「アニエス・ジュベールよ。よろしくね、ヒーロー」
「はい、よろしくおねがいします!」
「あなたのおかげで視聴率も中々のものよ」
「えっ! ...本当ですか?」

HEROテレビのプロデューサーと会うのだとマネージャーから説明されていた私はこの目の前の人がその人であると すぐに分かった。腰を曲げてきちんと頭を下げながら挨拶をする。もちろん胸板に頭をすりつけるなんて失敗は犯さない。 にこっと笑いながら褒められ、それが真実かどうか疑わしいけど(だって私かっこ悪いところばっかり放送されてる)笑い返しておいた。 じろじろと遠慮のない視線が私の天辺からつま先まで観察しているのを感じて、私はこれはヒーローとしての何かを チェックされているのかと思い体を硬くした。背筋を伸ばして黙ったままでいるとようやくアニエスさんが何か 納得したように唸った。

「ふぅん、ちょっと想像と違ったわ。これからも頼んどくわね、ヒーロー」
「え? あ、はい...」

それってどういう意味...良い意味なのか悪い意味なのかすごく知りたいところだけど、アニエスさん的には会話は ここで終わりだったらしく、手に持っていた資料に視線を落として仕事の話をマネージャーと始めてしまった。
...すっごく気になるんですけど!!
二人が話している傍に立って、事の成り行きを見ているとマネージャーがまるで猫でも追い払うように右手でシッシッと 私に向こうに行けと言ってきた。さすがにカチンと来たもののここで文句を言ってもさっきせっかく褒めてもらえたのにアニエスさんからの評価が下がると 思い、黙ってその場を離れることにした。すごすごと撤退するのも癪なので背後からマネージャーに向かって「はげてしまえ!」と呪いの言葉を投げつけておいた。(もちろん胸の中でだけど) 挨拶も済ませたことで暇になった私はマネージャーの話が終わるまでそこらへんをしらみつぶしに歩く事にした。
今日は絶対家まで送らせてやる。さっきのこともあって私は心の中で固く誓った。 というか一応ヒーローなのにうちの会社の人たちの私の扱いって雑すぎる気がするのだけど、他のヒーローもこんな もんなんだろうか? 今度虎徹さんに聞いてみよう。
ぼんやりと考え事をしながら歩いていたのが悪かったらしく、何度か忙しそうにしている人とぶつかりそうになったので 私は大人しく休憩所らしき、ベンチが並んで置かれている一角にやって来た。すでに先客で女の子が一人そこに座っていたので 「隣いい?」と尋ねると女の子はかわいらしく笑って隣に座るよう勧めてくれた。 ここに来るまで歩いてきた道には忙しそうに歩いている人がたくさん居たけれど、ここはあまり人の通りが無いらしく静かだった。 ベンチに背中を預け、ぼんやりとしていると徐々に眠くなってきた。勝手に瞼が落ちてきそうになるのにどうにか抗いながら 早くマネージャーの仕事が終わる事を願う。このままじゃホントに眠ってしまう。
自然と出てきたあくびを噛み殺すのもめんどくさくて豪快に口を開けると隣から小さな笑い声が聞こえた。 ハッとして隣を見れば、すっかり存在を忘れていた女の子が面白そうに笑っている。
タイミングから考えてこれは確実に私の大口でのあくびを笑われているのだろう...。完全に油断していた。
眠気なんか吹き飛んで少しの羞恥を隠すようにへらっと笑って見せると、女の子が「ごめん」と依然口元に笑み浮かべながら謝ってくれた。

「特大のあくびだったからね」

自分で言っておきながら恥ずかしい。女の子はそれ以上は言わなかったけれどその表情には笑みが浮かんでいる。 頭を掻きながら私はこの話を終わらそうと視線をゆっくり女の子から外した。
眠気をどうにか吹き飛ばした私はまたぼんやりとベンチに背を預けた。家に帰ったら洗濯物を片付けて...あ、ごはんは何にしよう。

ぐう

聞き間違いでなければ隣から聞こえた音に今度は私が女の子を見た。ごはんについて思いを馳せようとしていたところでの 狙ったかのように音が鳴ったので一瞬自分かとも思ったけれど、確実に今の音は私のお腹からのものではなかった。 とすると、ここには二人しか居ないのだ。簡単な消去法は当たっていたらしくぱちりと視線が合うと、女の子は恥ずかしそうに少しばかり頬を赤くして笑った。

「お腹すいちゃって」

やはり先ほどの音は聞き間違いではなかったらしい。女の子のお腹の虫で間違いなかったようだ。
恥ずかしそうに眉をハの字にして笑った女の子につられるように私も笑い返した。それからあることを思い出した私は膝の上に乗せていた 鞄の中を覗き込んだ。
確かまだ残っていたはずだ...その私の記憶は正しかった。

「よかったらこれ食べる?」
「え! いいの?!」

パッと笑顔になった女の子はキラキラした目で私が差し出した箱入りチョコレートを見ている。 この様子だとチョコレートは好きか大好きのどちらかのようだ。
「もちろん」と答えれば、女の子はハキハキとお手本みたいな「ありがとう!!」を満面の笑みで返してくれた。 チョコレートの箱を手に抱え、女の子は意外にも豪快に箱をバリバリと破り、中に入っていた小さなチョコのブロックを つまみあげて口に放り込んだ。もぐもぐと口を動かしながら「おいしい!」と声を上げた女の子は心底おいしそうだ。 後で小腹が空いた時にでも食べようと思って買ったのだけどここまで喜んでもらえると私としても嬉しい。 きっと食べられているチョコとしても本望だろう。

「チョコ好きなの?」
「うん! 大好き!」

眩しい笑顔での大好き! に私も自然と頬を緩めた。さっきまでのマネージャーに邪険にされたことによって荒んでいた 気分が浄化されていくようなそんな気がする。
マネージャーに放った呪いは撤回しようと思う。私って優しい。

「あ、ボクばっかりごめん...!」

それまでチョコをおいしそうに食べていた女の子がハッとしたように私を振り返った。申し訳なさそうに眉を下げている。 自分ばかり食べていたことに後ろめたさを感じているようだ。私は別にお腹もすいていないので空腹な様子の女の子が 全部食べてくれてよかったのだけど、その心遣いに感謝して一つだけもらうことにした。

「じゃあ一つ貰ってもいい?」
「ボクに聞かなくてもいいよ! 食べたくて買ったんでしょ? はい」

ずずっと差し出されたチョコの箱から私は一粒手に取った。

「ありがとう」

「おいしいね、このチョコ」「これ苺味とかもあるんだよ」「えー! おいしそう!」なんてほのぼのな会話をしながら 私はじっくりと口の中のチョコを味わった。傍目から見てもこの光景ってCMみたいに微笑ましい光景なんじゃ ないだろうか、なんて自分で考えてみる。横目で隣を見れば女の子は相変わらずおいしそうにチョコを食べている。 その光景を見て、私も頬を緩ませてから突然ある考えが頭に浮かびハッとした。
この子、見ず知らずの人からチョコ貰って食べてるけど、もしかして知らない人にお菓子買ってあげるからついておいで って言われたらついて行っちゃうんじゃ...。
小さい子を誘拐する時の常套句が頭を駆けていった。いや、けど、この子もう結構大きいし...とは思うものの無邪気な 笑顔でチョコを食べる姿に一抹の不安を覚える。
もしここで私がもっとおいしいチョコ食べに行こうよ! とか誘ったらこの子はついてくるだろうか......ついて来ちゃいそうだ。 かわいいから変な人に目を付けられて、「おじちゃんが好きなお菓子買ってあげるからちょっとこの車に乗ろうか」とか いう展開に...

「おーい」

この子の今後を想像して不安になっていると、その思考を遮るような声が聞こえた。前方を見てみればマネージャーが手を振っている。 どうやら話し合いは終わったらしい。その隣にはアニエスさんが居る。

「帰るぞー」
「はーい!」

声を張り上げて答え、私は立ち上がった。
それからちょっと迷ってから、くるりとその場で回転して女の子を見下ろす。

「帰るの?」

どことなく寂しげに呟かれて私の中の使命感が燃え上がった。絶対に変質者の思惑を阻止してやる!

「知らない人にお菓子あげるって言われても絶対ついて行っちゃだめだよ...!」
「え...う、うん」

女の子は不思議そうに、けれど私の気持ちが伝わったのかこくこくと何度か頷いた。

「約束ね!」

腰をかがめて女の子と視線を合わせると、女の子は戸惑った表情を浮かべつつも頷いてくれた。「わかった」 返答をきちんと聞いてから私は立ち上がった。多分これで大丈夫だろう。この子はこれから不審者にお菓子あげるから と言われてもついて行くことは無いだろう。私の使命は終わった...!
ホッとしてからそういえばと思い出して後ろを振り返ればマネージャーが眉間に皺を寄せていた。やばい...怒られる。

「じゃあ帰るね。バイバイ」

慌しく手を振りながらその場を後にすれば女の子の声が追いかけてきた。

「チョコレートありがとう! 今度はボクが何かあげるね!」
「うん!」

女の子が言う“今度”があるかどうかなんてことは些細なことだ。(もちろん今度があればいいとは思うけれど) 女の子のその気持ちが私は嬉しかった。だから返す言葉は決まってる。

「楽しみにしてるね!」







(20121116)