「警部補ー!! 家決まりました!!」
「おぅ、よかったじゃねぇか」

何か書き物をしていたらしい警部補は机から顔を上げてにっと笑いながら祝福してくれた。 それに私も満面の笑顔で答える。机の横まで小走りで行くと、警部補も聞く体制に入ってくれる。

「めちゃくちゃいい物件で! あ、不動産屋さんが警部補によろしく伝えてくれって言ってました」

物件が決まったと同時にこのことを警部補に伝えて欲しいといわれたのだった、と思い出した私は早速そのことを伝えた。 多分警部補に何か借りがあるんだろう不動産屋さんは、やけにそのことを気にしていたのだ。
警部補はおざなりに一度頷いてから顎で話の続きを催促してきた。「で、どこだよ」その問いに胸を張って新しい家の住所を言えば、見えている片目を見開いて驚いた表情を浮かべる。

「ずいぶんいいとこじゃねぇか。......お前騙されてないか?」
「それが騙されてないんですよー!」

いつの間にかフロアに居た全員とも言ってもいい人数が集まってきていて、警部補の疑問に同調するように頷いている。
「お前馬鹿だから騙されてんだよ」「そんなとこ借りて毎月家賃払えんのか?」皆言いたい放題だ。 だけど今最高に気分がいい私はそれらを笑って流すことが出来た。
そして不動産屋さんから契約前に聞かされた条件を説明する。
その物件を所持している人は部屋を買ったばかりで転勤することになり、部屋がとてつもなくきれいだということと、 転勤なのでいつかは帰ってくるということ。だがそのいつかについてはわからず、三年は確実に帰ってくることができないのだが、 それ以降は突然帰ってくることもあるということ。その場合は速やかに部屋を出なければならない。
そして物件を所持している人は部屋を貸す絶対条件として”信頼できる人間”という提示したらしい。 信頼できる人で、できれば女性(部屋を出来れば綺麗に使って欲しいかららしい)という細かい条件をクリアすれば格安で部屋を貸してもらえるというのだ。 お金に困っていないというのに人に部屋を貸す必要があるのか、という疑問を口にした私に、不動産屋さんは「勝手に何かが住み着くのを阻止するためですよ」と、常識だろこれくらいって感じで答えてくれた。 確かにこのHLで3年も部屋を空けていれば、帰ってきたときによくわからないものが住み着いている可能性は大いにある。それが例えばセキュリティが完備されているマンションであってもだ。

「何でもお金には全然困ってない人らしくて。それで別に家賃はこだわりが無いらしいです」
「けどお前、三年間はいいが急に帰ってきたりしたらどうすんだ。宿無しになるぞ」

もっともな警部補の突っ込みに私はにこっと笑顔を作った。
その問題についてはもちろん考えなかったわけではない。先のこととは言いつつも、絶対にやってくる未来なのだからそれくらいのことは考える。

「その場合は警部補の家に荷物置かせてください」
「...はぁ?! 無理だ」
「そんなー! 荷物だけですから! 私はここでちょっとの間寝泊りします!」
「んな荷物置く場所ねぇ!」
「それはねぇ...皆さんのご好意で...ベットは警部補の家、タンスは先輩の家、服はベンの家...この要領でわけます」
「何がわけますだ! 誰も了承してない!」
「宿無しの後輩に優しくしても罰は当たりませんよ〜」

揉み手しながら集まっている一人一人に笑いかけるも、誰も解散の合図などしていないのにさっさと自分のデスクへと散ってしまった。 残ったのは最初からデスクに座ったままの警部補だけだ。見てみればその警部補も早々に仕事を再開している。 誰一人として手を差し伸べる気はないようだ。
......まぁ、三年もあるんだから大丈夫だろう。
三年は私に余裕をかまさせるほどの月日があった。
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引越しするので一日休んでもいいですか、という私の言葉に警部補は渋ることもなく快く頷いてくれた。
このヘルサレムズロットという街で警官なんてものをやっていると毎日が忙しいので同僚に引越しの手伝いをしてもらう、なんてことを期待することは出来ない。 家族はそもそもこの街に住んでいないので無理だし。友人は平日と言うこともあって仕事がある人ばかりだった。
ということで私は一人で引越し作業を行うことになった。お金はできるだけ節約したいところだがこの場合はそう言ってる場合でもないので大人しく通常よりも割高なお一人様引越しパックを選んだ。 そのこともあって思っていたよりも早く荷物を新たな家へと運ぶことが出来た。
そこからは黙々と荷物の片づけを行った。
テレビもつけずに音楽だけを流して作業をすると時間はとてつもなく速く過ぎ、気づけば日はすっかり暮れてしまっていた。
そこで私は”引越しのご挨拶”を行っていなかったことに気づき、慌てて予め用意していた菓子折りを手にして隣の部屋を訪ねた。 こちらではそんなに気遣わなくてもいいということだったのが、以前の引越しの際に行ったときには好評だったので今回もするのは決定だった。 近所づきあいを円滑に行うためにもこういうことは最初が肝心だ。
つつがなく挨拶を終えることが出来たものの、隣人である右隣の部屋の住人とは挨拶が叶わなかった。
出てきたのは優しそうな雰囲気の異界の人だった。その人の名前はヴェデットさんと言い、曰く自分はこの家の家政婦で旦那様は仕事から帰ってきていないということだった。 旦那様は忙しい人のようで、戻りはいつになるのかわからないということらしい。
だからと言って持っていた菓子折りを持って帰るわけにもいかず、私は言伝と菓子折りをヴェデットさんに頼んで帰って来た。 左隣の部屋との間には消化器やらが設置されているスペースがあるため少し離れているので、正確なお隣さんは右隣だけなのだ。 だから一番友好的な関係を結びたいと考えていたというのに...拍子抜けだ。
こういうことは出来るだけ早く済ませたい性質なので、何だか少しもやもやしてしまう。 だけど仕事であれば文句をいうのも憚られる。というか、そもそも文句を言う権利も私には無いのだけど...。
いつ戻るのかもわからないということは忙しい人なのだろう。私は勝手に会ったことも無い隣人に共感を覚えた。






(20150901)