「他のヒーローはいつぐらいにいらっしゃるんですか? タイガーさん」

落ち着かなくて入り口のところを見ながら隣に座るタイガーさんに尋ねると、神妙な顔をしたタイガーさんが顎を擦りながら こちらを見ていた。何かまずいことでも言っただろうか、と心当たりを探しているとタイガーさんが「それやめろ」 とだけ言った。“それ”がなんのことが分からずにリアクションを取れずにいるとタイガーさんが続けて言う。

「今はプライベートなんだからタイガーさんじゃなくて名前でな。俺もって言ってるし」
「へ、はい...」
「...」

意外な言葉にただ頷いて答えるとタイガーさんが続きを促すようにジッとこちらを見てきた。馬鹿ではないのでその視線が 何を意味しているのか分かってしまう。続きと言うか、これは間違いなく“言え”と言っている。 その視線に少々たじろぎながら先ほど聞いたばかりの名前を紡ぐべく口を開いた。

「...虎徹さん」
「そうそう。これからは虎徹さんな」

虎徹さんはどうやら私の返事に満足したようでうんうん頷いている。
私からしても名前で呼んだ方が親しい感じがして嬉しい。けど、なんか照れる。日本に居た時は初対面では大体、苗字+さんという 形が普通だったので(友達ではそんなことはないけど)こっちでの名前を呼び捨てで呼ばれたり呼んだりするのまだ少し慣れない。

「んで、バニーちゃんはバニーちゃんでいいから」
「ちょっと! 勝手なこと言わないでくれますか!」

突然話の矛先がバーナビーさんにいったので驚いたが、バーナビーさんはランニングマシンの上で走りながらも鋭い声をこちらに飛ばしてきた。 私たちがおしゃべりしてる間ずっと走っていたはずなのに息はあまり乱れていない。
というか、バニーちゃんなんて呼べるわけが無い。虎徹さんみたいな怖いもの知らずでは無いのだ、私は。

「はぁ? じゃあ何て言って欲しいんだよ〜?」
「......普通ですよ」
「普通ってなにー? おじさんわかんない」
「普通に名前ってことですよ...!」
「バニーちゃんの物差しで普通っつわれてもなぁ?」
「...さん!」
「へい!!」

またしても漫才みたいなやりとりをボケッと見ていると突然バーナビーさんがこちらを見て私の名前を呼んだ。 突然名前を呼ばれたことと、視線が私に向けられたこと、二つに驚いてベンチの上でピャッと飛び上がってしまった。 その上にどこかのすし屋の大将みたいなおかしな返答をしてしまった。

「僕のことはバーナビーと呼んで下さい!」
「はっ!了解しました!」
「...ここはどっかの軍隊か?」

呆れたような顔をして虎徹さんが私とバーナビーさんを交互に見た。その冷静なツッコミを聞いて自分でも軍隊みたいだと思った。


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緊張にじわじわと気力を削がれていくのを感じながらも私はいつ来るか分からない先輩ヒーロー達がやってきた時の ことを考えて、背筋を伸ばし足をそろえてよそ行きの姿勢を崩さずにいた。虎徹さんに何時頃に来るのかともう一度聞いてみたが 「そのうち来るだろ」なんてアバウトすぎる答えが返ってきた。太ももの上に右ひじを立て、その上に顎を乗せてどこか眠たげな虎徹さんが首だけを動かしてこっちを見た。

「まだ緊張してんのか?」
「...緊張しますよ。まだ会った事ないですし...」

虎徹さんみたいに話しやすい人たちだったらいいけど、会ったことが無いのでどんな人たちが来るかなんて検討もつかない。 残り六人も居るのだから六人とも虎徹さんみたいだとは考え難い。出来ればバーナビーさんみたいなタイプはバーナビーさん 一人でお腹いっぱいなので遠慮したい...。失礼すぎることを考えていると何かを感じたのかバーナビーさんがこちらをチラッと見た。 一瞬心のうちが読まれたのかとひやっとしたが、そんなわけはない......多分。
心の中で念のために「バーナビーさんのアホ、バーカ。あ、頭にカーラーついたままですよ?」と思いつく限りの バーナビーさんが反応しそうな言葉を並び立てたが、もう一度振り返ることは無かった。
あぁ、ひやひやした...。
私が人知れず怯えていた間、何か考えている様子で黙りこんでいた虎徹さんが急に「よし!」と大声を上げた。

「じゃあ手に今度は虎って書いて飲み込め!」

突然の発言に反応できず固まっている私にお構い無しに虎徹さんがにこにこしながら迫ってきた。
今の発言が最初のエレベーターの時のことに繋がっているのだと考え付くまで少々時間を要した。
だけどその意味までは分からない。その疑問はそのまま口に出して尋ねる。

「...え? なんで虎なんですか?」
「アレだ、バニーちゃんだと消化不良を起こしそうだからな!」
「それじゃあ虎徹さんは胃薬の役目を持ってるんですか?」
「おぉ、おじさんは胃に優しいんだ」

嘘八百を並べ立てて何故か得意げな虎徹さんを疑わしい視線で見ているとバーナビーさんがランニングマシンから降りて タオルで汗を拭いながらこっちにやって来た。水分補給にやってきたらしい。隣のベンチに置いてあったボトルを 手にとって飲んでいる。喉が上下に動いておいしそうに飲んでいるのを見ると何だか私も喉が渇いてきた。
思わず唾を飲み込むとバーナビーさんが口からボトルを離してタオルで口元を拭いた。

「やめておいた方がいいですよ」
「...何か文句あんのかよ、バニーちゃん」
「バーナビーです。文句ではなく忠告です、おじさんの間抜けなのがうつってしまいます」
「うつらねぇよ! おじさんのこと病原菌みたいに言いやがって...!」
「遠からずですね」
「あははは」
ー...なに笑ってんだ!」

わざとらしく目を吊り上げた虎徹さんが恨めしげな顔をしてこっちを見た。へらっと笑って誤魔化そうとするも虎徹さんは 口をへの字にしたままフンッ! と言ってそっぽを向いた。フンッて...なんだかかわいらしいな。

「もういい、手貸してみろ」

そう言うと同時に左手を掴まれる。予想以上に熱を持った虎徹さんの手に驚く私とは逆に虎徹さんは私の手の冷たさに驚いているようだった。 緊張してるのが関係してるのだと思う。いつも緊張すると手の先まで血が通ってないように冷たくなる。爪も紫になったりとか。チアノーゼ? とかいうやつだと思う。
バーナビーさんがぎょっとしたように私と虎徹さんの手を見ていた。虎徹さんが未知の者の手に素手で触れたことに驚いているらしい。

「おじさんが直々に書いてやろう!」

手の平を上にされて虎徹さんの指が私の手の平の上を滑った。その瞬間、体がぶるっと震える。

「ヒッ! こしょばい!」
「あー? 我慢しろー」

体がもじもじするようなこしょばさに私が声を上げるも虎徹さんは気にせずにペン代わりの指で私の手の平を虎の字になぞる。 あまりのこしょばさに足で地団太を踏むも、それでこしょばさが軽減されるわけではない。悶える私を見て何だか 虎徹さんは楽しそうな顔をしている。わざと時間を延ばすようにゆっくり文字を綴っているように見えなくも無い。

「これは、ちょっと...我慢出来ないですよ...! イヒッ!」
「なに今のイヒッておもしれぇー! もっかいもっかい!」
「見せもんじゃないですよ! もう終わりです!」

イヒッなんて声が出てちょっと恥ずかしかったので無理やり虎徹さんの手を振り払った。虎徹さんは残念そうな顔をしている。
まだ痒い気がするので左手を右手の爪でひっかいた。あー、痒かった。自分でしてもこしょばく感じる事は無いのに人に触られると何故痒く感じるのだろう。
よくもやってくれたな虎徹さんめっ...! 目には目を歯には歯をだ。やり返さなくては気がすまない。私は逃げられる より先に虎徹さんの左手を捕まえた。

「今度は私の番です」

覚悟しろという意味を込めて宣言してから虎徹さんの大きな手の平に右手の人差し指を滑らせる。触れそうで触れないような ギリギリの距離を保つように心がけて指先を動かした。すると私の狙い通り虎徹さんが体をくねらせた。

「...フハッ! こしょばいっつーか...気持ちわりぃ!」
「へっへへ...こしょばいですか?」

悶える虎徹さんを見て笑うとバーナビーさんが完璧に呆れた顔をして私たちを見下ろしていた。

「...きもちわるいですよおじさん」
「つっても体が動くんだよ! ...ヒヒッ!」

我慢できなくなったのか手を振り払われた。残念だ。もっと変な声を出してくれればよかったのに...。
私がさっきまで触れていたところを掻きながら虎徹さんはムッとした様に相変わらず呆れた表情をしているバーナビーさんに言った。

「バニーちゃんは我慢出来んのかよ?」
「...くだらない」
「はぁー?! そう言うんだったら声出すのもモジモジすんのも禁止だからな!」
「なんで僕がそんなこと...」
「よし、やってやれ!」
「ぅえ?! 私ですか?」

完全に傍観者を決め込んで虎徹さんとバーナビーさんのやり取りを見ていたので突然私の名前が飛び出て驚いた。
立ったままのバーナビーさんを見上げるとバーナビーさんも私を見下ろしていた。口元は一文字に結ばれてあまり 機嫌が良さそうには見えない。それどころか機嫌が悪そうに見える。虎徹さんとはだいぶん打ち解けられたけどバーナビーさんとはまだ打ち解けたとは言えない。 改めて考えると虎徹さんを通しての会話しかしていないじゃないだろうか。
不機嫌そうなバーナビーさんの手をこしょこしょするなんてどんな罰ゲームだ...。
ちらっと虎徹さんを見ると、やってやれ とでも言うように頷かれた。いや、止めて欲しかったんだけど...。
だからといってやめときますとも言えず私は恐る恐るだめ元でバーナビーさんに話しかけた。

「...バーナビーさん、手を貸してもらっていいですか...?」

バーナビーさんは眼鏡に手をやりながら差し出した私の手を観察するようにジッと見た。
もちろん私は未知の生物ではないので、 至って普通な手をしている。バーナビーさんが黙って私の手を見ている間、私は息を殺していた。何故こんなに緊張するのか 分からないけどバーナビーさんの視線が圧力をかけてくるのだ。
しばらくして、時間にしたら30秒もかかっていなかった。バーナビーさんが驚く事に右手を出したのでそっとその手を取った。

「か、書きます...!」

結局バーナビーさんはうんともすんとも言わないどころか、体をくねらせることもなかった。涼しい顔で立っていただけの バーナビーさんに私と虎徹さんはこっそり、バーナビーさんは手の皮がものすごく厚いという結論を下した。


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「結局今日は俺ら以外に会えなかったな」
「はい、残念です。けどお二人に会えたのでよかったです」
「おぉ? 素直だな、は! 誰かと違って」
「...誰かって誰のことです」
「べっつにぃ」

バーナビーさんの冷たい視線からひょいっと虎鉄さんが逃げた。また漫才みたいなことが繰り広げらる前に私は声を割り込ませた。

「じゃあ今日はありがとうございました!あ、この前もありがとうございました。これからよろしくお願いします」

頭を下げて頭上から声が降ってきたのを聞き、私は顔を上げた。それから二人に向かって手を振りながら家路についた。 来る時のように足取りは重くない。むしろ軽くてスキップでもしたい気分だ。(さすがに怪しいからしないけど)

これからどうなるのか分からないヒーロー活動も虎徹さんとバーナビーさんという先輩を得てどうにかやっていけそうだ。







(20120128)