「私まだライブラ見たこと無いんですよ...」

昨日私が引っ越し作業を行っていたときに大きな事件が起きたらしい。 それによるとよくわからない化け物みたいなもの(まだ何ものか分析中とのことらしいが、見かけは亀に似ていた)が現れて、街をしっちゃかめっちゃかしていったらしい。 そのしっちゃかめっちゃかの規模からも、秘密結社ライブラが関わったのだろうことは予想できた。
デスクに行儀悪く足を乗せ、疲れ切った顔に死んだ目でコーヒーを啜っていたロウ警部補が私にちらっと視線を向けながら呟いた。

「幸運だな」

私としてはライブラを見てみたいという欲求がとてつもなくあるのだけど、これについて共感を得ることが出来たことは無い。

「お前の鼻はライブラにはからっきしだな」

先輩の言葉には何も反応しなかった。私がそれをいわれるのを嫌っているのを知っていて言うのだから性質が悪い。 最初は優秀な鼻といわれていたはずなのに今では犬扱いになっている。
私には警察官としての生まれ持った天性と言うのが備わっていたらしい、と知ったのは警察官として働きだしてからわかったことだ。 何だかこの路地裏に何かがある気がする。とか、何だか今すれ違った人が気になるな...なんて小さなことが大きな事件に繋がっていた、ということがとてつもなく多いのだ。 そこそこ成績がよかったおかげで将来の選択肢が増えた私は、かっこいいし、なんて軽い理由で警察官になったのだけど、その選択肢は大正解だったらしい。 おかげで結構なスピード出世で刑事になることができたのだから。
ライブラを毛嫌いしている人も署内には多い。だけど私は思うのだ。世界の均衡を保ってくれているのならいいじゃないかと。 その常人にはないといわれている能力を悪用しているというのであれば罰するべき対象になる。 だけどライブラは世界の均衡を守るためにその類まれな能力を使っているのだ。
結果的には私たちと目的は同じはず。まぁ、ルールを守らないというところについては罰せられるべきかもしれないが、 引き換えにこのヘルサレムズロットの...ひいては世界の均衡を守っているというのだから多めに見てあげてもいいと思う。
そもそも私たちでは太刀打ちすることができない問題が山積みのこの街を守るためには、賢くライブラと付き合うべきだと思うのだ。 (警部補ともドーナツをかじりながらこの話をしたことがある。そのときには「(お前にしちゃ)意外だが悪くねぇ」と、褒められた。) だけど私はライブラという存在は知っているものの、未だにその存在を確認したことが無い。
この部署に配属されてそろそろ半年になる。その間にも毎日事件は起きているというのに不思議と出くわしたことが無いのだ。 そんなこともあって、私はライブラが見たくてたまらないのだ。
私の中でライブラは都市伝説的な扱いになってきているとも言える。だからこそとてつもなく興味をそそられる。 小学生のときに集団でトイレに花子さんを見に行ったときのような気持ちだ。まぁ、そこに憧れみたいな気持ちを多くトッピングしているかもしれないが...。
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「隣の人、イケメンだといいなぁー」
「何だよ急に」

この間起きた事件の事後処理のための書類に噛り付いてもう2時間が経とうとしたとき、とうとう私の忍耐力が切れた。 けれどここまで頑張ったことは褒めて欲しい。休憩という休憩をすることなく仕事をしていたのだから。
握っていたボールペンを机の上に転がし、頬杖をつきながら呟いたことを警部補は拾い上げてくれた。口は悪いけど、基本的に警部補は優しいと思う。
だけど、もしかしたら警部補自身もそろそろ休憩したかったのかもしれない。私と同じようにペンを放ってマグカップを手に取り、それに口をつけている。 だが、顰め面でカップの中を覗き込んでいるところを見るに中は空だったようだ。
普段は良い後輩である私は、けれど今回はそれを見てみぬふりをした。今はだらだらしていたい気分なのだ。 例えコーヒーメーカーが少し歩いたところにあるとしても立ち上がりたくない。

「まだ隣の人会ったこと無いんですよ」
「挨拶になんか持っていった、っつってなかったか?」
「お菓子ですよー。サブレとかクッキーとかの焼き菓子」
「渡したんだろ?」
「渡しましたけど家政婦さんしかいなくて」

「家政婦さん?!」今までもくもくと仕事をしていたと思った先輩が突然でかい声を上げた。あまりにも自分とは無縁な言葉に驚いたらしい。 私とロウ警部補は一瞬そっちを見てからまた何事もなく会話を再会した。知っていたが、ここでは内緒話なんて無理だ。

「隣なら会うこともあるんじゃないのか」
「それが全然! 全く会わないんですよ! ヴェデットさん...あ、家政婦さんなんですけどね、お隣さんの...ヴェデットさんとは 何回か会うんですけどね」
「へー」
「よっぽど忙しい人なんですかね。あんなマンションに住めるんだし」

自分と違い、隣人は割引などされるわけもないので正規の家賃を払っているはずだ。そう考えると、どんな人間が住んでいるのか少しばかり想像することが出来る。 それらを踏まえているとはいえ、姿を見たことが無い隣人についての私の夢は膨らむばかりだ。 家政婦さんを雇えるんだし、あんな良いところに住むことが出来るくらいお金持ちということからも随分なおじさんじゃないだろうかと見当がついている。 だけど夢ぐらいは見させて欲しい。普段異性を相手にすることもあるが、その相手は薬の売人だの、殺人犯だのチンピラなどで全くと言っていいほどときめきが無い。 職場でもイケメンは見つけることができないし。せめて真実を知るまでは隣人はイケメンと言う夢を抱いていたい。 そして出来ることなら本当にイケメンであればいいのに...出来ることならキアヌ・リーブスがいいなぁ。 日々頑張っているささやかな乙女の願いだ。
「がめつい乙女だな!」そんな先輩の突っ込みは聞こえないふりだ。






(20150909)