「ここに座って待っていてくれるかい?」
「はい」

連れて来られたのは先ほどのクレープ屋さんのワゴンからさほど遠くないベンチだった。よいしょ、と腰を下ろすと 飼い主さんはベンチの足にジョンの首に繋がっている紐をぐるぐる巻きつけて縛った。 ジョンはそんな飼い主さんの動きをジッと見ている。
伏せと言う声と共に伏せの合図だろう。地面をぽんぽんと叩くとジョンはすばやく伏せのポーズを取った。

「これでよし、大人しくしているんだよ」

ジョンの頭を撫でて飼い主さんはワゴンに向かって走っていった。ワゴンのおじさんはさっきまでのことを見ていた のだろう。訳知り顔で頷いてこちらを見た。それにへらっと笑い返すと、一緒になってこっちを見ていた飼い主さんが 笑いながら手を振ってくれた。私も控えめに手を振り返す。それから視線を下に向ける。
ジョンは聞き分けのいい子のようで、伏せのポーズのまま動かずに飼い主さんをじっと見つめている。手をそろっと伸ばして頭に触れると一瞬 驚いたようにこちらを見たけれど、すぐに耳を垂らした。耳の後ろを掻いてあげると気持ち良さそうに目を瞑る。
ふわふわの毛ざわりときれいな毛並みをしている所から飼い主さんに大切にされているのが分かる。

「おや、よかったね。耳を掻いてもらっているんだね」

いつのまにか飼い主さんが両手に一つずつクレープを持ってすぐそばに立っていた。

「キャラメルでよかったかな?」
「はい! ありがとうございます」
「こら、ジョンはさっき食べたじゃないか!」

すばやく立ち上がってクレープに寄ってきたジョンに飼い主さんが注意するとさっき怒られたのが効いたのか 匂いを嗅ぐだけで終わった。ぺろぺろと口元を舐めているのを見るに味を思い出したのだろうか。普段は食べられない だろうから、さぞおいしかっただろう。

「この子、頭いいんですね」
「ん?」
「ずっと大人しくして待ってましたよ」

私の隣に座りながら飼い主さんはクレープを持っていないほうの手でジョンの頭をくしゃくしゃっと撫でた。 ジョンの視線は飼い主さんが持っているクレープに一直線に注がれている。

「あぁ、いつもは大人しいんだ。だからさっきのようなことは本当に珍しい...」
「......そ、そうなんですか」

それってもしかして...。私はサッと全身の温度が下がったのを感じた。
心当たりが無いとも言えない...というか心当たりがありすぎる。クレープを食べるのがうれしくってまた無意識の 間に能力を発動して匂いを垂れ流してしまっていたのだろうか...。人は反応していなかった気がするけど、犬は人よりも 嗅覚が優れているから私の匂いを嗅ぎつけてしまったのかもしれない。そう考えると、この騒動の原因は間違いなく私だ。 真犯人は私なのにジョンは罪を被せられ、飼い主さんは私にクレープをおごってくれた。罪の意識が押し寄せてくる。 顔から血の気が引いていくのを感じる。多分顔色は青くなってる。
どうしよう...。私の所為だとカミングアウトしようか...と思ったがそれだと何故私の所為なのかも説明しないといけなくなる。 まさか「スイートトラップって知ってます? アレ私なんですよね。がはは!」というわけにもいかない。 どうしようかと頭を悩ませながらクレープをジッと見つめていると飼い主さんがひょいっと私の顔を覗きこんだ。

「食べないのかい?」

にこにこ笑う飼い主さんに気圧されて私はとりあえず今の悩みを置いとくことにした。「いただきます」と言ってからクレープに齧りつく。途端に口の中に生クリーム とキャラメルソースが広がり幸せな気分になった。思わず笑顔になると飼い主さんも何故か一緒になって笑顔になっていた。 ついでに下に居るさっき十分食べたはずのジョンはハッハッと息を荒くさせながらヨダレを垂らしている。
きらきらした目で食べたい! と訴えかけてくるので気まずくて視線をジョンから徐々に反らす。

「すごくおいしそうに食べるね」
「すごくおいしいですから」

美味しい物を食べると自然と笑みが零れてしまう。笑いながら答えてもう一口クレープを齧る。やっとバナナに到達した。 チョコバナナもおいしいけどキャラメルバナナもおいしい。私の頭の中のクレープ情報を上書きする。 ジっと私を見てるだけで一向にクレープを食べようとしない飼い主さんが気になって、食べないのだろうかと思って ちらっと視線を飼い主さんが握っているクレープにやる。それと、飼い主さんは何味のクレープを注文したのかも気になった。

「私はストロベリーにしてみたよ」

すぐに私の視線に気付いた飼い主さんはまだ一口も食べていないクレープを掲げて見せた。

「ストロベリーもおいしそうですよね」

イチゴももちろんおいしいことは分かっているけれど値段なんかを考慮して大体私はバナナだ。学生は常に金欠と言ってもいい。飼い主さんが掲げた クレープからは赤いイチゴが見えていた。イチゴと生クリームの組み合わせが不味いわけがない。賭けてもいい。 一人納得しているとにこっと笑いかけられた。とりあえず私もにこっと笑い返す。

「食べるかい?」
「...え」
「食べたそうな顔をしてる」

そんなに物欲しそうな顔をしていただろうか。恥ずかしくて顔に熱が一瞬で上った。

「い、いいです。飼い主さんが食べてください...」

はい、と差し出されたクレープを両手を振って遠慮すると飼い主さんの眉がハの字になった。悲しそうな表情に私の 良心がずきっと痛む。何で悲しそうな顔をされたのかさっぱり分からないけれど...。

「飼い主さんなんてそんな他人行儀な...キースと気軽に呼んで欲しい」
「...え?」
「キースと、呼んで欲しい」

聞き返すために、え? と言ったわけではないのに飼い主さんは期待したように目をきらきらして間合いを詰めてきた。 思わず後ろにおしりを移動させながらこんなことが最近もあったような気がする...と既視感を覚える。 目の前の顔を近くで拝んで、きれいな顔をしてるな、と考えてすぐにあの少年の時とパターンが同じだと思い至った。 なんだろう、最近はイケメン運が上昇しているのだろうか。やたらとイケメンに絡まれる気がする。 このままではあの少年の時の二の舞を踏みそうだと思い、私はごくんと唾を飲み込んで気合いを入れた。

「...キ、キースさん」

ぱあっと笑顔になって飼い主さんもとい...キースさんは嬉しそうな顔をした。つられて私もへらっと笑った。
名前を呼ぶと気がすんだのかキースさんは私に詰め寄ってきていた体制からやっとベンチに座り直してくれた。ほっとしながら私もベンチに座り直すが、 気のせいではないと思う...距離が近い。とても近い。
太ももがくっつきそうだ。思わず二人の間の距離をまじまじと見てから、そろっと顔を上げるとキースさんが口をもぐもぐ動かしながら不思議そうにこてんと 首を傾げた。その仕草は大の男がするにはどうだろうと思うのにキースさんがすると何故か不自然さを感じさせない。 むしろピッタリと言うか...。

「なんだい?」
「...いえ」
「そうだ! 君の名前は...」
「あらん、キースじゃない?」

突然第三者の声が聞こえ私とキースさんは同時に目をお互いから離して声の主を探した。少し離れたところから手を振っている人が いるのに気付く。とても派手な人で手を振らなくてもその人に視線はきっと吸い寄せられていただろう。

「やぁ、ネイサン。アントニオくんも」

キースさんも手を振ると、その派手な人と後ろに居た大きな人が手を振りながらこちらにやって来た。二人とも大きい。

「あら、デート中?」
「違うんだ。残念ながら」

最後に付け足された言葉に思わずどういう意味か尋ねるように隣に座る飼い主さ...じゃなかったキースさんを見ると、白い歯を輝かせてにこっと笑われた。口元にクリームがついている。 私も曖昧に、にへっと笑い返す。その私たちのやり取りを見てネイサンさん(呼びにくっ!)が「あらあら」とか 言っている。その後ろのアントニオさんも興味をそそられた様に私とキースさんを見ている。
これは...あらぬ誤解をされてそうだ...。

「えぇと...私そろそろ帰りますね!」

サッと立ち上がった私に驚いたような三人+一匹の視線が注がれる。私はそれに構う事無く片手にクレープを持ち、 もう片方の手を鞄の中に突っ込んだ。すぐに目当てのものを探し当て、それをキースさん向かって付き出した。

「クレープありがとうございました! これ、えぇと...お礼です」
「お礼なんて...」
「いえ! あの、えぇと...お礼とお詫びの気持ちです。それでは」

お詫び? と呟いてキョトンとした様子のキースさんに説明するわけにもいかず私は無理やりキースさんの膝にそれを置いてその場から走り去った。 こんなもんでチャラになるとは思えないがお金を返すわけにもいかないので、今渡せる中で一番マシなお詫びの品を鞄の中から選んだ。 後ろでワン! という声が聞こえたので振り返って手を振った。三人が手を振ってくれて、一匹はしっぽを振ってくれた。







(20110812)