「よし、準備はいいか?!」
「待って、待ってください! まだブーツ履いてないです!」

ぐらぐら揺れる車内では足場も悪いので腰を落ち着かせてブーツを履こうとすれば突然の急カーブで体が遠心力に伴ってぐらりと揺れた。

「うわっ」

片足を上げた不恰好な形で踏ん張ってその場に留まろうとするものの、そんなもので転がらないわけも無く、抵抗も空しく体はぐらっと揺れ、 座席の上を体が滑って窓ガラスに頭を打ち付けた。
ゴンッ! と激しい音と共に頭に痛みが走る。

「...いったー!!」

ブーツを放って頭を撫でているとあってもなくても変わらないような、本当に一応として設置されているカーテンが 引かれてマネージャーが顔を出した。私は着替えてる最中なのだから一応声を掛けるべきだと思うのだけど...なんて 平常時なら文句の一つや二つ言ってやるところなのだけど、今は緊急事態だ。激しく窓ガラスにぶつかった頭が 緊急事態だ。これは下手したらぱっくり頭が割れているかもしれない...! 今日はもうヒーロー活動を休止して病院に行かないといけないかも...! 一瞬にして私の頭には病院の待合室で順番を待つスイートトラップの格好をした自分の姿が浮かんだ。
次に“スイートトラップ車中での着替え中に頭が割れる!!”という新聞の見出しが浮かぶ。
...おそろしい...病院に行く時は着替えてから行こう。たとえ頭がぱっくり割れていても。

「血、血出てませんか?」
「出てない! お前はそんなにやわな頭してないだろうが!」
「やわな頭してますよ!」
「嘘をつけ! お前は石頭だろ!」

涙目で抑えていた頭をマネージャー向けて突き出すと、そんなつれない言葉が返って来る。
本人が割れてるかもしれないって言うんだから割れてるかもしれないというのにマネージャーはとてもめんどくさそうに私の頭を点検し始めた。 私が石頭で決定事項なのが理解できない。
一体いつ私が石頭アピールをしたっていうんだ!!

「割れてない!」
「ぎゃっ! 痛い!」
「大げさだ」
「親父にもぶたれたことないのにっ...!」
「うるさい」

割れてないなら割れてないという報告だけを寄越してくれればいいのに、ついでのように頭を叩かれて私は呻いた。 それもちょっとした冗談でさえ辛辣な一言で応戦される。
私の扱いがだんだんと雑になってきているのは気のせいだろうか...いや、気のせいじゃない...!!
これはもう近いうちにオー人事にお世話になるかもしれない...。
結構真剣に私の扱いの雑さについて考えているとまだブーツを履いていないことに気付いたマネージャーに 無理やりブーツに足を捻じ込まれた。そのまま「行って来い!」という言葉と共に半ば車から突き落とされた形で車を下り、 私は今、どこか分からないけど街の中に立っていた。周りの通行人たちが...
「あっ! えーと、名前なんだったっけ」
「パンツのヒーローだ!」
「チェックのパンツの人だ!」
「スイートトラップだ! サインちょうだいー」
とか好き勝手に話しているのが聞こえる...。私も有名になったもんですよ。ハハハ。とは思えずに、出来ればこの場から 消えてしまいたくなる。特に“パンツのヒーロー”と呼ばれていることに衝撃を隠せない。
パンツのヒーローって...やめてえぇぇ!! “チェックのパンツの人”ってそれはもうヒーローでも何でもなくただのチェックのパンツを履いている人じゃないか... やめてえぇぇ!! ...発狂しそうだ。どんなバツゲームだ。ちょっとだけ涙目になりながら、とりあえず人の目につかない ところ...路地裏的なところにそそくさと逃げ込もうとしたところでガガッと耳元で機会音がしたと思うと耳にアニエスさんの 声が届いた。

『スイートトラップ遅かったわね』
「す、すいません...ちょっと頭がかち割れそうになって...」
『頭がかち割れそう?! ...まぁいいわ。頭は割れてないのね?』
「はい、割れてません」
『ならよかったわ。じゃあその場で待機していて、このままいくとちょうどそこに犯人が逃げ込むと思うから』
「え...! ほ、他の、タイガーさんやバーナビーさんたちは?!」
『全員犯人を追いかけてる感じね。犯人の進行方向は分かってるから先回りするように指示してるんだけど、最短ルートは 運悪く道路工事をしてて大きく迂回しないといけないのよ』

道路工事が唯一関係ないスカイハイは救助の方にまわってるわ。
もう「えー」という言葉さえ出てこない。この場で私が一人で犯人を捕まえるしかないのだという事実に嫌でも緊張する。 まだきちんと能力を使いこなせる自信が無いが、そうも言っていられない状況らしい。というか、この状況でそんなこと言える わけがない。まがりなりにもヒーローなのに「能力がうまく使いこなせる気がしないので今回はパスで」とか言えるわけがない。
私が犯人を捕まえるか、他のヒーローが来るまで足止めしなくちゃいけない。

『期待してるわよ、ヒーロー! あんたしか出来ないんだから!』

とどめにそんな言葉を投げられたら失敗したときのための言い訳なんて出来ない。

「は、はい...」

どう聞いても不安の混じった頼りない声だったけどアニエスさんは『じゃあまた連絡するわ』とだけ言って通信を切った。 さっきまではのんきに頭が割れたとか言って、新聞の見出しの心配をしていたけどそんなぼけたことを言ってられないらしい。(あの時は本気だったけど) だからといってまだこのヒーロー業を始めて間もないのに、どんと胸を張っていられるわけもない。この状況は新人には不安すぎる。 今まで私が能力を発動させて仕事らしい仕事をしたのは最初の時だけしか無いのだ...今思い返してみれば。あの時だってたまたま能力をコントロール出来た様なものだ。 ラッキーみたいな確率なのだ。それほど誰か一人を狙って集中的に匂いを放つのはとてつもなく難しい。
こんなことならもっと強く窓に頭を叩きつけて気絶していれば...この頑丈な頭がいけない...!
そんな後ろ向きな考えが頭に浮かぶが、頭は無事 だったのだ。今更あーだこーだ言ってもしょうがない。私は無理やり腹を括って、手早く手の平に人の文字を書いてから飲み込んだ。 少し気が楽になったような、ならないような気分だが今出来ることをするしかない。
まずはここに居る人達の安全確保をしなくてはいけない。

「今からここに私たちが追っている犯人が来ます! 皆さん後ろに下がってください!」

血管が切れるかと思うほどの大声を上げると今まで騒がしかった見物人たちが一瞬静かになったと思うと、後ろの方に 後退した。「押したらダメですよー!!」続けて叫ぶと、結構皆冷静に移動してくれた。
さすがシュテルンビルド市民。 こういうことに慣れてるのかもしれない。ヒーロー業が出来るくらいなんだから、大きさに関わらず事件はよく起こる。 迅速に動いてくれたことに感謝して頭を下げる。

「ご協力ありがとうございます!」
「がんばれー! パンツのヒーロー!」

...誰がパンツのヒーローだぁッ!!
いつもなら口から飛び出なくとも胸の中で叫ぶ言葉は今日は出てこない。もうパンツのヒーローってこれから呼ばれる ことになってもいいから、その変わり能力を上手く使いこなせるように悪魔と契約したい気分だ。







(20130223)