「...こんにちはー」
「こんにちは」
「おう、!」

こそこそと怪しげな動きをしながら入って来た彩さんについついマシンを動かしていた腕の動きを止める。 彼女は恐る恐ると言った様子でトレーニングルームに入ってきたかと思うと、まるで誰かを探すようにきょろきょろ しているのだ。どう見ても不審な動きに、つい声を掛けてしまった。

「どうかしました?」
「...今日はお二人だけですか?」
「あぁ、そうだぞ」
「......そうですか」

たっぷりの間を置いてからの返答を背中を丸めながら呟いたと思うと、そのままの姿勢でロッカールームへと入っていった。 その背中はいつもとは違い、どことなく影を背負っているように見える。
そんなつもりはなくとも、僕もおじさんも揃って彼女がドアを閉めるまでその背中を見つめてしまった。

「な、何か、俺ら二人だと不満っぽかったな...」
「...」

薄々気付いてはいたが敢えて口には出さなかったというのに...。
寝そべっていただけのおじさんは今は座り、ショックを 受けたかのように先ほどの彼女同様背中を丸めていた。それを眺めてから僕は中断していたトレーニングを再会しようと マシンを持つ手に力を入れる。

「どうでもいいです」
「うっそつけー! ちょっとショックなくせに!」
「黙ってください。トレーニングに集中したいので。というかおじさんは先ほどからただ寝転がっているだけで 全然トレーニングしている様子が見受けられないんですが? それでもヒーローとしての...」
「だー!! わーったって!」

僕が指摘したことによって、ようやくおじさんもトレーニングするつもりになったらしく、ランニングマシンに近寄って行ったところでいつのまにか ロッカールームから出てきていたさんが横を通っていった。

「うわ! 着替えるの早すぎだろ!」

予想外にロッカー室から出てくるのが早かったさんに、驚いた様子のおじさんが声をかける。だが、それに対してのさんの 返答は覇気が無いものだった。

「中に着てたんで...」
「おー、そうか」
「はい」
「...」
「...」

やがて無言になったところでおじさんから視線が送られてきた。だが、僕はそれに気づかないふりをしてマシンを持つ手 に力を入れた。すると視界の端で陸に上げられた魚のように間抜けに口をパクパクさせたおじさんが何かを言ってきた。
”あとで覚えとけ!”
何も見なかったように視線をスッと外す。
おじさんがまた何か言ってそうな気がしたが、トレーニングに意識を向ける。
すると、少ししてからランニングマシンで走る音が聞こえた。顔を上げてみれば、二人は並んで走っているようだ。 僕が居る位置からはその方向がよく見えるので、おじさんがちらちらと隣を走るさんを気にしているのも見える。 どうやらいつもと様子が違うさんが気になるらしい。
そんなに気になるのなら、聞いてみればいいものを...そうすれば何でそんなに悩んでいるのか......そこまで考えて僕は 突然心当たりがあることを思い出した。
最後に会った時にそういえばさんはひどくショックを受けていたようだった。
僕の一言で。
丸い瞳が揺れる様を、僕は見てしまったのだ。
あれが原因でまださんは気落ちしているのだろうか。そう考えると、そもそもの原因を作ったのは僕でもあるので、 とても気になった。
ちらっとこちらを振り返ったおじさんに、さんを指差してみせる。 僕の指差す先を確認したおじさんは、だがすぐに首を振った。 それでももう一度指を差す。今度は強く指を差すと、おじさんはやはり首を振ったが渋々と言った感じで隣のさんを見た。

「あー...、この間は大活躍だったな!」
「え? ......あ、ありがとうございます」

突然話しかけてきたおじさんに、彼女は一瞬何のことかわからなかったらしく、やや間を空けて返答した。 おじさんが話しているのは、この間の事件についてだろう、とはすぐに察しがついた。
僕たちが大きく道を迂回している間に、さんは犯人と対峙することになり、見事犯人を捕まえたのだ。 僕らが現場に駆けつけたときには、すでに全てが終わっていた。

「けどあれは私が活躍したんじゃないんですよ」

さんはランニングマシンの速度を落とし、先ほどよりも緩やかに動くベルトの上を歩きながら続けた。

「ん? が捕まえたんだろ?」

僕はつい、手を動かすのを忘れて二人の会話に耳を傾けていた。
おじさんが返答した内容と同じことを僕もすぐに考えた。あれはさんが解決したことになっているのでポイントなども 確か彼女がもらっていたはずだ。次の日の新聞を賑わせたのもスイートトラップだった。
さんが言わんとしようとしていることがわからず、どのような答えが返ってくるのか耳を傾ける。

「捕まえたのは私なんですけど、私一人だとダメでした」
「...んん?」

おじさんが唸ると同時にさんが笑みを浮かべながら答えた。

「折紙サイクロンさんに助けてもらったんです」

思わぬ人の名前が出たので驚いたあまり、僕もおじさんも何の反応も示せなかった。だが、さんはかまうことなくその日のことについて話し出した。

.
.
.

「あーつまり、は折紙にピンチを助けられたってことだな?」
「そうです!!」

この部屋に入ってきたときの覇気の無さはどこへ行ったのか、さんはハキハキと大きな声で答えた。
その目は勘違いでなく輝いている。話をしているうちに気分も高揚したのか、頬も薄っすら赤く染まっている。

「拙者は当然のことをしたまででござる......ってかっこよすぎると思わないですか?!」
「...お、おう」
「...」
「ちゃんと聞いてますか! バーナビーさん!」
「聞いてます...」
「虎徹さんも聞いてますか!」
「聞いてます...」

折紙先輩について熱弁をふるうさんに、僕もいつの間にか会話の中に引き入れられてしまっていた。
僕は最初会話に入っていなかったはずなのに...いつの間にか僕も話を聞いているのが当然とでもいうように話が振られていた。 先ほどから彼女が話す内容と言えば、折紙先輩がいかにかっこよかったについてだ。

「そのままこうやって...ぺこって頭を下げたと思うと、颯爽と去っていったんです...!」

そのときの再現まで丁寧に行ったさんは感極まった様子で恍惚という表現がぴったりの様子でどこか遠いところを見ている。 ちらりとこちらを見たおじさんは苦笑を浮かべている。僕は小さくため息を返した。
僕はてっきり、さんはこの間のことで悩んでいるのだと思った。
どうやらそれは僕の杞憂だったらしい。その時のことを思い出しているらしく未だに遠くを見つめているさんを見ながら、 このトレーニングルームに入ってきた時の様子を思い出す。
怪しげな動きは折紙先輩を探していたからだろう。その後の反応は...その通り、折紙先輩が居なかったので落胆したのだろう。

「...」

僕の時にはそんな反応しなかったくせに...。
初めて会ったときには反応と言う反応が無く、手のひらに“兎”という字を書いて一人で慌てていた。
その後も僕とおじさんを相手にしているから緊張しているというわけではなく、自分がヒーローになることに緊張している様子だった。 そう考えると何だか胸の中がむかむかしてきた。
別に、僕に対しても特別なリアクションをしろと言っているわけではない。だが、今回の折紙先輩に対しての反応とはあまりにも違うから何だか気に入らない。 助けてもらったことがそんなにも彼女の心に響いたのだろうか。
どこか遠いところを見つめたままのさんを伺ってみると、相変わらずの表情を浮かべている。

「折紙サイクロンさんマジリスペクト...」
「...リスペクト、ということは尊敬しているということですか」

こちらを少し驚いた表情で見る視線に、言うつもりが無かった言葉が口をついて出てきてしまったことに気づき驚いた。

「え? そうですね...」

改めて問いかけられたことで、さんは再度考えるように顎に手をやった。しばらくの時間そのままの格好でいたと思うと、突然はじけるようにして声を上げた。

「尊敬してます! かっこいいし!!」

瞳を輝かせて答えたさんは、もう完全に折紙先輩に心酔している様子だ。というよりも、ただのファンと言っても差支えがなさそうだ。
僕とおじさんは、そんなさんを目にして自然と視線を合わせた。

、かっこよかったといっても...アレだ。あんま期待しすぎるのもアレだぞ......な?」

どうやらおじさんは折紙先輩と会った時のことを考えて、先に手を打っておくことにしたらしい。
まあ、このさんの様子じゃ折紙先輩のことをとんでもなくかっこいい人だと思っていそうなので、この状態で出会うようなことがあれば お互いにショックを受けると思ったのだろう。折紙先輩は折紙サイクロンのときと、普段とがテンションからして全然違うのだ。 その差にさんはショックを受け、折紙先輩はショックを受けられたことにショックを受けそうだ。
だけど、それを伝えたいらしいおじさんの言葉は全然要領を得ない。

「アレってなんですか。あの、折紙サイクロンさんはいつも何時頃来るんですか?」

やはりおじさんの言いたかったことは伝わらなかったらしい。さんは首を傾げたかと思うと、その次には話題を変えた。 折紙先輩の話しになると、瞳が心なしか輝いて見える
はっきり言わないからですよ。そういう意味を込めておじさんを見れば、怒った表情をしている。
「言えるか!!」というおじさんの声が聞こえてきそうだ。 そんな僕たちのやりとりに何かを勘違いしたらしいさんは、慌てたように両手を左右に振る。

「あ、いえ、折紙サイクロンさんだけじゃなくて、まだ虎徹さんとバーナビーさん以外のヒーローとは会ってないから 会いたいと思ってるんですよ。挨拶もまだだし」

そう言ってから急に何かに気づいた様子で、さんがハッと表情を固まらせた。

「そうだ、挨拶もまだなんだ...!!」

急に自分が挨拶をしていないことを思い出したらしいさんは、目に見えて顔色を悪くした。
今のどこに顔色が悪くなる要素があったのかわからずに首を捻るも、さんの表情はその間にも引きつったものへと変わっていく。

「ヒーローになって結構経つのにまだ挨拶もしてないなんて...!」
「そうだな。もう結構経ったな」

おじさんが相槌を打てば、さんの顔色はまたしても悪くなった。何を考えているのかはわからないが、何かを必死に考えているということはわかる。

「...ヤキいれられませんか?!」
「いれられねえよ!!」

すかさずおじさんが答えると、さんは強張っていた表情を少しだけ和らげた。それにしてもヤキをいれられるかもしれないなんて、何で思いつくんだろう...。







(20131215)