ちょうど昼時の店内は人で込み合っていた。
こんなことなら適当なものでも買って社内で食べればよかったと 思ったが既に店に入ってしまったし、おじさんが遅れて後からやってくることになっている。そもそもお昼に誘った のはあの人だというのに書類が提出できてないからといって席取りをしといてくれなんて、納得いかない。

「...さん?」
「へ?」

込み合う店内に何となく見覚えのある後姿を発見した僕は無意識のうちにその人の名前を呼んでいた。
こんなにも騒がしい のに僕の声が聞こえたらしくその人が振り返った。僕の姿を見つけると目を真ん丸にしている。

「あれ? バーナビーさん」
「...偶然ですね」
「ホントに偶然ですね...バーナビーさんもお昼を食べに?」
「えぇ」
「二名様ですか?」

当たり障りの無い会話をしていると、ウエイトレスが僕らの前にやって来て営業スマイルを浮かべながら尋ねた。 さんはあからさまに焦ったような顔をしている。見るところ一人で来ている者同士一緒に食べるべきなのか迷って いるのかもしれない。特にそういう決まりがあるわけではないけれど僕はウエイトレスに頷いて見せた。 「後から一人来るんですが」と言うことも忘れない。
さんが驚いたようにこちらを見ていたがその視線は無視してウエイトレスの後ろを付いていく。
席に辿り着くまでも僕の姿に気付いた人たちがこそこそと何か言っているのに気付いたが、もう慣れた僕は気にせずに真っ直ぐ前を 向いて歩き続けた。
通された席は人目に付きにくくなっている所だった。店内の隅でいい具合に柱が影になっていて見え難い。先ほどの ウエイトレスの心遣いに感謝し、チップを弾む事を決めた。
前の席に腰を下ろしたさんが何処かおどおどした様子でメニューを渡してきた。それを礼を言ってから受け取り 中を捲る。あまり重くないものがいいと考え、目はサンドイッチのところに止まった。
早々に決まったのでメニューを 閉じるとさんが慌てたようにページを捲っている。

「そう慌てなくても大丈夫ですよ」
「大丈夫です。もう決めました」

大丈夫だと言った彼女が開いてるページは何故かデザートばかりが載っているページだ。さんが手を上げると すかさず先ほどのウエイトレスがとんできた。視線で先に注文するよう促される。

「...サンドイッチのセットを」
「はい。サンドイッチセットですね。コーヒーか紅茶どちらにしましょう?」
「紅茶をお願いします」
「はい。紅茶で」
「イチゴパフェを一つお願いします」
「イチゴパフェですね」

それがお昼だと言うのだろうか。
口を開いてから何を言うつもりなのか自分でも分からずにまたすぐに閉じた。
「以上でよろしいですか?」ウエイトレスの声に「それでお願いします」と答える。ウエイトレスは営業スマイルを 浮かべてキッチンの方へと歩いていった。

「朝食べるのが遅かったんであんまりお腹空いてないんですよね」
「そうですか」

言い訳するように彼女が言った言葉に当たり障りのない返事をする。
彼女が椅子の上でもぞもぞ動いているのを横目に見ながら視線を外に向けた。そこで今更になってさんと二人と いう状況に気まずさを感じた。彼女と会ったのはプライベートだけで数えれば二回目だ。
なのに話題なんて思い浮かばない。 ましてやこの間なんておじさんと彼女ばかりが話ていて僕は会話らしい会話を彼女とは交わしてはいないことに気付いた。
ちゃんと会話したのは......手に文字を書かれたときだけだ。
途端にあの時の感覚が蘇ってきて僕は机の下で手の平を掻いた。
あの時、ひんやりした彼女の手が僕のこの手を掴んだのだ。
ちらっと目の前を見てみるとさんもちょうどこちらを見ていた所だった。 気の抜けるような笑みを浮かべた彼女に僕は笑みを返すでもなく何故か反射的に視線を反らした。
視線の先には人々が忙しそうに歩き回っている。店内にはスピーカーから音楽が絶え間なく流れて、食器音や話し声 が溢れているというのにこの一角だけは静かな空気が流れているような錯覚に陥る。

「...この間の、」

彼女から話しかけられ、僕はまた視線をさんに向けた。彼女は机の下にしまっていた両手を机の上に置いて手遊びし始めたが、 視線はしっかり僕に向けられている。

「ホントに痒く無かったですか?」

自らの手に文字を書くふりをして見せた彼女にすぐに何のことを言っているのか分かった。けれど、わざわざゼスチャーを してもらわなくても分かっていた。ついさっきまで僕も同じことを考えていたのだから。

「痒かったですけど我慢できない痒さでは無かったです」
「...我慢してたんですか?」

我慢していたと自分で言っておいて、そこをつつかれるとしまったと思った。それが表情に出てしまったのに気付いた のは彼女が驚いたように目を丸くさせたからだ。その視線に居心地の悪さを感じて殆ど無意識に右手で口元を覆った。 その一連を彼女は目で追ってから丸くなった目を意外そうに瞬かせ、わずかに口端が吊り上がったように見えた。 だが、その時ちょうどのタイミングで左側から腕がぬっと延びてきた所為で一時的に彼女の顔が隠れてしまった。
先ほどの話題は流れる事になるだろうと考え、僕は小さく息を吐くも、隠れてしまい見れなかった彼女の表情を少し残念にも感じた。

「サンドイッチセットになります」

事務的な一言と共にセットのスープと紅茶が僕の前に並べられた。湯気がたっているそれらを見ると、急に空腹を感じて 僕は唾を飲んだ。だがまださんの頼んだ品がやってきていない。そんな状態で一人だけ食べるのもどうかと思い、 手を付けずにいるとそれに気付いた彼女が「あ、私のことは気にしないでください」とだけ言った。それならば遠慮なく、 と断りを入れてからまずはスープに手を伸ばした。
空腹を感じていたからか、いつもより早いペースで食べているとさんが頼んだイチゴパフェがきた時には皿の上はすっかり空になっていた。
スープをスプーンですくい口に運びながら、目の前にいる人を盗み見るとイチゴパフェを前にすごく目を輝かせている。

「いただきます」

さっきまで手持ち無沙汰に弄っていた手にスプーンを握り、慎重に生クリームの山を崩し始めた。生クリームに苺ソース を絡め、スプーンを口に入れた瞬間...力の抜け切った幸せそうな表情を浮かべたさんに僕はもうすぐで口からスープを吹くところだった。
さっきまで緊張していた様子だったのから180度転換させたような表情のギャップに驚きながらも、その緩みきった表情がこう言っては何だが...間抜けでおもしろい。
口にスプーンを運ぶたびに幸せそうな表情をするさんに、いつの間にか僕は目が釘付けになっていた。 ここまでおいしそうに食べる人は見たことが無い。イチゴパフェなどいつもはメニューを見てもスルーするものだが ここまでおいしそうに食べられると、そんなにもおいしいものなのだろうかと興味が湧いてくる。
いつのまにかスープを口に運ぶ事も忘れて僕はおいしそうにイチゴパフェを食べるさんを凝視していた。 イチゴパフェに夢中のさんは一心にイチゴパフェを見つめていて僕の視線に気づく様子は無かった、が突如店内に 何かが割れる音が響き、俯いていた顔を上げた。
さんを見ていた僕は自然と視線が合ってしまったが、そこで気まずい空気が 流れる間も無く、僕もさんも視線を音が聞こえた方に向けた。ウエイトレスが床に落ちて割れてしまっているグラス の欠片を箒とちりとりを使い集めている所だった。テーブルには小さな子供が居る所から見るに、あの子が落としてしまったのだろう。 母親らしき人がその子を抱きながら謝っている。

「グラス落としちゃったんですね」
「みたいですね」

店内の視線がそこに集中するも、皆すぐに事態を把握して関心はまた違うところに向けられる。それは僕らにも 言えることで...座りなおし向き合う体勢に戻るものの、先ほどと同じようにとはいかなかった。
一瞬とはいえ気が逸れてしまったのに先ほどの行動の続きを...なんてことは難しい。
それでもさんはもう一度パフェに 向き直り、スプーンでグラスの中身をすくったが先ほどと違って動きが若干硬く、あきらかに僕の目を意識していることが見てとれた。 一口すくい口に運ぶ動作もどことなくぎこちない。こちらを見ようとしないのが逆に僕のことを意識しているのだと分かってしまう。
グラスと口の間をスプーンが何度か行ったり来たりしているのを見つめて僕は口角が僅かにつりあがるのを止められなかった。 さぞかしさんには緊張する食事だろうが、僕はこの状況が楽しかった。
肩に力が入り、ぎこちなくパフェを口に 運び続けるさんの様子は僕から見れば笑いを誘う物だ。
おじさんがさんのことを“おもしろい”と評していたのが何となく分かる。
そんなことを考えながらさんの様子を観察していると突然それまで動いていた腕の動きが止まった。







(20120317)