。 「いや、どうしてってバーナビーさんが二股野郎とバッシングされないためですよ!!」と口から出そうになった言葉を一度飲み込む。 あまりにも乱暴な言い方だ。それはよくない。クールダウンするんだ。

「二人で居るところを見られると、その...まずくないですか?」
「どうしてですか」

おいおいマジかバーナビーさん。ここまで言ったのだからバーナビーさんなら悟ってくれると思ったのに…意外にも鈍かったのだろうか。 気のせいでなければ気分を害したように少し怒っているようにも見えるバーナビーさんに驚く。

「どうしてって...ねぇ?」

察してくれという返答はどうやら届かなかったらしい。眉根を寄せてますます不機嫌な表情になってしまったので気が進まないが説明するしかないようだ...。

「...その、誰かに見られて...もし、もしですけども! そういう感じに見られたら彼女に誤解されるかもしれないじゃないですか…」

気まずい…なんでこんなこと忠告しないといけないんだ。この間までバーナビーさんに好意をもたれていたからこそこんな忠告をするのが気まずい。その上自分で言ってて自意識過剰なんじゃないかと思う…。 すでに口にしてしまったけど大きなお世話にも感じる。バーナビーさんが気にしていないのなら私がここまで気を使わなくてもいいんじゃないか、と思いながらも雑誌にすっぱ抜かれた例の彼女(親しげに写っていた彼女ね)は気を悪くするだろうと思うと黙っていられなかった。 それに私が原因になってしまうのも後味が悪い。何も疚しいことなんてないのに一部を切り取られて誤解されるなんて嫌だ。 この前まではちょっと何かあったともいうかもしれないけど結果的には何もなかったんだし。冤罪だ。
気まずさに視線はバーナビーさんの胸部分へと向ける。一心にチャックを見つめていると、そのチャックがどんどん近づいてきたので思わず後ろへと下がる。
一歩近づいて来たのでこちらも一歩下がる。
二歩近づいて来たのでこちらも二歩下がる。

「...どうして逃げるんですか」

低い...それはそれは低いバーナービーさんの声に半歩下がって重心を乗せていた左足に反射的にもっと負荷をかけてしまう。
本能的にバーナビーさんから距離を取ろうとしたのだけど...チャックから視線を上げればすでに刻まれていた眉間のシワにぐっと力を入れたのが見えた。...こわい。 一定の距離を保ったまま可笑しな動きをする私たちにきっと周りの人たちは不審な者を見る目で見ているだろうことはわかるが、それどころじゃない。

「なんとなく...?」
「そんな理由で逃げないでください」
「はい...」

すっぱりと切り捨てられれば項垂れながらうなづくしかなかった。
私がこれ以上逃げることがないようだと判断したらしいバーナビーさんがまたしても距離を詰めてきた。目の前に見えるチャックに視線を合わせる。

「彼女ってなんですか」

なんですかと言われても私もそこのところはよくわからないので答えられない。
「この人がバーナビーさんの彼女か...」と雑誌を見ただけでそれ以上の情報は何も持っていない。(更にいうのならその雑誌に載っていた写真だってはっきりしてない)だって本人から何も話を聞いていないので知るわけが無い。 バーナビーさんが一番知ってるはずでしょ。と私の中の意地悪な部分が声を上げたけどどうにかそれをねじ伏せた。

「...えーと、バーナビーさんがお付き合いしてる方ですね」
「......はぁっ?!」

びっくりするほどの大きな声に反射的に顔を上げる。 まさかバーナビーさんが彼女が誰かわからないなんてことないだろうし...そう思いながら場を繋ぐためみたいなわかりきったことを口にしたのだけど、バーナビーさんはますます眉間のシワを深くして不愉快だと一目でわかる表情をしていた。その反応に少しうろたえる。別に怒られるようなことを言ったつもりはないのになんで私が怒られてるみたいなことに...。

「なんですかそれ」
「な、なんですかと言われても...」

ごにょごにょと言い訳がましい感じに言葉が口の中から出てこない。
ハァー。と耳まで届いたのは明らかに呆れているようなため息だ。なんで私が怒られてるみたないことに...??(二回目)
何とも言えない沈黙を経て顔を上げたバーナビーさんの顔は何だか傷ついているかのように見えた。視線は私には向けられず、斜め下のあたりに向けられている。

「...あんなくだらない噂を信じたんですか?」
「え、」

くだらない噂が何のことなのか一瞬わからなかったが、今までの話の流れからもバーナビーさんの彼女のことだと察することが出来た。 その後に続いた”信じたんですか?”という言葉の意味に気づいて目が丸くなる。その言い方だとまるで、あれがただの噂で真実ではないのだと言っているかのようだ。 だけどあの写真の二人はとても親しげにしていて...それこそただの友人というには不自然だった。だからこそ私は一目見て「あぁ、この人がバーナビーさんの彼女なのか...」と思って......。

「心外です」

暫し考え込んでいた私の視界に映ったバーナビーさんは先ほどとは打って変わって眉を少しばかり吊り上げて静かに怒っているかのようで...その表情に間違っていたのは私のほうだったのかもしれないという疑いが濃くなる。

「僕が好きだと......待っていると言ったのを忘れたわけではないですよね」
「はい...」

もちろん覚えてる。忘れようとしても忘れることができなかった。
いつだって頭のどこかにはあの日のバーナビーさんが居るようだった。

「...軽々しく好きだなんて言えない」
「...それはわかってます」

バーナビーさんがあんなことを簡単に口にできるような人ではないということはわかっている。
それがわかるくらいにはバーナビーさんと一緒にいたのだ。

「ならどうして...」
「だって...あんな写真見たらそうかもしれないって思うじゃないですか...」
あの写真は一目で二人はそういう関係なのだと納得するだけのものを感じさせた。
ただの知り合いにしては近すぎる距離と見出しも相まってそれ以外には考えられなかった。

「...あんな素敵な女性が居たのならバーナビーさんだってそっちに行っちゃうと思うじゃないですか...!!」

最後には感情が高ぶってしまって殆どキレてしまった。
「なっ、逆切れですか?!」
「キレてないですよ!!」

一昔前のギャグみたいになってしまったと頭の片隅で考えてしまい、逆に頭が冷える。
バーナビーさんは今のに気づいてしまっただろうか...とひやひやしたが気づくことはなかったらしい。とんでもなく間抜けな感じになるので気づかれなくてよかった...。 一昔前のギャグみたいな返答は意外にもバーナビーさんを怯ませるものだったらしい。少しだけ上半身を反らしてから眼鏡のブリッジを上げた。

「あれはただのファンの方です。慣れ慣れしい方でしたけど無碍にもできないので。そこを写真に撮られたんです」
「ファン...」

バーナビーさんは顔出しヒーローなので出先でも見つかれば囲まれてしまうということが今までも何度もあった。そしてそれらに誠実に対応しているということも。 聞いてしまえばそれは私の心にストンと落ちた。これまで疑っていたというのに呆気ないくらいバーナビーさんの言葉に納得させられてしまったのだ。
そうなると今までの自分の態度が如何に的外れだったのか思い知らされてバツの悪さを覚える。

「僕に彼女ができたと思っておかしな態度だったんですか?」

今まさに考えていたことを言われれば気まずさを覚えながらも素直に頷いた。
バーナビーさんから見てもやっぱりおかしな態度だったか...。なんて今更どうにもできないけれど後悔する。

「それはどうしてですか」

どうして...? それは私のことが好きだと言っていたのに違う人と付き合ってるからと思って...。 あれは嘘だったのかと、

< 「僕のことが好きなんですよね」

つい考え込んでいたところで聞こえた言葉にハッとして顔を上げる。
さっきまで怒ったり悲しそうにしていたというのに今のバーナビーさんは自信に満ち溢れた顔をしている。 まるでそれ以外の答えであるわけがないと言っているかのようだ。
だけどそれは私も薄々考えていたことだった。バーナビーさんが他の人と付き合っているとわかったとき体温が急激に下がったかのような衝撃を受けた。手の先の温度がなくなるような...。

「そう、みたいです」

冷静に過去の自分をなぞればいくつものヒントが隠されているようだった。
いまいちピンと来ないながらも認めてしまえば不思議とそうとしか思えなくなってくる。
それを伝えれば、バーナビーさんは一時停止ボタンを押したように動かなくなった。

「...」
「...」
「え、」
「え?」

徐々に赤くなる顔とまん丸になったグリーンアップル色の瞳が次の瞬間には視界から消えたと思えば、苦しいくらいに抱きしめられていた。

「もう取り消せませんよ!」
「おわっ...!!!!」

突然密着した体に頭まで血が上るような感覚を覚えながら目を白黒していると行きかう人々の好機の視線で我に返った。 そうだったここは公道だった…! その事実に気づいてバーナビーさんを引きずるようにしてその場を去った。
ただでさえ目立つのにあんなところで抱き合っていたなんて「みんなー!注目ー!すっぱ抜いて!!」と言ってるようなものだ。なのにバーナビーさんはそんな危機感を持っていないのか口角が上がったままだ。上機嫌な理由が私なのだと思うとこそばゆい気持ちになる。その気持ちを隠すように俯いた。

「...なんで今日は連絡してきてくれたんですか」
「ロッカーの前にプレゼントが置いてあったんです。あれはさんでしょう」

確信している様子のバーナビーさんに頷けば「やっぱり」と存外穏やかな笑みが返ってきた。
昨日手渡すことができなかったのでロッカーの前に置いてきたのだ。
お尻のポケットに手を突っ込んだかと思えば、チャリと金属音とともに見せられたのはキーケースだ。すでにそれにはいくつかの鍵がついているようだった。

「早速使わせてもらってます」
「あ、よかったです」
「ちょうど欲しいと思ってたんです。どうしてわかったんですか?」

不思議そう見つめられれば少しだけ得意な気分になってしまう。ちょうど欲しいと思っていたものをぴたりと当ててプレゼントすることができたのだ。私は心持ち少しだけ胸を張って答えた。

「バーナビーさんが使ってたキーケース破れてきてると思ったのでそろそろ買い替え時なのかもしれないと思って」

ポケットから度々出していたキーケースは長年使いこまれてきたとわかるくらいにはくたびれてきていた。
だから新しいものをプレゼントしたら喜んでくれると思ったのだ。問題はデザインだけど、同じブランドのものであればあまり大きく外すこともないんじゃないだろうかという希望の元選んだものだったけれど、実際に使ってくれているところを見れば好みを外してしまったということはないようだ。 それらを口にすればバーナビーさんが何やら頬を赤くしている。どういうリアクションなのかわからずに戸惑っているとどうやらそれが伝わったらしい。

「いえ...その、それがわかるくらいさんは僕のことを見ててくれたってことですよね」

はにかみと共に告げられた言葉は私に衝撃を与えるのに十分だった。
確かに...言われてみればそうなのかもしれない...。そろそろキーケースが欲しいんじゃないかと察することができるくらいには見ていたということになる。 そうなると、もしかして私は結構前からバーナビーさんが好きだったのかもしれない。
それらの事実は動揺するのには十分のものだった。それを誤魔化すために咄嗟に口を開く。

「バーナビーさんは、」
「はい?」

口から飛び出そうになった言葉を寸でのところで止めた。
誤魔化すためとはいえ適切な質問とは思わなかったからだ。いつになく上機嫌な様子のバーナビーさんと目が合ってしまい、咄嗟に反らした。

「...やっぱり何でもないです」
「何ですか、そんな風に言われると気になります」
「いえ、あの...」

じっと見つめられれば気恥ずかしさと焦りで視線をどこに落ち着かせばいいのかわからない。

「どうして私なんですか...」

ごにょごにょと小さい呟きはともすれば聞き逃してしまうようなものだったと思う。できれば聞き逃してくれればいいと思ったのだから当然だ。

「好きにならないわけないじゃないですか」
「...は、」
「好きにならないわけがないと言ったんです」

じっとこちらを見つめられながら大真面目な顔で二回こっ恥ずかしいことを繰り返したバーナビーさんから与えられる衝撃が大きくて一度動きが止まってしまった。その間もこちらの動向を伺っているように見つめられて動きがぎこちなくなる。動きが止まっていた足と手を動かせば、右足と右手が同時に前に出てしまった。

「...ハハハ、またまた〜」
「冗談じゃありませんよ」

あまりにも真面目な表情で言われたので茶化して誤魔化そうとしたことに罪悪感を覚える。同時に先ほど無計画でこの話題を振ってしまった自分の首を絞めてやりたくなった。

「わかってます...」

たぶん赤くなってしまっているだろう顔を俯かせながらそう返すだけで精一杯だった。太陽の代わりに月が昇ってきている時間帯なのでたぶんこれで顔が赤くなってしまっていることは隠すことができるはずだ。
「ならよかったです。ようやく僕の気持ちをわかっていただけたようで」

穿った見方をすれば嫌味にも聞こえる言葉だけどバーナビーさんが心底嬉しそうな顔をしているのでそういうわけじゃないということはすぐにわかり、恥ずかしさといたたまれなさで黙りこむしかなかった。それを見てまたバーナビーさんが嬉しそうにするので何か返そうと口を開いたものの結局何も浮かばなくておとなしく口を閉じた。
「そういえば、」とバーナビーさんが口火を切ったのは顔の熱が下がってからだった。息を吐けば白く目視出来る時期なので冷えるのも早かった。声につられるようにして視線を隣へと向ければなぜか真剣な表情をしていたので戸惑う。

「何か僕に言うことがあるんじゃないですか」
「え?」

言うべきこと...目の前のバーナビーさんはプレッシャーをかけるようにこちらをじっと見つめてくる。
バーナビーさんに言うべきこと...?
急かされるままに考えれば、1つだけ頭の中に言うべきかもしれない...いや、言った方がいいだろうことが浮かんだ。

「す、好きです...?」

指摘されればまだ好きだとバーナビーさんに伝えていなかったことに気づいた。
これが正解なのか伺うように言えば、バーナビーさんはまさに鳩が豆鉄砲を喰らったかのような表情をしていた。 その反応を見るにどうやら間違いだったらしいことを瞬時に理解し、カッと火がつけられたように全身が熱くなる。 同じように目の前のバーナビーさんも耳まで赤く染まっていくのが外灯に照らされて見えた。

「ちがっ、いえ、っ......その...違うことはないんですが、あの誕生日のおめでとうを、その...言ってもらっていなかったので...」
「あっ、あっ、あー!! ですよね!!!」

間違いなくとんでもない赤っ恥をかいてしまったということをバーナビーさんの口からネタバレされ、今や私は100mダッシュをたった今してきたかのように心臓がばくばく激しく動いて全身が汗でびっしょりだ。脇汗がすごいことになってる自信がある。くれぐれも腕を上げないようにしなければ...!

「おめでとうございます」
「ありがとうございます...」

何だか気恥ずかしさもあって深々と頭を下げてお祝いの言葉を口にすれば、バーナビーさんも同じようにお辞儀をして返してくれた。 さっきのことは忘れることにしよう…! 心に誓いながらまた歩き出せば自然と足は競歩をしていかのような速度になってしまい、バーナビーさんに「早すぎますよ」と言われてしまった。 足の長いバーナビーさんでも早いと感じる速度を出していたことに少しばかり喜びを覚えながらも意識的にゆっくりと足を運ぶ。

「そういえば例のあれが入っていなかったのですが...」
「!! バーナビーさんめちゃくちゃ気に入ってるじゃないですか!」
「気に入らないわけないじゃないですか。さんがなんでも願いを叶えてくれるんですよ」
「...さ、さいですか」

今までは意地でもなんでもカードのことを認めないという感じだったのに...開き直るというのはこういうことなのか...?
予想に反した答えに私のほうが狼狽えてしまう。

「今年もいただけるんですよね?」
「え、あ、はい...」
「じゃあ今使います」
「えっ!!」

まだ渡してもいないのに今使うという宣言に本能的に回避するべきだと浮かんでしまった。
だけど私が何かを答える前ににこにこ顔のバーナビーさんが片手を差し出してきた。何かを要求されるポーズに私の警戒心レベルがピピピピ...とすさまじい速さで上がった。 一体何を要求されるというのか...警戒を通り越して恐ろしさまで感じてしまう。

「手を繋いでください」
「...えっ?」

想像もしていなかった要求に思わず目が丸くなる。 そうするとバーナビーさんは聞こえなかったと思ったのか、頭の処理が追い付いていないと気遣ってくれたのかもう一度「手を繋いでください」と繰り返した。

「えっ、いや、それは、その」
「出来ることの内に入りませんか?」

いつかの言葉を引き合いに出されてしまえばグッと言葉に詰まる。
”私にできることなら”と言って渡したのだから何でもカードの用途的には使える。だけど、だけど...!! だけど...!!!! 手を繋ぐなんてレベルが高すぎる...!! こんな公共の場で手を繋ぐなんて恋人レベル50ぐらいはないと無理な気がする。

「意味がわからないです」
「ひぇっ...!!!!」

唐突に右手を引っ張られ、驚きに体を強張らせている間にしっかり握りこまれてしまった。
暖かいそれはもちろんバーナビーさんの手で...思わず手と顔を交互に何度も見てしまった。

さんはいろいろと考えすぎなんですよ」
「バーナビーさんには言われたくないです...」

バーナビーさんこそいろいろと面倒な性格をしているのに...と少しだけ睨むようにして返す。だけどそれさえも今のバーナビーさんには効果がないらしく、笑顔を返されただけだった。こうしている間にもパパラッチされるかもしれないのに、と思うと今すぐ手を離すべきなのにあまりにもバーナビーさんが嬉しそうなので手の力を抜いた。 そうすると余計に大きな手に握りこまれてしまい、少しばかり意識してしまった。バーナビーさんと手を繋いでいるという今に。 一度気づいてしまうと何だかどんどん落ち着かない気持ちになってきてしまう。そわそわして体がむずむずするような感覚を誤魔化すために口を開いた。

「誰かに見られるかもしれないですよ...また写真に撮られちゃうかも」
さんが思ってるほど皆見てませんよ」
「えぇ...?」

それには納得できないと首を傾げればやたらとご機嫌な様子で「ハハ」とさわやかに笑い飛ばされた。
だけど否定しないところを見ればバーナビーさんだって心当たりがあるということだ。バーナビーさんなんだから当たり前だ。本気で言っているのだとしたら相当鈍い。

「別にさんが相手なら撮っていただいてもかまいません」
「えっ、パパラッチされてもいいんですか?」

わざわざ写真を使われてもいいなんて太っ腹だなーと思っての質問に、バーナビーさんはご機嫌に頷いた。

「その場合は弁解したい相手もいませんしね」

ばちこーん☆と幻聴が聞こえるくらいきれいにウインクを決めたバーナビーさんはいつもなら「はぁー絵になる人だなー」ってな感想 しか湧かなかったり、なんだったら「流石バーナビーさん!! ウインクめちゃくちゃ上手ですね!!」とか言っていたと思う。 だけど何だか今はばちこーん☆とウインクを決めたバーナビーさんがただただかっこよくて周りがきらきら輝いているようにさえ見えてしまい、私は自分が思っているよりもずっとバーナビーさんのことが好きだと確信してしまった。



HAPPY BIRTHDAY




(20180506)